魔都

魔都マギスパイト

 シェイラとホークウィンドが結ばれたその日の午後、エセルナート王宮から転移魔法用の魔法陣の力を借り、一気にグラドノルグの洞窟に跳んだ静香達は、予期せぬ出会いに見舞われたのだった。


「傭兵、アトゥーム=オレステス。貴方を我が魔導専制君主国フェングラース守護龍グラドノルグを殺害した容疑で逮捕します」


 深紅の短い上衣に白いシャツ、同じ深紅の動きやすそうなズボン姿の女性が、同様の装束の者を数十人は従えてそう言った。


 西方世界北辺の魔導帝国フェングラースの戦方士バトリザードだ。


 戦方士バトリザードとは、戦闘に特化した魔術、戦方バトリジックの使い手――フェングラース発祥の固有戦闘魔法を修めた者たちの事だ。


 一同の髪色は様々だったが、全員に金属光沢が有る――フェングラース人の特徴だと後でマリアと静香は知った。


 肌は青白い。


「ちょっと待ってください――」マリアが言おうとした言葉を女性は遮った。


「異世界人七瀬真理愛、貴女には我が国の財産であるグラドノルグの遺品を奪った疑いが有ります。貴女も――」


「一体、何なの、貴方達――」静香は言葉を返そうとしたが、静香の言葉も遮られた。


「異世界人澄川静香、エセルナート王国騎士ホークウィンド卿、ガルム帝国軍師ウォーマスターラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ、エルフ治癒術士アリーナ=レーナイル、貴方方にも同様の嫌疑が有ります」


黄金龍ゴールドドラゴンシェイラ、貴女は重要参考人です」


「我が君主国までの同道を――貴方方に拒否権は有りません」女性戦方士は冷徹に言った。


「そう言われて黙って付いていくと思ってるの?私達を舐めないでよね」シェイラが気後れを全く見せずに言い切った。


 戦方士バトリザード達は一斉に呪文詠唱の構えを取る。


 緊張が走った。


 緊張をものともせずに女性戦方士は宣告した「我々がもしフェングラース首都マギスパイトに帰還しなかった場合、我が君主国は魔導兵器“サリシャガンの虎”でエセルナート王宮を攻撃します」


「更に、エセルナート王国とガルム帝国に対し、宣戦を布告します」


「何ですって――?」静香が 「それって――人質って事?」


 少しの沈黙の後、声を出したのはラウルだった「分かったよ、我々は同道する。良いね、皆?」


 静香は納得しなかった「アトゥームがグラドノルグを殺したのは七英雄のせいよ。彼の責任じゃない」


「それが絶対だという証拠は有りますか?」


「――それは――」確かに水晶玉で見せられた事が真実だという証拠は無い。


 マリアと静香はラウルが今回の事を予知していなかった事に驚いていた。


 予知は未来に起こる事を100%見通せるわけではない。


 それは分かっていたのだが、これほど重要な事でも予知できないとは思わなかったのだ。


 戦争を引き起こしかねない――エセルナートを巻き込んでの――フェングラースは前エセルナート国王、“狂王”トレボーが西方世界を席巻した時にも、相互不可侵の約定を結んだ数少ない国家だった。


 エセルナート王宮が攻撃されれば、戦争は不可避だ。


 それほどの国がエセルナートとガルムに対して参戦したとなれば、グランサール皇国側に一気に戦局が傾きかねない。


 犯罪人としてフェングラースに送られたら――裁判は開かれるのか、結論ありきの判決が下されるのではないか――不安は大きい――しかし、選択の余地は無い。


「フェングラースはエルフを魔法が使える種族として尊重している。一方皇国はエルフを迫害している。そう簡単に皇国に付くとは思えない」アトゥームが静かな声で言った。


「フェングラースが一枚岩ではない可能性もあるわ、皇国はエルフ達を迫害どころか優遇していると喧伝してる。権力争いでグランサール皇国を取り込もうとする勢力もいるかも知れない――」アリーナが言挙げした。


「正当な裁判は開かれるんですね?」マリアが尋ねる。


「開かれます――我が君主国は裁判も無しに容疑者を処刑したりはしません」


「この逮捕は君主国の正当な手続きに基づくものです」


 ラウルの方に向き直った女性戦方士は僅かに感情を滲ませて言った「青の法衣“ブルーローブ”たる貴方を逮捕したくはないのですが――これも任務なので」


「貴方方の主張は首都マギスパイトの法廷で聞きます。皆、宜しいですね?」


「嫌も応もない状況だな」アトゥームが冷めた口調で応じる。


 戦方士バトリザード達は静香達を取り囲むと転移の呪文を唱え始めた。


 こうして静香達は魔導専制君主国首都“魔都”マギスパイトに行くことになったのだ。


  *   *   *


 転移の魔法で飛んだ先は魔都マギスパイトから1キロほど離れた荒野だった。


 空は雲に覆われ、夏だというのに大気は冷たさを感じさせた。


「マリア、あれ――」静香に促されマリアもマギスパイトの全容を見た。


 無数の黒い塔が森の様に立ち並んでいる――端の方ほど比較的低い塔が多く、中心部の塔が一際高かった――塔と塔の間に数え切れないほどの橋梁が掛かっている。


「中心の塔は魔導帝の居城だよ、君たちの世界の単位で言えば300メートルは優に超える高さがあるんだ。科学技術でも君達の文明を凌いでいるところも有る」ラウルが説明する。


