マリアの決意

 七瀬真理愛と澄川静香はガルム帝国首都ゴルトブルクの宿屋で“死神の騎士”こと傭兵アトゥーム=オレステスが別の傭兵に絡まれるところに居合わせた。


 アトゥームは朝食をマリア達と取っていたのだがガルム愛国傭兵ランツクネヒト――自国の為に戦う傭兵と自称する者達の一団が周りを取り囲んだ。


 派手ないでたちの――マリアと静香には悪趣味と思えるほどごてごてとした服を着ていた。


「こいつらが噂の“死神の騎士”とその仲間か」


 げらげらと笑い声が上がる。


「国父様を殺すとは大それたことをしやがる――どうせまぐれだろうがよ」


「おい、何とか言えよ。それともビビッて声も出ねえのか」


「いつも女に助けられてばかりだもんな」


 アトゥームは冷たい瞳で声の主を見た。


 声の主は一瞬怯んだ。


「何でえ、脅かしやがって」


 男はジョッキをアトゥームの頭上に持ってこようとして静香に腕をねじ上げられた。


 ジョッキが落ちて音を立てる。


 中身のビールがテーブルにぶちまけられた。


 男は手を引くとあとじさった。


 そこに傲岸な声がした「やあやあ、お嬢様方。うちの身内が何か不始末でも?」


 がっしりとした体格の髭面の男だった。


 三十代半ばから四十代半ば位にマリア達には見えた。


「親父」愛国傭兵達から声が上がる


「しゃんとしろ、この面汚しが」髭面の男はあとじさった傭兵に平手打ちを食らわせた。


「俺はツォルグ。ツォルグ=フッサー=ヨーツン。ガルム愛国傭兵“紅の旭日団”隊長を務めてる、以後お見知りおきを」下卑た笑みを浮かべている。


「それにしても我が帝国も人手不足と見える――敵国の混血野郎に女子供の手を借りねばならんとは」


「随分礼を失した言葉ね」静香はツォルグの目を睨み付けた。


 ツォルグは鼻を鳴らして静香の視線を受け止めた。


「男を舐める女は教育せんとな」


 手を伸ばして静香に掴みかかる。


 その瞬間静香の裏拳がツォルグの顔面に入った。


 ツォルグは声も無く昏倒する。


 愛国傭兵達がざわめいた。


「親父が一発の拳で――?」


「一発じゃないよ――背中、肩、肘、裏拳、相手の足を踏んで逃げられない様にして四発叩き込んでる」のんびりと言ってもいい声が聞こえた。


 愛国傭兵達は後ろからのその声に驚いた。


軍師ウォーマスターラウル!」


 ラウルとホークウィンド達が宿屋に戻ってきたのだ。


 街中でも魔法を使う事を許される青の法衣“ブルーローブ”でもある帝国有数の魔法使いを相手に戦うほど勇気のある者は居なかった。


 愛国傭兵達はツォルグを抱えると一斉に逃げ出した。


「アトゥーム。貴方はどうしてあんな奴らにいいようにさせておくの」静香の声は厳しかった。


「ああいう手合いは黙ってるとつけあがるわ」


「――俺はああいう扱いには慣れてる」アトゥームは無表情に言った。


「慣れてるって――そういう問題じゃないでしょ」


「いつも思ってたけど、今日こそ言わせてもらうわ。アトゥーム、貴方は自分を粗末にしすぎよ」


「貴方はそれがどういう事か分かってない――貴方だけじゃなくてホークウィンドやラウルも一緒に惨めにしているのよ」


