知恵と戦いの女神 ラエレナ

 ガルム帝国軍が到着する前々日の夜。


 その夜にラウルは自身の奉ずる知恵と戦いの女神ラエレナと交信を試みると言っていた。


 静香とマリアはそれぞれに思う所が有ったが、是非来るようにとラウルに言われ、その場に行くことにした。


 その晩は静かな月夜だった。


 エルフたちは、他種族の奉ずる神にも寛大で、差し迫った用事の無い者は殆んどの者が参加した。


 黒の塔の前の広場の急ごしらえの簡易な祭壇の前で、ラウルは歌うような声でラエレナ顕現けんげんの為の呪文を唱える。


 呪文が終わり、ラウルは腕を下ろした。


 ラウルの青い法衣ローブがはためく。


 儀式が終わり5、6分を過ぎたころ、祭壇の上、中空に長い白銀の髪に胸当てを付け剣を腰に下げた美しい女性の姿――ラエレナの姿だ――が一陣の風とともに現れた。


 ラウルはひざまずいて女神に礼をする。


「我が主よ、今宵この場に出でて頂き、感謝に堪えません。差し迫った脅威――混沌の女神アリオーシュの脅威に対し、我が主の力添えを頂ければと」


「面を下げることは有りません。ラウル司教」女神がこの世のものとは思えない美しい声で言う。


 穏やかだが、辺りを圧する迫力のある声だった。


「この塔に戦いに来てくれたエルフとガルム帝国の皆さん、アリオーシュが現世に召喚されるのを防いだこと、真によく働いてくれました。私だけでなくほかの神々にも代わって礼をします」


「澄川静香さん、七瀬マリアさん」ラエレナの呼びかけに二人は驚いた。


 女神の瞳にはこの世の者ならぬ叡智えいちの光が有った。


「貴女方の運命は楽なものではありません。貴女方を召喚したのは直接的にはエレオナアルとショウですが、そうするよう仕向けたのは他ならないアリオーシュです」


 マリアと静香は唯一絶対の神を信じていたが、目の前の女神は確かに神が降臨したならという姿をしていた。


 二人が女神について思ったことを読んだのだろう、ラエレナは言った「貴女方が私、知恵と戦いの女神を敬う必要はありません」


「信者の数を競う、混沌の神々の様なことを私たちはしません」


「聞きたいことが有ります。女神様」マリアが精一杯の勇気を出して言った。


「唯一絶対の神はおられるのですか?おられるならなぜ世界はこんな状態で、力なき人が苦しむのを放っておかれるのですか?」


 女神は答えた「全知全能の神はいます。私たち神々はその神の手助けをする天使のような者たちと考えれば、神々がいる理由が理解できるでしょう。貴女はそれを疑問に思っていたのでしょう。静香さん」


「はい」敬虔なカトリックの静香だったが、ラエレナの言葉に頷いた。


「マリアさん。世界が今の様な状態なのは――世界は人間の思考を映す鏡のようなものです――特に貴女方がいた世界でそうなのは――人間が、この世界では人間以外の知的生命体たちもですが、殆んど全ての者が程度の違いこそあれ力こそ全てと、そう思い込んでいるからです。悲しいことですが」


「神はそれに対して、直接介入することはしません。全ての者が自由に生きる、そうしないと神が生命を創造した意味が無くなってしまうからです」


「傷つく人が出るのも仕方がないと言うのですか?」マリアが言う。


「貴女や静香さんが傷ついているのは分かります。貴女が怒りを感じるのも無理も有りません。ですが助けはあります。神の意識を体験すれば、あらゆる傷は癒されます。仕方がないことではありませんが、貴女達が成長する過程で一切傷を負わなかったら、他人の痛みを知ることも、真の意味で共感することも無いでしょう。いつか貴女方も他の全ての魂も救われます。それを知った時、全ては完璧だったと理解できるでしょう」


「女神が存じているか分かりませんが、私たちの救い主が十字架に架かったのもそれを知るためなのですか?」今度は静香が問うた。


「ナザレのイエスのことですね。彼は十字架に架かることでそれを知ったのです。彼は今でも彼を呼ぶ者を助けています。ただ、イエスの意識に到達したのは彼一人ではないという事も理解しないといけません。女性でも彼の意識に到達したものもいるのですよ」


「キリストの教えだけが唯一の救いではない、そうおっしゃるのですか?」と静香。


「その通りです。神の目的は人間が、あらゆる生命が神と一体であることを知ることです。それを教えたのはイエス一人ではありません」


「アリオーシュはどうなのですか?」とマリア。


「アリオーシュの真実を掴めるのはマリアさんと静香さんだけです。アリオーシュを真の意味で「倒せる」のも貴女方だけ。アリオーシュも救いを求めているのです」


「邪神をも愛せと言うのですか?」とマリアが言う。


「『汝の敵を愛せよ』、貴女方の救い主もそう言ったはずです。倒すなとは言いません、貴女方が元の世界に帰るためにもそれは避けられない。ただ憎悪に任せて滅ぼすのは貴女方にも良くない結果を招くでしょう。愛を持って倒すことも不可能ではありません。それが出来るからこそ、アリオーシュは貴女達を恐れ、同時に執着しているのです」


「グランサール皇国は?」静香は聞いた。


「皇国が全ての者に平和をもたらさない方向に向かっているのは確かです。敵を愛するということは、全て相手の言うままにするということではありません。放っておけば、エルフや他の亜人族だけでなく、皇国にとっても破滅的でしょう」


 静香はジュラールのことを思い出し、マリアの過去を思い出して聞いた。


「自殺した人は救われない、それが私たちが神の教えとして聞いてきたものです。それはどうなのですか?」


「自殺したから地獄に落ちる等ということは有りません」


 ラエレナの姿が薄れだした。


「もう時間は無いようです。静香さん、マリアさん。ラウル司教と共にエセルナート王国の“狂王の試練場”で鍛錬を積みなさい。短期間でアリオーシュに対抗するにはそれが一番でしょう。アトゥームさんとホークウィンドさん、アリーナさんも彼女たちを助けてあげて下さい」


「待って!私の父と母は?家族は!?――それに、ジュラールさんは!?」マリアが必死に叫ぶ。


 薄れゆく姿の中、ラエレナは微笑んだ。


 二人にはそれで十分だった。


「――良かったね」すぐ後ろからホークウィンドが二人に言った。


「――はい」マリアは応えて言った。


「――私も」静香も同じ思いだった。

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