グランサール皇女アレクサンドラ

 マリア達を乗せた馬車は、皇国首都ネクラナルの一角にある皇女アレクサンドラの居城――戦皇エレオナアルの城とは別の所に有る――に向かっていた。


 何故二人の居城が別の所に有るのか、マリアと静香はアレクサンドラの侍女アイアを質問攻めにした。


「アレクサンドラ様はエレオナアル様がお嫌いなのです」アイアは答えた。


 聞けば幼い頃からエレオナアルはアレクサンドラに邪恋じゃれんを抱いていたのだという。


 その気持ちを隠さずアレクサンドラを力尽くでものにしようとして失敗し、アレクサンドラはエレオナアルから離れて暮らすようになった――それが13歳の時だった。


 二つの城の間に行き来は有るが必要最低限のものに限られる。


 ネクラナルが包囲されるにつれエレオナアルはアレクサンドラに自分の元に来るよう働きかけていたがアレクサンドラは拒み続けていた。


「エレオナアル様は首都を盾に逃げ延びるつもりですが、アレクサンドラ様は最後まで残られるおつもりです」


「エルフ達への迫害にも反対なさっていました。何の因果かお二人はまるで正反対――戦皇陛下と皇女は。神の計らいでしょうか。陛下を止める為に皇女殿下が生まれたかの様」


「皇女は何を私達に期待しているの?」静香が訊く。


 アイアの答えに静香は驚いた。


「戦皇エレオナアル陛下を弑し奉る事――つまり殺害を」


 マリアも息を吞む。


「ちょっと待って下さい――強姦されかかったなら無理も無いですが、でも、実の弟で、しかも最高権力者を――ですか?」


「皇国の為にはそれしかない――皇女殿下は覚悟を決めておられます」


一息置いてアイアは言った「アリオーシュの魔の手から皇国を救う為です」


「死神の騎士の剣で死んだ者は決して蘇生できない――アトゥーム様、貴方が止めをさして下さい。そうするだけの理由も貴方には有る筈」


 マリアと静香がアトゥームを見やる。


 アトゥームは無表情だった。


「――無いと言えば嘘になる」沈黙に耐えかねたかの様にアトゥームは言った「全て調べはついている――そういう事だろう」


「どういう事?」静香とマリアが尋ねる。


 ラウルはアトゥームが軽く頷くのを見て言った「義兄さんの初恋の人――エルフだったんだけど――は、エレオナアルに殺されているんだ。義兄さんを雇っていた傭兵団ごと――罠にかけられて」


「エレオナアルはただ敵だというだけじゃなくて復讐を果たすべき相手って事」


「今まで逃げられてきたけどこの戦いで決着を着けるつもりなんだ」


ちょうどその時御者が到着を告げた。


「城に着いたみたいだね」


 馬車は門扉で一旦停まる。


 衛兵がアイアの顔を見て頷く。


 城というよりは宮殿と呼ぶに相応しい造りだった。


 中庭でマリア達はアイアに促され、馬車を降りた。


 アイアの案内で宮殿に入り、ホールを通り抜け、アレクサンドラの居る大広間に辿り着く。


 大広間の扉が開けられアイアを先頭にマリア達は進む。


 垂れ布に隠された玉座が有った。


 アイアが膝をついて報告する「皇女アレクサンドラ殿下、御望み通り死神の騎士アトゥーム=オレステス様、異世界人七瀬真理愛様と澄川静香様、エセルナート王国騎士ホークウィンド卿、黄金龍ゴールドドラゴンの娘シェイラ様、エルフの治癒術士ヒーラーアリーナ=レーナイル様、軍師ウォーマスターラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ様をお連れしました」