 静香は続ける。


「貴方の為に死んでいった者達だってそんな事を望むはずが無いわ」


「「自分を傷つける事は他人を傷つける事」でしょう――」


 アトゥームはじっと静香の目を見つめていたが、こうべを垂れると頷いた。


「――分かった」


「努力する――すぐに出来るか自信は無いが」


「貴方を責めた訳じゃないわ。もう少し自分を大事にしないと周りの人迄不幸にする事を知ってもらいたかっただけよ」静香は慌てて言った。


 アトゥームがここまであっさりと自分の言い分を認めるとは思ってなかったのだ。


「“死神の騎士”なんでしょう――もう少し威厳を身に付けても罰は当たらないわ」


「でも静香さんに入ってもらって義兄さんは助かったよ」ラウルが穏やかに言った。


「あのままだと死人が三、四人は出ただろうからね」


「命の危険が来るまで何もしないからね、アトゥーム義兄さんは。それでおさまる事も有るけど、大抵は刃傷沙汰になる」


「じゃあ、何故止めないの」静香はラウルの態度にカチンときた。


「僕が止めても、義兄さんは聞かないよ」静香の様子にもラウルは動じていない。


「義兄さんが自分で納得しないと、始まらない。僕のいう事よりも静香さんやマリアさんの言う事の方が説得力が有るんだろうね、僕には辛い話ではあるけど」


「どうしてですか?」マリアは納得がいかないという様子だった。


「君達が平和な国から来た――戦争の無かった国から来た人間だから。幼い頃から戦争に浸っていた僕らとは違うから」ラウルの声は自分自身に言い聞かせているかの様だった。


 *  *  *


 それから4日後の事だった。


 ラウルが軍勢を率いて帝国の西に位置するグランサール皇国との前線に出向いて行軍を始めた。


 ガルム帝国の支配領域でも皇国の支配領域でもない地域で、マリアと静香は初めて戦争に参加した。


 その中でマリアは自分の甘さを痛感させられたのだった。




「しっかりして下さい!気を確かに!」


 マリアは意識を失いそうな重症の負傷兵――ガルム帝国の兵士だった――に必死に呼び掛ける。


 「……母さん……母さん……」少年と言っても良い年頃だった、マリアとそう歳は変わらないだろう。


 傷を癒す魔法を掛ける。


 少年兵は骨折と内臓と動脈に深い傷を負っていた。


 ガルム帝国とエルフの連合軍はグランサール皇国軍との遭遇戦で攻撃を退ける事に成功したが、やはり負傷者は出た。


 マリアは静香と共に戦う中で魔力を使い過ぎたのだ。


 戦列の最前線に出て戦う以上仕方が無かった。


 治癒術士エルフのアリーナは最初から治癒魔法のみを使う事に専念していた。


 今は魔力を使い果たし、外科の手術で負傷兵に対応している。


 ラウルは大規模結界の魔法と敵中央への大魔法、敵魔法使いの無力化に魔力の大半を使い、負傷兵の治療も行った為やはり魔力は殆んど残っていなかった。


 捕虜の治療もしなければならなかった――グランサール皇国軍は捕虜に治療を施す事は殆んど無かったのだが――ガルム帝国軍には何故敵がやらない事をこちらがやるのかと言う者も居たが、ラウルやエルフ達は敵と言えども捕虜ならば出来るだけの事はするべきだと考えていた。