「サリシャガンの虎って何なんですか?魔導兵器って女性魔術師の人が言ってましたけど」マリアが尋ねる。


「目標の内部に直接エネルギーを発生させて対象を破壊する戦略兵器だよ。結界を張らないと対抗できない。不意を突いて使われたら一瞬で半径数百メートルが塵と化すよ」ラウルは答えた。


「馬に乗りなさい」静香達を逮捕すると宣告した女性戦方士が言った。


 静香達を囲んだまま戦方士バトリザード達は呪文を唱えだした。


「走らせて」


 静香はマリアを乗せた一角馬ユニコーン“ホワイトミンクス”の腹を軽く蹴って愛馬を走らせた。


 アトゥーム達もそれに倣う。


 野営用の天幕等を積み込んだ馬車は乗り手が居ないのに静香達と同じくマギスパイトへの道を走り出す。


 戦方士バトリザード達は呪文の力だろう、馬にも乗らずに、全速力でないとはいえ馬の走る速度にピタリと付いてくる。


「あれも呪文の力なの――」静香が驚いたといった声で言う。


 “そう”ミンクスが念話テレパシーで伝えてくる“戦方士バトリザードは格闘技にも通じている者が殆んど――魔力で身体能力を強化するのもお手の物”


「ミンクス。彼らから敵意や悪意は感じますか?」マリアが尋ねる。


 “いいえ――命令を遂行しているだけの様――大丈夫”


 戦方士バトリザード達は印を組んだまま――事有らば静香達を拘束――或いは攻撃できるような態勢で一糸乱れずに走っている。


 すぐに城門が見えてきた。


 城壁に見えたものは地面からそそり立つ黒い光だった。


 高さは15メートル程、黒い石で舗装された地面に刻み込まれた魔法陣から燐光を放つ柱様の黒光だ。


 平時には当たった者を跳ね返すだけだが、戦時には触れたものを破壊する光の城壁だった


 並び立つ塔はガウディの建築めいた曲線とゴシック様式の直線を組み合わせた様な異郷美の極致といった建築物だ――高さは低いものでも4、50メートル、平均的な高さ――様々な高さが有るので一概には言えないが――は130~140メートル位だろう。


 塔は磨いた黒曜石の様な輝きが有り、空が曇っていなければ太陽の光を反射して輝いて見えたかも知れなかった。


 どの建物も怪物めいた彫刻や浅浮彫が表面を埋めていた。


 城門前で静香達は衛兵――武器は持っていず、魔術杖スタッフを持っていた――に止められた。


 もっとも彼等は石でできた城門の上に居たのだが。


戦方士バトリザード、ミネア=ヴァンディール。特別任務より帰還致しました。部隊に損害無し。副帝ゾラス殿下にお目通りを」静香達を逮捕した女性戦方士が大声で呼ばわった。


「確認しました。どうぞお通り下さい」門番が応じる。


 門扉はやはり黒い光だった。


 魔法陣の光が消え、マギスパイト中央部への道が一直線に伸びていた。


 最下層なのだろうか、人々は簡素な服装をしていた。


 戦方士バトリザードを見る目には恐怖と羨望が有った。


 最下層は魔法を使えない奴隷や平民が居住する階層だ。


 通りは活気に溢れてはいたが、立ち並ぶ黒い塔が光りを遮り、ランプの明かりや魔法のものと思われる明りがあちこちを照らしていた。


 商店やその他の施設には魔法で光る広告看板やネオンサインそっくりのマギスパイト文字の道標等が有る。


 一軒家の様な建物は殆んどない。


 塔は一つ一つが個性的なデザインでありながら、同時に一定の法則に沿って建てられた様な不思議な統一性が有った――まるで雪の結晶の様だ。


 正に魔都と呼ぶに相応しい都市だった。


 静香とマリアは居並ぶ塔を見上げた。


 摩天楼――正にその言葉通りの光景が広がる。


 静香達は馬を常歩なみあしで歩かせて帝居の塔へと進んでいく。


 薄暮になるにつれ、摩天楼のあちらこちらに様々な色の無数の魔法の光が点る。


 まるでイルミネーションの様だ。


 最も高い塔――魔導帝の居城だ――の周りにも黒い光の壁が有った。


 こちらは城門は無く、道路の上の魔法陣の光が一行が近づくと自動的に消えた。


 帝居の塔は天を突くような威圧感を感じさせる一際大きく高い建物だった。


「馬から降りなさい」女性戦方士が告げる。


 静香達は馬から降りた。


 ミンクスが静香とマリアに告げる“気を付けて――嫌な感じ”


