三者三様――マリア、ラウル、アトゥームの闘い

「やった――」マリアは不老不死ハイエルフの忍者ホークウィンドとの戦闘訓練で思わずガッツポーズを取った。


 一対一の対戦で初めてホークウィンドから一本取ったのだ。


 それも魔法を使わずに、だ。


 手加減はされてなかった――マリアも相手が本気かどうか位は分かる。

 

 一日に数十回は手合わせする日も有ったのだから勝つことが有っても不思議では無いと思わず思ったりもしたのだが、それでも初めての勝利は格別だった。


 公園から何とか連れて来た老猫にも喜んで報告する。


 猫はマリアが喜んでいるのが分かったのか、素直に撫でさせてくれた。


「やったわね。マリア――」静香もマリアに抱きつく。


 静香ですらもホークウィンド相手では五割以上の勝率を達成していない。


 防御に関してはホークウィンドはアトゥームよりも上だった。


「大金星ですよね」守りに徹したホークウィンドを崩したのだ――マリアは嬉しさを隠しきれない。


「ここ迄マリアちゃんが白兵戦に強くなってるとは思わなかったよ。ボクの完敗だね」ホークウィンドも脱帽したという様子だった。


 アトゥームが消えてから三週間、グランサール皇国戦皇エレオナアルや混沌界最強の女神アリオーシュの動きは無かった。


「静香はおろかまさかマリアにもお母様が負けるなんて――」黄金龍ゴールドドラゴンの娘、ホークウィンドの養女シェイラも驚きを隠さない。


 グランサール皇女アレクサンドラは二人の動きを目で追うのがやっとだった。


 何が決め手になったかだけが辛うじて分かった。


 ホークウィンドの牽制の左貫手ひだりぬきて魔術杖スタッフで巻き込む様に受けて石突を喉元に突き付けたのだ。


 その速さにホークウィンドは腕での防御も回避も間に合わなかった。


 静香は当然としてもホークウィンドもアリーナも、そしてシェイラさえもマリアの勝利を我が事の様に喜んでくれた。


“この人達が仲間で良かった――ありがとうございます。全知全能の主よ”マリアは久しぶりに神に感謝の言葉を捧げた。


 *   *   *


 ラウルは首都を落とした後の次の一手を考えていた。


 一対一で現戦皇を倒す――殆んどの場合現戦皇が負ける形で後継者を新戦皇とするやり方――勿論殺したりはしない――で仕組まれた形式上の決闘――が皇位継承の方法だったが、ラウルは現戦皇エレオナアルを廃してアレクサンドラを代皇として立てようと画策していた。


 それに使えそうなグランサール皇国の歴史書を読み込んでいる最中だった。


 女性が戦皇の地位に付いた事は余り無く、特に新しい歴史になるにつれ男性優位の傾向が有る――異種族排斥の機運が高まった頃から男性のみが戦皇となり、皇位継承権の有る男子が居ない時のみ代皇を立てている――。


 余りにも戦皇が無能か非道なら貴族や皇族や民衆の力などで退位させることは有ったが、例外中の例外だった。


 それでも、現戦皇エレオナアルを廃位したものとすれば相手方への打撃ダメージは大きい。


 その為にエレオナアル達が混沌の女神アリオーシュと結託しているという事実、国家浄化と称したエルフ達を始めとする異種族や障害者への排斥殺害等の証拠を集めて白日の下に晒す――証拠は唸る程有った――を喧伝する事にした。


 エレオナアルから戦皇位を剝奪はくだつし、皇女アレクサンドラを代皇にする――アレクサンドラも戦争を終わらせ皇国をまともな国家にする為に積極的に賛同した。


 ラウルはこの案をガルム帝国中枢に打診し、戦争の早期終結案の一つとして認めさせた。


 「エレオナアルは最早戦皇ではない」――この言葉を合言葉に親エレオナアル派の切り崩しを図る。


 皇国の同盟国にも動揺が走った。


 ラウルはアレクサンドラを代皇として認め、戦犯を差し出して無血開城すればその国や封土の独立は保証する事をガルム帝国皇帝とアレクサンドラに宣言させた。


 密偵や軍偵を放ち情報を収集する傍らで煽動工作も行う。


 エレオナアルも情報工作は行っていたが、贔屓ひいき目に見ても思想宣伝プロパガンダと帝国への誹謗中傷を超えるものではなかった。


 しかしエレオナアルの過激な主張を支持する者も少なくなかった。


 エルフという敵を作り、悪いのは全て彼等のせいにする――悪いのは他人で自分ではない――思考停止の状態が心地良い者も居るのが人間だった。


 都合の悪い証拠は無かった事にしてエレオナアルを支持する人間も居る。


 敵にくさびを打ち込めた事を良しとしなければいけない。


 ラウルは焦らなかった。


 厭戦気分の満ちた所から切り崩せば良い。


 只敵方についた謀略組織、秩序機構オーダーオーガナイゼーションは警戒しないといけない。


 皇都ネクラナルの攻略に掛かった時、ラウルの行動は機構の主ディスティ=ティール公爵に読まれていた。


 未来予知の能力に加え極めて高い知性と魔術の才能を持った強敵だった。


 公爵がいなければエレオナアルの身柄を押さえる事も出来たろう。


 皇国の同盟国はヴェンタドール王国が最も大きく、あとは中小の国家が十数ヵ国程だ。


 大国と呼べるのはヴェンタドールだけだった。


 しかしグランサール皇国やガルム帝国と対等と言える国力を持っている。


 中小国家もまとまれば――大半は動揺していたのだが――侮れない。


 現ヴェンタドール国王はエレオナアルの友人であり王国の勇者ショウをあくまで支持する腹積もりだった。


 皇国も首都を落としたとはいえ未だ国土は半分以上残っている。


 エレオナアル廃位で一番動揺するのは皇国の残りの領主たちだ。


 反逆者の汚名を着せられて処罰を受ける――エレオナアルはアリオーシュに通じているとの問罪に虚偽情報フェイクニュースだと真っ向から反論していた――どちらにつくべきか思案する者が大半だった。