 その事が皇国に伝わればガルム帝国との戦争に疑問を持つ兵も増えるという計算も有った。


 マリアは体力を限界まで消耗していた。


 少年兵はマリアの魔法にも関わらず傷口は完全には塞がらなかった。


 徐々に衰弱していく彼を助けようとマリアはもう一回魔法を掛けようとして、アリーナに止められた。


「それ以上は駄目――魔法が失敗する可能性も高くなるわ――貴女が傷ついたり倒れるような事が有ったらそれこそ一大事よ」アリーナの見事な赤毛が揺れる。


「――でも」マリアは抗弁した。


 少年兵にアリーナは優しく語り掛ける。


「名前は?どこの出身なの?」


「ヨハン……マインヘム……母さん……」


「良い所なのね、ヨハン」アリーナは少年兵の目を見てはっきりとした口調で問う。


「答えなさい。私の目を見て」強い口調だった。


 少年は問いに答えることは出来なかった。


 緊張していた顔の筋肉が緩んだ。


 死んだのだ。


「しっかり――」マリアは最初彼が死んだ事に気が付かなかった。


 少年兵の胸を乱暴に規則正しく押し始める。


 二、三分もそうしていたろうか、マリアにもようやく事態が飲み込めた。


 壊れた機械の様に胸を押していたマリアは途方もない喪失感に呆然としていた。

 よろよろと腕を外す。


 マリアは助けを求める様にアリーナを見た。


 アリーナはマリアを無言で見返した。


「そんな――」


「彼は後方に送られるわ――運が良ければ蘇生魔法を掛けてもらえる――絶対とは言えないけど」


アリーナは職業人としての冷静さと矜持を込めて言った「ここでこういう運命を辿ったのは彼だけじゃない――出来るだけのことは出来ても、出来る以上のことは出来ないのよ」


 マリアは言い返そうとして言葉が無い事に気付いた。


 アリーナの言う通りなのだ。


「私は治療に戻るわ。魔法は使えなくても、手術で助かる命も有る」


「私も――」マリアは言いかけたがアリーナに止められた。


「今の貴女では足手纏いよ、外科の手術を覚えたかったらもう少し体力を残しておきなさい」


 マリアはようやく自分が倒れる寸前なのに気がついた。

 静香が傍らに居る事にも気がつかなかったのだ。


「マリア……」静香の深緋の陣羽織タバードもあちこちに黒ずみをつくっている。


 “神殺し”桜花斬話頭光宗おうかざんわとうみつむねで斬った皇国兵の返り血だ。


「先輩……」マリアはふらふらと静香の胸に倒れ込んだ。


「マリア!」遠くなる意識の中で最後に聞いたのは静香の悲鳴のような叫び声だった。


 *  *  *


 マリアが目を覚ましたのは翌朝過ぎだった。


 既に帝国軍は出発していて、マリアは天蓋付きの馬車に乗せられて運ばれていたのだ。


「……マリア」マリアの傍らには静香が居た。


 静香はマリアを抱き締める。


 マリアは静香を抱き返した。


「先輩……私……私……」声に嗚咽が混じる。


「貴女は全力を尽くしたわ。私達だけじゃどうにもできない事も有る――受け入れられない事を受け入れるしかない事も。休める時に休んでおかないと、私達はこれからも戦わないといけないの」


「……分かってます」マリアは声を殺して泣いていた。


「でも、助けられなかった――私、神様が嫌いです――でも、それ以上に――」


「止めなさい」マリアは自分の唇が塞がれるのを感じて目を閉じた。


 ホークウィンドが馬車を覗いたが、二人の様子を見て目を逸らした。


 暫くして静香は唇を外した。


「マリア、もう少ししたら“ミンクス”に乗って――次の戦いに備えないと」


 二、三日は敵との戦いは無い筈だったが、敵が転移の魔法を使ったり、混沌の女神アリオーシュが配下の悪魔デーモンを送り込んでこないとも限らない。


 何と言ってもマリアと静香はアリオーシュが最も欲する人間なのだ。


「大丈夫ね」


「――はい」マリアはようやくの事で返事をした。


 酷な話だと静香には分かっていたが、他にどうしようもなかった。


 今まで迷宮に潜った時はバックアップが十分に有った。


 しかし――考えたくはなかったが、これからは救えない命も出てくる。


 堪え難い事に堪えなくてはいけない。


 ラウルの率いる軍勢は敵襲を防ぎやすい地形で少し早い休憩に入ろうとしていた。


「大丈夫――?」ホークウィンドとアリーナが馬車から降りてきた二人を気遣う。


「大丈夫です」マリアが気丈に言うが、顔には涙で濡れた跡がはっきりと見て取れる。


 ラウルは手際よく周囲を警戒する隊と休憩する隊を分け、交互に休憩を取らせる。


 昨日の戦い等無かったかの様に陽の光が降り注いでいた。


 一角馬ユニコーン“ホワイトミンクス”――静香達には“ミンクス”と呼ばれていたが――もマリアと静香の元にやって来た。


“マリアさん”念話テレパシーでは言葉以上のものが伝わってくる。


「分かってます」マリアは敢えて言葉で答えた。


 覚悟は固めたのだ。


「女神アリオーシュを倒して、この戦争を終わらせます。それも出来るだけ早く」死んだ少年兵の顔がマリアの脳裏をよぎった。


“あの少年、ヨハンの死を無駄にはしない”マリアは決意した。


“赦さない――”グランサール皇国戦皇エレオナアルとその取り巻きショウへの怒りの大きさに我が事ながらマリアは驚いた。


 自分の中にこんな激情が有るなんて。


 少し前まで涙に暮れていたのが嘘の様だった。


「神様が赦しても、私は赦しません――必ず――終わらせます」


 マリアは誓った――神にかけての誓いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る