進軍再開――そしてサー=ウィルフレッド=アイヴァンホー

 静香はアトゥームの力が落ちている事をはっきりと認識させられた。


 模擬戦闘での勝率が格段に上がったのだ。


 6割以上になる日も珍しくはなかった。


 反応が鈍い――勘の鋭さが落ちている。


 地縛霊が人間を依り代に存在する限り避けられない事だった。


 霊の方でも出来る限り負担にならない様にしているのだ。


「統合失調症が悪化していないだけましだ」アトゥームはそう言っていたが、マリアも静香も不安は消えなかった。


 一般の兵士や怪物モンスターを相手にするならともかく、ある程度以上に強い相手では後れをとる可能性が有った。


 静香は今更ながらにしてマリアが甘やかすなと言った意味を痛感したのだった。


 アトゥームが本調子を取り戻せないまま、冬は終わった。


 エレオナアル派との再度の戦いが始まろうとしていた。


 アリオーシュの動きが無かった事がマリアと静香には不思議と同時に不気味だった。


 *   *   *


 グランサール皇国皇都ネクラナルを最後に出発したのがラウルの軍だった――占領地域の施策を策定する必要が有った為だ――皇女アレクサンドラも軍に随行する。


 マリア達も一緒だった。


 驚いた事にマリア達が保護した老猫がついてきたがった。


 軍が出発して一日後、替えの衣服を入れた箱に老猫が入っているのをマリアが見つけたのだ。


 猫はマリアから離れたがらなかった。


 戦闘訓練の時などは流石に離れたが、マリアを見れない位置に行くことは殆んど無かった。


 マリアは猫を使い魔にする事に決めた。


 魔法で保護しなければ危険だとマリアは判断した。


 猫の魂と対話し、感覚を共有出来るようにする。


 痛覚も共有する為、猫が怪我をするとマリアも痛みを感じる――猫が死んでもマリアが死ぬわけでは無いが昏睡状態に陥る危険性は高かった。


 転移の魔法で瞬時に肩の上に来たり逆に100メートル以上離れた場所に飛ばすことも出来る。


 又、猫の視覚や嗅覚も共有するので夜闇でも物が見えたり怪物などの匂いを感じ取ることも出来た。


 戦闘中に足手纏いにはならない――少なくとも出来るだけの事はした。


 後は祈る事くらいしかなかった。


 今回はラウル達は後詰ごづめだった。


 ネクラナルを単独で攻略した事も有り、他の軍団が戦功を求めた挙句の決定だ。


 特に帝国騎士団を中心とする第一軍は先陣にこだわった。


 騎士の誇りが他者の後塵を拝する事を良しとしなかった。


 エレオナアルやショウの首級を挙げるのは自分達だ――そんな掛け声が充溢じゅういつしていた。


 魔術将軍ナイトハルト=クラウス=フォン=シュタウヘンベルク選帝侯率いる第二軍も第一軍と並走に近い形で先陣を切る。


 アレクサンドラを旗頭として担ぎ上げたいと第一軍も第二軍もラウル率いる第三軍に持ち掛けていたが、アレクサンドラ自身が断っていた。


 雪の残る道を軍勢が進む。


 エセルナート王国軍やフェングラース魔導専制君主国軍も第三軍と行動を共にする。


 第三軍はエルフやドワーフ等の亜人種の軍、上記の軍、一般人の招集兵など、一番雑多な取り合わせの軍だった。


 取り纏めるラウル以下の指揮官、参謀が優秀且つ偏見の無い人材でなければ務まらなかった。


 ネクラナルで合流した軍勢は再び三方に分かれて進軍する。


 ラウルはゆっくり攻める方針だった。


 残る戦略上の要衝で押さえる必要が有るのは大国ヴェンタドール王国首都のサレムカルドと交通の要衝だ。


 ネクラナルでエレオナアル達を押さえられなかった以上、敵は警戒するだろう。


 準備も万端にこちらを待ち構えている筈だ。


 力攻めは避けたい――味方は言うに及ばず敵方の損害も最小限に留める――それが知恵と戦いの女神ラエレナの教えだった。


 戦わずして勝つ事が最大の目標だが――。


 内応工作はそれなりの効果を上げていたが絶対優位の状況は作れずにいた。


 エレオナアル達は外部の情報を徹底して遮断し、自分達の正当性を声高に主張していた。


 ティール公爵率いる秩序機構オーダーオーガナイゼーションの魔道士達も手強い敵だった。


 そんな中、更にエレオナアル達に頼りになる援軍が現れたのだった。


 *   *   *


「サー=ウィルフレッド=アイヴァンホー?」朝食時に静香は聞き返した。


「誰ですか?そのアイヴァンホーって人は?」マリアは老猫――身体が白かったので“しーちゃん”と呼んでいたのだが――に干し肉をミルクで柔らかくした食事を与えながら静香同様に訊いた。


