将軍ゲレイル

 ガルム帝国第三軍。


 グランサール皇国首都ネクラナルを目指し、三手に分かれた帝国軍の左翼。


 軍師ウォーマスターラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツに率いられた軍勢は狭い峡谷でグランサール皇国軍と戦闘状態に突入した。


 先鋒はラウルの義兄弟、“死神の騎士”こと傭兵アトゥーム=オレステスに率いられた重騎兵。


 皇国軍は歴戦の将軍ゲレイルが指揮する歩兵を主体とした軍だった。


 皇国軍には混沌の女神アリオーシュの悪魔族デーモンが10体近く加わっている事をラウル達は知っていた。


 マリアと静香は魔導専制君主国フェングラースの戦方士バトリザードと共に悪魔の討伐に当たる予定だった。


 エルフの忍者ホークウィンドと共に戦う黄金龍ゴールドドラゴンの娘シェイラは龍化して敵を恐怖させて士気を削ぐ役目だ。


 ラウルは皇国軍との真正面の対決を避け、首都に急行する戦略を取っていたのだが、街道の要所に配置された皇国軍をどうしても突破する必要が有ったのだ。


 敵は数の不利を狭い場所で戦う事で補おうとしていた。


 包囲戦は展開できない。


 皇国軍の先鋒には悪魔族がいた。


 龍化したシェイラにも怯えない――これらの悪魔を盾とする事で士気の崩壊を防ぐ算段だ。


 騎兵の突撃にも壁として使える。


 ゲレイルはもっと前方に軍を進出させろとの現戦皇エレオナアルの主張を抑えて敵をここまで引きずり込んでから叩く事を承知させていた。


 魔法使いは質量ともにエルフや戦方士バトリザードが加わるガルム帝国軍が優勢だった。


 騎兵も弓兵もだ。


 辛うじて歩兵が互角以上だった。


 フェングラースから逃げてきた秩序機構オーダーオーガナイゼーションの魔法使いはエレオナアルのみに協力する事にされた。


 ラウル達が帝国軍に復帰してから皇国軍は押されていた。


 一矢報いてやろう――ゲレイルは決意していた。


 今までの戦いの結果からすれば、ここでガルム帝国軍に勝つ事は難しいだろう。


 しかし、足を止め、出血を強いる事は可能だ。


 上手くいけば首都に向かう敵軍をあるかなりの間止めれるかも知れない。


 第三軍はガルム帝国軍の中で一番勢いに乗っていた。


 その軍に痛撃を与えられれば――国力ではほぼ同等の帝国と皇国だ――士気さえ回復すれば敵軍を押し戻せる可能性も有る。


 ゲレイルはそこに賭けていたが、エレオナアルの指揮――一切の後退を許さないとの君命の乱発――に振り回されて消耗していく皇国軍の余りの多さに目を覆いたくなる事が多かった。


