霊の死の真相――復讐を叫んだ女性

 傭兵マーセナリーアトゥームと古吸血鬼エルダーヴァンパイアカーラムがリッチとマイルフィックと戦っている頃――マリア達も“困難”に直面していた。


 マリアは静香と共に買い物に出た街で老いた猫を見つけて餌を与えていたのだが、以前から猫達に餌を与えていた老婆からその猫を引き取ってもらえないかと頼まれたのだ。


「もう20年近くになるかね、この子がここに来るようになって」老婆は言った。


「いい加減冬を表で過ごさせるのが可哀想でね。アレクサンドラ様の宮殿に住んでるあんたならこの子に不自由させないだろ。晩年位温かい所で冬を凌いでもらえたらと思ってね」


 マリアに異存は無かったのだが肝心の猫が警戒心を丸出しにして中々マリアに懐いてくれなかった――正確には餌を手から食べてくれ、撫でさせてもらう位には懐いてくれたのだが、皇女アレクサンドラの宮殿に連れて行こうとすると激しく嫌がった。


 餌場は老婆の家から近い小さな公園だった。


 縁石に腰掛けていると猫はマリアの膝に乗って暖を取る。


 何度かそういう事が続いた後、マリアは思わず猫を抱き上げて頬ずりしようとした――


「フギャア――!」猫は凄まじい唸り声を上げてマリアの横顔にパンチを食らわせた――爪は出ていなかった――出さない程度には仲良くなれていたのだが、それでもマリアには驚きだった。


 それを見ていた老婆は言った。


「その子は今まで一人で生きてきたって自尊心が有るからね。馴れ合いはしないって意思表示だよ。猫は自尊心の高い生き物だけど、その子は特別さね」


「そう言われても、自信を無くしちゃいますね」マリアは笑った。


 静香はその様子を見て思った――アトゥームが消えてから一週間が経っていた。


 ラウルは古吸血鬼エルダーヴァンパイアにして“狂王の試練場”現管理者のカーラム=エルデバインを呼んでアトゥーム救出に向かわせた。


 ラウルは大丈夫と言ったが静香もマリアも不安は消えなかった。


 私達を安心させる為にそう言っているのではないか――そう思う事も有ったのだ。


 ジュラールに次いで静香達の武芸の師範役だったアトゥームが敗れた――その事実が予想以上に二人には堪えた。


 何も出来ずにただ待つだけというのが悪いのだ――静香もマリアもそう思った。


 戦闘訓練に励んでも、その気持ちが抜け切ることが無い。


 ショウとその相棒、白龍ヴェルサスとの戦いを模して龍化したシェイラとホークウィンドを相手に戦う練習を重ねる。


 マリアが有翼一角馬アリコーンホワイトミンクス諸共二人を護る防御の魔法を掛け、龍の炎のブレスを防ぐ。


 遠距離では静香の日本刀“神殺し”の刀気を飛ばし、マリアが攻撃魔法を掛ける。


 近距離での訓練にはシェイラも龍の姿で尻尾、両腕、噛み付き、足蹴り等、考えられる限りの攻撃を加える訓練になった。


 アリオーシュ四天王との戦いも有り得る。


 総掛かりで襲来された時完全に対処し切れるかは分からなかった。


 魔導専制君主国フェングラースの戦方士バトリザード達が援護してくれるとはいえ、確信は持てない。


 静香とマリアにはラウルの態度は悠長すぎる様に思えるのだった。


 *   *   *


 古吸血鬼エルダーヴァンパイアカーラムは不死者破壊デストロイアンデッドの呪文でリッチを消滅させる事に成功した。


 リッチの攻撃で右腕を潰された――激痛に呻きながらもカーラムは自分の腕が再生するのを待った。


 カーラムは戦いを振り返る。


 ――リッチとカーラムは間合いをはかりながらじりじりと距離をつめた。

 魔法を使うには接近し過ぎともいえる距離だった。


 リッチの手に白い光が宿る。


 破壊エネルギーを備えた魔法の手――不死者アンデッドモンスターのスペクター等が相手を攻撃するときに使う能力だ――このリッチは何処かでそれを自らの攻撃手段として会得してきたのだろう。


