死の王

 マリアと静香がウールムに出会ったのは邪神ガタノトーアを倒した地下空洞だった。


  二人は一角馬ユニコーンから降りて、生き残った戦方士バトリザード達を探していたのだ。


 白い法衣ローブを着た背の高い人影――最初に気付いたのはマリアだった。


 見慣れない姿だが、何処か重苦しく、何処か心惹かれる様な人影だった。


 「先ぱ――」マリアが声を掛けるのと同時に“神殺し”が唸るような低い金属音を発した。


 静香も人影に気付いた。


 暗がりの中でも純白の衣と雪白の長髪が見て取れた。


 静香が邪神に止めを刺した、正にその場所に立っている。


 戦方士バトリザードやフェングラースの魔術師の法衣ローブではない。 


 「貴方、誰――?」静香が人影に呼びかける。


 マリアと静香はハッとした。


 男――振り返った人影の肌は墨の様な――或いは黒玉の様な真っ黒だったのだ。


 瞳はあらゆる色を湛え虚無の涙を湛えた――突き通すような色の無い瞳。


 それ程の眼力にも拘らず、何処かめしいの雰囲気を感じさせた。


 「私が視えるのか」瞳同様虚無を湛えた深い声が応えを返す。


 男の外見も声も圧倒的な美しさだ。


 マリアと静香は恐怖を感じた――目の前の男そのものにでなく、その佇まいに――ありふれているのに非日常――夜の最奥に感じる絶望の様な、避けようが無い恐怖だった。


 神殺しが反応したという事は、この男も神なのか――静香が思うと男が答えた。


 「お前達人間には私は<死>と呼ばれている」


 マリアと静香は男の発するオーラに圧倒されていた。


 真の神とはこういう者なのか。


 静香は抜刀する事すら出来なかった。


 マリアも只立ち尽くすだけだ。


 「ガタノトーアを倒したのはお前達だな」


 死の王ウールムは掌を開いた。


 小さな光がそこにあった。


 ガタノトーアの魂だ――二人には分かった。


 ウールムが言う「ガタノトーアはこの世界では死んだ」


 「この世界では――?」マリアが何とか言葉を発した。


 「そうだ。お前の思った通り、他の次元ではこの神が生きている世界も有る」


 ウールムが言葉を継ぐ「私は幻想だ――お前達のいた世界もこの世も全てが幻想なのと同様に」


 マリアと静香には信じられない事だった。


 死や世界が幻想などという事が有り得るのだろうか。


 「現実そのものに感じられなければ世界が創造された意味が無くなるのだ」


 <死>は言った。


 「究極の現実には死も苦しみも無い」


 「だが、それでは魂は成長できない」


 <死>の言葉は続く。


 「お前達同様多くの者が、神がなぜ完璧な愛であるなら死や戦争、疫病、飢餓を作ったのかと疑問を叫んできた」


 「神は世界を完全づくめにして人間が愛を立証する余地を無くしたりはしない」


 「神は人間を創った。残りは神が与えた力によって人間が創造したのだ」


 「神の意志は人間が自分の意志を持ち、話し、行動し、その結果を体験し、新たな自分になる事だ。お前達の考えている事は神の考えている事だ。神は自分の意志を人間に――あらゆる存在に――押し付ける事はしない」

 

 「貴方が現実でないなら、何故ここに存在するの?」静香が問う。


 「人間が私を呼んだからだ。死後の世界では誰もが安らぎを得る――人が眠りを欲する様に魂は私を欲する」


 「私を神の農夫と言う者もいる、成長した魂を収穫する。それも正しい。私――<死>は他の災厄同様人間が造り出したものだ――それは事実だ。だが、ある一瞬が終わり、次の瞬間がやって来るその循環を死と生と呼ぶなら、その意味で私は実在する」


