アレトゥーサ

 魔導帝アビゲイルの死は魔都マギスパイトに衝撃を与えた。


 死の王ウールムが出現した事もマギスパイトの市民達を驚かせた。


 邪神ガタノトーアに立ち向かった近衛戦方士676名の内、157名が犠牲になった。


 マリアと静香達はアビゲイルの国葬の日までマギスパイトに留まる事になった。


 マリア達が来なければガタノトーアも召喚される事は無かったと言う声も聞こえたが、多数ではなかった。


 死の王が現われた事で、あの事件は運命だったのだという見方がマギスパイト中を席巻したのだ。


 二柱の神の顕現は魔都に黙示録的世界の到来を告げる様に市民には思われた。


 混沌界最強の女神アリオーシュを倒さなければ世界は滅ぶ。


 その認識はフェングラース以外の国でも共通のものとなりつつあった。


 *   *   *


 「活躍だったわね」魔導専制君主国フェングラースの三十六魔導士の一人にしてマリアと静香の血を吸った古吸血鬼エルダーヴァンパイア、アレトゥーサがくすくすと笑いながら言う。


 「貴女も戦っていたじゃない」警戒心を隠さずに静香が言う。


 マリア達の寝室としてあてがわれた部屋だ。


 アレトゥーサは志願して侍女役として二人に付いたのだが、楽しんでやっているのは間違いなかった。


 蒸すような夜だったが空調が効いて外の暑さは入ってこない。


 「死の王ウールムを見た時は私も終わりかと思ったけど」


 「死神が不死者アンデッドを赦すなんて思わないです。普通」マリアも怒った様に言う。


 血を吸われた時の事を思い出しかけて二人に恥辱の感情が蘇る。


 ――ホークウィンドが落ち着いてくれたと思ったら今度は吸血鬼――つくづく女難――


 私達はお互いがいれば十分なのに。


 「貴女達の――もう一度飲みたいわ」


 「冗談は止めて」静香が殆んど叫ぶように言った。


 「私は本気よ」アレトゥーサがずいと静香にのしかかる――アレトゥーサは静香よりも5、6センチは身長が高かった――静香に負けない黒髪が流れた。


 アレトゥーサがそのまま静香に近づこうとした時、彼女の背中に電流の様な軽い痛みが走った。


 「それ以上は駄目です」


 「先輩から離れないと、このまま不死者破壊ターンアンデッドの呪文を唱えますよ」マリアが嫉妬にも似た怒りを交えて言った。


 「貴女にできて?」アレトゥーサが挑発する様に言う。


 マリアは頭に血が上るのを感じた。


 「ふざけないで下さい!」


 魔力を強めようとした時、不意に相手がいなくなった。


 アレトゥーサの姿が消えた――いや、薄くなった。


 霧状化した――マリアは気付くのが遅れた。


 マリアは相手を麻痺させる程度で呪文を放とうとしたのだが、アレトゥーサは霧と化して呪文を躱したのだ。


 再度人の形を取り始めるアレトゥーサを静香が“神殺し”で切り付ける。


 アレトゥーサは左手の人差し指一本で刃を止めた。


