グラドノルグの霊

「アトゥーム、貴方は悪くない。グラドノルグは貴方に恨みも持っていない。見れば分かるわ」静香が夕食時にマリアと静香はアトゥームにグラドノルグの一件について知ったことを告げながらそう言った。


 アトゥームはいつもの感情を抑えた無表情で冷たく言った「だが、俺のせいでグラドノルグを殺す羽目になったことは事実だ」


「俺がいなければ――」その言葉を遮ったのはマリアだった。


「そんな風に自分を責めて何が変わるんですか?」強い口調だった。


 年若い子に語り掛ける母か、教師のような口調だった。


「泣いても笑っても死んだ人間が生き返るわけじゃないって言ったのはアトゥームさんじゃないですか。アトゥームさんがいなくてもグラドノルグさんは七英雄に負けたはずです。アトゥームさんがいて助けになりこそすれ、お荷物になった等ということはないはずです。」


「だが――」


 マリアは断固とした口調で言い切った。


「アトゥームさんは最善を尽くさなかったんですか?尽くしたのならそれ以上はどうしようもないことです。しっかりして下さい。私と静香先輩のためにも。そんな思いを引きずっていたらまた同じことを繰り返しますよ」


 アトゥームは心の奥底にしまい込んでいた大切な何かを思い出したように見えた。


「同じことを――」数拍の間が有ってアトゥームの瞳から涙が流れ出した。


 戦場で斃れて逝った仲間。腕の中で死んでいった初恋の人。自分を生んで亡くなった母。自ら死を願ったグラドノルグ。記憶に有る限りの死。


「俺は――」嗚咽が漏れる、涙が流れているのを実感し、涙が止まらなくなる。


「俺は――」アトゥームは過去に自分に誓ったことを思い出していた、強くなるために地獄を通らなければならないなら、喜んで通ろうと誓ったことを。


 もう通り過ぎたと思っていた。しかしそうではなかった。


「繰り返し――同じことの――どうして俺は――」


「誰も護れなかった――護れずに――俺だけが生き残った――」


「しっかりして下さい!アトゥームさん!もう終わったことです!私も家族を目の前で亡くしてます。だから、分かります。アトゥームさんの気持ち――周りの人は助けることは出来ます――でも自分の力で立ち上がらないといけないんです!」


 マリアの目には同情が有った。


「私だって人にあれこれ言えるほど立派じゃありません。でもアトゥームさんの事はアトゥームさん自身で解決するしかないはずです。手を差し伸べることは出来ても手を握るかどうかはアトゥームさんにしか決断できません」


 アトゥームの涙が止まるまで少し時間がかかった。


「――そうだな。お前の言うとおりだ」その言葉はアトゥームの口からやっとのことで絞り出された。


「すまない」アトゥームは何とか気持ちを落ち着かせようとしていた。


 騒動はこれで終わったがこの後、別の事件が起こるとは誰も思っていなかった。


       * * *


 夜、マリアと静香は洞窟の隅で眠りについていた。


 見張りを立てる必要はないとラウルが予知したため、全員が丸々一晩眠れることになったのだ。


 グラドノルグの洞窟には人間用の寝台もいくつかあったのでそれを利用することになった。


 寝台は各自の使う分がプライベートを保てるくらい離れていたので、静香たちも3日ぶりに愛し合うことが出来た。


 静香は眠っている最中に気配を感じ、マリアの耳元にささやいた。


「起きて、マリア――」


 ホークウィンドが覗きにでも来たのだろうか。


 そうではなかった。


 燃えるような赤毛の女性の姿があった。


 アリーナ?それにしては――。


 そう思ったとき、静香とマリアの頭の中に声が聞こえた。


 目の前の赤毛の女性――見た目はアリーナとは全く違った――が発した言葉だと分かるまでわずかに時間がかかった。


「静香先輩――これって――」マリアが微かに動揺したような声で言う。


「貴女――誰?」静香が問う。


「わらわはグラドノルグ――その霊魂。――礼を言いに来たのだ、そなたたち、とくに七瀬真理愛に」


「私に――?」マリアはまだ動揺が収まっていなかった。


「アトゥームだ。彼奴の目を覚まさせてくれたことに礼を言いたくてな。人間は人間以外のものにはなれないということに、あ奴はまだ理解が足りない――起こったことは変えられないということも、未来は変えられるということも、罪悪感を背負ってもなんにもならないということも――」


 グラドノルグの霊は溜め息をついたようだった、向こうの財宝が身体を通して透けて見える。


「罪悪感を持つことが悪いことなんですか?」


「そうだ。後悔から学んだ後まで、罪悪感を持っていても魂をしなびさせるだけだ。過ちを犯したなら悔いて二度としなければ良いだけのことだ。学んだことを忘れなければ良い。過去に縛られて未来を殺してはいけない――アトゥームに重荷を背負わせたわらわが言えた口ではないが」


