戦場へ

賢者、軍師、司教ラウル

 マリア達は魔都マギスパイトでの魔導帝アビゲイルの国葬に出た後、グランサール皇国との戦いに赴くべく、魔都から転移の魔法陣で始原の赤龍グラドノルグの洞窟へと舞い戻った。


 マギスパイトでラウルは忙しく、マリアと静香はラウルに会って話を聞く事が殆んど出来なかった。


 昼食の後、二人は元グランサール皇国皇室付近衛騎士ジュラールに言われて以来話をしようと思っていた事――全知全能の神についてラウルに聞いてみることにした。


 ラウルは快く応じてくれた。


 三人は椅子に腰掛けて話を始めた。


 「神が実在するってどうすれば証明できるんですか?」先ずマリアが聞いた。


 「そんなに難しい事じゃないね。マリアさん。貴女あなたが存在する、それが神は存在する証拠だよ」


 マリアは顔を赤らめて言った「それは――ずるいです」


 「そうでもないよ。自分という存在は奇跡だと思った事は無いかい?マリアさんも静香さんも」


 二人は顔を見合わせた


 「それは――有りますけど」


 「なら、それが答えだよ」


 ラウルは続けた「自分という奇跡を信じることが出来れば、神が自分を造った奇跡を信じることが出来、神が存在するという奇跡を信じる事が出来る。繰り返すけどそんなに難しい事じゃないんだ」


 「ラウル、貴方は神に会ったことが有るからそう言えるんじゃない?私達は唯一の神を見たわけじゃないし、自分の人生を振り返れば奇跡でも完璧でもない事だらけよ」


 ラウルは微笑みながらこう言った「つまり、世界は完璧じゃないし、自分達も完璧じゃないって言いたい訳だね」


 「そういう言い方はしたくないけど――そう、詰まる所はそうね」


 ラウルは微笑みを崩さずに言った「じゃあ、静香さんが神だとしたら今の質問にどう答える?」


 「分からないわ――私は神じゃないもの」


 「それは分かってるよ、だけど、仮に静香さんが全てを知っている神だとしたらその問いにどう答えるか考えてみて――神が愛さないものも有るという信念は一度横に置いて――全知全能で全てを愛している神が創ったものに不完全なものは有ると思う?」


 「――神の創ったものに不完全なものは無くても――後から不完全に堕ちるものは有るんじゃないかしら――貴方は知らないかもしれないけど私達の世界に居た独裁者とか、この世界のエレオナアルとショウとか混沌の神や悪魔とか、私達人間もそうだけど」


 「成程ね」


 「違うと言いたげね」


 「まあ、そうだね」


 「じゃあ、貴方はどう言うの?」


 「“不完全”なもの等ないし神の完璧さを損なうものはない――神が愛さないものはないし、全ては神であり、完璧だし、地獄も悪魔も存在しない――<死>もラエレナもそう言ってなかったかい」


 「とてもそうは思えないわ」静香が言い切る。


 「そうであれば良いとは思うけど」


 「じゃあ」ラウルが問い返してきた「神が全知全能であって慈悲深いなら何故人が不完全に堕ちる可能性なんかを残すのか説明できる?」


 「それは――」静香は言葉に詰まった。


 代わりにマリアがこう答えた。


 「それは神様が人間に自分の意志で神を選んでもらいたいからじゃないですか」


 「悪魔の誘惑を断ち切り、神様の側に自由意志でついてくる人たちこそ天国に相応しいと思うから――だと思うんですけど」


 「それにラウルさんは地獄なんて無いって言いますけど、混沌の神々がいる世界や、この世だって充分に地獄じゃないですか」


 「マリアさんはそうだと思うんだね」


 「――はい」


 「見たものを信じる――多くの人はそう言うね。でも、真実は逆。信じたものが見えるんだ。例えば世界は残酷だと信じていれば、そうじゃないものを見ても偶然だと言って無視してしまう。残酷なものを見てそれが真実だと自分に言い聞かせる――それだけじゃない、実際に残酷なものを引き付けてしまう。考える事、話す事、行動する事、この3つは現実を創造する道具だよ。否定的な考え、否定的な言葉、否定的な行い――これらから否定的な現実が生まれるんだ」


