狂王の試練場

 息が詰まりそうな迷宮の地下。


 白刃が閃いた。


 魔物が悲鳴すら上げずに絶命する。


 3メートルは有ろうかという巨躯が床に倒れ伏した。


 静香は倒した魔物に胸の前で十字を切って黙とうすると“神殺し”を振って血を振り落す。


 西方世界中部。エセルナート王国。首都トレボグラード城塞都市。


“狂王の試練場”と呼ばれる地下迷宮で澄川静香、七瀬真理愛、アリーナ、ラウル、ホークウィンド、アトゥーム、そしてもう一人の少女――見たところ9、10歳ほどの黄金色の髪に緑の瞳の少女だ――の7人のパーティは魔物相手に実戦を積んでいた。


 迷宮に潜り始めて2カ月になる。


 静香は今までとは違う深緋スカーレットの鎧に身を包んでいた。


 マリアも血の匂いで吐くことも無くなった。


 10層ある地下の最深部まであと一層――静香は最初に迷宮に潜った日の事を昨日の事のように思い出していた。

 

              *        *        *


「ここが“狂王の試練場”――」マリアと静香は巨大なトレボグラード城塞都市の外れにある地下迷宮への入口を見た。


 ホークウィンドにとっては因縁深い迷宮だ。


「ここの主だった魔術師ワードナを倒したのがホークウィンドさんなんですよね」マリアが呟くように言う。


「もう50年も昔の事だよ」ホークウィンドが気がなさそうに言う。「50年も」


「ワードナの遺体は傷つけることが出来ずにトレボグラード城塞のカント寺院の地下に封じられたんだ」ラウルが補足する。「いずれ復活すると最期にワードナの言ったことが嘘ではなかったと神々から警告が有ったからね」


