再び闘技場で

 静香とマリアがバイクを試しに走らせたのはまだ魔導帝アビゲイルが存命だった時の事だ。


 闘技場コロシアムか馬場のどちらかが空いている時に走らせる予定だったのだが、噂を聞き付けた群衆が押し寄せた。


 結果として闘技場コロシアムが埋まる程の観衆の中、戦闘訓練も兼ねてマリアを後ろに乗せてチャンピオン、ナグサジュと戦う事になった。


 戦うと言っても直接の試合でなく、闘技場コロシアムのトラックを先に10周した方が勝利――ただし相手に攻撃を加えるのも許されている戦闘レースだ。


 マギスパイトの賭場はナグサジュ6:静香とマリア4という勝率を出した。


 “神殺し”を左手一本で扱えるようになっていなければ戦うどころではなかったろう。


 筋力が増したのも有るが、“神殺し”の力を引き出した結果だ。


 静香が筋力に頼らない剣術を身に付けた事も有る。


 “神殺し”こと桜花斬話頭光宗おうかざんわとうみつむねは普通の打刀より刀身が長かった。


 剣道の竹刀と同じくらいの長さだ。


 その為静香は相手との間合いを計る事にさほど苦労せずに習熟できた。


 レースの前にバイクでの戦闘訓練の為、闘技場コロシアムで試し運転をする事になった。


 一周1400メートル程のトラックを駆け抜けながら戦うのだ。


 鎧を着けてバイクに乗るのには少々コツが必要だった。


 最初は鎧を着けずにバイクを運転した。


 アビゲイルは興味津々といった感じでその様子を見学し、自分も――流石に最初から運転はしようとしなかったが――乗りたがった。


 静香はアビゲイルを後ろに乗せてバイクを走らせた。


 アビゲイルは飛行の魔法で空を飛ぶ事が出来たが、地面に接する乗り物で自足100キロを超えるスピードで走るのは初めてだった。


 静香にしっかりと摑まって闘技場コロシアムを駆け抜ける。


 子供の様に――実際子供なのだが――喜ぶアビゲイルに静香は微笑ましさを感じずにはいられなかった。


 「バイクというのは――楽しいの」


 「馬とは違うでしょう」


 「機会が有れば自分で動かしてみたいものじゃ」アビゲイルが笑う。


 「教えてあげても良いわ」


 キーを差し込み、スターターを押してエンジンをかける。


 足を動かして速度に合わせてギアを上げ、右手でアクセルを、ブレーキはギアを下げるかハンドルに付いてるレバーを引けば良い。


 ライトの点灯も夜間乗るなら必要な操作だ。


 アビゲイル用にバイクを作る事はマギスパイトの魔導科学で可能だった。


 完成したのは――アビゲイルが運転できる様少し小型化されていたが――邪神ガタノトーアが召喚されたその日だった。


 結果として――アビゲイルは完成したバイクこそ見ることこそ出来たが、運転する事は出来なかった――。


 *   *   *


 戦闘訓練では静香とマリアの予想が当たった。

 