 カーラムは剣を抜くと見せかけて、右手の爪を伸ばして攻撃した――伸縮自在の爪で精気吸収エナジードレインし相手を斃す――吸血鬼君主ヴァンパイアロードユーリの眷族の能力だった。


 リッチに五本の爪が突き刺さる。


 爪には麻痺の毒も有ったが不死者アンデッドには通用しない。


 その時カーラムは異変に気付いた。


 爪が抜けない――?


 精気吸収エナジードレインも効かない――不死者アンデッド相手でも吸収ドレインは効果が有る筈だ――死霊魔術ネクロマンティックソーサリー不死者アンデッドの活動の源になる魔力にも吸血鬼ヴァンパイア吸収ドレインは有効な筈だった。


 しかし相手にダメージが有る様に見えない。


 遅かった。


 カーラムが捉えたのは身代わりに造られた複製だった――姿を消していたリッチの本体がカーラムを襲う。


 カーラムは体を開いて躱そうとするが右腕が動かない状態では限界があった。


 最初に霧化して逃げる事を考えるべきだった――カーラムは霧化しようとしたが間に合わない。


 リッチの破壊エネルギーを備えた手がカーラムの右腕に触れる。


 激痛が走った。


 右腕がひしゃげて潰される。


 リッチの肉の削げた顔に野獣の様な笑みが浮かぶ。


 痛みとは逆にカーラムの頭は冷えた。


 肩の付け根まで右腕は潰れていた。


 激痛を無視してカーラムは素早く呪文を詠唱する。


 リッチは再び姿を消す。


 しかしカーラムには“視えて”いた。


 不死者破壊デストロイアンデッドの呪文を傍目には何もない空間に投射する。


 凄まじい悲鳴が上がった。


 リッチの姿が現れる――全身を焼く様な魔法の炎が上がった。


「おのれ――小僧が」リッチが断末魔の声を出す。


 カーラムは見た目は15歳程の外見だが100年や200年では利かない時を生きてきた。


「君の方が小僧だよ――古吸血鬼エルダーヴァンパイアを舐めないでもらえるかい」カーラムは皮肉めいた笑みを浮かべて言った。


 戦いの間隠れていた白い吸血猫が身体を摺り寄せてくる。 


 カーラムは白猫の喉を撫でた。


 アトゥームの援護に回る。


 アトゥームは太古の魔神マイルフィックに押されていた。


 幽霊ゴーストに憑りつかれた事も影響しているのかも知れない、或いはショウとヴェルサスに敗北した事が響いているのか、いつものアトゥームらしからぬ形勢だった。


 マイルフィックは飛びながら一撃離脱を繰り返してアトゥームを襲う。


 アトゥームの動きは冴えない。


 防戦一方の戦いだった。


 カーラムは敢えてアトゥームを助けない事にした。


 ここでマイルフィックに勝てないとショウ戦の失敗を繰り返すだけだ――。


 マイルフィックのかぎ爪が“死神の騎士”の鎧を叩く。


 マイルフィックはカーラムの呼べる大悪魔グレーターデーモンよりは小さいとはいえ体長3メートルは有った。


 アトゥームは辛うじて倒れるのを防いだ。


 間を置かずに次の攻撃が来る。


 アトゥームは同時にカウンターを繰り出した。


 マイルフィックの魔法障壁こそ貫通しなかったがようやく反撃が入った。


 続く打撃は互角だった。


 カーラムはアトゥームと目線を合わせた。


 言いたい事は伝わったのだろう。


 アトゥームの目は手を出すなと言っていた。


 マイルフィックは空に上がると一気に地面に居るアトゥームへと突っ込んできた。

 しまった――アトゥームは反応が遅れた。


 魔神の強烈な体当たりを食らって吹き飛ばされる様にアトゥームは地面に転がった。


 衝撃に頭がくらくらする。


 まるで普段の動きが出来ない。


 気付いた時には魔神が目の前に迫っていた。