「ここで鍛錬を積んでアリオーシュに挑む」アトゥームは言う「この迷宮の最深部にも大悪魔グレーターデーモンが居る。アリオーシュと直に戦う時にいい経験になるはずだ」


「今この世界の最大の脅威はアリオーシュですものね」とアリーナ。


「最初は地下1層からなの?」静香が問う。


「いや、もう少し下に潜る」アトゥーム「1層の魔物はお前たちの相手にはならないはずだ、それくらいの強さは既についている」


「僕たちは援護に回るよ。マリアさんと静香さんの修行が主な目的だから」とラウルが言った。


「ホークウィンドは別としてもアトゥームたちは最深部まで行ったことが有るの?」と静香。


「今の迷宮を預かっているワードナの代理人に会いには行った。迷宮の最深部にいる魔物相手でも後れを取ることは無い、はずだ」


「ホークウィンドさんがいると分かれば吸血鬼君主ヴァンパイアロードユーリがどう出るかは分からないけど」とラウル


 その時この場にそぐわない幼女の声がした。


「お母さま」声の主は見たところ9歳から10歳くらいの子供だった。


 緩いウェーブのかかった長い黄金色の髪、緑の瞳でやはりこの場にそぐわない可愛らしいドレスにサークレットを身にまとっている。


「お母さま――逢いたかった」女の子はホークウィンドの胸に飛び込んだ。


「お母さま?」マリアと静香が怪訝な顔をする。


「違う違う。こら、シェイラ、離れて」ホークウィンドは女の子を引きはがそうとするが、女の子はがっちりとホークウィンドに抱き着いている。


 ますますマリアと静香の顔に疑念の色が強くなる。


「本当に貴女の子供じゃないの?」疑り深い声で静香。


「違うよ、ボクに子供はいない――ハイエルフは不老不死と引き換えに子供を授かりにくくなってるの――シェイラは――」ホークウィンドは必死に誤解だと訴える。


「彼女は、“狂王の試練場”でホークウィンドさんがワードナを倒したときに開放した黄金龍ゴールドドラゴンだよ」ラウルが見かねて助け舟を出した。


「今はホークウィンドさんの義理の娘とでも言うべき子供。今の姿は人に変身した時のもの。シェイラさん、久しぶりだね。皆さんに挨拶は」


「はーい」シェイラと呼ばれた幼女は渋々ホークウィンドから離れると、ドレスの両端をつまんで持ち上げると完璧な動作で一礼した。


 ホークウィンドは助かったという表情をしたが、シェイラはすぐにホークウィンドの腕に抱き着いた。


「お母さまはどうして私をトレボグラードに置いていったの?」不満たらたらといった表情でシェイラはホークウィンドに詰問する。


「だから言ったでしょ。今回の相手は危険だって――」


「私が邪魔だって言いたいの――?シェイラだって十分に戦えるわ」


「キミは貴重な龍族の生き残りだよ。万が一のことが有ったら――」


「そんなの関係ない。シェイラはお母さまと離れたくないの」


「わがままを言わないで」


「嫌――嫌――嫌――嫌。離れたくないっていったら離れたくないの」


 マリアと静香は顔を見合わせた。


「ホークウィンドさんにも苦手な人って居たんですね」マリアが信じられないといった表情で言う。


「貴女たち、見ない顔だけどお母さまの何?」シェイラがマリアと静香をじろじろと不審者を見る目で問いかける。


「私たちは――」静香は普段ホークウィンドが二人に迫ってることは黙ってる方が良いだろうと考えて言った「混沌の女神アリオーシュと戦うために貴女のお義母さんと一緒にパーティを組んでるの。冒険者仲間といったところかしら」


「アリオーシュに呼ばれた二人組の異世界人って貴女たちだったんだ」シェイラが不信感を一片も隠さない声で言う。


「グランサール皇国を打倒するのにお母さまが戦うのは分かるけど、どうしてアリオーシュまで倒す手伝いをしなきゃいけないの?」


「それは――」口を挟もうとしたアトゥームをシェイラは睨んで言った「傭兵風情の泥棒猫の言うことなんて聞きたくない。お母さまもお母さまよ、何でよりにもよって30年も生きていない人間を大切な人だなんて言うの」


「シェイラ!」


「30年も生きていないし、傭兵なのも事実だ――アリオーシュはグランサール皇国の背後で全てを操っている。皇国を倒すだけでは今回の戦乱は止まらない」


 シェイラの物言いに慣れているのかアトゥームは普段と全く変わらない冷静な声で言う。


 シェイラは落ち着いたその様子に増々苛々をつのらせた。


「なら貴方一人でアリオーシュを倒せばいいじゃない。お母さままで巻き込まないで」


 シェイラは腰に手を当てて言い放つ「決めたわ。“狂王の試練場”には私も付いてく。私だって立派に戦えるところを示せば、お母さまも私を置き去りにしないでしょう」


 ホークウィンドはマリアと静香に助けを求めるように見たが二人ともかける言葉が見つからなかった。


 しかしシェイラが今後マリア達についてくるとしたら危険なことは間違いない。


「シェイラ、ちゃん。貴女がどれくらい強いか分からないけど、お義母さんの言うことは聞いた方が――」静香はたしなめたが、シェイラは聞く耳を持たなかった。


「私にも敵わないくせに余計な口はきかないで。シェイラはお母さまの為なら命を失っても構わないの。ねえ、いいでしょう、お母さま」


 ホークウィンドは根負けした。


「――分かったよ。シェイラ、今回はキミの勝ち。だけど危ないと思ったら直ぐに帰らせるからね。それとボクはシェイラだけ見てるわけにはいかないよ、そこは理解してね」


 シェイラは頬をふくらませたが、自分の言い分が通ったのに納得したのだろう「じゃあ、今からついていくわ。よろしく、皆様」先程とはうって変わった嬉しそうな表情で言った。


「じゃあ、行きましょ」


 こうして7人目のメンバーが一行に加わることになった。


               *        *        *

 