「奴隷!厩に容疑者達の馬を――丁寧に扱う事。粗相は許しません」


「こちらへ」


 静香達は警戒しながら戦方士バトリザードの指示に従った。


 黒い石で舗装された魔法陣の上に集められる。


 武装は解かれなかった。


 静香達やグラドノルグの洞窟に来た戦方士バトリザード全員を乗せてもまだ広さには余裕が有った。


 戦方士バトリザード達が短く呪文を唱える。


 一瞬にして全員が建物の中へ転移した。


 静香達は天井の高い大きな扉の前に跳んできた。


 謁見用の広間の入口らしかった。


 左右に数名の魔術師が控えている。


 戦方士バトリザードが結界の呪文を唱えた。


 結界の内側から外への物理、魔法の攻撃をできなくするものだ。


「副帝ゾラス殿下、嫌疑者達を連れて参りました」


 扉が開く。


 黒い塔の創りとは裏腹に、壁は白い化粧石で装飾され天井にフレスコ画が描かれている。


 魔法の光で眩しいと言えるほどの明るさだ。


「進みなさい」女性戦方士が言う。


 静香達は中に入る。


 玉座に中年の、3~40代と思われる、貧相ではないが長身の痩せた男が座っていた――彼がゾラスだろう。


 髪は長く、黒色――戦方士バトリザード達と同じ金属光沢が有った。

 吸血鬼を思わせる肌の青白さ、口髭を生やし、副帝としての権威を示す豪奢な法衣ローブ魔術杖スタッフを兼ねた錫杖を持ち、余り興味が無さそうに静香達を見ていた。


「そちたちがグラドノルグの殺害と遺品強奪の容疑者だな」投げ槍とは言わないまでも、何がどうなっても構わないという響きの声だった。


「先輩、あの人、相当な魔力を持ってます……かなりの魔法の使い手……」マリアが小さく告げる。


「犯罪容疑者とみなして無理に連れてきたのだ、ひざまずけとは言わぬ」


「だが、裁判は受けてもらう――それまでは賓客とは言わなくても、礼を尽くしたもてなしはしよう」


「裁判はいつ開かれるの?それに貴方は副帝でしょう。皇帝はどうしたの?」静香の口調に女性戦方士は咎める目で見たが、静香は怯まない。


「皇帝陛下は今御病気で公務に付けぬ――それで副帝たる私が公務を代行している――陛下に何か有った時には、私が魔導帝の地位に就く」気を悪くした風もなくゾラスは言った。


「私が皇帝の座を狙って策謀を巡らせているとでも言いたそうだな」


「そんな事は――」


「気にする事は無い。私が魔導帝の座を狙っている事は事実だ――陰謀を使ってまで帝位に付きたいとは思わぬがな」


「誰が私達を逮捕しろと言ったの?」


「それには答えられない」


「裁判はいつ開かれるんですか?まだ答えてもらっていないんですが」マリアも尋ねた。


「一週間後だ。非公開で行われる――他に聞きたい事は無いか?」


「裁判が公正なものだという証は?」


「裁判官次第だな。私には任命権は無い。我が君主国にも腐敗した輩は居る」


「グラドノルグが殺されたのは何年も前の事よ。私達はともかく、何故今更アトゥームを逮捕するの?」


「知らぬ。大方グランサール皇国と手を結べば利益になると考えた連中がおるのだろう。私とてこの国の全てを掌中に収めているわけでは無い」ゾラスは息をつくと言った。


「下がれ。私は疲れた。他の質問は使用人か奴隷に聞くが良い」


「ちょっと待って――」静香の言葉は遮られた。


「出なさい――それ以上の質問は不敬罪とみなします」女性戦方士が冷たく言った。


 周りの戦方士バトリザード達が呪文詠唱の構えを取る。


軍師ウォーマスターラウル。そなたは残れ」ゾラスが物憂げに言う。


 静香達は謁見用の広間から出された。


 表にはドレス様の服装の女官たちが控えていた。


 各人に2人ずつ女官が付いた。


 女官が呪文を唱え、全員が同じ階層の行き来が可能な部屋に飛ばされた。


 共謀する可能性は低いと思われたのか、共謀する所を犯罪の証拠として掴むためか、共謀されても判決は既に決まっているからか。


 部屋は監視されていると考えていいだろう。


 静香達は各々の部屋に行く前に、集まって今後の対策を立てる事にした。


 夕食前の事だった。

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