邪神討伐、そして

 マリアと静香は対石化魔法の掛かった少し暗くなった視野に、邪神ガタノトーアの巨体が闘技場コロシアムに地響きを立てて落ちるのを見た。


 二人は一角馬ユニコーン“ホワイトミンクス”に騎乗して、魔法の明かりで照らし出された邪神がのたうつ中、副帝ゾラスが攻撃開始の命令を下すのを待っていた。


 念話テレパシーで指揮しながら隊列を組んで攻撃する。


 “神殺し”が対ガタノトーア戦で重要になるという事は皆が認識していた。


 静香達が邪神に止めを刺せるように転移魔法で飛ぶ態勢を取っている。


 前衛が魔法で防御を固めつつ魔剣や魔力を通常攻撃に乗せて攻撃し、後衛が攻撃魔法や防御、回復魔法で援護する。


 その時“神殺し”が金属音を発した――静香は抜刀した状態で目を閉じる。


 “神殺し”は邪神の弱点を教えようとしている――静香はそう直感した。


 邪神の中心に赤く小さく光る塊――心臓の様にも見えた――を目視し、ハッとする。


 「マリア、私に感覚共有の魔法を掛けて。出来るだけ多くの戦方士バトリザードやゾラス達と私の感覚を繋いで!」


 「先輩?」


 「視えるの――邪神の急所が――」


 “私と陛下と繋ぐだけで良い”ゾラスが念話テレパシーで答えた。


 “後の戦方士バトリザード達とはこちらが中継する”


 マリアは魔法を掛ける。


 光は強かったがとても小さい。


 「前衛、掛かれ!」ゾラスの声と共に前衛を務める戦方士バトリザード達が転移魔法で跳ぶ。


 たちまちガタノトーアの触腕に数名が絡めとられる。


 後衛の魔法使い達が防御の魔法を前衛の戦方士バトリザード達に更に張った。


 前衛の攻撃で幾つもの触腕が切断された。


 ガタノトーアの弱点を攻撃すべく押し包むように攻撃する。


 だが、邪神の発する力場と触腕そして急所を包む肉体そのものが攻撃を阻む。


 触腕が再生するのを戦方士バトリザード達が呪文で阻止する。


 邪神は無際限に魔力を持っているのか――そう思わせる再生能力だった。


 “私達を前衛に!”静香が絶叫に近い念話テレパシーを送る。


 “まだだ”ゾラスが返答する。


 “今送っても致命打は与えられない”