 それから毎日のようにマリアと静香――と自分の力を示したいシェイラ――が魔物のほとんどを相手にし、アトゥームたちが援護する形で迷宮に潜るようになった。


 静香が魔物との白兵戦に熟達する一方、マリアは地下10層で魔法に抵抗を持つ相手の防御を魔力を重ねて打ち破る術を覚えるようになっていた。


 迷宮に来た当初は簡単な魔法に毛の生えた程度しかものしか使えなかったが、今は上位の魔法も使えるようになった。


 攻撃用の魔法も一部を除いて必要だと思ったものは積極的に学ぶようになった。


 アリオーシュを倒すために手段は選べないかもしれないと思うようになったからだ。


 白兵戦の技術も向上し、中程度の強さの魔物なら後れを取ることは殆んどない。


 短期間で魔物と戦う術を覚えるにはまさにうってつけの場所だった。


 地下10層にいる今の迷宮の主や大悪魔グレーターデーモンとはまだ戦ったことは無かったが、そう簡単にはやられはしないという自信はついていた。


 静香も“神殺し”に炎や凍気をまとわせることが出来るようになり、悪魔族デーモンとの戦いも上位の悪魔相手に対等に戦えるようになってきた。


 シェイラは竜爪ドラゴンズクロウと呼ばれる魔剣以外一切の装備を身に付けていなかった。


 彼女が龍の姿を取って戦うのをマリアと静香は見たことは無かった。


 最初に会った時のドレスに額飾り(サークレット)で迷宮に潜っていた。


 もっとも、姿は人間でも力は龍のそれなので、大概の魔物は素手でも十分すぎるほどだったのだが。


 防御も龍族固有の魔法障壁が有るために大抵の攻撃は通用しないのだ。


 これだけの強さが有ってもアリオーシュとの戦いは危険とホークウィンドが判断したことにマリアと静香は若干焦りを覚えた。


 迷宮の主を倒してももうしばらく鍛錬を積む必要があるかもしれない。


 強ければ強いほど良いにしても、無限に時間が有る訳ではない。


 地下10層は7つの玄室を転移の魔法陣で繋いだ作りだった。


 最後の7つ目の玄室に迷宮の主がいる。


 最後の玄室にマリア達が到達したのは3カ月目の事だった。


               *        *        *

 

「ここが迷宮の主のいる所ね」静香が確認するように言う。


「そうだね。今は吸血鬼君主ヴァンパイアロードユーリ=ユーリル=リウ=シームが迷宮の主。ホークウィンド卿はユーリにとっては主君の宿敵」ラウルが応える。


「配下にはユーリ直属の古吸血鬼エルダーヴァンパイアたちが居るはずよ」アリーナも言う。


吸血鬼君主ヴァンパイアロード古吸血鬼エルダーヴァンパイアも私の敵。一匹残らず蹴散らしてやるんだから」シェイラが鼻息も荒く宣言した。


 シェイラは腕力だけでなく、魔法もかなりの所まで覚えていた。


 精神年齢は幼くとも知能は人間のそれをしのいでいるのだ。


 扉に罠がかかっていないことをホークウィンドが確認する。


「じゃあ、行きましょう」静香が扉を開け放つ。


 だが、7人の予想は外れた。


 玄室の内部をマリアの唱えていた魔法の明かりが照らす。


 玄室の奥、玉座の様な所に人影が一つだけ。


 玉座から声が響いた。


「ようこそ。“狂王の試練場”の最深部へ」


「カーラム=エルデバイン。古吸血鬼エルダーヴァンパイア。ユーリはどうしたの?」ホークウィンドが拍子抜けした声で訊く。


「生憎ユーリ様は今は居ない」カーラムと呼ばれた声の主は15歳ほどの外見の絶世の美少年だった。


「お久しぶり、ホークウィンド卿。それに傭兵アトゥーム=オレステス。軍師ウォーマスターラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ。エルフの治癒術士アリーナ=レーナイル。黄金龍の娘“シェイラ”。それと初めまして、澄川静香と七瀬真理愛」透き通るような声だった。


「私たちのことを知ってるの――」静香は唖然とした口調で訊く。


「魔術や混沌について多少なりとも知っているものの間では君たちは有名人だよ。もう少し自分の立場を理解した方が良い」


「で、どうする。僕と戦うかい?」


「ちょうど良いわ、まず貴方を八つ裂きにしてそれからユーリも塵にしてあげる」シェイラが獰猛な声で言い放った。


「怖い怖い」茶化すようにカーラムが応じる。


「僕は勝てない戦いはしない主義なんだ」


「どうしてもというなら――」カーラムが指を鳴らすと人魂の様な光が幾つか現れた。


「彼らと戦ってもらうよ」光から巨体――高さ4、5メートルはあろうかという青白い皮膚のねじくれた角の生えた異形の姿が出現する。


大悪魔グレーターデーモン!生贄も捧げずに4体も召喚するなんて――」ラウルが呻く。


「それじゃ、僕は失礼させてもらうよ」カーラムは転移魔法を唱えて姿を消した。


 4体の大悪魔グレーターデーモンたちの咆哮が玄室に響き渡る。


 シェイラの援護にホークウィンド、静香とマリアが1体の相手、アトゥームが1体、アリーナとラウルが残りの1体。


 普段のようにアトゥームたちが援護に回る余裕がない。


 戦いが始まった。

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