勇者の最期

 静香は左腰に吊るした小太刀を抜こうと悪戦苦闘していた。


 ショウは思い切り力を込めて片手半剣バスタードソード勇者セトルの剣“ジャスティスブレイド”で押し斬ろうとしてくる。


 静香は左手首に付いた小型円形盾バックラーを右手で押して何とかそれを防いでいた。


 じりじりと静香は押される。


 少しずつだが確実にジャスティスブレイドが額に近づいてくる。


 静香は騎乗している有翼一角馬アリコーン“ホワイトミンクス”に念話テレパシーで呼び掛ける。


“ミンクス――”


“分かってるわ――”


 マリアは未だ悪夢と闘っていた。


 静香も気を抜くと悪夢――ショウとエレオナアルに強姦されかかった過去の映像に頭が埋め尽くされそうになる。


「マリア、気をしっかり持って!」敢えて静香は大声でマリアを励ました。


「……先……輩……」マリアは呻くように声を絞り出す。


「幻覚よ!今見てるのはもう終わった事なの!」


 静香はショウの剣を推す力が少し弱まったのを見逃さなかった。


“ミンクス!”静香はあぶみを前に蹴った。


 同時にホワイトミンクスが後ろに跳ねる。


 ジャスティスブレイドを押していたショウは支えを失って馬上で剣先が地に付きそうな程前にのめった。


 その隙に静香は小太刀を抜いた。


 体勢を立て直したショウは雄叫びを上げながら突進してきた。


 静香は左手の小型円形盾バックラーで受け流しつつ同時に右手に握った小太刀でショウの兜の隙間の目を狙って突きを放った。


 大盾の内側をすり抜けた小太刀は惜しい所で面頬めんぼおに阻まれた。


 しかしショウは怯む。


 ショウはジャスティスブレイドで静香の頭を狙う――致命打にならなくても衝撃で脳震盪のうしんとうを起こさせる――そこまでいかなくとも集中力を乱せば幻覚が再び静香を襲う筈だった。


