皇女アレクサンドラ 冬・皇都ネクラナルにて
グランサール皇国第一皇女アレクサンドラは不満に身を焦がしていた。
もう初雪も降ったのに思い人との仲がまるで進展しない。
予知した事は外れた事がなかったのに――。
狙いすまして思い人の所に現われても素っ気ない素振りを取られるだけだ。
相手が女に興味が無いわけでは無い――それは知っていた。
自分に魅力が無いのか――凹む皇女を侍女たちは懸命に持ち上げる。
「ドレスを変えてみては――」
「お化粧をもっと目立たせてみましょう――」
「お茶会を開いて――」
「舞踏にお誘いしてみては――」
「姫の美しさを際立たせる香水等をお使いになられては――」
侍女たちは次々とアレクサンドラを魅力的に見せる術を述べ立てる。
アレクサンドラも様々な方法を試してみたのだが暖簾に腕押しだった。
どうして上手くいかないのか――一番基本的な所で勘違いをしている事にアレクサンドラは気付いていなかった。
そんなある日、アレクサンドラはアトゥームが疲れた様子で自室へ戻るのを見かけたのだった。
侍女たちはアレクサンドラが質素なドレスに化粧もしてない姿だったので、一旦戻って身だしなみを整えた方が良いと言ったのだが、アトゥームの様子が気になったアレクサンドラは制止を振り切って後を追った。
「アトゥーム様」扉をノックする。
「アレクサンドラ皇女か――何か用なのか」扉越しに声が返ってくる。
素っ気なさは相変わらずだが、疲労の色がある声だ。
「お疲れの様ですので――良ければ疲労に効く
「お休みになりたいならお邪魔致しませんが」アレクサンドラの声は純粋に人を気遣うものだった。
「分かった――貰えるなら有り難い」
アレクサンドラは侍女たちを下がらせると厨房で湯が冷めない様に魔法の掛かった水差しに湯を入れ、お茶の葉と急須にティーカップを二つ持ってアトゥームの元へ向かう。
「お待たせいたしました」中に入る前に再び扉をノックする。
「入ってくれ」応えが返ってくる。
「では、失礼します」アレクサンドラは扉を開けてアトゥームの部屋に入った。
入って驚く。
中は書類で一杯だった。
ガルム帝国軍への戦果報告書。帝国からの占領政策の指導要綱への質問書。ネクラナル市民からの陳情書。グランサール皇国兵捕虜の待遇改善。エセルナート、フェングラース各国への派兵要請。兵たちの休暇要請。エルフ軍との調整書。等々。
「これを一人で捌いているんですの――?」
「一人じゃない、ラウルも参謀部もやっている。この所忙しいが、寝雪が来る前に片付けておかないといけない――」
アレクサンドラは自分の都合しか考えてなかった事を恥じた。
心からの言葉を掛ける。
「せめて今だけは仕事を忘れて下さいませ――今お茶を入れますから」
書類の無いテーブルに盆にのせて持ってきた急須とティーカップに湯を注ぐ。
「お湯を捨てたいのですが」
アトゥームは部屋の片隅から普段は使ってないと思しきバケツを持ってきた。
アレクサンドラは茶葉を急須に入れると魔法の水差しから湯を注ぎ5分ほど蒸らす。
蒸らしている間にお茶うけに持ってきた砂糖菓子を並べる。
急須からカップに茶を入れる。
「どうぞ――」
「すまない」アトゥームは礼を言うとカップを口に付けた。
「これは――何だったかな」
「ローズヒップです。お好きだと聞いておりましたので――お気に召しまして?」
「ああ」アトゥームの気の張り様が少し緩んだ。
その時アレクサンドラは視たのだ――アトゥームの背負った定めを。
何時か斃れるその日まで戦い続ける定めを背負った永遠の戦士。
戦争で傷を負った者全ての記憶を持ち続ける事を選んでしまった男。
見渡す限りの雪原で吹雪の中立ち尽くし、苛烈な日差しの照り付ける茫漠たる砂漠を歩み、守ろうとした全てを失い、尚も戦いから逃れられない――修羅の道を歩む者を。
――お前のせいだ、お前のせいだ――お前が関わる者は皆、お前が関わる者は皆――お前さえいなければ、お前さえいなければ――
「アトゥーム様。貴方は――」アレクサンドラは息を呑む。
アトゥームは寂しげに笑った。
「人を殺すしか能が無い者には相応しい運命だ――」
少しの間茫然としていたアレクサンドラは唇を引き結んだ。
「そんな事をお言いになるものではございません」
アトゥームの瞳を見つめる――普段は深藍色の瞳は今は光を反射しない黒色だった。
アレクサンドラは決意を固めた。
アトゥームに近づく。
今は傷ついたこの人を癒したい。
ただその思いだけが有った。
「アトゥーム様――」思い人を抱き締める。
アトゥームは抵抗しなかった。
「今は全てを忘れて下さいませ」アレクサンドラはいとし子に語り掛けるかの様な口調で言う。
――腕の中の男性が愛しい――
唇と唇を重ねる。
――こうして皇女はその思いを予想もしない形で遂げることになったのだった。
翌朝、皇女は夜明けとともに目を覚ました。
アトゥームは隣で目を閉じて寝ていた。
“余程お疲れになっていたのね――”そして昨晩の出来事を思い出し顔を赤らめた。
