治癒術士試験受験
エルフの
現実世界なら人工心肺を用意しても難しい――或いは不可能な手術だ。
治癒魔法のみで治療するより魔力の消耗が抑えられる。
時間も試験の判定に使われる。
時間が長すぎては失格だった。
10分、それが与えられた時間だった。
魔力のこもったメスで肋骨を切り開き、大出血を避けながら――仮死状態にしていれば心拍は無いのでそこまでの大出血は無いが――心臓に到達しないといけない。
マリアは魚を捌くかのように手際よくメスや鉗子、鉤類を使いながら3分と少しで心臓に到達する。
見学していた静香はその様子に目を見張った――普段のにこやかなマリアとはまるで違う――鬼気迫るとさえ言える様子だった。
矢を抜き取りながら治癒魔法を掛け、切開した部分毎に魔力の小さな治癒魔法を掛けて傷を塞ぎ、最後に胸の傷を治癒魔法で塞いで終わり。
全てが終わった時、掛かった時間は8分弱だった。
「凄いじゃない――」静香は感服した。
「まだまだです――あと30秒は短くできたし、魔力ももっと抑えられました」
「で、合格なの――アリーナちゃん」静香同様あっけに取られていたホークウィンドがようやく尋ねる。
「文句なしね。もっと効率よくできるのは事実だけど、この短期間でここまで出来るなんて本当に驚き。マリアはエルフ並みに繊細な指先を持ってる――私だってここまで出来るようになる迄一年以上かかったわ」
「七瀬真理愛」アリーナは改まって言った「貴女は合格よ――
アリーナは白い羽を象った記章をマリアの胸に付けた。
エルフ族に
「やったわね――マリア」静香は白衣を脱いだマリアに抱きついた。
試験を見守っていた
「おめでとう。マリアちゃん」皆を代表してホークウィンドが賛辞を送った。
「御褒美だよ――」ホークウィンドはマリアの前にスッと立つと顎をくいっとひいて唇を奪った。
マリアが顔を真っ赤にする。
「お母様――」「ホークウィンド――」シェイラと静香が同時に声を上げる。
「御褒美だよ、御褒美――余り怒ると健康に良くないよ。ボクもあんまり我慢すると精神衛生に良くないからね」
「言い訳になってないわ」
「静香ちゃんもして欲しいの?」
「貴女――」静香は溜め息をついた。
「シェイラの事を考えてないの――?」
「まさか」ホークウィンドが真面目に言う。
シェイラも怒りを通り越して呆れていた。
ホークウィンドの台詞にも言葉が出ない。
義母が自分を愛している事は分かっていた。
母を独り占め出来ない――もどかしさと諦めがごっちゃになった感情だった。
「お母様」シェイラは改まって言った。
「どうしてもと言うなら他に恋人を作っても良いわ。でも私とその人が被ったら私を優先して――それが最大限の譲歩」
「シェイラ――」ホークウィンドは流石に罪悪感を感じた様だった。
「ごめんね――こんなお母さんで」
「いいの――お母様が誰を愛していようと私はお母様を愛してるから」
暫く沈黙が流れた。
沈黙を破ったのはウルだった――ウルはわざと空気を読まずに喋り出した――その場にいた一同はその声に救われた。
「そうそう、マリアよ、お主に渡すものが有る――」背負っていた大きな袋から中くらいの大きさの鞄を取り出した。
マリアはウルに促されるまま鞄を開ける――中にはぎっしりと手術用具が詰まっていた。
「メスは魔力で切れ味を上げてある――それだけじゃない、“神殺し”の魔力を応用してあらゆるものを切り裂く光を纏わせることも出来る」
「他の道具にも魔力が籠っておる――外科治療の助けになるだろう」
「良いんですか――こんなに立派な手術用具を?」
「代金ならラウルから貰っておる――心配要らんよ」
ウルは袋に手を入れると短めの刀を取り出した。
「これはお前さんに」静香に日本刀と思しき刀を渡す。
「魔法の小太刀だ――神殺しには及ばんが刃こぼれしづらい――しても三~四日で修復される。小回りが必要な場面や二刀を振るって戦う時は使うと良い」
静香は神殺しの鞘と揃えて作られた小太刀を鞘から抜き放つ――申し分なくバランスは良かった――覚えたばかりの魔力検知の魔法を使ってみる――刀身が真夏の太陽の様な強烈な光を放つのが見えた。
最高級の魔法の刀だった。
――静香は礼を言うのも忘れて刀に見入っていた。
「気に入ったか?」ウルの言葉に静香は我に返る。
「有難う――ウル」静香は慌てて礼を返した。
「二刀流の訓練は受けた事は有るけど使いこなせるかしら」
「随分弱気だな――稽古をつけてもらえばお前さんなら余裕だろうて」ウルが破顔する。
色々な事が有ったがマリアの治癒術士試験は無事に合格で終わったのだった。
* * *
結局シェイラに確認を取る約束でホークウィンドはシェイラ以外の人間も愛する事に決めた。
出来るだけ母親を独占したいシェイラと自由に恋愛をしたいホークウィンドのぎりぎりの妥協点だった。
それでも――以前のシェイラだったら
ホークウィンドは人に惚れやすい自分を責めたが、人を好きになる感情を抑えることは出来なかった。
“全知全能の女神リェサニエルは何故ボクをこんな風に創ったんだろう”
ホークウィンドは自分達の種族の奉ずる創造神に恨みに近い感情を抱いた。
「マリアちゃんなら神様なんて大嫌いって言うのかな」アレクサンドラの宮殿から外を見ながらホークウィンドは一人ごちた。