 「世界には何一つ同じものは無い。人は過去の自分ですらない。一瞬一瞬に新しく自分を創造しているのだ。過去の自分を葬り去り未来の自分を造る」


 「私は常にあらゆる所に居る。だが私を見る事が出来る者は少ない」


 “神殺し”が反応した時を思い出し、静香は一瞬、<死>を殺したいという衝動に駆られた。


 死が無くなれば、人は幸せになれる――そんな思いに駆られたのだ。


 “神殺し”なら死の王を倒せるかもしれない――エレオナアル達の言葉だった。


 動悸が激しくなる。


 この気持ちは自分のものでは無い――“神殺し”の欲求だと静香は思おうとした。


 確かに“神殺し”の欲求も有るが、死神を殺すという大それた事を成し遂げるという、英雄願望、目の前の男を殺したいという欲求が確かに静香にも有った。


 “神殺し”が<死>を貫く様がよぎる。


 刀に手が伸びる。


 しかしマリアの手が伸びてきて、それを止めた。


 「いけません。先輩」


 マリアは静香の目を見た。


 「<死>が存在しない世界――どれだけ老いても死ねず、想像以上の苦痛に遭っても逃れられない。どれだけ飢えても、どれだけ乾いても安らぎを得られない。

終わりなく続く拷問や脱出できない生き埋めに遭ったり――際限の無い苦痛に人が晒し続けられる世界――それこそ地獄じゃないですか」


 「マリア、でも――」静香は抗弁しかけた。


 「死が有るから、生も有るはずです」


 マリアの目は真剣だった。


 「死は残酷です――でも永遠にこの世に縛られる方がもっと残酷です」


 静香とマリアは<死>を見た。


 死の王ウールムの瞳にはかつて魔都の闘技場コロシアムで見た、アトゥームと同じ色が有った。


 類は友を呼ぶ――二人は数え切れない最期を見届けてきた、その意味で同類なのだろう。


 同じ悲しみを背負った者だからアトゥームを死神の騎士に任じたのだ。


 「私を殺さないのか?“神殺し”の主よ」<死>は穏やかに言った。


 「殺したい気持ちが無いと言えば嘘になるわ」


 「貴方を殺す事で、人間が恐怖から解放されるなら」


 自分の言葉に静香の心はざわめいた。


 必死にその気持ちを抑える。


 男に興味は無い。


 人を縛るものを取り除きたいだけだ。


 マリアはこの気持ちを誤解して嫉妬しているのだろうか――静香は思った。


 いや、それは無い――マリアはそんな事はしない。


 恋人の心が分からないほど鈍くは無いつもりだった。


 マリアは本気で死の有る人生を肯定しているのだ。


 静香は息をついて、自分を抑えた。


 死神は世界を破壊する魔王とは違う。


 “神殺し”から手を下ろす。


 「私は貴方を殺さない――貴方が人間を滅ぼすなどと言わない限りは」


 「人を滅ぼすのは人自身だ」死の王は淡々と言った「人類の大多数が自らを滅ぼすと決断しない限りそうはならない」


 「人間はともかく貴方は何故混沌の神々やアンデッド達を許せるのですか?――貴方からすれば自分の存在を問われかねない、死の定義が揺らぎかねない相手だと思うんですけど」マリアが問うた。


 「私は何者も敵とはしない」<死>が答える。


 「全ての魂はいずれ我が元へとやって来る、早いか遅いかにすぎない」


 「同様に私は死神の騎士にも命令は下さない。人がより良い方向に向かう限り――悪い方向に向かう時には語り掛ける、それ以上の介入はしない。お前達の信じる神がそうであるように」


 「“神殺し”は唯一神を殺せるの?」静香が恐る恐る尋ねる。


 「ある意味では殺せる。だが世界も同時に滅ぶだろう。全ては神であり、神でないものは存在しないから。神は宇宙の何処かから全てを操る存在ではない。お前達もその他の者も神と一体なのだ。“神殺し”は幻想に過ぎないこの世を破壊することは出来ても本質的には神を殺すことは出来ない。究極の現実では全ての存在は永遠だ。神は傷ついたり破壊されたりする事はない。同様にお前達も破壊されたりはしない」