「“白亜の島”と呼ばれるアーヴィオンという島国出身の騎士傭兵だ」簡素な朝食――パンと干し肉とミルク、それに干した果物を持ったアトゥームが答える。


「今は聖シオン騎士団で隊長マスターの地位も得ている。もう五十路だが傭兵の間では名前を知らない方が少ない」


「それでそのアイヴァンホーって人が何かしたの?」静香がのんびりと尋ねる。


「エレオナアルに付いた」アトゥームが素っ気なく言ったので静香達は「ああそう」と危うく聞き逃すところだった。


「――ちょっと待って――今さらりととんでもない事を言わなかった?」静香がミルクを咳き込みそうになるのをやっとの事でこらえて言った。


「アーヴィオンは今内戦状態だ。国内は離合集散を繰り返している。エレオナアルに近い一派が彼を雇って“前戦皇”に付かせたらしい」


「彼一人なんですか?」マリアがしーちゃんから目を離して訊く。


「いや、配下の傭兵団がいる。シオン騎士団も全面的に支援している」


「アイヴァンホーは単騎でもボクやアトゥーム君に引けを取らない騎士だよ。厄介な援軍が入ったね」シェイラを連れたホークウィンドが引き締まった表情で言う。


 聖シオン騎士団についてはマリア達はラウルからこの世界について学んだ時に聞いていた。


 各国に飛び地の様に領土を持つ超国家的な聖堂騎士団――幾つかある聖騎士団の中で――いや、世俗の騎士団を含めても最強を謳われる西方世界に知らぬ者の無い騎士団であり、至高神エア、東部ではカドルトとして崇められている神――を奉ずる騎士団だった。


 最も慈悲を旨とするカドルトの信者を軟弱と呼んで、自分達の神こそ真の神と主張する団員も少なくはなかったのだが。


「混沌の女神アリオーシュとエレオナアルが手を結んでいるのに、それを知ってて付いたんですか?」マリアが疑問を口にする。


「目をつむったか、知らないのか、アイヴァンホーの独断と主張するのか、いずれかだろうな」


「でも、ガルム帝国の軍の先鋒を務めるのは第一軍でしょう。後詰の私達とぶつかる可能性は低いんじゃない」


「それはそうなんだが――」アトゥームは珍しく歯切れの悪い口調になった。


「起きるかどうかも分からない事を心配するなんて貴方らしくないわ――備えだけはしておいて後はどんと構えていれば良いと思うけど」静香はアトゥームが霊に憑かれて弱気になっているのかと懸念した。


 ――しかし、アトゥームの悪い予感は的中してしまったのだった。


 *   *   *


 ネクラナルを離れて三日後、第一軍が通過した後の土地――エレオナアル派の領主が逃げた村落の外れの畑――広々としたそこでラウル達は待ち伏せを受けた。


 行軍していたラウル達は目標の村の教会の塔を見つけて斥候を出した。


 異常は無い――戻った斥候達の報告だった。


 軍勢の先鋒が村に入る。


 罠の魔法等が掛けられていない事を確かめる。


 皇女アレクサンドラは軍勢の一番安全な所でラウルやマリア達と一緒に行軍していた。


 ホークウィンドとシェイラはエルフ達の軍勢と、アトゥームは先鋒に近い前方で指揮を執っていた。


 アリーナはラウル達と一緒だった。


 本陣のマリア達が村に入ろうと並木道を通っている時、それは起こった。


 突然、誰も居ない筈の並木から大量の矢が射かけられたのだ。


 一瞬、軍勢が混乱しかかった。


 そこへ間髪入れず隠れていた騎兵が突進して来る。


 数はそう多くなかったが、不意を突かれたのが大きかった。


 多くの兵が馬蹄や騎兵槍ランスの餌食となる。


 敵の狙いはアレクサンドラだ――そう悟ったラウルは徒歩兵を密集隊形にし槍衾やりぶすまを作って敵騎兵の動きを止めようとする。


 辛うじて敵の突破は防いだ――突破されれば軍勢は四分五裂だったろう。


 銀の鎧の敵将は面貌を上げ、哄笑を響かせた。


「我が名はサー=ウィルフレッド=アイヴァンホー。流石は軍師ウォーマスターラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ。今までこの攻撃を凌いだ相手はそうは居なかった」


 背はそれほど高くない――小柄と言っても差し支えない。


 ラウルの軍勢はあちこちで乱戦を強いられていた。


 ――これまでラウルが避けようとしてきた力攻めだ――


 一時間程も戦ったろうか、敵兵は算を乱さず後退していく。


「今日はここ迄だ――良い戦いだった――次を楽しみにしているぞ」


 ラウルは敵を追わず、負傷兵の治療を優先した。


 追った先に伏兵がいる可能性も考えたのだ。


 隊伍を組み直し、更なる敵襲に備える。


 損害は少なくなかった――特に装備の貧弱な招集兵が手酷くやられていた。


 治癒魔法が使える者が懸命に治療にかかる。


 簡易な転移の魔法陣をネクラナルとの間に造り治療しきれなかった者や死者を後方に搬送する。


「敵方にも魔術師が付いていたね」ラウルが負傷者の治療をするアリーナ達を見ながら言う。


 マリアはアリーナと共に負傷者の治療にあたっていた。


秩序機構オーダーオーガナイゼーションの首魁のティール公爵かしら?」静香が尋ねる。


「いや、魔力の気配が違う――恐らくアーヴィオン島からアイヴァンホー卿に随行した魔術師だよ」ラウルは大きく息を吸うと副官に辺りへの警戒を欠かさない様に言った。


「僕も怪我人の治療に行くよ。敵襲はもう無いと思う」


「今日は様子見だったって事?こちらの戦力をはかる為の」


「恐らくね」ラウルは歩きながら言った。


 静香はマリアの側に行こうとして自分が出来る事は応急処置位しかないと一瞬迷ったが、彼女を手伝う事は出来ると思い直してラウルの後に続いた。


 ――これ以降、ラウルの軍はアイヴァンホーの軍と幾度となく激突する事になるのだった。

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