 魔力を集中させているのか、金色の光が煌めいた。


 「本気になりなさい」アレトゥーサが誘う。


 邪神、亜神と言えど神を殺す刃が止められるなんて――殺すつもりでは無かったとはいえ静香は驚愕を隠せなかった。


 マリアは拘束の呪文を唱え始める。


 静香もそれに合わせて斬撃をかけた。


 二度、三度、ことごとく指一本で攻撃が止められる。


 マリアが呪文を放とうとした時、アレトゥーサの瞳はマリアの瞳を覗き込んだ。

 刺すような視線がマリアの口を封じる。


 解呪ディスペルの魔法を詠唱無しで唱えようとするがアレトゥーサの圧が強くて上手く呪文を構成できない。


 静香は背後に回って峰打ちでアレトゥーサに切り付けようとした。


 アレトゥーサの視線はマリアに向いている。


 ――取った――静香がそう思った時腹部にチクリとした感触があった。


 アレトゥーサの爪が伸びて静香に刺さっていたのだ――静香もマリアも鎧ではなく寝間着姿だった。


 身体が重くなって痺れ始める。


 「私の勝ちね」アレトゥーサが勝ち誇った様に言う。


 マリアもアレトゥーサの視線で動けない。


 ――もう駄目――マリアと静香は覚悟を決めた。


 ――また血を吸われる――


 だが、救いは意外な所から現われた。


 シェイラとホークウィンドが部屋に入って来たのだ。


 「マリアちゃん!静香君!」


 「これはどういう事――アレトゥーサ」シェイラも穏やかではない様子だ。


 「何って、血を吸わせてって頼んだだけよ」アレトゥーサは臆面も無く言った。


 「頼んだにしては派手な立ち回りに見えたけど」とシェイラ。


 マリアはアレトゥーサの視線から逃れてようやく自由を取り戻した。


 急いで静香に解毒の魔法を掛ける。


 「キミは本能に忠実過ぎじゃない?」ホークウィンドが呆れた様に言う。


 「貴女がそれを言うの?ホークウィンド卿」アレトゥーサも負けずに言い返す。


 「邪な感情を抱いてるのは貴女も同じでしょ」


 シェイラが咎めるようにホークウィンドを睨み、ホークウィンドはあははと苦笑いを返すしかなかった。


 「それはそうだけどボクは血を吸う訳じゃないからね」


 「血を吸うから悪だなんて酷い偏見ね。私達にとっては必要な食事よ」


 「それとも貴女の血を飲ませてくれるとでも言うの?」


 「ボクの血を飲めば満足するの?」


 シェイラが増々渋い顔になる。


 「考えてあげても良いわ」


 アレトゥーサは真剣な顔になった。


 「でも、真面目な話。様々な血を吸わないと欲求不満になるのは事実よ」


 「貴女達だって毎食同じ食事では生きていけないでしょう」


 「もちろん私には血を飲ませてくれる配下がいる――だけどこういう時しか飲めない血というのは私たち吸血鬼ヴァンパイアには年代物の高級なワインのようなものよ。飲めるうちに飲もうというのは当たり前じゃなくて」


