旅の準備

 ラエレナの顕現けんげんが終わった後、ラウルたちと話し合っていたアトゥームは、マリアと静香に言った。


「“狂王の試練場”はエセルナート王国首都のトレボグラード城塞にある。転移の魔法でも一度に飛べる距離じゃない。装備を整える為一度寄り道する。始原の赤龍グラドノルグの洞窟にだ。明後日の正午にはガルム帝国軍が到着する。それを待って俺たちは出発する。それまでに旅の準備をして欲しい。必要が有れば帝国軍かエルフの手隙の女性を手伝いに就かせる」


「そちらで用意するのは戦闘用の装備一式と着替え、入り用な身の回りの品等だ。向こうの世界で来ていた服も持って欲しい。食料と水、路銀、それに野営用の天幕、馬車を引く馬等はこちらで用意する。自分の乗る馬も選んでくれ。マリアは馬に乗れるか?」


「軽く走らせる程度なら。先輩に教わりました」


「いざという時の為に二人乗りの鞍も持っていく方が良さそうだな。静香はマリアを後ろに乗せて戦えるか?」


「大丈夫、だと思うわ」


「アリオーシュの配下のデーモンが襲ってくることも有り得る。“神殺し”なら十分対抗できるが、向こうもそれを知っている、マリアを狙ってくると考えるのが妥当だろう」


 マリアは静香を見、それからアトゥームを見て言った「すみません。足を引っ張ってしまうようで」


「気にするな。それを克服するために修行に行くんだ。それに静香もまだ修行が要る」


 ここ数日で、マリアと静香は二人がかりならアトゥームやホークウィンドの攻撃を見切ることも出来るようになってきていた。


「実戦をくぐれば、訓練以上の経験になる。俺やホークウィンドから一本取るのも可能だろう。一対一で勝つと言えないまでも負けなくなる」


「私やマリアが勝てるとは言わないのね」


「長年実戦をくぐってきた、せめてものプライドだ。一対一で俺が負けるのも十分に有り得ることだ、実戦では特にな」


「私一人でアトゥームさんやホークウィンドさんに勝てるようになるんですか?とても想像できないですけど」マリアが言う。


「勝てると思わなければ勝てない。魔法の使い方次第だろう。俺の攻撃の機先を制するか、躱しざまに攻撃を入れれば、勝機は十分にある。自信を持つことだ」


「――ですが」言葉を続けようとマリアが言いかけた時、静香が言った「大丈夫、マリアは強くなってるわ。私が一番よく知ってる。私からも言うけど自信を持っていい」


「他に何か聞いておきたいことは?」


 マリアと静香の二人は顔を見合わせた。


「何かあったら、俺かラウルか、またはホークウィンドに聞いてくれ」


 アトゥームは体を翻すと大股に歩み去った。


 二人の後ろからホークウィンドの鈴のように澄んだ声が聞こえた。


「話は終わった?そうなら一緒にお風呂に入ろうよ」


「いいけど、私やマリアに触ったら怒るわよ」


「良いじゃない、減るものじゃないんだし。それともボクの身体を触る?」


以前の入浴の際に見たホークウィンドの細身に引き締まった身体の事や彼女のスキンシップの事を思い出して静香とマリアは思わず顔が赤らんだ。


「貴女にはアトゥームさんがいるでしょう!?」


「ボクがアトゥーム君を愛していたら、同時に静香君やマリアちゃんを愛しちゃいけないって誰が決めたの?」


「それは――」“当たり前の事じゃない”と静香はカッとなりかけたが、エルフと人間の価値観は違うのかも知れないと思い「アトゥームさんに対して不誠実じゃない」苦し紛れに静香は言った。


「アトゥーム君ならボクがアトゥーム君以外の人を愛しても構わないって言ってるよ」


「私たちはそうはいかないの!」


 ホークウィンドもホークウィンドならアトゥームもアトゥームだと二人は思った。


「盛り上がっているところ悪いけれど、何の話?お風呂なら私も一緒に行っていいかしら?」赤毛の女エルフ、アリーナと数人のエルフと人間の女性が割り込んだ。


「ハイハイ、良いですよ」話の腰を折られたことでホークウィンドは憮然とする。


 静香とマリアはこれでホークウィンドも過剰なスキンシップはできないだろうと思ったのだが――現実にはそうはいかなかったのだった。

 

 地下の大きな風呂場で、ホークウィンドに身体を触られまくった二人は疲れ果てて寝室に戻った。


 マリアと静香が恋人同士だと言うのは知っている者の方が多かったのだが、ホークウィンドのすることは仕方がないと思っているのか、止めてくれる人は殆んど居なかった。


 この世界の人の貞操観念はどうなってるのかと半ば呆れるような思いで、黒の塔の地上4階、広間に面した寝室に戻ってきた二人は一つの寝台で眠った。


「静香先輩」マリアは真剣な目で静香を見つめていた。


「なに?マリ――」


 静香は唇を重ねられるのを感じた。


 マリアが身体を預けてくるのを受け止める。


 そのまま二人は肌を重ね合った。

 

 お互いを愛し合って、求めあうことに満ち足りた二人は、寝台に横たわっていた。


 マリアは疲れ果てて眠りに落ちていた。


 静香もマリアの手を握ったまま、寄ってくる睡魔に逆らわずまどろみに落ちていく。



 

