邪神

 それはマリアと静香が戦場に出向こうと準備していた時に起こった。


 マギスパイト滞在最後の日となる筈だった。


 その日は朝から様子がおかしかった。


 マリアが呻く石像の夢を見たのだ。


 まるで人そのものが石と化したかのような生々しい石像だった。


 もっとおぞましいのは石像が悪夢に苛まれているかの如き呻き声を上げていた事だ。


 ガタノトーア……ガタノトーア……


 石像達は一様に同じ言葉を唱えていた。


 慈悲を求める様な、呪詛の様な、絶望を物語る声に聞こえた。


 石像の上を人ほどもある虫の様な生物が飛び回っていた。


 沢山の石像にその背後に揺らめく影――邪悪そのものの意思を感じる影だった。


 ウロコと皺に覆われた無定形の体に長い触腕とあちこちに付いたタコのそれそのものの目――同じく無定形の牙を生やした口から凄まじい咆哮が上がった――その邪悪な目にマリアは一斉に睨まれ――


 マリアは悲鳴を上げて目覚めた。


「マリア――!?」静香も驚いて目を覚ました。


 マリアはイコンを手で握り締めガタガタと震えている。


「どうしたの?」


「先輩――」マリアはようやく人心地ついたように言葉を発した。


「夢を――見たんです――」マリアは衝撃冷めやらぬといった感じだった。


「一体どんな夢だったの?」


 マリアは記憶共有の魔法を使って今見た夢を静香にも見せた――


 静香も気を吞まれた様だった。


「何なのこれ――夢にしては生々しすぎる――」


「ガタノトーア?」静香はどこかでこの言葉を聞いたような既視感を覚えた。


 そろそろ朝だった。


 その時、“神殺し”――静香の愛刀、桜花斬話頭光宗が甲高い金属音を発した。


 音が木霊する。


 マリアと静香にはそれが警告の様にも、武者震いの様にも聞こえた。


「只の夢じゃないかもしれないわ――ラウルに聞いてみましょう」


 朝食前の練武の時間、マリアはラウル達に夢を見せた。


「これは――」ラウルは驚いた様に言葉を発した。


「外宇宙から地球に飛来した邪神ガタノトーア。睨んだ人間を脳髄だけ生かして石化させる神。昆虫様の生物はミ=ゴウと呼ばれる異星生物だよ。でも遥か昔に眷族共々この星から飛ばされて太陽に落とされた筈」


「死ぬことも出来ず未来永劫炎に焼かれ続ける定めになった、今では知る人も少ない神」


 マリアと静香は夢で見たものが想像上のものではないと知って安堵と恐怖をこもごもに感じた。


「“神殺し”が反応したって言ってたね」ラウルが確認する。


「ガタノトーアに関して何かが起こるのかもしれない」


「ガタノトーアがこの世界に再臨するって事?」静香が尋ねた。


「恐らく無いとは思うけど――まだ何とも言えないね。少なくとも僕は何も予知してない。たまたまマリアさんがガタノトーアの意識と共振しただけかもしれない」


 ラウルは続けた「でも対策は打っておくに越したことはないよ。義兄さん達や副帝や魔導帝にも知らせた方が良い。予知できないからと言って何も起こらないと決まった訳じゃない」


「練武を中止して今すぐ知らせに行った方が良いんじゃないですか?」マリアが心配そうに言う。


「そうだね」ラウルは肯定した。


 ラウルは練武に来ていたホークウィンド達に声を掛ける。


 マリアの夢を見せられたホークウィンド達も一様に驚いた表情を浮かべた。


「知らせるのは少ない人にしておいた方が良いかもね。秩序機構オーダーオーガナイゼーションもまだ全てが片付いたわけじゃないし、根拠が固まる前に不安を広めるのは賢明じゃないとボクは思うけど」ホークウィンドが言う。


「フェングラースだけで片付けられる相手じゃないの?」シェイラは疑問を感じたようだった。


「それに私達は今日出発する予定なんでしょ。伝えるだけで――」


「フェングラースにも義理は有るよ、シェイラ」ホークウィンドがたしなめた。


「確かにグランサール皇国との戦いにも行かないといけないけど、出来る事はやっておかないと。それにフェングラースがもし危機に陥ったら援軍も送ってもらえなくなる」


 静香達はゾラスとアビゲイルに事の次第を知らせた。


 ゾラス達はマギスパイトの対外警戒度を上から2番目の段階にすることを決めた。


 結界を突破して内部に敵が侵入した時に備え魔導兵器と戦方士バトリザードを配置した。


 静香達は出発を最大3日伸ばすことにした。


 マリア達が夕食を摂った頃だった。


 穏やかだった空が一転掻き曇り、見渡す限りの黒雲に覆われた。


 ゴロゴロと雷の鳴る音まで響きだした。


 凄まじい速さで雲が動き、雷があちこちで鳴り、激しい横雨が打ち付けてきた。


 風がマギスパイトの窓をガタガタ揺らす。


 全員、何かが起こりそうだと感じ取っていた。


 


 そして真夜中――静香の“神殺し”が発したひときわ高い金属音で静香とマリアは跳ね起きた。


 その時マギスパイト中に警報音が鳴った。


 殆んど同時に静香達の身体が揺さぶられる。


 地面が揺れる。


 魔都マギスパイトの塔という塔がグラグラと振動した。


 マリアにはその地震が偶然引き起こされたものとは思えなかった。


 約30秒という長い時間、地震は続いた。


“ラウルさん――?”


