一角馬、ジュラール=ド=デュバル卿、アリオーシュ

 トレボグラード城塞都市。“狂王”トレボーの城。古吸血鬼エルダーヴァンパイアカーラムと約定を交わしたその日の晩。


 マリアと静香は王宮であてがわれた部屋で一緒に寝ていた。


 夜が深まり、二人は同じ夢――夢と呼ぶには余りに現実感にあふれていたのだが――を見た。


 夢で二人は赤い空と果てしなく広がる黄金の平原に立っていた。


 いつからそうしていたのかも分からない。


 聞き覚えのある声が微かに、しかし確かに二人を呼んでいた。


「静香様、マリア様」


 目の前の風景が揺らぎ、懐かしい姿が二人の前に現れた。


 背の高い、長い茶髪の、優しい紫の瞳の男だった


「――ジュラール?」静香がそう言うのをマリアも聞いた。


「お二人とも、お久しぶりです」ジュラールの声も姿も生前と全く変わらない。


「強くなられましたね」


「貴方は――今、どうしているの?」静香が問う。


 ジュラールは微笑んだ。


「その事は、後程詳しく話します――ただ、貴女達二人への忠誠は今もこれからも変わりません。何が有ろうとそれは信じて頂きたいのです」


「何か有ったの?随分――こう言うとなんだけど意味深な物言いじゃない。貴方らしく無いわ、ジュラール」


 ジュラールの次の言葉に二人は衝撃を受けた。


「私は今、女神アリオーシュに仕えているのです――」


「ジュラール!?どういう――」


「女神の真実を知って、です。操られたり、騙されたわけではありません」


「私達と、戦う――という事ですか?」マリアが絞り出すように言う。


「いいえ、先ほども申し上げたようにお二人への忠誠は変わりません」


「でも、ジュラールさんはアリオーシュにも仕えているって――」


「騎士として、そうあるべきと思ったのです。女神を助ける事とマリア様達に味方する事を両立させる。そうしなければならないのです」


「エレオナアルやショウにも味方するというの――?」今度は静香が聞いた。


「いえ、私はあの二人には味方しません」


「どういう事なんですか?ちゃんと説明してもらわないと――」


「それについては、まず女神アリオーシュの真実から語らなければいけません」ジュラールは真正面から二人を見つめた。


「それを伝える為に、私はここに来たのです」


 ジュラールは語り出した。


   *  *  *


 アリオーシュはもともとは人間だった。


 今では名も知られていない神に仕える巫女だった。


 その神を祀る神殿で、アリオーシュはやって来る男性、主に権力者に力を与える為に身体を捧げる――悪い言い方をすれば娼婦――として男と寝ることを強制されていたのだ。


 年端もいかない少女の頃から彼女は他の生き方を許されなかった。


 だが、年若い身で彼女は男に霊的な力を与えることが出来なくなったとされ、神殿を身一つで追い出された。


 その時には、アリオーシュの身体は力を使い果たし、目を見張るようだった美貌もすっかり失われていたのだ。


 世を恨み、神を恨み、全てを恨んで彼女は放浪した。


 ある日、彼女は年老いてボロボロになった猫を拾った。


 私と同じ――彼女は唯一の友を得た。


 占いや物乞いで口にのりしながら一人と一匹は夏の酷暑や冬の極寒を共にしのいでいった。


 老衰で猫が死んだ時、アリオーシュの中で何かが壊れた。


 神殿で覚えた邪神を呼ぶ魔法を彼女は唱えた。


 自分をこんな目に合わせた神を激しく呪い、全てを強く呪い、自分自身を最も呪い――実際に邪神が降臨するなどとは信じてもいなかった――


 アリオーシュが魔法を唱え終わって、放心状態で猫の死骸を見つめていると、猫の目が開き、口が動いた。


「私を呼んだのはそなたか?巫女よ?」


 混沌の神の一柱が彼女の召喚に応えたのだ。


 アリオーシュは信じられない思いでその声を聞いた。


 彼女の絶望と怒りと純粋な魂に惹かれてその神は彼女の前に姿を現した。


 彼女は混沌と契約し、混沌の神の一柱に加わった。