 エレオナアルのやり方は皇国を息苦しい偏見で覆っていた。


 戦争に疲れ、差別に疲れた者は国家神ヴアルス親衛隊に容赦なく狩り立てられ異論を挟めない。


 グランサール皇国守護神ヴアルスが最後に皇国に勝利をもたらしてくれる――そんな空気感も皇国を今まで動かしていた一因だ。


 それでも大半の者には皇国が不利になっている事は明白だった。


 狂信的なヴアルス信者も少なくはなかったが負けを覚悟している者も同じ位は居た。


 エレオナアルが男性でアレクサンドラが女性という事が長い間男性優位だったグランサール皇国でエレオナアル支持にまわるものが少なくない理由の一つだった。


 *   *   *


 幽冥界――


 アトゥームは牡鹿一頭と食用になる木の実、草や木葉このは等を採って戻ってきた。


 古吸血鬼エルダーヴァンパイアカーラムは既に魔法の火を起こしていた。


 アトゥームはナイフで手際よく鹿を解体していく。


 血抜きをし、肉に臭みが残らないようにした。


 カーラムと吸血猫ヴァンパイアキャットの飲用に血も捨てなかった。


 木の枝で作った串に肉を刺して焼く。


 余った肉は干し肉にする。


 皮はなめしていざという時に羽織れるようにした。


 湖の水も飲んでも問題無い事を確かめた。


 ジュラールは既に帰っていた。


 人心地ついた所でアトゥームはカーラムが血を飲んでいない事に気が付いた。

「飲まないのか?」


 吸血猫ヴァンパイアキャットと戯れていたカーラムは言い辛そうに口を動かしていたが、意を決した様にアトゥームの瞳を真正面から見た。


 美少年としか形容のしようのない顔にほんのりと赤みがさしている様に見える。


 吸血鬼でもそんな事が有るのか――アトゥームは意外に思った。


「飲ませて欲しい」カーラムの言った内容をアトゥームは誤解した。


「飲めば良い」アトゥームは鹿の血の入った革袋を串で指した。


「違う――」カーラムの声にはしどろもどろに近い響きが有った。


「何が違うんだ」アトゥームの声は普段の冷静そのものだ。


「君の血を――飲ませて欲しいと言ってるんだ!」カーラムは怒った様な甲高い声で言った。


「それで良いのか?」アトゥームの口調は全く変わらない。


「良いのかって――」カーラムはどもる「君は何とも思わないのか――」


「お前の力が無いと俺はここから脱出できない。血を飲ませる位どうという事は無い。対価としてもそこまで高いと思わない」


「対価とかそういう問題じゃない――吸血鬼にとって血を吸うのは食事を摂る以外の意味も有るんだ――それも分からないのか?」カーラムは怒鳴る。


「それがどうした。直接情交を交す訳でもないだろう。頸動脈に牙を突き立てられるのは勘弁して欲しい位としか思わん」


「――本当に君には調子を狂わされるよ」カーラムは呆れた様に数瞬沈黙してから恐る恐るといった感じで言葉をつむぎ出した。


「本当に良いのかい?」


「右腕も完治してないんだろう」アトゥームは左腕をまくり上げて見せる。


 カーラムはかすかに喉を鳴らした様だった。


 覚悟を決めた様子で近づいてきてアトゥームの左腕を取る。


 カーラムは牙をゆっくりとアトゥームの腕の動脈に突き立てた。


 血を飲まれているというのにアトゥームの表情はまるで変わらない。


 喉越しにさらさらとした血が流れ込んでくる。


 カーラムは全ての血を飲み干したい衝動に駆られた――強制ギアスの魔法が掛かっている為、そう出来ないのは承知していたが。


 この男は睦事むつごとの時もこんな無表情なのだろうか――それを想像して思わず顔が赤らみ血を吸う力が強くなる。


 現実世界の単位なら500cc程の量の血を吸った所でカーラムはようやく口を離した。


 陶然とした表情を隠し切れない。


「もう良いのか」アトゥームはそんなカーラムの気も知らずに問うた。


“この男は――”顔色一つ変えない鈍感さに殺意さえ覚えた。


「もういい」カーラムはぶっきらぼうにそう言うと背を向けた。


「夜はずっと寝てていい。吸血鬼の僕は夜は起きているのが普通だから」思ったよりも柔らかい声が出てカーラムは若干驚いた。


 その時、龍の王国ヴェンタドール守護白龍ヴェルサスのドラゴン語の声が辺りに響いた。


 その内容はアトゥームを無条件に解放するという驚くべきものだった――。

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