 後衛の数十名の戦方士バトリザードが合唱するかの様に同じ呪文を唱えている。


 目標指示呪文――魔導兵器“サリシャガンの虎”を誘導すべく前衛がガタノトーアの動きを封じ、後衛が攻撃位置を指示すべく呪文詠唱を行っているのだ。


 魔都の空気が震え始める――魔導兵器が攻撃準備に入ったのだ。


 前衛が転移魔法で下がる。


 ほんの数瞬後、音も無く白熱する光がガタノトーアの中心で炸裂した。


 凄まじい怒りと恐怖の咆哮があがった。


 ガタノトーアの弱点を含む身体の大半が蒸発した。


 しかし、ほんの微かに急所の反応が残っていた。


 満身創痍のガタノトーアの姿が地面の下に消えた。


 “まずい――邪神は地下の大魔晶石に向かった”ゾラスが叫ぶ


 後衛の戦方士バトリザード達の呪文で全員が地下に跳ぶ。


 地下深く、マギスパイトの地下街の遥か下に有る魔都に魔力を供給する大魔晶石。


 邪神はそのエネルギーを吸って身体の再生を図るつもりなのだ。


 転移した静香達は地下の大空洞で淡い光を放つ水晶の様な石――数階建ての建物ほどの大きさが有った――に触腕の先に付いた口を付けようとしている邪神を見た。


 邪神は飛行能力は無いのか本体を地面に横たえ太い触腕のみを伸ばしている。


 “攻撃を頼む――”ゾラスが切迫した声で伝えてきた。


 前衛の戦方士バトリザード達と共に静香達も突進した。


 邪神の急所へと一気に間合いを詰め攻撃に移る。


 金色の光を放つ“神殺し”は邪神に触れた部分をことごとく蒸発させる。


 しかし、急所へも伸ばした触腕にも攻撃が当たらなかった。


 邪神は触腕と弱点の防御を集中している様だ。


 静香は伸びてきた触腕を叩き切る。


 後衛の戦方士バトリザード達が唱えた魔法の刃が水晶に伸びる触腕を襲った。


 しかし刃は触腕に当たる直前にかき消えた。


 触腕が水晶に付くまでもう少ししかない。


 “俺が行く”アトゥームが愛馬“スノウウィンド”に拍車をかけた。


 信じ難い事にスノウウィンドは何も無い空中を駆け上がっていく。


 前衛の戦方士バトリザード達も歩調を合わせるように飛んだ。


 邪神に再生のための魔力を供給させてはならない。


 その間に静香達が本体の急所へと道を切り開いていく。


 アトゥームは両手剣ツヴァイハンダーを横薙ぎに水晶に触れようとしていた触腕を切った。


 だが触腕を切断する事は出来なかった。


 二度、三度とアトゥームが切り付ける。


 深い傷がつくが、切断に至らない。


 攻撃に集中していたアトゥームは不覚を取った。


 スノウウィンドの下から伸びてきた触腕に気付かなかったのだ。


 最初に気付いたのは離れて見ていたアビゲイルだった。


 微かに光を反射するのたうつ暗緑色の触腕がアトゥームとスノウウィンドを襲う。


 「アトゥーム!」


 アビゲイルは転移魔法でアトゥームと触腕の間に跳んだ――自分を盾にする形で。


 アビゲイルは邪神の無数の触腕に身体を貫かれた。


 「アビゲイル!」アトゥームが水晶に触れた触腕を切断したのと殆んど同時だった。


 本体を攻撃していた静香は邪神の急所――細胞の核とも言える部分を“神殺し”で切り裂いた。


 邪神ガタノトーアの断末魔の咆哮が地下空洞全体を揺るがす。


 触腕の先からボロボロと邪神の身体が崩れ出した。


 塵が風に吹き飛ばされるかの様に身体が消えていく。


 咆哮と共に激しい魔風が吹きすさんだ。


 アトゥームは兜の面貌を上げ、両手剣ツヴァイハンダーが落ちるのも構わずアビゲイルを馬上に抱き上げた。


 アビゲイルの身体は石化し始めていた。


 「しっかりしろ。今治癒術士を――」


 「ア…トゥ…ム」魔導帝の声は弱弱しかった。


 治癒魔法の使い手が飛んでくる。


 アトゥームは兜を収納魔法――死神の騎士の装備に備わった力だ――で鎧に収めた。


 面貌を上げただけではアビゲイルをよく見れなかった。


 「……無駄…じゃ…」


 「馬鹿を――」アトゥームの口はアビゲイルの口でふさがれた。


 “我はもう助からぬ”優しい調子でアビゲイルは念話テレパシーで伝えた。


 “何の自由も無い。そんな生涯だったのじゃ。”


 “諦めるな”


 “どの道、我に残された時間は少なかった”


 “強力な魔力を身に宿す代償じゃ”


 治癒術士がアトゥームを見て首を横に振る。


 アトゥームの目が僅かに冷たさと苦しさを湛えた。


 別れの時に苦しまない為の自衛と、相反する仲間を失う事への心痛。


 矛盾する感情が虚無と化しつつある心をなぶる。

 

 アビゲイルはアトゥームの唇を離さなかった。


 “最後くらい我の思うままにさせて”


 “離さないで”アビゲイルは石化しかかった手でアトゥームを抱き締める。


 アトゥームは壊れものを触る様な手つきでアビゲイルの小さな身体を抱き返す。


 アトゥームの手に血が滴った。


 アビゲイルは微笑んだ。


 “皇族としてでなく一人の女として”


 “我を愛している――?”


 “……ああ……”最期まで言う間は無かった。


 アビゲイルは目を閉じていた。


 スノウウィンドが地面にゆっくりと降り立った。


 ゾラスや近衛戦方士達が集まってきた。


 アトゥームの腕の中で石化した魔導帝の身体が緩やかになった風に吹かれて消えていく。


 残ったミ=ゴウを戦方士バトリザード達が狩っていく。


 怪物の悲鳴が所々から聞こえてきた。


 「……アトゥームさん」マリアが声を掛けた。


 アトゥームは冷たく張り詰めた空気を漂わせていた。


 マリアの声に振り返る。


 「――貴方のせいじゃ、ありません」マリアは言い切った。


 アトゥームは無言だった。


 冷たい深藍色の瞳も、全ての感情を意思で押し殺した顔も、いつもと変わらない。

 手にはアビゲイルの首飾りが有った。


 副帝ゾラスも言った「アトゥーム卿。そなたは最善は尽くした。マギスパイト崩壊の危機は避けられた――アビゲイル陛下も本望だったろう」


 少しの沈黙の後。


 「慰めは要らない」アトゥームは虚ろに首飾りを見つめながら、自分とも他人ともつかない誰かに言い聞かせる様に言った。


 「……アトゥーム君……」黄金龍ゴールドドラゴンの姿をしたシェイラから降り立ったホークウィンドが言う。


 「最善は尽くした。結果がこれだ――」アトゥームは首飾りを額に押し付け、目を閉じた。


 三人の言葉は傭兵には届かなかった。


 「受け入れろと言うのか、こんな結末を」


 「あと何人失えばこの運命から逃れられる――」


 アトゥームの脳裏に小さな声が聞こえた。


 戦っている時のみ聞こえなくなる、あの声。


 始原の赤龍グラドノルグに救われて以来微かになってはいたが、統合失調症を発症して以来なじみの声だ。


 アビゲイルを目の前で失った事で神経の平衡を幾らか失ったのだろう。


 声は普段よりも大きかった。


 “……何をしても無駄だ……何をしても無駄だ……何をしても無駄だ……”


 “……お前の責任だ……お前の責任だ……お前の責任だ……”


 “……お前さえいなければ……お前さえいなければ……”


 “……皆死ななかった……皆死ななかった……”


 念話テレパシーではない。幻聴だ。アトゥームには分かっていた。


 「……止めろ……!」アトゥームは幻聴を無視しようとした。


 感覚共有の魔法はまだ効果が残っていた。


 マリアや静香が息を吞む。


 声には現実そのものの生々しさが有った。


 神の声と言われれば信じてしまいそうだ――そう呼ぶには内容が余りに否定的なものなのに。


 「アトゥーム――貴方」


 「そうだ」


 「俺が生き続ける限り逃れられない呪縛」


 「これが俺に課された呪いだ」


 アトゥームは落ち着いていた。


 まるで声が逆にアトゥームを落ち着かせたかの様に。


 “――愛してる――”去り逝くアビゲイルの最後の言葉だった。


 アトゥームの元に両手剣ツヴァイハンダーが戻ってきた。


 何故、俺を庇った。


 何故、俺も愛していると言ってやれなかった。


 ――アトゥームはただ自分を責めた。

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