 「じゃあ、地獄に堕ちるのは自分がそうしているからっていう事ですか?」


 「全てではないけど自分の人生を創るのは自分自身だという意味では当たってるね。地獄というのは心の状態で、特定の場所の事じゃないんだ」


 「さっきの話にまだ答えてもらってないわ――神が天国に相応しい人――自分の意志で神に従う事を選ぶ人を祝福するんじゃないの?」静香が割り込んだ。


 「何かをしないと神に祝福されない――それも人間の作った神話の一つだね。それは幻想だよ」


 「何かをしてもしなくても、神を信じていてもいなくても、神は人間を愛する事を止めない。静香さん達の言う十戒というものは存在しないんだ」


 「何ですって――?十戒が無いの?冗談でしょう?」


 「神が戒律を課したなら、それは破られる事が無い筈だよ。破られるなら神のものじゃない」


 「でも――」


 「違反する可能性を残しておいて、そうした者を罰するというのは矛盾していないかい」


 「それじゃ、神様は何の決まりも創っていない――ルールなんか無いって事ですか?」


 「神意にかなわない言動まで無いとは言わないよ。だけど善悪は――ましてルールなんてものは――自分で自分に決めたもの以外は存在しない」


 「だけど、神様が最後に善悪を正してくれる、だから辛い事にも耐えられるんじゃないですか?ルールなんか無いならそれは力が全てという事になりませんか?」


 「最初の質問の答えは、誰でも望んだ結末に到達する――神と一体になるという事だけど――全知全能になればあらゆる望みが叶うはずだからね――その時は確実に来る。神は人間を裁いたりはしないんだ。自分がどれだけ善良だったかを決めるのは自分自身だよ。地獄というのは神と一体になれるというのを信じれない事。自分には救いは訪れないのではと疑いを持つ事だよ」


 「二つ目の答えは?」


 「力が全てという考えは、自分や世界の在り様に対する誤解から生まれる――全ては一体ではなくバラバラに分裂しているという誤解から出来上がるんだ。自分も他人も一体なら、他者を傷つけることは自分を傷つける事だとすぐ分かるはずだからね。それに逆も真なりだけど、自分を傷つける事は他者を傷つける事だという事も――理解しておいた方が良い真理だね」


 「神が実在しない証拠として、神には自分の持ち上げられない岩を作って、持ち上げる事が出来るか――と言うのが有るの。貴方ならどう答える?」


 「静香さんに持ち上げられない岩は有る?」


 「ええ」


 「では、神に持ち上げられない岩は有る?」


 「頭では、無いと思うわ」静香はハッと何かに気付いた様だった。


 「ちょっと待って――さっき、人と神は一体だって言ってくれたわよね。じゃあ、私としての神には持ち上げられない岩は有るけど、神本来の姿なら持ち上げられないものは無い。両方正しいって事?」


 「その通り――正解だよ」ラウルは微笑みを込めて言った。


 「神に経験できない事は無い。マリアさんや静香さんの経験も全て神も経験している事だよ――人は一人じゃない、常に神が一緒にいる。それを完全に理解する事を“悟り”と言うんだ」


 「私には信じられません。余りに理想的過ぎませんか?神と一体なら、何もかもが私が創り出したって事ですか?自分が創り出したなら、それが起こるのが分からないはずないじゃないですか」