 混沌の力を得たアリオーシュは見る間に力を強めていった。


 混沌に飲まれながら、彼女は神と人間への復讐を誓うようになっていった。


 だが、力を得ても彼女はいまだ暗闇の中ですすり泣く幼い少女にすぎなかった。


 アリオーシュがマリアや静香に固執するのも、彼女を理解してくれると思ったからなのだ。


 アリオーシュが心に傷を負いながらも高潔な魂を持つ者を配下に加えようとするのも同じ理由だった。


 ジュラールやオーギュストはそれを知り、彼女を救うために“配下”に加わったのだ。


 騎士として傷ついたものを放っておくわけにはいかない。


 彼女の魂を癒さなければならない。


「それが出来るのは静香様とマリア様だけです」ジュラールは言った。


「アリオーシュの配下になれと言うの?」静香がそれは出来ないという口調で言う「アリオーシュには同情するけど、それは無理よ」


「アリオーシュ女神に従って欲しい等とは言いません。あの方を止めなければ世界は破滅する。そうなる前に彼女の魂を人間に戻す、それを成し遂げて欲しいのです」


「どうすればいいんですか?」マリアも問う。


「いずれ分かります。ですがまずはグランサール皇国を止めることを考えて下さい」


 ジュラールが嘘をついていないのはほぼ間違いなかった。


「今の見ている夢がただの夢ではない事を証明します。明日トレボグラード城塞の北西にある湖に二人で行って下さい。私からの助け手に会えるはずです」


「エレオナアルやショウとの戦いの助けになってくれます」


 赤い空が揺らぎ、金色の平原を風が通り過ぎた。


 静香とマリアは目を覚ました。


 まだ夜だった。


「マリア――私――」


「先輩――私も――ジュラールさんですよね」


「――ええ――」


 それから翌朝まで二人は眠らなかった。


 *  *  *


 朝一番で二人は同じ夢を見たこと、アリオーシュの真実、ジュラールの言ったことをラウルやアトゥーム達に伝えた。


「ただの夢じゃなさそうだね」ラウルは言った。


「アリオーシュもただ滅ぼせば良いという訳じゃない、か」


「北西に湖が有るとジュラールは言ってたわ。マリアと私の二人で来て欲しいとも」


「罠の可能性は」


「多分無いよ。王宮から馬で2時間くらいの所だったはず。念のため遠距離通話用のペンダントは持って行った方が良いとは思うけど」


「俺達は何か有った時の為に待機した方が良いな。ホークウィンド達にも伝えておこう」


「道案内は――私とマリアでは、行ったことのない場所よ」


「風の精霊“シルフィード”を連れて行けばいいよ。マリアさんも召喚できるはずだよ」


「召喚はできると思います。試したことは無いですけど」


「召喚したら僕が精霊に湖の場所を教えておくよ。後は彼女の指示に従えば大丈夫。ただ警戒はおこたらないでね。万が一という事も有り得るから」


「分かりました」


「私達を見張ってた方が良いんじゃない?」


「そうしない方が良いと思うよ」ラウルは意味ありげに微笑んだ。


 *  *  *


 朝食を食べ、マリアと静香は馬に乗って城塞からジュラールの言った湖にやって来た。


「ここで間違いないの?」静香は体長30cmほどの風の精霊に聞いた。夏の日差しがきつい。


「大丈夫。間違いないわ」精霊の声が二人に聞こえる。


 森を抜けると広大な湖があった。


 街道から枝分かれした踏み分け道をたどって来たのだ。


 湖のほとりで二人は馬から降りた。湖のすぐそばまで森が来ていた。


「貴女は周りを見張ってもらえますか」マリアが精霊に指示を出す。


 マリアと静香は木陰の草の上に並んで座った。


「マリア、そういえばグラドノルグからもらった薬って」


 マリアが顔を赤らめながら「どうしても聞きたいですか。先輩」


「ええ。気になるわ」


「あの薬は――」マリアは数瞬沈黙した「――女性同士での妊娠を可能にする薬なんです」


「え?」静香は言われた事が一瞬分からなかった。


「そんな薬が有るの?」


「グラドノルグさんが言うには、ですけど」マリアが心配そうに付け足す「先輩は嫌ですか?」


