ジュラールとの対話、一角馬“ホワイトミンクス”
マリアが泣き止んだ後、静香とマリアはジュラールに尋ねた。
「ジュラール。貴方は本当に後悔していないの?」と静香「アリオーシュの配下になれば、永遠に混沌に魂を奪われるんじゃない?私はそう聞いたけど」
「アリオーシュ女神が倒されない限りは、そうです」
「死神の王、ウールムが死者の魂が混沌に加わることを認めたんですか?普通なら有り得ない事だと思うんですけど」マリアも尋ねる。
「死の王ウールムの赦しは得ています。今回の危機は特別なものです。女神が倒されなければ、この世界も危ない。だからといって女神を破滅させれば救われない魂が混沌に無数に飲まれる事になります。アリオーシュ女神の配下に加わっていない魂も巻き添えを食らって、です。事と次第によっては世界そのものを巻き添えにするかもしれません」
「八方ふさがりじゃない」
「打開策は、静香様とマリア様なら見つけられる――」
「私達には荷が重すぎるわ」静香はマリアを見て言った。
「でも、他の道も無いんですよね」マリアが観念したように言う。
「あきらめないで下さい。お二人を助ける為に、私はアリオーシュ女神の配下になる事を選んだのです」
「アリオーシュの魂を人間に戻せばって、ジュラールさんは言ってましたよね」
「女神は神の力を失えば以前の自分に戻ってしまうと恐れています。単純な説得には応じてはくれないかもしれません。いや、恐らく応じてはくれないでしょう。私も女神がどうすれば人間に戻ってくれるのかを探ってはいますが、私だけでは今はお手上げに近い」
「私とマリアなら見つかると言ったのは何か根拠があってなの?」
「ええ、静香様とマリア様の信じる神がそう仰ったのです」
思いもかけない言葉に静香とマリアは驚いた。
「ジュラールさん、全知全能の唯一の神様に会ったんですか?」
「その通りです」ジュラールは事も無げに言った。
「解決策は教えてもらえなかったの?」
「まず、間違えないで欲しいのですが、神は神が必要だと思われるような助けは絶体に与えません。神は静香様やマリア様の人生を作り出す助けにはなってくれますが、お二人の人生を生きるのはお二人自身だという事です」
「神を必要としない、そんな人間を創ると神が言うの?」静香「神は信者が要らないの?」
「はい。信者が信者ではなくなる事、神の下僕ではなく、神と対等な存在になる事。それが神の望みです」
「あまりに恐れ多い事じゃないですか?」
「神に関する説明は私よりはラウル司教の方が上手くできるでしょう。彼も唯一神に会ったことが有るはずです。話を戻しますがマリア様、神が創ったものが不完全だと言う方が恐れ多い事だとは思いませんか?」
「私を強姦した男性たちも完璧なの?」マリアが納得のいかないといったように尋ねた。
「マリア様、マリア様はその男たちが二度と立ち上がれないくらいに罰せられる事を望むのですか?それとも、自分たちの犯した過ちを心から反省し、二度としない事を望まれるのですか?」
「それは――」
「彼らは犯した罪をいずれ償うことになります。他者を傷つければ、いずれは自分も傷つくことになる」
「ですが、他人を傷つける事しかしなかった人間が、その結果として一生をかけて思い出そうとしていた真の自分――他者を傷つけることは自分を傷つけること――マリア様の救世主なら「私の一番小さな兄弟にした事は、この私にした事なのです」という認識に到達したのなら、それは無駄な事ですか」
「無駄じゃないと――思います」
「同様にマリア様の犠牲も意味の無い事ではありません。マリア様が悪いわけでは無いのです。貴女は自分を責めている。幼かったマリア様には避けようが無かった事です」
「彼らは自分のしている事を理解していなかった」
「「父よ、彼らをお許しください。彼らは自分が何をしているか分かっていないのです」ですか?」マリアが驚いたような顔で言った。
聖書の言葉が実際に当てはまる事など、マリアには信じられない事だったのだ。
「その通りです」ジュラールは微笑んだ。
「他人を傷つければ、いずれ自分も傷つけることになる。そうならエレオナアルやショウを傷つけるのも許されない事になるんじゃないの?」今度は静香が問う。
「戦争を止める為に、戦争するしかない事も有るのです、静香様。暴君を止められなければ、暴君はますます増長する。虐待を止められなければ虐待者までがいずれ虐待される側になります。悟りに達していないこの世界では暴力を止める唯一の方法が暴力という事も起こり得るのです。残念ですが、放っておけば彼らは滅びるまで周りを全て破滅させようとするでしょう」
「エレオナアル達に同情の余地は?アリオーシュには有ったんでしょう」
「静香様から見て同情の余地は有りますか?私の視点では、有りません。少なくとも今は。私が忠誠を誓った女性たちを裏切り汚そうとした。それだけでも私にとっては許せない事です。神が見ればまた違ってくるのでしょうが。何を悪と呼ぶか、それで人は自分の正義を作るのです」
「絶対の正義は無いのね」