「法と秩序の唯一神ヴアルスの為に!グランサール皇国の勝利の為に、命を捧げよ!」


 ゲレイルは檄を飛ばして味方を鼓舞した。


 軍から歓声が上がる。


“ヴアルスの為にか――”ゲレイルは苦い思いでこの言葉を振り返った。


 アリオーシュの配下がいる時点でこの言葉は無意味だった。


 ヴアルスの奇跡と言ってはいるが勘の良い者は既に気付いている事だろう。


 もしもヴアルスがグランサール皇国の守護神ならアリオーシュと組んだ現戦皇達をこそ断罪するだろう。


 それでも、エレオナアルはゲレイルが忠誠を誓った主君だった。


 主人の為に最善を尽くす――それが彼の覚悟だった。


 狭い隘路で敵を消耗させ、機を見て敵を殲滅できれば最上だ。


 戦いは始まった。


 帝国軍は弓矢と魔法で徹底してこちらの戦力を削りにきている。


 向こうの重騎兵は動かない。


 皇国軍の魔法使いも結界を展開していたが、突破されるものも多かった。


 皇国軍も反撃していたが敵軍の半分程度しか損害を与えていない。


 ゲレイルは軍を引き、隘路に敵を誘い込み、出口まで引きずり込んで包囲するか、隘路で敵が予想以上に消耗すれば悪魔族を先頭に中央突破を計るつもりだった。


 問題は――“神殺し”を帯刀する少女達だ。


 澄川静香と七瀬真理愛、この二人に悪魔族を倒されてしまえば作戦は失敗だ。


 “神殺し”は悪魔族にも致命的なダメージを与える刀だ。


 ガルム帝国軍と戦った皇国軍の指揮官によれば二人は有翼一角馬アリコーンと学者に呼ばれる種類の霊馬に騎乗しているとの事だった。


 彼女等が空に上がったら魔法使いと弓兵で集中射撃する。


 悪魔族は人に変身していたが、情報が正しければ人と悪魔を見分ける装備をしているとの事だ。


 欺瞞の魔法は掛けてはいたが、どこまで通用するか不明だった。


 敵右翼側の歩兵が左翼と連携して先鋒の歩兵と衝突した。


 槍を持ったガルム帝国軍と鎚鉾ハルバードを持ったグランサール皇国軍が交戦する。


 ガルム帝国軍の後方の魔術師から攻撃魔法が降り注ぐ。


 皇国の騎兵は隘路の後方で待機している。


 帝国軍は何度も突っかかってくるが、皇国軍の防御を破れない。


 帝国軍の歩兵が下がり始めた。


 前に出ようとする皇国軍をゲレイルは遠距離通話の魔道具で抑える。


 これは誘いだ――ゲレイルには分かった。


 ここで前に出れば帝国の重騎兵が先鋒を粉砕するだろう。


 ひたすら相手を引きずり込む事に注力すべきだ。


 ゲレイルは先鋒を下げる。


 帝国軍は算を乱さず退却していった。


 皇国軍から歓声が上がった


 こうしてラウル率いるガルム帝国軍とゲレイル率いるグランサール皇国軍の戦いが始まったのだった。




 小競り合いは4日続いた。


 ガルム帝国軍は夜間に奇襲をかけて来ることも有った。


 皇国軍の兵を疲労させる為だ。


 数に勝る帝国軍は徹底的にその利を生かそうとしていた。


 皇国の魔術師は本格的な夜襲にも備えて本来なら長時間現世に滞在できない悪魔族を“眠らせて”いざという時に援護を得られるようにしていた。



 事態が大きく動いたのは5日目の朝だった。


 夜明けと共に帝国軍は総攻撃をかけた。


 対する皇国軍は度重なる敵襲に疲れ切っていた。


 皇国軍の魔術師達は悪魔族を“起こし”前面の壁にするべく指示を出した。


 しかし帝国軍の“神殺し”の娘二人はその少しの間に悪魔を識別していた。


 静香の“神殺し”は、人型に変身した悪魔を見逃さない。


 マリアは“神殺し”が見つけた悪魔に発光の魔法をかけていく。


 悪魔にかけられた魔法の光が夜明けの中でも一際明るく輝く。


 後方の魔術師達が攻撃魔法を悪魔に投射する。


 そこに龍化したシェイラに乗ったホークウィンドとエルフの剣舞士ソードダンサーの一団、そして魔導専制君主国の戦方士バトリザード達が転移魔法で強襲をかけた。


 ホークウィンドの手刀が悪魔の喉を切り裂く。


 静香の“神殺し”も悪魔を真っ二つに断ち切っていく。


 弓兵の矢も魔術師の魔法もシェイラの防御結界の前にダメージを与えられない。


 見る間に悪魔族が倒されていくのを見ながらゲレイルは先鋒を下げる事を決断

した。


 一カ所に纏まり、守りの一手しか無い。


 もしかすると陣の反対側からの転移の魔法による敵襲も有り得る。


 女忍者を乗せた黄金の龍が咆哮を上げる。


 皇国兵は怯んだ。


 果たして、ゲレイルの予測した通り敵重騎兵が皇国軍の真後ろに出現した。


 騎兵の先頭には真っ黒の馬に乗った漆黒の鎧に身を包んだ男――死神の騎士だ。


 軍の殿しんがりに居た皇国軍の騎兵は騎槍ランス槍衾やりぶすまを作って帝国の騎兵を止めようとする。


 地響きをたて騎兵と騎兵が真っ向からぶつかった。


 辛うじて皇国軍は帝国の騎兵の突撃を止めた。


 後は乱戦だ。


 死神の騎士を筆頭に帝国軍は皇国軍を蹂躙する。


 このままでは負ける――ゲレイルは自分が出る事を決意した。


「副官。部隊の指揮を。私は死神の騎士を止める」


 副官は言った。


「いけません。ここはゲレイル様だけでも逃げ延びて下さい。貴方の様な将軍は我が国に――」


「ここで負けて私が帰れば戦皇陛下は私を処刑するだろう。最後は武人として戦うに相応しい相手と戦わせてくれ。それで死ぬなら本望だ。私の死を見て奮起する者もいるだろう」