アレクサンドラには男女の関係になった相手は殆んどいなかった。
エレオナアルが悉く邪魔をしたのだ。
自分以外の者が姉を抱く等エレオナアルにとっては許されない事だった。
一度姉を自分のものにしようとして失敗してから、エレオナアルは何度も彼女を執拗に狙った――結果、親の葬儀にかこつけて彼女を強姦する事に成功した――以後も機会を見ては姉を犯そうとし続けた――アレクサンドラは絶縁状を叩き付け自分の宮殿に立て篭もった。
自分を救ってくれる王子を待ちながら――その予知だけを支えに生きてきたのだ。
予知した相手は思っていたより傷ついていて、彼女を庇ってくれるというよりは彼女が庇ってあげなくてはいけない相手で、でもその純粋な魂は彼女を救ってくれた――彼女は長い間待ち続けていた運命の人を見つけたのだ。
せめて、私といる間だけでも戦い続けるという宿命を忘れて欲しい――そう心から願わずにいられない程、彼は戦いに疲れている――。
彼の隣に立って、彼の見るものを一緒に見たい。
自分の見るものを、彼にも一緒に見てもらいたい。
皇女として皇国を導く事も彼と一緒なら出来る――彼女はそう確信した。
「アトゥーム様……」アレクサンドラが名を呼ぶとアトゥームは身じろぎした。
少しの間もぞもぞとしていたがハッと目を覚ます。
「アレクサンドラ皇女……」バツの悪そうな顔をするかと思ったが少しもそんな様子を見せない――皇女は傭兵を優しく抱きしめた。
出来得る限り最高に快活な笑顔を作る。
「私の言った通りになったでしょう――貴方は私の夫になる定め――私の予知が外れる事は有り得ない事です」
「そうか――多分、そうなんだろうな――」アトゥームは何かを理解した様だった。
「服をお召しになって下さい――今朝食を運ばせますから」
アレクサンドラは寝台から抜け出ると掛けてあった簡素なドレスを纏う。
水差しはまだ湯が残っていた。
急須の茶葉を代える。
「お茶をお入れしますね」手早く湯を注ぐと茶を蒸らした。
二人は茶を飲みながら皇国の今後の事等を相談した。
アレクサンドラは近くの侍女を呼びに行く。
軽めの朝食を侍女のアイアが持ってきた。
アイアは何が有ったかを察したらしく一言アレクサンドラに「良かったですね」とだけ言った。
アレクサンドラは頬を赤くする。
朝食後、アトゥームは戦闘訓練に向かい、仕事が無かったアレクサンドラはそれを見学する事にした。
異世界人、澄川静香の二刀流の訓練相手をアトゥームが務める。
宮殿の広場でアトゥームと静香が向かい合う。
静香が“神殺し”と小太刀を抜く。
アトゥームも
静香が仕掛ける――右の“神殺し”でアトゥームの左胴を狙う。
アレクサンドラも多少剣の心得は有ったが静香の一撃は相手を殺しかねないと思う程鋭かった。
静香はこの一撃ではアトゥームは倒せないと知っていた。
予想通り粘土を棒でたたいたような感触が伝わってくる。
アトゥームは僅かの間に短剣を逆手に持ち直し、斬撃を漸減させる様に手首を返しながら“神殺し”を受け止めていた。
同時に右手の
静香は僅かにしゃがんで攻撃を躱しつつ踏み込んで小太刀でアトゥームの右小手を下から狙った。
殆んど同時にアトゥームは左に振った利き腕を強引に右下に振ってギリギリの所で小太刀を受けた。
静香は右の低い蹴りをアトゥームの脚に放つ。
アトゥームはそれをすれすれの所で躱す。
静香は回転の勢いを殺さず素早く体を左回転させ小太刀と“神殺し”で同時に切りつけた。
アトゥームと静香は同時に剣を寸止めする。
静香の小太刀はアトゥームの左胴の前、“神殺し”は頸動脈、アトゥームの
「相討ち――ね」静香が嘆息する「いいえ、本当は私の負けかしら――」
「ジュラールの指輪を使えばまた変わったろう。飛び道具になる“神殺し”の光刃も使われればどうなったかは分からない。二刀流の訓練と実戦は違う。自分を卑下する必要は無い」アトゥームは淡々と指摘した。
「それでも――こうも勝てないと落ち込むわね」
「誰もが通る道だよ。静香ちゃん」訓練を見ていたホークウィンドが口を挟んだ。
「壁に当たる事は誰にでも有るよ――そこを超えれば大きく成長出来る――実戦ではボクやアトゥーム君に劣らない――戦い方によっては五分以上に戦えるよ」
「慰めは要らないわ――」
「慰めて欲しいの?」
「笑えない冗談は止めて」静香がぴしりと言う。
そうは言いつつもホークウィンドのおかげで落ち込みが軽くなった事は事実だった。
マリアやシェイラも加わって二時間程の訓練をこなす。
アレクサンドラはアトゥーム達の訓練に圧倒されていた。
圧倒されて良かった――アレクサンドラは心底そう思った――そうでなければアトゥームとの事をうっかり話してしまったかもしれない――。
結局、アレクサンドラとアトゥームの関係についてマリア達が知るのはもう少し先の事になったのだった。
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