 カーブで戦うにはかなりの訓練が必要になった。


 マリアも傾いたバイクから呪文を唱えるのに苦労したが短い期間で何とか腕を上げていった。


 直線で戦うのも言うまでも無く習熟が必要だった。


 加速減速と移動を上手く使って攻撃範囲に敵を入れ、相手の攻撃範囲に入らない事。


 左手で“神殺し”を使う場合、相手を右に入れない事だ。


 アクセルから手を離して右側に攻撃する事も練習しなければいけない。


 刀をスムーズに持ち換えながら攻防をこなす、威力が必要なら両手で刀を振るう。


 バイクそのものへの攻撃をマリアの防御呪文で防ぐ――今回のレースでは乗り物への攻撃も認められていた。


 相手の後ろに付けば攻撃はしやすいが先にゴールされる可能性が出てくる。


 一筋縄ではいかなそうだった。


 *   *   *


 戦い以外にもすることが有った。


 君主国の魔導科学の技術者達が静香のバイクに興味を示したのだ。


 彼等は静香のバイクを分解し徹底的に調べた。


 静香にしてもバイクが故障した時、部品の交換が必要なら彼等に作ってもらう為に協力を惜しまなかった。


 バイクがねじ一本に至るまで分解され調査と複製を作る為の検分を受けた。


 技術者達が特に興味を示したのはエンジンの構造だ。


 燃料のガソリンを燃やして内燃機関を動かすという彼等には異質の発想が――君主国の魔導科学の殆んどの乗り物は魔力を宿した水晶を――魔晶石と呼ばれていた――を動力として駆動するものだった――飛空艇や羽ばたき飛行機械もそうだった――彼等の技術者としての魂を刺激した。


 強化プラスチックや電装系、ライトの点灯原理も彼等の興味を引いた現代技術の一つだった。


 一番彼らが驚いたのは静香からバイクの実質価格を聞いた時だった。


 複製を作ることは出来たが、日本で売られている価格で作る事は到底不可能だったからだ。


 単純作業として多数の部品を作り、組み立てて大量生産するという大規模工業化のシステムは魔都マギスパイトにも無かった。


 システムを造れない事は無いが、需要が無い。


 人口も現実世界より遥かに少ないこの世界で、大量生産大量消費の文化は有り得ない。


 その代わり惑星的規模の環境破壊の度合いはずっと現実世界よりマシだった。


 また、君主国に限らず魔法の品は同じように作っても全く同一の物が作れない。


 どの魔法の品にもその品にしかない特徴が出来る。


 特に魔法の品が強力になる程その傾向が強くなった。


 魔法そのものですら、同じ呪文を唱えても術者の僅かな精神状態の違いで威力が変わってくる。


 魔導科学でも錬金術でも全く同じ魔法の品物を作る事は至難の業だった。


 魔法のこのような特性がこの世界の工業技術の発展を遅らせていた。


 地域差も大きかった。


 現実世界のルネサンス期位にまで発展している国も有れば、中世初期の様な文化の国も有る。


 暗黒時代と呼ぶにふさわしい悲惨な地方も有った。

 