 「私には信じられないです――そうなら良いとは思いますが、自分が神だなんてそんな事――」マリアは納得のいかない様子だった。


 「それにこの世が幻想なら、世界はどうなっても良い、何もしなくても良いって事になりませんか」


 「夢だから悪夢であっても構わないとお前は言わないだろう。七瀬真理愛よ」


 「幻想を通じて真実に至ったなら、幻想も無意味ではない」


 「お前達がこの世界に呼ばれたのもそれを知る為だ」


 「混沌の女神アリオーシュだけがお前達を呼んだ訳では無い。この世界そのもの、そこに暮らす人々、全てがお前達を呼んだ――そしてお前達もそれに応えてこの世界に来たのだ」


 「私達もこの世界に来ることを望んだっていう事?」静香が尋ねた。


 「アリオーシュとお前達の両方が望んだ事だ」


 「そうは思えないわ。向こうはそう望んだのかも知れないけど、私達はこの世界の事を知ってもいなかった」


 「それに私達はアリオーシュを倒さなければいけない――ガタノトーアとアリオーシュではどちらが強いの?」


 「アリオーシュの方が遥かに強い。全ての面でという訳では無いが」


 「ジュラールさんはアリオーシュの真実を知ってと言いました。彼女も犠牲者です――彼女の魂を救うにはどうすれば――」


 「お前は彼女を救いたいと思うのだな」


 「はい」マリアは頷いた。


 <死>はマリアの瞳を直視した。


 マリアの脳内にアリオーシュと戦う自分達の姿が映る――もう少しでアリオーシュを倒せる――その傍らに戦いを見守る猫――そこで映像は途切れた。


 「今明かせるのはここまでだ。だが、お前の決意は彼女とお前達を救うはずだ」


 少しの沈黙が有った。


 「死神の騎士を私の元へ」<死>が言った。


 「アトゥーム、こちらへ来て」静香が大声で呼ばわった。


 「貴方に会いたいという人がいるの」


 アトゥームが愛馬“スノウウィンド”に乗って近づいてくる。


 “ホワイトミンクス”もホークウィンド達も一緒だ。


 ゾラス達もやって来た。


 副帝ゾラスとそのしもべ達は<死>を見かけると慌てたように膝を着いて礼をした。


 「最強の神よ。我らが都への行幸、誠に恐れ入ります。出来るなら慈悲の心を抱いて、やむを得ないなら我らに裁きを」


 「私はいかなる者にも裁きは下さない。支配する事も無い。お前達の歩みを邪魔する事も」


 愛馬から降りたアトゥームは言葉を失った様だった。


 ただ<死>を見つめている。


 生まれた時もアトゥームは<死>を目撃していた。


 長い戦場暮らしでもそれ以降<死>を見る事は無かった。


 身近な存在でありながら人の形を取った死を見るのは数えてやっと二度目の体験だ。


 記憶の底に沈んでいた<死>の姿はアトゥームに当時の混乱と虚無を思い出させた。


 死の王ウールムが語り掛ける。


 「我が騎士よ。お前の背負った運命は厳しい。だが救いは有る。お前は死神の騎士としてある神を救い、それによって安らぎを得て自らの望みを達成するだろう」


 「それは、いつになる?」ようやくの事でアトゥームは言葉を発した。 


 「お前が思うよりは長い――忍耐の要る事だ」


 アトゥームはウールムの目を見た。


 アトゥームは<死>の言いたい事を理解した。


 幻聴が嘘のように治まる。


 「俺が生き残った事にも意味は有るんだな」


 「そうだ」


 「お前を救って亡くなっていった者もお前に救われていた」


 「お前には無念な死に思えても、死んだ者にとっては違う」


 「運命を呪う必要は無い。時が来れば全てが神のわざだったと理解できるだろう」


 「私を信じる必要も無い。誰にでも救いは訪れる、今はそれだけ知っていれば良い」


 死の王ウールムは周りを見渡して言った「ゾラス、そして澄川静香、七瀬真理愛、そしてこの場にいる者全てよ――ガタノトーアの脅威はこの世界から取り除かれた――お前達の決意と行動がその結果を呼んだ。犠牲となった者も、私が責任を持って安らぎの地へ送る。お前達の望みが叶う事を私も願っている」


 「神は常に人と共にある。それを忘れるな」


 <死>はそれだけ言うと唐突に姿を消した――まるで最初から居なかったかのように。


 ――後には静寂だけが残った。

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