 ボールの様にアトゥームは蹴られ、激痛に身体をくの字に折り曲げる。


 口から血が零れた。


 両手剣ツヴァイハンダーを辛うじて握り締める。


 フラフラと立ち上がる所に魔神が更に追い打ちをかけようと突撃してきた。


 何とか右の鉤爪の一撃を食い止める。


 更に左が来る。


 すんでの所でアトゥームは二撃目を躱した。


 驚愕する魔神の目に映る自分の姿を見て、アトゥームは自分を取り戻した。


“ここで斃れる訳にはいかない――”自分にはまだ待ってくれている人がいる――自分に望みを託した女性の霊も救っていない――。


 それは誰の為でもない――そうしたいと思った自分自身の為だ――。


 アトゥームは呼吸を落ち着かせる。


 左の一撃から一秒と経過していなかった。


 アトゥームの剣戟は再び上空に舞い上がろうとする魔神の左下の翼を切り落とした。


 魔神は上昇するがスピードもバランスもまるで以前の卓越さは無かった。


 アトゥームは空間転送アポートで長弓と矢を取り出す。


 矢の一撃が今度は左上の翼を貫いた。


 魔力の籠った矢は翼に直径5~60センチくらいの穴を開けた。


 左上の翼がへし折れる。


 魔神は四枚ある翼の左二枚を完全に失った。


 地面に叩き付けられるのを右二枚で何とか抑える。


 それでも衝撃は凄まじかった。


 やってくれたな――何とか立ち上がった魔神はカーラムには目もくれずアトゥームを睨みつけていた。


 アトゥームはそれに呼応する様に冷たい笑みを浮かべた。


「勝ったね」カーラムはジュラール――の霊体に言った。


「ええ」ジュラールが応える。


 幽冥界に来てから死神の騎士の鎧の持つ治癒の力は減衰していたが、それでも戦いには十分な位機能していた。


 舐めるな――言葉が喋れればそんな声だったのだろう、魔神は咆哮すると両手足――四足歩行でアトゥームに突撃した。


 まるで猪か闘牛の様だ。


 太古の魔神マイルフィックと傭兵アトゥーム=オレステスが交錯する。


 魔神の突撃をアトゥームは半身横に引いただけで躱した。


 目標を見失った魔神は傭兵の横を駆け抜ける――方向転換しようとして魔神は自分の右腕から血が噴き出すのを見た。


 一瞬の後、最初から繋がっていなかったの如く右腕が身体から離れた。


 平衡を失い魔神は転倒する。


 治癒魔法を使おうとして、魔神は自分に影がかかっている事に気付く。


 アトゥームだ――


 何故ここに――魔神は驚愕の表情を、前に浮かべたものとは比較にならない位の驚きの表情で傭兵を見た。


 アトゥームは無表情に両手剣ツヴァイハンダーを振り下ろす。


 魔神の首と胴体があっさりと落ちた。


 丸太の様に切断された魔神の首元から黄褐色の血液が噴水の様に噴き出す。


 魔神は息絶えた。


 こうして戦いは終わった。




 やっとの事でアトゥームとカーラム、そしてジュラールは湖までやって来た。


 湖畔に白い物体が打ち上げられているのに三人は気付いた。


 アトゥームが近寄る――白いドレスの切れ端に手の骨、そして金で出来た腕輪だった。


 あの霊のものだ――アトゥームには分かった。


 塔で幽閉され殺されてこの湖に捨てられた。


 腕輪に触れる――普段のアトゥームなら呪いが掛かってないか確かめてから触ったろう。


 触れた瞬間、アトゥームの脳裏にこの腕輪を彼女に贈り、そして邪神への生贄として捧げた男の姿が写った。


「ショウ……!」アトゥームは呻いた。


 幽冥界に彼女を拉致し殺したのは他ならぬ龍の王国ヴェンタドールの勇者セトルの末裔――ショウ=セトル=ライアンだった。


「やはりそうでしたか」ジュラールが嘆息した。


「君は知ってたの?」カーラムが尋ねる。