 グラドノルグは龍だったはず――静香がそう思うと、グラドノルグは答えた。


「わらわとて変身くらいは出来る。わらわが人の姿を取るときは今のような姿になる」


「驚かせまいとしたことだが。龍の姿の方が良いのか?」と、見る間に目の前の女性が巨大な赤い鱗に覆われた龍になった。


 口の隙間からチロチロと赤い炎が見えた。


「そなたらには礼をしなければな」龍となっても言葉の調子は全く変わらない。


 グラドノルグは財宝の山からティーポットのような金属でできた瓶を取り出した。


 右手で器用に瓶を持ち上げるとマリアに渡す。


 グラドノルグはマリアの耳元で何かをささやいた。


 マリアの顔が赤くなる。


 グラドノルグはマリアから頭を離すと静香とマリアの二人に語りかける。


「これからもアトゥームのことを頼む。そなたたち6人の中で精神的に一番もろい所を抱えているのは恐らくあ奴だ。さらに言えばあ奴は他人に頼ることが苦手だ」


「自分の力で立ち上がることと一人で何もかも抱え込むことを混同している」


「エレオナアルたちもアリオーシュも間違いなくそこを突いてくるはずだ。そなたらは互いに協力し合わなくてはいけない」


「アトゥームに会ってあげて、あの人――」静香の言葉はグラドノルグに無視された。


「アリオーシュとの戦い、そなたらにわらわも協力させてもらう。わらわも勝利を祈っておる。恐らくそなたら二人にしかアリオーシュは打ち倒せまい。アリオーシュの真の姿を知ることだ――心して進め――」


「待って――」二人の制止も空しく、グラドノルグの姿は揺らめいて消えた。


     * * *


 アトゥームと同じ寝台で寝ていたホークウィンドは、グラドノルグの霊が来たことに気付いていた。


 アトゥームはホークウィンドが身を起こしたのに気づいて目を覚ます。


「どうした――何か有ったのか?」


 ホークウィンドはしばらくためらったのちアトゥームに言った。


「グラドノルグが来てる――静香君とマリアちゃんの所に」


 起き上がろうとするアトゥームはホークウィンドに押しとどめられた。


「アトゥーム君に言いたいことが有ればこっちにも来るはずだよ」


「しかし――俺は――」


「夕食の時にマリアちゃんに言われたことを忘れたの?グラドノルグはもう死んでる。その事実を覆すことは出来ないよ。物理的な存在としてグラドノルグはいない。霊的な目で見れば死んではいない――」


「その通りだ――」アトゥームには聞き覚えのある声が脳内に響いた。


「久しいな――アトゥーム。それに初めてじゃな、ハイエルフの女忍者、ホークウィンド卿」


「グラドノルグ――」アトゥームの言葉はろうそくの明かりのように頼りなかった。


「キミが――?」目の前にはくせの付いた燃えるような赤い髪の豊満な女性の姿が揺らめいていた。


 頭から角が生えていて瞳は黄金色の絶世の美女だった。瞳孔は猫のように縦に長かった。


「グラドノルグ――俺は貴女に――」アトゥームの言葉は遮られた。


「マリアに救われたな、アトゥーム。わらわの愛した男は弱くはない。助けを求めることと弱さとは違う」


「アトゥーム君に癒やし難い傷を負わせたのは――」


「必要なことだったのだ。ホークウィンド卿。アトゥームにとっても、この世界にとっても」


「アトゥーム、わらわの与えた試練、見事乗り越えてみせよ。自分一人しかいないと思うな。そなた以上に苦しんでいる者は数え切れないほどいる」


「グランサール皇国を倒すのだろう。自己憐憫に溺れる暇は無い筈じゃ。マリアや静香まで、わらわと同じ目には合わせたくはあるまい」


「泣きたいだけ泣くがいい。笑いたいだけ笑うことだ。その上で強くありたいと願うことだ――わらわは常にお前を見守っている。助けは有る。それを忘れぬことだ」


「今日、マリアちゃんにアトゥーム君が救われたように?」


「その通りだ、ホークウィンド卿。そなたにもアトゥームを救うことは可能だ」


「ボクに?」


「そうだ。同じ男を愛したものとして、わらわから頼む」


「アトゥーム君を自分のものだけにしたいとは言わないんだね。分かった、期待に沿えるよう頑張るよ――ボクも助けてもらえるんでしょ」


「当然だ。わらわはそなたたちの味方だ。グランサール皇国もアリオーシュもわらわは気に入らぬ」


「始原の龍の名にかけてそなたたちを助ける」


「そろそろよかろう。必ず皇国を打ち倒せ。ではな――」


 そう言うとグラドノルグは姿を消した。


 後には最初からそうだったかの様な沈黙が残った――

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