 マリアは念話テレパシーでラウルに連絡を取る。


 脳裏にこちらを睨み付けたガタノトーアの眼がよぎった。


“マリアさんの思った通り。マギスパイトから少し離れた所だね”ラウルが緊迫した声で言う。

 

“マギスパイトを覆うように最大級の防護障壁バリアの魔法を掛けるよう指示した”ゾラスの声


戦方士バトリザード全員に出動を掛ける。魔導兵器も作動準備に入った”


“ガタノトーアなの?”


“間違いない。少し離れた荒野に出現した。心苦しいがそち達も防戦の準備に入って欲しい。今は一人でも人手がいる”


“分かった”アトゥームが割って入った。


“戦闘準備に入る。全員身に付けられるだけの装備を付けてくれ、静香は鎧も着用して欲しい。時間は何とか稼げるはずだ”


 就寝時まで武装しているわけにはいかない。


 全員寝間着ではなく鎧の下に着る服で寝ていた。


 マギスパイトに天蓋が掛かったように空が黒ずんだ。


 魔力を用いた防御障壁バリアが発動したのだ。


 ガタノトーアが出現した方に向かって魔法の大矢を打ち出す大型弩砲バリスタが一斉に発砲を開始する。


 実体の有る大矢ではなく純粋な魔力で出来た大矢だ。


 光輝く矢が遠くの影目掛け降り注ぐ。


 離れていても影の巨大さが分かった。


 防御障壁バリアのおかげで中に居る限り石化の心配は無い。


 攻撃は効いているのか――確かめる暇は無い。


 静香とマリアは手早く準備を済ませた。


 厩に居る一角馬ユニコーン“ホワイトミンクス”の居る厩にマリアの転移魔法で跳ぶ。


 アトゥーム、ラウル、アリーナ、ホークウィンド、シェイラ――シェイラは戦闘力を最大に発揮する為、龍の姿にホークウィンドを騎乗させる装具を付けていた――も直ぐに揃った。


 マリア達が驚いたのはそこに戦方士バトリザードの一団を従えた副帝ゾラスと魔導帝アビゲイルの姿も有った事だ。


 古吸血鬼エルダーヴァンパイアにして三十六魔導士の一人アレトゥーサの姿も有った。


「我らも出る。近衛戦方士もな」騎乗したアビゲイルが言った。


万一防御障壁バリアを突破された時、我らとそなたら、更にマギスパイトで対石化能力の有る魔法使い全てでガタノトーアに当たる――全く良い置き土産じゃ」 


「置き土産?」静香は尋ねた。


「我らの大叔父にして秩序機構オーダーオーガナイゼーションの指導者ティール公爵殿だ」


「皇国に逃亡したっていうアビゲイル陛下の血縁の、魔術師の事ですか?」今度はマリアが尋ねた。


「そうじゃ。マギスパイトに邪神ガタノトーアをおびき寄せ召喚する罠を仕掛けていきおった」


「我もつくづく性格の良い大叔父を持ったものじゃ」


「貴方達が出なくても――“サリシャガンの虎“は」静香の言葉は遮られた。


「皇帝家から邪神召喚者が出たのだ。我らが出なければ道理が通らぬ。それにサリシャガンの虎は静止した目標にしか使えない」


 その時防御障壁バリアに光が走った。


 雷に打たれたように黒いシルエットが光る。


「ミ=ゴウじゃな――ガタノトーアの復活に伴って湧いて出てきおった」アビゲイルが嘲るように言う。


「奴ら自体は大した怪物ではないが知能が高い。手にする武器も侮れぬ。ただ科学には秀でているが魔導に通じたものは殆んどいない。そこが付け目じゃな」


「星を渡る程の怪物でも大した事が無いんですか?」


「そうじゃ」マリアの問いにアビゲイルは言い切った。


「科学のみを知識体系とする生物が相手なら幾らでも戦い様は有る」


「ガタノトーアだけが真の脅威って事ね」静香が言った。


 ガタノトーアを倒せるのは“神殺し”しかないのではないかという思いが静香の身体の底から沸き起こった。


 アトゥームの両手剣ツヴァイハンダーでも倒せないかもしれない。


 混沌の女神アリオーシュも“神殺し”で倒すしかないのと同様に――


 もしかしたらガタノトーアは私とマリアを狙ってここに来たのかも知れない――静香はそんな思いに駆られた。


 マリアも同じ思いだったのだろう――二人は顔を見合わせた。


 アリオーシュが私達に興味を示した様に――


 その時地響きが微かに聞こえた。


 僅かずつだが音は大きくなっている――そして音が止んだ。


 来る――?


 ――主よ、我らを守り給え――静香とマリアは祈った――


 正にその瞬間に黒い影が防御障壁バリアに張り付いた。


 凄まじい咆哮と稲妻を散らしながらのたうち回る。


 ウロコと皺に覆われた無定形の体躯、タコの様な目、長い触腕、牙の生えた口、触腕同様長い舌――マリアが夢で見たそのままの姿だった。


 既に対石化魔法は全員に掛かっている。


 大型弩砲バリスタが必死に邪神を食い止めようと魔法の大矢を打ち込む。


 入ってこれない――マリアと静香が安堵したのもつかの間、油が紙から滴る様にガタノトーアの巨躯が障壁から浸み込んできた。


 このままでは闘技場コロシアムに落ちるだろう――魔法の大矢を打ち込む部隊がこちらに誘導したのだ。


 マリア達は闘技場コロシアムに――正確にはその観客席に跳んだ。闘技場コロシアムに落ちたガタノトーアを周りから包囲攻撃する為だ。


 邪神との戦いが始まった。

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