 ショウの一撃は静香の小太刀と小型円形盾バックラーに乗せた指輪の魔力の隙を突いた。


 静香の額環サークレットは魔力を発揮してショウの一撃を止めた。


 しかし静香の頭部には金槌ハンマーで殴られたかの様な衝撃がきた。


 くらくらときた静香を再び乱暴される幻覚が襲う。


「くっ――」静香は何とか精神を落ち着かせようとした。


「オラオラァッ!」ショウがまたしても乱打を浴びせてきた。


 静香は小太刀と小型円形盾バックラーで攻撃を受け止めようとした――しかし、集中が切れサンドバッグの様にショウに打撃を許してしまう。


 ふらついた静香に勝ち誇ったショウが止めの一撃を入れようとした――その時だった。


 ショウの眼前に恐ろしげな声を上げるもやの様な人型が広がった――脳裏に女の顔が焼き付けられる様に現れる――。


 かつて自分が捨てた少女――何故ここに――ショウは恐怖の叫びをあげた。


 錯乱した様にショウは剣を振り回す。


 静香が立ち直るまで時間がかかった――だが、少女の霊は静香達を助けた。


 マリアが正気を取り戻したのだ。


「食らいなさい――腐れ勇者!」怒りに燃えたマリアはショウの鎧の魔力を打ち破る様に炎の魔法をショウの顔面に掛けた。


 顔全体を焼かれた激痛にショウは悲鳴を上げた――治癒魔法を唱える事すら出来なかった。


 視界を奪われたショウは盾に身を隠して逃げ出そうとする。


 有翼馬ペガサスが向きを変えて駈け出そうとした。


 しかし、それは叶わなかった。


「戻りなさい――“神殺し”!」静香の声に従って、弾き飛ばした筈の日本刀が光を放ちながら宙を飛んで来る。


 ショウの乗馬は静香と神殺しの中間線上に居た。


 神殺しが有翼馬ペガサスの前足に突き刺さった。


 有翼馬ペガサスはその場にくずおれた――ショウは投げ出され、地面に叩き付けられる。


 それだけでは済まなかった――馬が倒れた時、ショウの左脚を下敷きにして潰したのだ。


 ショウは喚きながら地面を転げ回る。


 神殺しが抜けた有翼馬ペガサスは宙に舞い上がって逃走した。


「年貢の納め時よ。“勇者”」静香とマリアは神殺しを地面から拾うとショウに近づく。


「先輩、止めを刺す必要は有りません――脚の動脈が切断されてます――放っておいても――」マリアが憐れむ様に言った。


「止めろ――止めてくれ――」ショウはうわ言を吐くだけで身体を動かす事も出来なくなった。


「自分が殺してきた愛人達の幽霊に襲われているんです――ここで死んだら復活できない事も知らされて――自業自得です」




「何をしておる――早く余の友を――」エレオナアルは焦った口調で介添人の二人の魔術師にショウを治療する様命令した。


 二人の魔術師は動かなかった。


「決闘に手出しする事は許されておりませぬ。エレオナアル“陛下”」国際謀略組織、秩序機構オーダーオーガナイゼーションの首領でもあるティール公爵は冷酷に事実を指摘した。


「――そんな事はどうでも良い――余が法だ――余こそが法なのだ――従わねば――」エレオナアルは口から泡を吐く様な勢いだった。


「従わねば?」公爵は更に冷たい声で答える。


「大逆罪として処刑するぞ――」エレオナアルは興奮の余り喚き散らす。


 友としてだけでなく用心棒としても最大の信頼を置ける相手がいなくなれば――その思いが戦皇を殆んど狂気の域に追いやっていた。


「出来ますかな」ティール公爵は目を細めてエレオナアルの瞳を直視した。


「貴様――!」言いかけた直後、エレオナアルは昏倒した――公爵の魔法で眠らされたのだ。


「近衛兵――!エレオナアル陛下が友を失われた心痛で倒れられた――安全な場所へとお連れせよ!」ティール公爵が呼ばわった。


 ヴェンタドール王国首都サレムカルド城壁前に展開していた近衛騎士が二名、担架を持って駆け付ける。


「勇者はもってあと5分か10分という所だろう――蘇生も出来ない。どうするつもりじゃ、公爵?」騎士道伝説に謳われる大魔術師マソールが尋ねる。


「何もせんよ。もう痛みも感じなくなるだろう――助ける義理も無い相手よ――儂の実験材料としても用済みだ。行きつく先が混沌の女神アリオーシュか死の王ウールムかは知らぬ――が、勇者の末裔として決闘に不当に介入されたという恥を与えぬだけマシだろう」ティール公爵はショウを見て言った。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」ショウは熱病にうなされる様にうわ言を繰り返していた。


「一思いに殺せ――」口から血の泡を吹きつつショウは喚いた。


 異世界から召喚された救世主の少女二人はショウの最期を憐れみと軽蔑の籠った目で見届けていた。


 止めを刺そうとはしない。


 真っ白な有翼一角馬アリコーンを従え、勝ち名のりを受けるべく立ち尽くしていた。


 ショウの口からは周りの全てを呪う言葉が発せられていたのだが、もう言葉の体を為していない――ぶつぶつと何かを呟いている様にしか見えなかった――それも途切れ途切れになっていく。


 マソールは二人の傍らに転移テレポートするとショウの死を確認した。


「この決闘の勝者はガルム帝国軍代表――異世界人澄川静香と七瀬真理愛――勇者ショウ=セトル=ライアンの敗北じゃ。慣例に従い、勇者の遺体はヴェンタドール王国に引き渡す」マソールが宣告するとかなえの沸く様な声が辺りを覆った。