「可能性の一つとしては。アリオーシュの元にいた魂と同じ匂いを発していましたから、もしかしたらとは思っていました」


「魂の分解だね。アリオーシュに捧げられた魂と恨みを抱いた魂に分裂した」


「ショウを斃せば彼女は救えるのか」


 ジュラールはアトゥームを真正面から見た。


「彼女はショウの情婦の一人でした。とある商人の町娘。ショウに殺された時は14歳になったばかりだった。誕生日の贈り物と称して呪いの腕輪を渡され、アリオーシュへの生贄にされた」


「ショウが斃されれば地縛霊と化した方は救えます。ただ貴方が斃さなくてもショウが絶対死を迎えれば十分です」


「その為には死神の騎士の剣が必要になるんじゃない?」カーラムが口を挟む。


「いえ、もうショウには復活の魔法は効きません。次に死ねばそれが最期です」


 ジュラールは言葉を切って言った。


 続いた言葉には抑えてはいたが明らかな蔑みと哀れみが有った。


「混沌の女神に魂を売って人々に無道を働いた。その報いです」


「アリオーシュの元に行った娘の魂は」


「静香様とマリア様がアリオーシュ女神を斃せば解放されます」


「ショウを斃すのも俺じゃない、そう言う事なのか」アトゥームは無表情に尋ねる。


「分かりません」ジュラールは率直に答えた。


「アトゥーム、貴方が霊に憑りつかれた状態はショウが斃される迄続くでしょう」


「それよりも白龍ヴェルサスに会わなくては。ヴェルサスから交信してくるかもしれませんが」


「向こうには分かるのかい」カーラムが訊く。


「ヴェルサスが望めばいつでも我々と会話できます。此方からの呼びかけも聞こえる筈」


 アトゥームは腕輪とドレスの切れ端、そして骨を拾い上げると死神の騎士の鎧の亜空間ポケットに収納した。


「龍の王国ヴェンタドールの守護龍ヴェルサス!お前の騎士は恋人をアリオーシュへの生贄に捧げる様な男だ――それを知って尚ショウに味方するのか?」アトゥームは空へ向けて呼ばわった。


 声が木霊した。


 しばらくの沈黙が有った。


「知っている――それでも我はヴェンタドールの守護龍だ――」ヴェルサスの声が返ってくる。


「それに我の一族はヴェンタドールの代々の勇者と協同関係に有る。我が裏切れば一族も無事にはすまない」


「人質という事か」苦い思いが喉元にせりあがってくる。


「俺達が人質を解放すればショウに従う義理は無いだろう?」


 ヴェルサスは動揺した様だった――ほんの僅かにだが。


「ヴェンタドールの国名を汚しているのはショウ達だと分かっている筈だ」


 長い沈黙が有った。


「だが我は誓ったのだ――」


「誓いを守るのに相応しい相手なのか?」


「ヴェンタドールだけじゃない、龍族への評判も――」


「黙れ――」ヴェルサスは声を荒げた。


 それきり声は聞こえなくなった。


 カーラムが息をつく。


「上手くいったと思うかい?」


 カーラムの言葉にアトゥームは答える。


「分からない。だが動揺はしただろう。龍族の名誉を重んずるなら言葉は届いた筈だ」


 空が暗くなってきた――この世界――幽冥界にも昼夜が存在するのか――


「野営の準備をしよう。暗くなる前に食料と火を確保しないと」アトゥームは自分が死ぬ程の空腹を感じている事に気付いていた。


 ふと笑いそうになる――空腹を覚えるという事は死んだ訳ではなさそうだ――俺の死後の世界観が正しければの話だが――。


 アトゥームはカーラムに魔法で火を起こすよう頼むと弓矢を持って獲物になりそうな獣――或いは食用になりそうな植物を探しに行ったのだった。

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