 マリア達はアイアに倣って膝をつく。


 垂れ布が左右に引かれた。


「面を上げなさい」玲瓏れいろうな声が響いた。


「私がグランサール皇国皇女アレクサンドラです」


 マリアと静香はエレオナアルの双子の姉がエレオナアルとまるで違う事に驚いた。


 マリアの髪に負けず劣らず見事な金髪に青い目――そして美しかった。


 凡庸な外見のエレオナアルとは比較にならない。


 長い髪を複雑な編み込みで後ろに纏め意志の強さを伺わせる整った目鼻立ち。  


 白を基調にした青いドレスが似合っていた。


「この度は誠に失礼します。私の我儘わがままに付き合わせる事になり申し訳ありません。ですが皇国、帝国双方の犠牲を減らす為少しでも力を貸して欲しいのです」


 アレクサンドラの視線は7人を見渡すとアトゥームに興味深げに止まった。


「貴方が死神の騎士ですね」


 アトゥームは答える代わりに頷いた。


「貴方はエレオナアルを倒し我が夫となる」アレクサンドラは断定的に言った。


「そうなる運命です」


――もしかして危ない女性ひと?――マリアと静香は一瞬顔を見合わせた。


「いえ、違います違います」慌てたアレクサンドラが両腕を前で振り回しながら、今までの威厳をかなぐり捨てて言った。


 アレクサンドラが思っただけの事に反応した事に二人は驚く。


 アレクサンドラはコホンと咳払いをすると威厳を取り繕って言った。


「私は予知能力者なのです――軍師ラウル様のそれとは少し違いますが――読心能力も持ち合わせています――」


「予知したからといって確定された未来とは限らないでしょう?」静香が疑問を口にする。


「私の予知は確定した未来を視るものなのです」


 アレクサンドラは威厳をすっかり取り戻して言った。


「幾ら確定した未来だと言っても、いきなりそんな事を口にするなんてやっぱり危ない人にしか思えないんですけど――」マリアが率直な感想を述べた。


 折角取り戻した威厳も何処へやら――アレクサンドラはウッと詰まった。


「だから私は危ない人ではありません――」アレクサンドラは何とか分かって貰おうと必死に訴える。


「貴女――もしかしてアトゥームの事が好きなの?」


 静香の唐突な直球の問いにアレクサンドラは顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。


「分かりやすい女性――」マリアは半ば感心した様に言った。


 暫しの沈黙の後、アレクサンドラは消え入りそうな声で「はい」とそう答えた。


「ですが、予知した事は間違いないのです。お願いだから信じて下さい」


マリア達は顔を見合わせる。


「信じろと言われても――」


「確定した未来ならそんな慌てなくても良いと思うけど」ホークウィンドが助け船なのかそうでないのかよく分からない援護をする。


「――そ、そうですわね」アレクサンドラは自分に言い聞かせる様に言った。


「私が予知した事は必ず実現するのです。一々証明する必要等ありません」


「それよりも貴方達を呼んだ訳を申し述べなければ――皇都ネクラナルが包囲される前に、私の合図で一斉にネクラナルの要所を押えて欲しいのです」


「それは手紙にも書いて有ったね」ラウルが言う。


「ネクラナルの被害を抑えて、同時に帝国軍の出血も抑える為ですね」マリアが確認する様に言った。


「それも有ります。――ですが、軍師ラウル、貴方の指揮する軍に押さえられないとまずいのです」


「どうして――?」静香の問いに普段の切れの良さを取り戻した口調でアレクサンドラが答える。


「貴方方の軍は、帝国三軍の中で皇国への残虐行為が一番少ない。それにエレオナアルをアトゥーム様が倒せば次期戦皇はアトゥーム様になる。その際ネクラナルを落としたのが義弟のラウル様になれば、帝国は皇国をラウル様抜きに好き勝手しづらくなります。皇国がガルム帝国の支配下となることなく生き残るとすればそれしかない」


「グランサール皇国が敗北したら僕に皇国への力添えをして欲しい――そういう事ですね、アレクサンドラ皇女」ラウルが確認する。


「帝国から派遣された総督が皇国を治める様になるのは避けたい――よしんばそうなったとしても干渉は最低限にとどめたい――貴方の仰る通りです、軍師ラウル様」


「そう上手くいくかしら――エルフはまだ良いとしても、帝国は皇国を占領下に置きたいと思う者が多いと思うけど」今まで黙っていたシェイラが疑問を口にする。


「それにエルフだって今までの政策を取り続ける事は許さないでしょ」


「皇国の民は今までの国の在り方に疲れ切っています。体制に疑問を抱く者も多い。皇国も簡単には変われないかもしれない。ですが帝国に支配されれば変われるかと言えばそれも疑問です。統治のされようによっては反エルフ、反帝国の国粋主義に逆戻りしかねません」