 翌朝、静香より先に目を覚ましたマリアは、静香の横顔にキスすると、静香を揺り起こした。


「――静香先輩、朝です――起きて」


 静香が眠そうに目を開ける。


「どうしたの、マリア――」


 静香は寝起きが悪い。


「もう少し、寝かせて――」


「駄目です」マリアは静香の耳元で囁く。


「ホークウィンドさんに見られてますよ」


 静香は一発で目を覚ました。


「どこに――」


 マリアが小悪魔の様な笑みを浮かべた。


「ようやく起きましたね、先輩」


「止めてよ、マリア――心臓に悪いわ」静香がむくれて言う。


「そうでも言わないと起きない先輩が悪いんです」嬉しそうにマリア。


「はいはい。ごめんなさい、マリア様」静香は窓を見た。


 太陽は登っているが、窓から陽は差し込んでない、まだ朝早くだ。


 今日は旅支度でほぼ終わりだろう、久しぶりに訓練の無い日になりそうだった。

 扉をノックする音が響いた。


「静香様、マリア様。もう少しで朝食の準備が出来ますので食堂まで来てください」アトゥームたちと黒の塔に来たガルム帝国の女官の声がした。


「はい、今行きます」マリアが答える。


 二人は手早く身支度を整えると階下の食堂に向かった。


 食堂は大きかったが、ガルム帝国軍とエルフたち全員が入れるほどではなかった。


 そのため、交代で三食――エルフたちの食事に合わせていた――を取ることになっていた。


 ありがたいことに食事はエレオナアルやショウたちが食べていたものより遥かにバランスの取れたものだった。


 食卓でホークウィンドが熱のこもった視線を向けてくる。


 目が合うとホークウィンドはウィンクしてきた。


 マリアは愛想を余り込めずに手をひらひら振り、静香は礼儀正しく無視した。


 朝食後に二人は荷造りを始めた。


 荷造りの手伝いに女性エルフたちやガルム帝国の女官たちに交じってホークウィンドが来たことに静香は「どうして貴女がここに来るの」と邪険に扱ったが、ホークウィンドはまるで動じず「将来のお嫁さんたちのことを知っておかなきゃね」としれっと言った。


「それにアリオーシュの配下の襲撃が無いとも限らないし」


 昼食を挟んで、もう少しで準備が終わるという所で、マリアがホークウィンドに話しかけた。


「私たちにこんなに構うなんて、アトゥームさんと上手くいってないんですか?」


 アトゥームとホークウィンドが恋人同士というのは周知の事実だった。

 

 静香が慌てて言った「マリア――」


「先輩、私たちがお風呂でされたことを思えばこれくらいは良いです。で、上手くいってないんですね」


「そんなことは無いよ」ホークウィンドは機嫌を損ねた風もなく言った。


「アトゥーム君はこれ以上ないくらいボクを愛してくれてる」ホークウィンドは言葉を切った。


「ボクはそれで救われてる。だけどアトゥーム君はボクの愛では救えない」


「誰の愛であれ、アトゥーム君は救えない」


「戦うことでしか生の実感を掴めない。そういう人なんだ」


「人の愛で救われないなんて、悲しすぎます」とマリア


「そうだね。でもボクにもどうにもできない」


「戦場で多くを見過ぎたんだ。アトゥーム君の心はもう休息を知ることは無い。軍人風に言えば「死体を見慣れた目」の持ち主ってやつ」ホークウィンドは辛そうな色を隠していたが、隠しきれるものではなかった。


「アトゥーム君にはせめてもの慰めをあげるのが精一杯」


「マリアちゃんや静香君にはそんな風になって欲しくない」


「アトゥーム君一人で見てきたものだけでも十分なのに、アトゥーム君は戦場で斃れた人、戦争で傷を負った全ての人の記憶と哀しみを背負わなければならないという運命を自分で選んでしまった。最強の戦士となるために。その結果として統合失調症に罹ってしまった」


「だから私たちにも余所余所しいところが有るの?」今度は静香が聞いた。


「今は統合失調症は寛解しているけど、自分の哀しみを他人に背負わせたくない、それで他人を寄せ付けない、そうなっているのは間違いないよ」ホークウィンドは息をついた。


「こんな思いをするのは俺一人で十分だって言ってる」


「アトゥームさんに愛しているなら、全てを分かち合って欲しいって言ってみたの?」


「愛しているから見せられないものもあるって。分かるけど、でもボクは納得はできないよ」


「それで不満なんですね」マリアが言う。


 ホークウィンドはしばらくの沈黙の後「そうかもしれないね」とようやく言葉を絞り出した。


「ショウが敵わないわけね、覚悟が違い過ぎる」静香がつられるように言った。


「私だってそこまでのものを背負う覚悟は無いわ」


「背負わない方が良いよ」ホークウィンドがきっぱりと言う。


「さて、こっちの準備は終わり」ホークウィンドは服の入った袋の口を閉めて言った。


「あとは、二人の乗る馬を選べば良しと。乗り慣れた馬はいるよね?」


「はい」


「ええ」


「なら後は明日でも大丈夫だね」


 旅立ちの準備を終えた三人は少し休憩を取って、夕食後入浴したのだが――少しはしおらしくなったと思った――ホークウィンドのセクハラは全く変わらなかったのだった。

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