「敢えて挙げれば神がそうでしょうが、神はいかなるものも否定しません。静香様の正義は貴女が正義だというからそうなるのであって客観的な正義というものは無いと神から聞きました」ジュラールは続ける
「自分が何者かを決める為に悪や善というものを自分の物差しで計る。善悪とは自分を定義する為の指標です。万人にとっての正義というものは有りません」
「殺人は?強姦は?暴力は?窃盗は?誰が見ても悪だというものじゃないの?」
「他人に殺されそうになった時に相手を殺す事でしか助かる道が無いという事は有りませんか。強姦は流石に私には正当化出来かねますが、異種族、異民族、異教徒の者なら強姦していいと多くの指導者が言っていませんか。静香様の中にマリア様を犯したいという欲望は有りませんか。暴力を振るわれて反撃するしか己の身を守れない時は。本来誰の物でもないものを元に戻すために盗み出すしかない時は。善悪の定義は不確かで相対的なものです。誰の心の中にも悪は潜んでいるように」
静香は負けたという息を吐いて言った「ぐうの音も出ないわ」
「ジュラール、ラウルも唯一神について知っているって言ってたわよね。貴方と同じ位の理解に達しているの?」
「ええ。私以上に。ただ、司教はかなり静香様とマリア様の神に関する考えを揺さぶる言い方をするでしょう」
「信仰を試されるって事ですか?」マリアが聞く。
「試されるというより、神とは何者かという事を根底からひっくり返すような意見を述べるでしょうね。お二人には過激に思える事も言うでしょう」
「全知全能の神様についてラウルさんに聞いてみれば、私達にも良い事になると言うんですね」
「お二人の信じる神について理解を深めたいならば、です。固定観念を捨てなければ役に立たないかもしれません」
「私達が教わったことが全て正しいなんて思わなければって事ね」と静香。「帰ったら聞いてみましょう。マリア」
静香とマリアはジュラールの姿が薄れだしている事に気が付いた。
「そろそろ時間の様です」ジュラールは右手を差し上げた。
ジュラールが腕を引くと乗馬用の鞍、あぶみ、手綱などが虚空から現われた。
「
「――ジュラール。本当に私は貴方に助けてもらってばかりね」
静香とマリアは
「そうなのね。じゃあ私達も貴女を“ミンクス”と呼んでいい?」
“構いません。それでは馬具を”
静香とマリアは二人がかりで
「静香様もマリア様も大分馬に慣れたようですね」ジュラールが感心して言った。
「私はここまでです。これからはそうそう会いにはこられないでしょう――」
ジュラールの姿が揺らめいて消えた。
「また会えるかしら。ジュラール!」静香は大きな声で呼ばわった。
「会えるでしょう。貴女達がそう願うなら」はっきりとした声が返ってきた。
それきり、最初からジュラールはいなかったかの様な静寂が辺りに広がった。
太陽は中天を過ぎて傾いていた。
静香達は
「マリアちゃん。静香君。大丈夫?」ペンダントから声がした。
「ホークウィンドさん?」ペンダントを掛けていたマリアが返事をする。
「もうこっちに着いていても良い頃なのに帰ってこないから」
「今から帰るところです。罠では無かった――と思いますが、ジュラールさんは私達の為にホワイトミンクスという名の
「助けってマリアちゃん達が乗るための
「ありがとうございます」マリアが答える「風の精霊にも上から見張ってもらいます」マリアは精霊に指示を出した。
“私も周りを警戒しましょう”とミンクス“悪意のある存在が近づいたら分かりますから”
「そんな力も有るの?」
“はい”
「じゃあ帰りましょう。マリア、ミンクス」静香が宣言するように言った。
「はい、先輩」
“ええ”
* * *
静香とマリアはトレボグラード城塞の北西門に帰ってきた。高さ20メートルは有りそうな城壁に、門の外にまで物売りの天幕が広がっている。
日没以降は門が閉まってしまう為、日没後に着いた隊商や旅行者の泊まる大きな宿屋まで有った。
西方中部の大国の首都の事だけは有った。
静香もマリアも戦装束だったのも目立つ要因だと思われた。
アリオーシュとの戦いを応援する声や、二人を称賛する声が聞こえた。
「マリアちゃん、静香君。こっちこっち」鈴のような声が聞こえた。
ホークウィンドが顔を隠して門の横に立っていた。
隣にシェイラも居る。
シェイラも顔を布で隠していた。
ホークウィンドは愛馬にシェイラを乗せると、静香たちの方に寄ってきた。
「この
“こちらこそ。ホークウィンド卿”
「アトゥーム達は?」
「そこに居るよ」
ホークウィンドの目線の先に
アトゥームの軍馬は魔界の戦馬、ダークスティードと呼ばれる馬と人間界の馬との混血で、殺されそうになっていたところをアトゥームが引き取って騎乗していると聞いていた。
名前は“スノウウィンド”という。
アトゥーム達も静香達を認めて近づいてきた。
「問題無かったようだな」
「何事も無かったって訳じゃないわ」静香は言った。
「ここで聞くのはまずそうだね」ラウルが言う。
静香達の周りに人だかりが出来始めていた。
「そうね。王宮に帰ってから」
静香達は王宮へ向かって馬を進め出した――。
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