「帝国が寛大な支配者になるかと言えば――確かにそうね」静香はガルム帝国帝都でアトゥームに絡んできたガルム愛国傭兵ランツクネヒト達の態度を思い出した。


「皇帝は事なかれ主義だし、国内の強硬派を抑えるのは難しいかもって事ね」シェイラが遠慮を見せずに言う。


「確かに皇帝陛下に主体性を発揮して貰うのは――厳しそうだね」ラウルも頷く。


「皇国は長年国内の問題を外の者の責任にしてきました――曰く帝国が悪い、曰くエルフが悪い、曰く国内の反体制の者が悪い、劣った人間が優れた人間を妬んでいる――」


その時皇女アレクサンドラが突然顔を覆った「――そんな」


 やっぱり危ない人!?――マリアがそう思った瞬間、アトゥームとホークウィンドが広間の中央に向かって突進した。


 静香がほんの少しの差で“神殺し”を抜刀して続く。


「先輩――!?」マリアもその時周囲の状況がおかしい事に気付く。


 魔の気配――それもマリアも良く知っているもののそれだった。


 それだけではない――宮殿の外からも金属音と怒号が微かに聞こえてきた。


 部屋の中央に黒く蠢くイバラの様な植物めいた生き物が現れた。


 ラウルが結界の呪文を唱える。


「何ですか――この怪物――!?」マリアの問いにラウルが答える「アリオーシュ配下の四天王の一柱――名も無き茨悪魔ソーンデーモン、マリアさん達の世界のイエスの額に被せられた茨の冠が変化した悪魔だよ――気を付けて!」


 イバラの悪魔は節々にどす赤いバラの花を咲かせながらうねる触手の様に枝を伸ばして攻撃してくる。


「主に被せられた冠が悪魔に――?」静香も信じられない思いだった。


 悪魔の弱点を見つけようと“神殺し”の力を発動させた静香は信じられないものを見た。


 ――弱点が見つからない――?


 悪魔は見る間に増殖していく。


 静香は触れた物を消滅させる金色の光を“神殺し”に纏わせて、片っ端から悪魔を切る。


 アトゥームもホークウィンドも自分がやられない様にするのが精一杯だ。


 後衛のラウルとマリアは範囲攻撃呪文を唱えようとする。


「待って――ホークウィンド達に結界の魔法を掛けて――シェイラのブレスで焼いた方が良いわ」アリーナが冷静に分析した。


「シェイラ、お願いできる?」


「分かったわ――お義母様には手出しさせないんだから」


 ラウルとマリアは前衛の静香達に防御結界の魔法を掛ける。


「いくわよ――」シェイラは人の姿のまま口から盛大に炎を吐き出した。


 悪魔化しているとはいえ元が植物だ――火には弱かった。


 花が燃え、茎が焦げ、茨悪魔は見る見るうちに消えていく。


 あちこちに燃え殻を残して悪魔は消滅した。


「気を付けて――まだ完全には死んでないわ」


 “神殺し”を通じて静香は悪魔が生きている事を感じ取っていた。


「アレクサンドラ様」大広間に衛兵が飛び込んできた。


「分かっています」アレクサンドラが答える。


「弟が攻めてきたのです」アレクサンドラはマリア達に告げた。


「先程予知しました――私とアイアを連れて貴方達は転移の魔法を使って逃げる事になるでしょう」


「やってみないと分からないわ、私達なら――」


「試してみても良いでしょう――鼻持ちならない言い方ですが、私の能力が分かる筈です」


「アトゥーム、ホークウィンド、私で前衛の壁を作りましょう、後方からシェイラの炎で援護してもらえば」静香が提案する。


「分かったよ――静香ちゃん。アトゥーム君も良い?」


「ああ」


 隊形を組んで大広間の扉をホークウィンドとアトゥームが開ける。


 その瞬間、静香が目にしたのは床どころか高い天井まで廊下いっぱいを埋め尽くす茨の壁――いや廊下全体にびっしりと詰まった茨の塊だった。


 通れる隙間等全く無い――。


 シェイラが炎の息を吐き掛ける。


 手前の茨は焼けたが、すぐに奥から枝が伸びてくる。


「戻って!」シェイラが怒鳴る。


 ホークウィンド達は急いで扉を閉めた。


「私の炎は一日二~三回が限度よ。流石にあれを全部焼き尽くすのは無理」


「外も殆んど茨悪魔に覆われてます――」マリアは魔法で宮殿の外を確認していた。


「本体を魔界に置いて一部だけこちらに出現させているんだ――現世に出現した方だけを倒してもキリが無いよ」ラウルが状況を分析する。


「という事は――」マリアと静香は皇女を見た。


 皇女アレクサンドラは自慢するかの様に宣言する。


「転移の魔法で飛ぶしかありませんわね――言った通りでしょう」


しゃくに障るけど――そうね」


「時間が無いよ――皆纏まって」ラウルが言う。


 大広間の扉を何度も叩く音が響く。


 扉にひびが入る。


 扉がぶち破られた。


 無数の茨の枝が大波の様にマリア達に迫ってくる。


 危うい所でマリア達とアレクサンドラ達はラウルの唱えた転移魔法で第三軍の本陣まで戻ったのだった。

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