「嫌なわけないわ――でもマリア――子供を授かるって大変なことなのよ」


「――私は先輩の子供なら――」


「その気持ちは嬉しいの。でも今はそれより優先しなくてはいけない事が有るはずよ」


「そんな――」


「とにかく、今は駄目。元の世界に戻ってから――帰れないならアリオーシュを倒してから――なら喜んで受け入れるわ。私もマリアとの間に子供ができるなら、それは嬉しい」


「そう――なんですね」マリアは残念そうな口調だったが、納得はしたようだった。


 二人は沈黙したまま座っていた。


 10分ほどもそうしていたろうか。二人の前の湖畔に小さな風が渦巻いた――風の精霊だった。


「混沌の悪魔族デーモン一角馬ユニコーンを連れて近づいてきてるわ」


「マリア!」静香は“神殺し”をいつでも抜けるようにして言った。


「ラウルさんの予想が外れた?まさか――」


「来たわ」風の精霊が告げる。


 深紫色の鎧に身を包んだ長身の男とひときわ立派な体躯の白い一角馬ユニコーンが森の中から現れた。


「ジュラール!?」静香が叫ぶ。


「ジュラール!貴方、本当に――アリオーシュに――」


 ジュラールは何も言わず微笑んだ。


 前と少しも変わっていない。


「静香様。マリア様。お元気そうで何よりです。約束通り来てくださったのですね」


「じゃあ、助けって――」


「私も、お二人を助けます。ですがお二人が期待するような助け方はできません」


「こちらの一角馬ユニコーンをお二人に」


 一角馬ユニコーンが二人の前に進み出た。


“澄川静香に七瀬真理愛ですね。ジュラール=ド=デュバル卿から私に相応しい乗り手がいると聞いて貴女方のもとへやってきました”


 念話テレパシーだろうか。一角馬ユニコーンの言葉が伝わってきた。


 この一角馬ユニコーンは混沌のものなのだろうか――?


 二人が疑問を持つと同時にまた言葉が伝わる。


“私は混沌とは関係ありません。信じて頂けないかもしれませんが、事実です”


 静香はラウルから渡された混沌を見破る指輪を使う。


 一角馬ユニコーンは確かに混沌のものではなかった。


“穢れの無い乙女しか私には乗れません”


 それを聞いて二人は顔を見合わせた。


「私達、恋人同士なの――穢れが無いとは言えないわ」静香が慌てたように言った。


“穢れと処女かそうでないかは関係ありません”


 処女と聞いたマリアは自分が強姦された過去が突然蘇るのを感じた。


 記憶想起フラッシュバックだ。


 まざまざと脳裏にあの時の事が映し出される――視覚だけではない、五感全てが当時の痛みを訴えた。


 マリアは思わずうずくまった。


「違います――私穢れて――穢れてます――私――」凌辱された時の光景が鮮明に蘇りマリアの目から涙がこぼれる。


「いいえ。マリア様は穢れていません」ジュラールが強く言った「マリア様の魂が汚れていたなら女神アリオーシュも貴女を欲したりはしなかった」


「――でも――」マリアは濡れた目でジュラールを見る。


「マリア様――貴女は穢れてなどいない。それは静香様も一番よく知っているはずです」


「――ジュラールの言う通りよ」静香はマリアを抱きしめると瞳を見つめて言った「貴女ほど純粋な女性はいないわ――穢れてるかどうかと処女かどうかなんて無関係よ――マリアが穢れてるなら私だって――」


「静香先輩……」マリアは涙の止まらない目で静香を見た。


 静香の瞳には優しい光が有った。


「私――神様が嫌いです――本当に全知全能ならどうして私のお願いを聞いてくれなかったの――ずっと、何度も、必死に願ったのに――人は全て罪人だから?――だからって――」


「――マリア――たとえ神様がマリアを穢れていると言っても、私は構わない―貴女が何になろうと神様が貴女を見捨てようと私は貴女を見捨てない―絶体に」


 マリアは静香の胸の中で泣き続けた――。

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