幽冥界からの解放――帰還
龍の王国ヴェンタドールの守護白龍ヴェルサスの
解放はされるかも知れないが、恐らくショウには手を出さないという条件付きで、それももう少し後になるだろうと踏んでいたからだ。
「何が有った?ヴェルサス」カーラムがやはり龍語で問う。
龍の言葉にしては一般人が想像するより低音は少なかった。
唸り声とも違い、繊細な言語だ。
呪文を詠唱する事も有るので当たり前と言えば当たり前だが。
しかしヴェルサスの言葉はそんな軽口を許すものでは無かった。
「ショウ殿とエレオナアル陛下は我の自我を奪うつもりだ――もう時間は無い。アリオーシュの手駒として使われたとあっては龍族の面目が立たぬ」
「人質に取られている仲間は救わなくて良いのか」今度はアトゥームが尋ねた。
「もう逃がした――後はお前達を逃がして裏切り者に鉄槌を下すだけだ」
「待て、エレオナアルとショウを倒すなら俺達も――」
「間に合わぬ。手前勝手な頼みとは分かっている――我が負けたら後の事は頼む――」
白龍の言葉は消えた。
「死ぬつもりだ」
「アリオーシュ相手ではヴェルサスと言えども歯は立たない」カーラムは呻く。
ヴェルサスが死ぬか魔法を解けばアトゥーム達は解放される。
感覚共有の魔法が掛けられたのだろう。
アトゥームとカーラムの視界に赤い空を背景に浮かび上がるアリオーシュの城に突撃していく
城から電信柱ほどもある魔法の大矢が幾つも飛んでくる。
大矢の一本がヴェルサスの身体に突き刺さった。
悲鳴一つ漏らす事無くヴェルサスは突っ込んでいく。
アリオーシュ配下の
魔法の大矢が次々とヴェルサスを襲う。
ヴェルサスは速度を落とさずアリオーシュに向かって突進した。
しかし連続して大矢がヴェルサスに突き刺さる。
翼にも大矢は襲い掛かった。
城の上に巨大な人影――アリオーシュその人の影だ――が浮かび上がった。
ヴェルサスの体長よりも大きな剣を構えている。
人影は剣をヴェルサスに投げつけた――凄まじい速さで飛んでくる剣をヴェルサスは避けそびれる。
ヴェルサスの翼を貫いて背中から腹にかけて剣は貫通した。
咆哮がヴェルサスの口から上がる。
大量の血が口から吐き出された。
それでも突進を続けようと足掻く――。
立て続けに巨大な剣が突き刺さる。
ヴェルサスは力尽きた。
凄まじい音を立てて地面に激突する。
溜め息の様な音が喉から漏れたのを最後にヴェルサスは息絶えた。
「ヴェルサス……」アトゥーム達は成す術も無く事の顛末を見ていた。
同時にアトゥーム達の身体が宙に浮かび上がった。
ガラスの割れる様な音と共に空間が割れた。
一瞬後、アトゥーム達はアトゥームがヴェルサスの魔法で飛ばされる直前に居た場所――グランサール皇城上空に居た。
落下し始めるアトゥームの襟首を
吸血猫はアトゥームを子猫を運ぶ親猫の様に――大きさではアトゥームの方が遥かに大きいのだが――運んでいく。
「もっと格好良く降ろしてくれればいいのに」アトゥームがカーラムに文句を言った。
「こんな状況で格好良さを気にする様じゃ自意識過剰と言われても仕方ないよ」カーラムが混ぜっ返す。
誰も居ないかと思ったのだが、その場所にはしっかりとマリア、静香、ホークウィンド、シェイラ、アリーナ、アレクサンドラ、そしてラウルがアトゥームを待っていた。
目の前に現れるまで信じられなかったのかマリアと静香は笑いそうになるのを必死に
地面に着いてもしっかりと首根っこをくわえられていたアトゥームはいつもの無表情だった――それが
「アトゥームさん。そ、その――お帰りなさ」語尾が笑い声に消える。
「ラウルが今日貴方が帰ってくるって言ってて――でも」静香も堪えきれずに笑い出す。
「晒し者になるというのは精神衛生には良くないな」アトゥームは流石に憮然とした雰囲気を漂わせていた――表情には出さなかったが。
吸血猫はアトゥームを離すと何事も無かったかの様にカーラムの元へと走っていく。
「まあ、無事に帰ってこれて良かったね――」ホークウィンドも笑いながらアトゥームに言う。
「で、俺が消えてからこっちではどの位時間が過ぎているんだ?」
「一ヶ月と少しですわ。アトゥーム様」アレクサンドラ皇女も笑っている。
「まあ、笑うしかないか」アトゥームは独り言のように呟くと、自分の立場を客観視してようやく微かに笑みを浮かべた。
「義兄さん、少女の幽霊に憑りつかれたでしょう。それに白龍ヴェルサスが――」ラウルは一人笑っていなかった。
「そうだな」アトゥームも笑いを引っ込める。