人を自由に愛する事が誰かを傷つける事になるなんて若い頃には思いもしなかった。
不老不死でも精神は老いるものなのか――積み重ねた年月が
* * *
マリアは魔力切れの際に外科治療だけで患者を救える様な訓練も怠らなかった。
傷口の縫合等だ。
逆にメスが使えない時に、肉体を傷つける魔法を注意深く制御して身体の切開を行う事も出来るようになった。
毒を知っているからこそ薬も作れる――マリアはその言葉の意味を文字通り思い知らされた。
季節は秋に入って暫く経っていた――じき初雪が降り出すだろう――マリアと静香がこの世界<ディーヴェルト>に飛ばされてから半年以上が経っていた。
この世界も静香達の世界と同じく一年が365日だった。
ラウルの説明ではこの世界は静香達のいた地球の別の姿だという事だった――どちらも同じ地球の別々の側面なのだと。
太陽の周りを回る速さも地球が自転する時間も一秒の狂いも無く同じだった。
マリアと静香は身体が成長していない事に気が付いた。
この世界に来て大分経つのに髪が全く伸びない――マリア達は疑問に感じていた。
筋肉は付いたし身体も鍛えられた、なのに伸び盛りの筈の自分の背が一ミリも変わらない――14歳のまま老化が止まっている。
何故老化しないのかはラウルでさえ分からなかった――何らかの意思――例えば全知全能神の力、或いは混沌神アリオーシュの力が働いているのかも知れない――それがラウルの推論だった。
時間の流れは現実世界とこの世界で異なる――こちらの千年が現実世界の約一年に相当すると聞かされていた。
こちらで死んだら現実世界では行方不明者になるのだろう。
それを知ってマリアと静香は何としてもアリオーシュを倒して現実世界に帰ると覚悟を固めた。
例え神様がこちらで一生を過ごせと言っても聞くつもりは無かった。
自分達をこんな目に合わせた神様に一泡吹かせてやりたい――その認識は間違っていると知っていたが二人はその思いにしがみついていた。
なるべく早くに帰りたいと思う二人の邪魔をしたのは神でなく自然だった。
冬に軍を動かすのは流石に無理がある。
魔法で支援すれば出来ない事は無いがそう遠くへは侵攻出来ないだろうとラウルは知っていた。
冬の間は皇都ネクラナルに籠る事になりそうだった。
軍を休ませる時が来たのだ。
ラウルは冬の間に分散して兵士に帰郷休暇を出すつもりでいた。
軍そのものはネクラナルに駐屯しなければならない――流石に冬を天幕一枚で越すのは無理だ。
一旦ネクラナル迄前線を下げ、次の攻勢を準備する。
皇国軍が冬季攻勢を掛けて来たら――冬に包囲陣を敷く等自殺行為に等しいのだが――攻城戦になる。
備えは怠っていなかった。
全面攻勢よりはエレオナアル派の皇国民による破壊行為やアリオーシュの手勢が攻めてくる方が確率は高いが、エレオナアルの性格を考えれば部下を殺してでもネクラナルを攻める可能性も捨て切れない。
魔導専制君主国フェングラース軍とエセルナート王国軍は軍の大半を入れ替える事になっていた。
エルフ軍はエルフの
エレオナアルを倒す迄戦いは終わらない。
それでも少しの間羽を休める事は出来そうだった。
マリアは治癒術と外科手術を更にアリーナから学び、静香は戦闘訓練で二刀を使う場合に備えた訓練を行い、ラウルと神学上の対話を行った。
静香は主にアトゥームと二刀流での戦い方を練習した――アトゥームも二刀で戦う事が出来るが滅多に使う事は無い。
マリア達はラウルが白兵戦の訓練を行う事に驚いた。
広刃の片手剣で見事に戦う――ラウルは身体を動かす時間を作りたいだけだと言ったがそこらの剣士顔負けの動きだった。
* * *
アレクサンドラ皇女はアトゥームへの愛を隠そうとしなかった。
最初は軽くあしらっていたアトゥームだが、真剣な皇女に少しずつ態度が変わっていった。
最も皇女は恋愛下手でアプローチも悉く失敗していたのだったが。
「アトゥーム様。貴方は私と添い遂げる運命です」皇女アレクサンドラは朝食の場で居合わせた――実際は一緒になる様見計らって朝食に来たのだが――アトゥームに唐突に告げた。
「そうか」アトゥームはつれない。
「私と結婚すれば皇国は貴方のものですのよ。一国の王の座に興味は無いんですか?」
「無い」
素っ気ない返事にアレクサンドラは詰まったがここが正念場と言わんばかりにアトゥームの気を引こうとする。
「一杯の財宝、豪勢な暮し、飢えにも寒さにも悩まされない何一つ不自由のない生活、選り取り見取りの女性――望めば男性も――そんな暮らしが欲しくは有りませんか――」
「要らん」
しょげるアレクサンドラに構わずアトゥームは続ける。
「話したい事はそれだけか?無いなら俺はやることが有る」朝食を済ませたアトゥームはすたすたと歩み去った。
アレクサンドラは恨みがましい目でアトゥームの後ろ姿を追った。
アトゥーム達7人はアレクサンドラの宮殿に逗留していた。
アレクサンドラはアトゥーム達に付いて行く事に決めていたが自分の城にいる内にアトゥームを自分のものにしたいと切望していた。
初めて見た時から――その前から予知してもいた――狂おしく自分の胸を騒がせる――運命の人――
皇女が予知した未来への確信が揺らぎそうになった時転機は訪れたのだった。
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