 「相手が嫌だと言っても?」


 「それは相手次第ね」アレトゥーサが笑う。


 「催眠をかけて血を吸っても良いんだけど、真理愛と静香は可愛いからつい虐めたくなっちゃうのよ」


 「力尽くで屈服させた相手の血を飲む快感は分かって貰えないかもしれないわね」


 「ボク達4人を相手にしても同じことを言える?」


 「流石に厳しいわね――今日の所は見逃してあげる」


 「ところでどうして貴女達がこの部屋に来たの?」アレトゥーサが逆に尋ねる。


 「そうそう、マリアちゃんと静香ちゃんと一緒にお風呂に入らないか誘いに来たんだよ」ホークウィンドがようやく思い出したといった感じで言う。


 マリアと静香は援軍が現れて助かった事でへなへなと力が抜けてしまっていた。


 ホークウィンドもシェイラのいる前ではおかしなことはしないだろう。


 しかしアレトゥーサの次の一言でマリアと静香のそんな安心感は吹き飛んでしまった。


 「なら私もついていくわ」


 「ちょっと――待って。アレトゥーサ、貴女がついてくるの?」


 「何がいけないの――それに侍女役としてお世話をすべき客人から離れるわけにはいきません」アレトゥーサはきっぱりと言った。


 どうやっても退きそうにない。


 「“神殺し”は帯刀させてもらうわよ」静香はようやくの事で諦めた様に言葉を発した。


 今の静香の力では“神殺し”が有ってもアレトゥーサには敵わないかもしれないが、帯刀しないと不安で仕方ない。


 魔導帝の居城――魔都マギスパイトで一番高い塔の浴場はマリア達の寝室から転移の魔法陣で飛べばそう遠くはない所に有った。


 先に浴場に行っていたアリーナと合流した5人――マリア、静香、ホークウィンド、シェイラ、そしてアレトゥーサは落ち着かない入浴を済ませる事になったのだった。


 ラベンダーやバラ、その他の花や果物の精油から作られた石鹸で身体と髪を洗う。


 値段こそそこそこしたが香りの付いた石鹸はマギスパイト以外でも売っていた。


 この世界の女性達はそうした石鹸を使う者が多かった。


 現代日本でも十分に商品として通用するレベル――或いはそれ以上の品だ。


 ところが、いざ身体を洗おうという所で問題が起こった。


 アレトゥーサがマリアと静香の髪と身体を洗うと言ってきかなかったのだ。


 結局アレトゥーサがマリアを洗う時は静香が、静香を洗う時はマリアが見張る事で妥協せざるを得なかった。


 ホークウィンド達もアレトゥーサを見張ってくれる事になった。


 アレトゥーサは「信頼されてないのね」と文句を言ったが静香に「自業自得でしょ」と反論された。


 「残念だわ」とそう言いながらアレトゥーサはそれでも婉然とした手付きで二人の身体を洗うのだった。


 マリアも静香も意識せざるを得ない。


 アレトゥーサはそれと知ってか故意にか二人の敏感な所をなぶるように洗った。


 「――いい加減に――」マリアが声を必死に抑えている様子に静香は思わず声を上げた。


 胸元がざわつく様な、目まいの様な、胃が喉元までせりあがってくるような感覚が有った。


 年頃の少女が性を意識させられて身体を触られているのだ――こんな反応をするのも無理は無い――それは分かっていても、マリアは静香の恋人だった。


 血を吸われた時の感覚を思い出し、アレトゥーサとマリア両方への――この感情を嫉妬とは呼びたくなかった――怒りにも似た感情が押し寄せる。


 アレトゥーサはそんな静香の態度も楽しんでいる。


 それが増々気に障った。


 良いようにあしらわれている――


 自分の番になった時、嫌でもアレトゥーサを意識させられるだろう――その時はマリアも嫉妬するのではないだろうか。


 静香は刀を抜きたいという気持ちを何とか抑えて、アレトゥーサの返事を待った。


 「嫉妬?」


 笑いを含んだアレトゥーサの台詞はまともに静香の神経を逆なでした。


 「――ッツ!」


 「良い反応ね」アレトゥーサの笑みが深くなる。


 「分かりやすくて素直な子は好きよ」


 「――それはどういたしまして――」一息ついて静香はかろうじて平静を――心はざわざわしたままだったが――取り戻した。


 静香は今の状況を変える方法を探したが、いい案は見つからなかった。


 マリアが半死半生といった体で解放される。


 マリアは静香に抱きついた。


 その顔は静香が見てもドキッとさせられるほど艶めいていた。


 「マリア、大丈夫――?」


 「――大丈夫です――先輩――」マリアは顔も身体中も真っ赤にし息も絶え絶えと言った感じだった。


 「貴女の番ですよ、静香様――覚悟は良い?」アレトゥーサが嬉々として言う。


 マリアへの仕打ちを止められなかった自分に拒否権が有るはずもない。


 静香は胸元に下げたロザリオに手をやって神に祈った。


 ――せめて、せめて心までは屈服させられませんように――


 過去に一度血を吸われたせいか、立ち向かおうという気力を呼び起こせない。


 エレオナアル達に強姦されかかった時ですら今よりも遥かに闘争心が有った。


 マリアにアレトゥーサを見張ってもらう事も無理そうだ。


 「――良いわ」静香は覚悟を決めてアレトゥーサの前に座った――。


 ――結局の所、“神殺し”を抜くことも出来ず静香はマリアと同じ目にあわされたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る