「状況は?それに僕はどうすれば良い?」カーラムがラウルに尋ねる。
「大体の所は把握しているよ。ヴェルサスの眷族はほぼ逃げる事に成功した」
「ほぼ?」
「ヴェルサスの子供一頭がヴェンタドール王国の庇護下にある。アリオーシュの手が伸びないとは限らない。アリオーシュの手にかかったのがヴェルサスとその妻の二頭。他は脱出に成功したよ」
「子供の龍はヴェンタドール守護龍の後継者。シェイラさんより幼くて戦闘能力は無いに等しい。王国は龍を失う事だけは避けたいはず」
「守護龍と国体さえ守れるならアリオーシュと手を組みかねないって事?」静香が割って入ってくる。
ラウルは考える。
「理詰めで動く相手ならヴェルサスの死の真相を知ってなおアリオーシュに付く事は考えにくい――けど有り得ないとは言えないね。アリオーシュが脅迫するという事も考えられるし、追い詰められれば何にでも
「カーラムさん。義兄さんを救ってくれて有難う。報酬は――」改まってラウルは言った。
「もう貰ったよ」カーラムは答える。
「やる事が無いならアリオーシュ戦迄は“狂王の試練場”の管理者代行に戻るよ――それで良いのかい?助けが必要なら都合が合えばまた来るけど」
「タダという訳にはいかない――払うものは払うよ。財宝なんかは興味無いと思うけど、魔法の品などで欲しいものは無いかい?」
「大抵の魔法の品は僕も持ってるよ――敢えて言えば君達の血を
「ボクは構わないよ。アトゥーム君を助けてくれた借りも有るし」ホークウィンドが真っ先に告げた。
どうという事は無いという声だった。
逆にマリアと静香は
シェイラも渋い顔だった。
アリーナは無表情、アレクサンドラは顔が青ざめている。
アトゥームとラウルも表情を変えない。
「アトゥームの血は先程飲んだばかりだからまた今度で良い」
「それに女の血は僕には甘い――甘すぎると言っても良い位に。だから無理にとは言わない」
それを聞いてマリアと静香、それにアレクサンドラはほっと息をついた。
「アリーナさんは構わないの?」ラウルはエルフの
「――構わないわ」アリーナは気丈に言った。
「――私も」驚いた事にシェイラもそう言った。
「母様が血を吸われるのに私だけという訳にはいかないわ」
結局カーラムはラウル、ホークウィンド、シェイラ、アリーナから血を飲んだ。
「これで君は
ホークウィンドが言う。
「そうかもね。君達は血を吸われるのに抵抗感が無さすぎるとは思うけど」
「それじゃ、僕はこれで。君達の健闘を祈るよ――神にとは言わないけど」カーラムは吸血猫を肩に乗せて転移の魔法で消えた。
少しの沈黙が有った。
「義兄さんが居ない間にアリオーシュやエレオナアルの動きは無かったよ。向こうでは何日位過ごしたの?」
「一日も経ってない――俺に憑いた霊はショウが斃される迄は離れる事は無いという事だ」
「そう言えば、アトゥームさんからいつもの“
アトゥームは簡潔に幽冥界で有った事を説明した。
「らしい話ですね――」マリアは顔をしかめた。
「そうね」静香も頷く。
「でもアトゥームさんは大丈夫なんですか?」
「足手纏いにはならない――それくらいの働きは出来る」
「そういう事じゃありません――アトゥームさんに倒れられると私達が元の世界に帰れる確率が大きく下がります」アトゥームを駒としてしか見ていない言い方に聞こえたが、そうでない事は声の調子で分かった――。
「分かった」アトゥームもそれに気付かない程、鈍感ではなかった。
「でも、貴方らしいわね――永遠に囚われの身の娘を放っておけないなんて」静香も感心した様に言う。
「先輩――アトゥームさんを甘やかさないで下さい」マリアが微かに険を含んだ声で言った。
「――妬いてくれるの?」静香は嬉しそうだ。
「――先輩は流されやすい所が有りますから――」幾分かの嫉妬と辛辣さの
「とにかくショウはもう一度倒せば生き返れない――向こうが知ってたら表に出てこないんじゃない」
「かも知れないな」アトゥームは冷静に言った。
「分からない事を考えてもしょうがないよ」ラウルが間に入る。
「先ず戦皇エレオナアルとショウ、それにアリオーシュを
「冬の間に向こうがどれくらい力を回復するか――
「とにかく宮殿に帰りましょう。話はそれからですわ」アレクサンドラが提案した。
アレクサンドラの宮殿に戻った一行は今後の方針を決めるべく話し合いを持ったのだった。
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