 「創造の全てが意識の働きという訳じゃないよ――無意識に思っている事も現実を引き寄せる――潜在意識の段階でも創造は行われるんだ」


 「でも、最初のマリアさんの言葉は当たってるよ――何もかも自分が創り出している――それが真実だよ」


 「でも、私は家族が死ぬのなんて望んでなかったです。乱暴される事だって、虐められる事だって望まなかった――」マリアが怒った様に反論した。


 ラウルはマリアが落ち着くまで待ってから言葉を発した。


 「感情には“力”が有るんだ――人は自分が最も不安に思う事を体験する――だから多くの霊的な教師が「何も恐れるな」と教えているんだ」


 間を置いて続く言葉


 「自分の人生を振り返る時が来たら、全てに神聖さを見い出す事が出来る。一見不完全に見える事が、完璧さの証明になる。若い人には難しい事だけど」


 「望みは叶わないんですか」マリアが尋ねる。


 「望み方によるね」ラウルは穏やかに言う。


 「望みは既に叶っていると“知って”いればそれは叶う。「あなたは信仰によって癒される」というのはそういう事」


 「叶わない時は、何が邪魔してるんですか?」


 「自分に無いと思っているものを“求める”時だよ。望みは叶ってないという思い、それが邪魔をする――願ったものが手に入らない時は、大抵内心で手に入れて“無い”から叶って欲しいと思ってる。そう祈ると文字通り“無い”という状態を経験することになる」


 「全知全能の神と一体になれば、“持ってない”という意識は無くなりますよね」


 「そう。良い答えだね――前に言ったけど、思考、言葉、行動は創造の三つの段階だというのは覚えてる?」


 「はい」マリアが肯是する。


 「悲観的な考えを持って、それを言葉にし、否定的な行動を何度も繰り返すと現実になる事が多い――例えば、私は人生にうんざりしているとか、神様の罰が当たりそうだ、とか。だから現実を変えたければ否定的な創造を止める事、自分の考えを見張って悲観的な事を考えてると気付いたら、それを止める事」


 「それで現実を変えられるんですか」


 「大体はね。変えられない時も有るよ、例えば天災等は集合的意識によって創られている事が多い――集団が創造したものを個人が変えられるほど人間の意識は成長していない――全く変えられないという訳じゃないけど、難しい」


 「全知全能の神との一体化は誰にでも訪れるの?」静香が口を挟む。


 「そう、神は到達できない存在ではなく、不可避の存在だよ。どんな道を歩いたとしても」


 「それに神が完全な愛なら苦しみが永遠に続くことを望んだりはしないよ」


 「苦しみが無ければ成長できないと死の王ウールムは言ったんです」とマリア。


 「苦しみから多くの事が学べるのは事実だよ。だけど必要という訳じゃない」


 「そうならどうして神は苦しみを消してくれないんですか?」


 「苦しみを引き起こしている出来事は神にも無くせない――出来事は自由な個人が自己の成長の為に創り上げているものだから――それを消せば神が人間を創造した意味が無くなってしまう――自分の思うように行動し、その結果を刈り取る、それが人間が作られた理由。自由を奪えば人間は生きているとは言えなくなるから」


 「でも苦しむ可能性を何故残すのか、まだ理解できません」


 「苦しまずに済む方法は有るよ。神が与えたのは出来事を変える事でなく、受け止め方を変える方法――どんな出来事でもそれ自体は事実でしかない――起こった事をどう受け止めるか、それは別の問題だよ。マリアさんが納得いかないのは分かるよ。でもそう感じるのはマリアさんが“本当の自分”を思い出してないから――神そのものである自分を信じられないから――だからだよ」


 「前にも全ては神だって言いましたよね」


 ラウルが頷く。


 「だから私も神なんですか?」


 「そうだよ」


 「じゃあ、何故私には出来ないことが有るんですか?」


 「生まれたばかりの赤ん坊には立って歩く事は出来ないよね」ラウルはマリアが頷いたのを見て続ける「でも成長すれば出来る様になる」


 マリアの顔が明るくなる。


 「つまり、蝶に例えればまだ私達は幼虫という事ですよね。私達はまだ子供だと。でも成長すれば飛べる様になる。そういう事ですよね」マリアは確認を取る様に尋ねる。


 「その通り。姿は違うけど同じ蝶という事。人間も同じ様に成長すれば出来る事が増えていくんだ。マリアさんが望んだところに行きつかないことは有り得ない」


 「そうだと良いですけど」


 「僕の言葉を信じろとは言わないよ。マリアさんが楽に生きれるならそれが真実」


 「神への道として聖書はどうなの?仏典は?コーランは?」静香も問う。


 「あらゆる道は神に続いている――その意味でどれも神への道だよ。でも、神について最も権威のある根拠は自分の感情だよ――本で読んだ事と体験が一致しなければ、本の方を忘れた方が良い。自分の体験からかくありたいという自分を造り上げていくのが人間の仕事で、他人の体験から自分を造るのは良くても回り道だね」