 *   *   *


 いよいよナグサジュとの対戦の日が来た。


 静香は“深緋の稲妻”の鎧を着けてバイクにまたがる。


 マリアも完全武装してバイクのタンデムシートにまたがった。


 静香は兜は被っていなかった。


 魔法による防御の力場を張る環輪サークレットを額に被っていたのだ。


 深緋スカーレット稲妻ライトニングの装備の一つだった


 マリアもほぼ同様の魔法の環輪サークレットを被っている。


 普通の兜を被るより視界が遮られず、防御力も最高クラスの魔法の兜に匹敵する。


 二人そろってバイクから転倒したとしても、充分に頭は保護できるはずだ。


 ナグサジュも普段の装備――白い全身鎧以外の装備を身に付けていた。


 ウィングドブーツと呼ばれる、身体を10センチ程浮かせて地表を高速移動できる魔道具だった。


 パワーを除けば速さも加速も静香のバイクにもそう見劣りしない。


 地面に接触していないという点と、さらに小回りという点ではむしろナグサジュに分があった。



 2人を乗せた1台のバイクと1人の男がスタートラインに並ぶ。


 MT-25の排気音が高まる度に観客がどよめく。


 「用意!」審判が旗を構える。


 静香は抜刀せずにスタートに全神経を集中していた。


 「始め!」旗が振り下ろされた。


 バイクが蹴飛ばされたように前に出る。


 静香達は一車長ほどリードした。


 ナグサジュが追いすがってくる。


 パワーで優るMT-25が直線では早い。


 しかし引き離すまではいかない。


 静香はバックミラーでナグサジュが迫ってくるのを見る。


 もう少しで最初のカーブだ。


 ナグサジュも速度を上げるのに精一杯で攻撃してこない。


 カーブに入った所でナグサジュが内側に入ろうとしてくる。


 バイクを左に傾ける、アクセルを緩めるだけでブレーキは掛けない。


 ナグサジュが視界に入ってきた。静香は“神殺し”を抜刀しようとする。


 ナグサジュが内側にくる。


 “先輩――来ます!”マリアの念話テレパシーが伝わる。


 バイクの排気音や風切り音の中で細かいやり取りをするには念話テレパシーの方が良かった。


 魔力を乗せた右拳の一撃がくる。


 マリアが防御の結界を張った。


 ズシンという衝撃がきた。


 車体にダメージこそないが、静香は一瞬バランスを失いかけた。


 危うい所で態勢を立て直す。


 その隙を突いて、ナグサジュが一気に加速する。


 ジリジリと間があけられていく。


 静香は直線に入るのを待って“神殺し”を抜いた。


 “神殺し”の力である刀気の光の刃をアクセルを吹かし距離を詰めながらナグサジュへと飛ばす。


 ナグサジュは後ろに目でも有るかの様に飛んできた光刃を上半身だけで躱す。


 “マリア――ナグサジュの足を狙って!”静香が念話テレパシーで指示する。


 6~7車長程距離が開いている。


 バイクの後席に乗ったマリアが魔法の矢に貫通の魔力を上乗せして呪文を唱える。


 魔術杖スタッフを体勢を崩さないよう小さく動かしながら、精一杯魔力を込める。


 ナグサジュが次のカーブに入る前に魔法を放った。


 魔法の矢がナグサジュの左脚に命中する――しかし魔法防御の結界に阻まれた。


 ナグサジュはバランスを崩す事も無く次のカーブに入る。


 直線でも一気に距離を詰めれない――。


 静香は冷静にカーブでのアクセルを調整する。


 後席のマリアは静香にしがみつき身体を左へと倒す。


 ナグサジュとの距離を何とか保つ。


 まずは追いつく事だ――静香もマリアも1周目の終わりの直線で追い上げるつもりだった。


 直線に入って静香はアクセルを全開にする。


 少しずつ距離が縮まっていく。


 次のカーブに入る前に静香は何とかナグサジュとの距離を3~4車長半まで縮めることが出来た。


 カーブでアクセルを若干緩める――距離を開けられない様細心の注意を払って。


 2周目以降間合いを詰めるペースが落ちた。


 5周目が終わる迄にもう少しで攻撃可能になる所まで距離を詰めた。


 ナグサジュはウィングドブーツを着けてのレース競技にも出場し何度も優勝していた――闘うだけでなく走りでもトップクラスの選手だ。


 試合が大きく動いたのは最終周の一つ前、9周目だった。


 開始位置の対称側の直線部分で静香とマリアは遂に攻撃範囲内にナグサジュを捉えた。


 静香は左で抜刀していた“神殺し”で、マリアも魔力を魔術杖スタッフに乗せてカーブの内側を周るナグサジュを攻撃しようとした。


 二人同時の攻撃なら――静香とマリアは少なくとも優位に立てると踏んだ。


 しかしナグサジュはほんの僅かの隙を見逃さなかった。


 攻撃が当たる直前に減速してするりと体を捌き静香達の後ろに回った。


 “マリア――防御をお願い”


 “大丈夫です――任せて下さい”


 直線なら――防御をマリアに任せ、静香は突っ走る――ナグサジュとの距離を一気に開けようとした。


 しかし、ナグサジュはピタリと後ろに付いて距離を離せない。


 スリップストリームだ――静香は己の迂闊さを呪った。


 ナグサジュは前を行く静香達を風除けに――空気抵抗を諸に浴びる静香達を盾に力を温存し――土壇場で抜き去るつもりだ。


 それなら――静香は少しずつ速度を相手に気付かれない様に落とす。


 抜きに来るところを攻撃する。


 最期の一周で勝負をかけてくる筈だ。


 “マリア――いいわね”


 “はい!”


 10周目――最後の一周に入る――まだナグサジュは抜き去りにこない。


 減速してこちらから仕掛けるか――?


 いや――相手もそれを待っているかも――静香は仕掛けない。


 最初のカーブでもナグサジュは動かなかった。


 ギリギリまでスリップストリームを使うつもり――?