 王国のエレオナアル派は勇者の遺体が戻ったと知って一安心するだろう――事実を知る迄の事だが――マソールは思った。


 ショウの魂はアリオーシュの配下に玩具として与えられるだろう、アリオーシュが斃される迄はその運命から逃れられない――。


 エレオナアルにも同様の運命が待ち構えている筈だ――混沌と契約して無事で済む筈も無い。


 手軽に他人を出し抜こうとするからだ――安易に得られる力で、それも他者を犠牲に己の欲望を充足させようとした――その報いだ。


 妄語両舌――混沌の神々をこれ程的確に言い表した言葉は無い。


 混沌の神の力を得ようと混沌に従う者の内、望む結果になるもの等歴史が始まっても数えるほどしかいない――神となっても自滅するか斃される者が殆んどだった。


 人間を極めることも出来ずに神になろう等マソールにとっては笑い話にもならない。


 分をわきまえるとか神と人間は全くの別物だとかそういう話ではない。


 既に自分は神であると気付いた者だけが神の域に辿り着けるのだ。


 自らが最高に強い力である事に気付かず、最強の存在よりも更に自分が強いと思いこむ――神と自分が分断していると思う人間が落ち込む陥穽だ。


「ショウの運命は決したな――明日以降、帝国軍と代皇軍はサレムカルド包囲戦にかかるだろう――我らは忙しくなる」マソールは近くに来たティール公爵に語り掛けた。


「そなたはどうする?ティール公爵。エレオナアルにも義理は有るまい」マソールはティール公爵の識見は評価していなかったが魔術師としての才は買っていた。


「義理は無いが契約は有る――それに“前戦皇”がこの期に及んでどう足掻くのか、それはそれで興味の有る実験だ」ティール公爵は小柄で痩せっぽちな男だった、マソールに体格でははるかに及ばない――だが魔術の腕では劣っていないと自負していた――それが口調にも表れる。


 人体実験やアリオーシュとの契約、ダークエルフとの取引等、ティール公爵は人道にもとる“研究”の数々を行ってきた。


 公爵の興味は人間――特に追い詰められた人間が土壇場でどの様な行動を取るかに有った。


 英雄的な行動を取る者も居れば、みっともなく足掻く者も居る、狂気に陥っても人間である事を選択する者や、あっさりと人間以外の何かになる事を選ぶ者も居る。


 公爵にとって人間とは実に興味深い実験対象だった。


 公爵は秩序機構オーダーオーガナイゼーションの首領になったが、それも自身の研究を自由に進める為に都合が良かったからだ――組織そのものに興味は無かった。


 秩序機構オーダーオーガナイゼーションの掲げる新世界秩序とその為の既存秩序の再構成と改革とやらにもだ。


 改革という言葉を使いたがる人間程、己の利益を最大にしようとする者が多い――それが公爵の一つの結論だった。


 改革の美名の下に己と組織の権勢拡大を狙う者の多さに驚かされたものだ。


 社会秩序に狂った所が有るのは百も承知だった。


 特定の人間が他の人間より優れている等と言うのはその最たるものだろう。


 多くの人間にとっては狂った部分を修正するよりその場を凌ぐことの方が重要なのだ。


 誰かが改善してくれる――それが他人に自分を支配させることに繋がっても人は世界に責任を持とうとはしないのだ。


 権力者がいかに好き勝手をやろうとも――その結果自分が屠畜場に送られる豚となろうとも、だ。


 組織に忠誠を誓い、その為なら何でもするというのも公爵には興味深いが理解できない事の一つだった。


“――頼れるものは自尊する心――”公爵は子供のころ受けた帝王学の言葉を思い出した。


 自分も頼れない人間が他人を頼れる筈も無い、まして神にもだ。


 神を信仰の対象として見ている者は――そこで公爵の思考は中断させられた。


 ヴェンタドール王国近衛の兵がやって来たのだ。


 ショウの遺体を回収する為だ。


 マソールは転移の魔法で既に騎士傭兵アイヴァンホー伯爵の元へと帰っていた。


 勇者が失われた事実を知ってこの国の者たちがどんな決断を下すか――それが秩序機構オーダーオーガナイゼーション首領ディスティ=ティール公爵の目下の関心事だった。




 ――そしてエレオナアルが戦死したのはショウの死の十日後の事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る