 「バッサリ切られたわね」


 「自分の苦悩を救ってくれるものなら信じる価値は有るよ。一途に信じる事で救われるならそれも一つの道。ただ他人にそれを押し付けるのは悪い結果を生みやすいね」


 ラウルは一拍おいた「「従属は創造ではないから、救済にはつながらない」僕が神から聞いた言葉だよ」


 「神は無神論者も救うって言いましたよね。神は自分を崇められなくても気にしないんですか?」


 「そうだよ。神は傷つかない。“神殺し”さえも神を傷つけることは出来ない。自分を崇めろなんて主張するのは専制的な支配者だけだよ」


 「貴方と話していると、今まで信じてきた神について混乱を覚えるわ――何を指針に生きていけばいいの?」


 「自分自身の魂に従って。静香さんだってマリアさんとの仲を否定するような教えは拒んできたんでしょ。自分ならどう思うか、愛なら今どうするか、これが本当の自分か、どんな自分になりたいのか、これが行動を決める指針だよ」


 「随分緩やかなんですね。神様ってもっと厳しい方だと思ってました」


 「相手に完全な自由を与える、それが神の愛し方。条件付きの愛というのは言葉そのものからして矛盾してるんだ」


 「マリアさんも静香さんも、神を遥か彼方の雲の上から下界を見下ろす髭を生やした老人の男性だと思ってたみたいだね」


 「じゃあ、神には性別は無いの?」


 「神は全てだから、男性とも女性とも両性具有とも無性とも言えるよ。自分に好ましく思える姿だと信じて良いんだ。エルフ達は全知全能の母なる女神と唯一神の事を呼んでる」


 「理神論は正しいんですか?」


 「神は人智を超えてるという意味では正しいけど、神はちゃんと人格を持っているよ。神は神に似せて人を形作ったっていうのは正解なんだ」


 「全ては神なのよね?じゃあ、私達も神なら空の雲も落ちている石も神という事になるの?」


 「そう、生命でないものは存在しない――神という言葉と生命という言葉は同義だよ」


 「神は悪をも愛しているの?」


 「冒涜と深淵の内に神を見る事が出来ない者は神の半面しか分からないのだと言われてきた――これも偉大な真理だよ。アリオーシュやエレオナアル、ショウにでさえ神が存在を認めた理由が有る――神は甘さの中にも辛さの中にも、喜びの中にも苦痛の中にもいる――神が存在を拒否するほどの悪はいない。だけど静香さんやマリアさんは――僕もだけど――世界の中から悪と呼ぶものを選び出さないといけない。そうしないと自分自身を善と呼ぶ事すら出来なくなるから」


 「神は善悪を決めないという事ですか。自分自身で善悪を決めるなら、正義は主観に過ぎないという事になりませんか」


 「正義という概念は主観だよ――自分が何者かを宣言する為の」


 「神が善悪を定めたという考えが有れば、人間は悪を滅ぼすという大義名分の下に自分に従わない人を虐殺するだろうね。これまでも神の正義のためにという理由で沢山の人が殺されてきた。神が一番望まない事だというのに」


 「グランサール皇国が正にそうなのね」


 「だからラウルさんやアトゥームさんは皇国と戦ってきた」


 「そういう事」ラウルはゆったりと椅子から立ち上がった「今日はこれ位で、また疑問が有ったらいつでも応えるよ」


 気付けばかなりの時間が経っていた。


 マリアと静香はラウルの話を聞けば聞くほど自分達の信じてきた神話に疑問を覚えずにはいられなかった――薄々感じていた事をラウルに指摘されたからだったが――ジュラールの話ではラウル司教は神についての考え方を揺さぶると言ったが、正にその通りだったと二人は思った。

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