 ナグサジュは恐らく“神殺し”の攻撃範囲の狭い右側から抜きに来るだろう。


 マリアに見張ってもらう――虚をついて左の可能性も有るからだ。


 直線に入っても抜き去りにはこなかった。


 最後のカーブで静香は故意に内側――左側を少し開けた。


 人一人がギリギリ通れるくらいだ。


 アクセルを少し緩めて減速しプレッシャーをかける。


 この誘いに乗って内側にナグサジュがくれば――


 果たしてカーブ半ばでナグサジュは内側に入り込んだ。


 加速して静香達を抜きに来る。


 “マリア!”


 “分かってます!”マリアは頷くと無詠唱で拳大の石の塊をナグサジュに放った。


 同時に静香は“神殺し”に金色の刀気を纏わせナグサジュに左手一本で切り付ける。


 ナグサジュは右腕で静香の攻撃を真っ向から受け止めた。


 マリアは足元目掛け魔法を放ったのだが、ナグサジュの体勢を崩すことが出来ない。


 静香は二合、三合と打ち合うがナグサジュの防御ガードを破れない。


 “神殺し”には乗せられるだけの刀気を乗せているのに――ナグサジュの防御結界はまるで破れる様子が無い。


 追い抜かれない様にするのが精一杯だ。


 カーブが終わり、最後の直線――ゴールまで数百メートル。


 防御に徹していたナグサジュが攻撃に転ずる。


 静香とマリアは二人がかりでナグサジュの攻撃を捌く。


 凄まじい連打だった。


 加速して離れる隙が無い。


 捌き切れない攻撃が何発か――魔法障壁で何とか相殺される。


 観客の歓声もまるで聞こえなかった。


 静香は一旦距離を取りたかったが、離れ際を狙われたらかえって危険だと判断した。


 打ち合いながら隙が出来るのを待つしかない――。


 転移の魔法を唱えることは禁止されていた。


 押されている――ゴールまでしのぎ切れるか――ジュラールの指輪も既に使っているのに――静香とマリアに焦りが生まれる。


 静香は一瞬の隙を突かれた。


 前からの刀の切り下げを躱される――殆んど同時にナグサジュの右の一撃が静香の脇腹に決まった。


 「先輩!」マリアが叫ぶ。


 一瞬息が詰まった静香はアクセルを緩めてしまう。


 その隙にナグサジュが加速した。


 マリアの魔術杖の一撃も躱される。


 呼吸を整えてアクセルを戻した時、一車長程の差でナグサジュがゴールした。


 直後に静香とマリアを乗せたMT-25がゴールを駆け抜ける。


 ――負けた――僅かな差だったが、打ち合いで負けた為に勝負に負けた。


 観客の声援がようやく聞こえた。


 負けた悔しさは無かった。


 気持ちの良い勝負だったからだ。


 ナグサジュが身体をひねって停止する。


 静香もブレーキをかけて停車した。


 エンジンはかかったままだ。


 ナグサジュが近づいてくる。


 静香とマリアはバイクのスタンドを立てると、バイクから降りた。


 ナグサジュは兜を脱ぐと右手を差し出してきた。


 赤褐色の肌、金属光沢の有る銀髪を後ろに撫で付けた長髪。


 静香よりも頭一つ程背が高い。


 「流石アリオーシュと戦うと言うだけは有る。いい勝負だった」


 静香とマリアは順にナグサジュと握手する。


 「私達の負けよ――流石に闘技場コロシアムのグランドチャンピオンね」


 「異世界の機械――侮れなかった。それにここまでその機械を使いこなすお前達の腕も」


 「貴方のウィングドブーツもです。チャンピオン」敬意のこもった声でマリアが言った。


 「もつれる展開だった。最初で勝負がつくと思ったが予想は外れた」ナグサジュは笑った。


 「ホークウィンド卿といい、治癒術士アリーナといい、お前達には驚かされてばかりだ」


 「次が有ったら俺が負けるかもしれない。良い経験になった」


 審判役がナグサジュの勝利を告げる。


 観客から歓声が沸き上がった。


 この経験が後に活きる事になるとは静香もマリアもまだ知らない。

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