 副官はゲレイルの目を見た。


 戦場の喧騒の中で柄の間、静寂が有った。


「――分かりました。ご武運を――」


 この戦いに勝っても生きて帰ることは有るまい――ゲレイルは覚悟した。


 愛馬に跨るとゲレイルは敵の先頭に居る死神の騎士目掛けて馬を駆った。


 二十名の旗本の騎士達が従う。


「“死神の騎士”アトゥーム=オレステス殿とお見受けする」ゲレイルは呼ばわった。


「グランサール皇国東部方面第二軍司令伯爵ゲレイル、貴殿との一騎打ちを所望する」


 ゲレイルはアトゥームの両手剣ツヴァイハンダーに斃れれば復活の魔法を使っても生き返れない事を知っていた。


 アトゥームが魔導専制君主国フェングラースで騎士に任じられている事も。


 平民相手に一騎打ちを挑んだとあれば騎士の誇りは無いが、敵将の一人でも討ち取らなければこの戦いは完敗に終わる。


 アトゥームは挑戦の声を聞いて面貌を上げた。


「受けて立とう。ゲレイル伯爵」大声で返答が有った。


 ゲレイルとアトゥームは乱戦の中、向かい合う。


 二人は殆ど同時に馬を突進させた。


 人の背丈ほどもある両手剣と長い鎚鉾ハルバードがぶつかる。


 ゲレイルはフェイントを交えながらアトゥームに乱打を加えた。


 アトゥームはその攻撃をことごとく受け流す。


 連撃が終わり、間が空く。


「降伏しろ。ゲレイル伯。そちらに勝ち目はない。エレオナアルが人の上に立つ器量の持ち主では無い事は理解しているだろう」


「私は主君にも皇国にも義理がある。傭兵のお前には理解できないだろうが。我が軍がここで負けるにしてもお前一人くらいは巻き添えにせねば皇国にも先祖にも顔向けできぬ」


 言いながらゲレイルはアトゥームに打ちかかった。


 鎚鉾が消える。


 ゲレイルの鎚鉾固有の魔法――得物を視えなくして敵を幻惑する魔力だ。


 アトゥームは際どい所で鎚鉾を止めた。



 いけるか――ゲレイルは見えない鎚鉾で再び連撃した。


 戦う事数十分――ゲレイルは恐れていた言葉が戦場に響くのを聞いた。


「軍旗を守れ――グランサールの諸君――まだ負けてはおらぬ――」


 皇国軍は崩れたのだ。


 ラウルは故意に一方を空けて皇国軍を攻撃していた。


 完全に包囲すると死ぬまで敵は戦う、その可能性が高い事をよく知っていたからだ。


 皇国軍の兵士がその空いた一方に殺到している。


 整然とした退却というよりは潰走に近い。


 軍旗は奪われたのか――ゲレイルはそれを見る余裕は無かった。


 アトゥームの反撃をさばくのに手一杯だった。


 アトゥームは隙を見せずに言った「そちらの負けだ。ゲレイル伯」


「その様だな。傭兵アトゥーム。だが私自身はまだ負けてはいない」


「最期までグランサールの騎士としてそれに恥じない戦いをするのみ」


「ゲレイル伯。これ以上の流血は無意味だ」


「無意味であろうと無価値であろうと私は私自身の道に殉ずるだけだ」


 ゲレイルは言いざまに鎚鉾をアトゥームに振り下ろした。


 アトゥームは体を開いて一撃を躱すと両手剣で鎚鉾を叩き落した。


 瞬間、アトゥームとゲレイルは目を合わせた。


 ゲレイルは面貌を上げ微笑した。


「待て――」アトゥームが気付いた時には遅かった。


 ゲレイルは腰の短剣を抜くと自らの目目掛けて深く突き刺したのだ。


 ゲレイルの身体はかしぐと、愛馬の上から地面にどうと落ちた。


「アトゥーム君!」シェイラに乗ったホークウィンドが近くに降りる。


 ホークウィンドはマリアや静香達と共に悪魔を倒していた。


「アトゥームさん」マリア達も羽の生えた“ミンクス”に騎乗したまま着地する。


「すまない。敵将を生け捕れなかった」アトゥームはゲレイルの心理を読み切れなかった事を悔やんだ。


 皇国軍のまとまった抵抗は無くなった。


 この戦い以降、皇国軍はエレオナアルの作戦指揮でバラバラにぶつかってきて勝手に崩れてしまう事が増えた。


 エレオナアルは全てを守ろうと軍を分散してしまったのだ。


 戦局はほぼ決まったのだった。

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