ジュラール=ド=デュバル卿の最後の祈り

「――神よ、どうか――」


 グランサール皇国皇室付近衛騎士、ジュラール=ド=デュバル卿は、不気味な赤い光が床から灯る大きな玄室の中で、床に這いつくばりながら、今の彼にとって最も大切な女性二人――異世界から召喚された澄川静香と七瀬真理愛の少女二人――が、グランサール皇国戦皇エレオナアルや勇者ショウ、混沌の女神アリオーシュから護られるようにと、少女たちから聞いた全知全能の神に懇願していた。


「――もし貴方かみが本当におられるのなら――」


 間もなく自分は人間ではなくなる。


 そう悟ったジュラールは神に祈りながら上半身を起こし、愛用の片手半剣バスタードソードを持って刃を頸動脈に当てる。


「――どうか、どうか、貴方かみを心から愛している、あのお二方を――」


 一拍間をおき、刃を見つめ、心を静めて、


「――どうかお守り下さい――!!」裂ぱくの気合を込めて一気に剣を手前に引いた。


 血が噴水のように噴き出す。


 痛みはまるで感じなかった。


 時が止まったかのようだった。


 血の気が急速に引き、薄れてゆく視界の中で、自身の名誉にかけて護ると誓った七瀬真理愛と澄川静香が邪神アリオーシュに捧げられようとしているのを見た。


 同時に進行している事なのか、七瀬マリアが生贄に捧げられようとしている片隅で、エレオナアルとショウが澄川静香の寝室に入り込もうと悪足搔きしている映像が召喚の魔法陣の上の方に映し出されていた。


 儀式が進んでいる最中に、ジュラールはそれを阻止しようと魔法陣の中に入ろうとしたのだが、魔法陣の光に邪魔され、脚の腱も絶ち切られて這うのが精一杯の身体にされてしまったのだ。


 投げナイフも魔法陣の障壁に阻まれた。


 まだ儀式は続いている。


 魔法陣の上に映し出された映像では、何とか部屋を開けさせて静香を汚そうとエレオナアルたちが甘言を弄して騙りかけている。


 動脈を切ったのにすぐには意識が失われない――これも混沌の力か――ジュラールはそう思った――静香が危険に晒されている様子も、マリアが生贄に捧げられる儀式も、視界が暗闇に包まれたのに未だに脳裏に映し出され、音が聞こえ、匂いさえも感じられていた。


 感覚同調の魔法だ。


 二人の不安と絶望、それでも生きようとする本能や希望さえも生々しく感じられた。


 ジュラールの懇願する祈り――少女二人に救いを――という必死の祈りをも――混沌に魂を奪われんとしてなお抵抗する健気な他の生贄たちの感情も――邪神は全て吸い尽くさんばかりにどん欲に味わっているのだ。


 アリオーシュは生贄に捧げられた全ての者たちの、その必死の感情を心ゆくまで堪能している。


 魂の悲鳴――アリオーシュにとってそれは花の蜜のようなものなのだ――


 アリオーシュのその満足感まで自分は共有している。


 絶望的だった。


「――どうか――」


 ――この願いだけは――永遠に続くようなその絶望の内に、それでも諦めることなく祈り続けたジュラールは、意識を失った。



 *   *   *


「ジュラール。大変だ!」


 大声ではないが、緊迫した様子で親友の騎士がジュラールの部屋に飛び込む様に入って来たのが数刻前の事だった。


 静香とマリアに組するという計画が漏れた――?


 しかし騎士が伝えたのは彼の想像を超えた言葉だった。


「マリア様が邪神召還の生贄にされようとしている」


 ジュラールは耳を疑った。


 噂に過ぎないと思いたかったあの話。


 ジュラールたちの主君エレオナアルが混沌の女神アリオーシュと通じているという噂。


「本当なのか?オーギュスト」


「エレオナアル陛下とショウ様付きの我々の仲間からそれぞれ緊急の連絡が有った。陛下がマリア様を生贄にせよと内々に命を下したのを聞いたと」オーギュストと呼ばれた騎士は続ける。


「陛下なら静香様も傷つけかねない」


 ジュラールは亜人たちやマリアと静香を救うことこそ真の騎士道だと信じる仲間を集め、いざというときにエレオナアルやその同調者たち――亜人排斥論者たちに対抗する勢力を造ろうとしていた。


 ジュラールの魔剣には限定的だが、相手が嘘をついているかどうかを見破る力がある。


 ジュラールは直々じきじきに仲間にしていい相手かどうかを見て秘密を打ち明けていた。


 魔剣の力と自分の眼力、この二つで仲間を集めていたのだ。


 エレオナアルがこれ以上暴走するなら、それを止めねばならない。


 それがデュバル家の先祖たちも望むことだろう。 


「アリオーシュ召還の場所は?」


「地下の最も広い玄室とのことだ。鎧を身に付けている時間は無いぞ」


 飛び込んできたオーギュストも鎧は着けていない。


 得物の鎚鉾メイスと盾だけだ。


「ジュラール、君はマリア様の部屋に向かってくれ。僕は静香様の部屋に行く。マリア様に危機が迫っている事を伝えないと。信頼できる騎士を2名連れて行く。静香様が戦ってくれればそうそう簡単にショウ様や陛下にも負けないはずだ」


 この黒の塔には下僕や女官も含め百名近くのグランサール軍が駐屯している。


 近衛騎士の大半は形勢が皇国に不利になりつつある今も現戦皇エレオナアルに忠誠を誓っていた。


 この塔に来た者も例外ではない。


「分かった。グランサールの為にもマリア様がアリオーシュ召喚の生贄にされることだけは何としても防がなければ」


召喚術士サモナーがいるなら魔法を使うかもしれない――魔法使いはジュラール、君の方にいた方が良いだろう」


「すまない」


「静香様にこのことを伝えたらすぐに君と合流する。君も急いだ方がいい」オーギュストはそれだけ言うと急ぎ足で出て行った。


 ジュラールは部屋の片隅に置いてあった伝家の片手半剣バスタードソード――デュバル家に代々伝わる魔剣――を取り、大盾を取ると、仲間の騎士や魔法使い、戦力になりそうな者たちを呼び集めに行った。


 仲間の数は少なかった。


 オーギュストの方に騎士2名、ジュラールの方に騎士5、魔法使い1名、あとは戦えない女官や下僕たちだった。


 治癒術士は秘密は守ると言ってくれたが、仲間に加わってくれなかった。


 この塔で一番広い玄室は地下7階のはずだ。


 玄室に向かう道に他の騎士たち――エレオナアルに忠誠を誓った者たち――が置かれているかもしれない。


 まずやらなければならないのは、一刻も早くマリアのいる部屋に行くことだった。


 上手くいけばエレオナアルたちより早くマリアの身柄を確保できるかもしれない。


 ジュラールたちは怪しまれないよう軽装のままマリアの寝室へと急いだ。


 マリアには意思伝達用のペンダントは与えられていない。


 魔法使いに意思疎通の魔法を使ってもらい、状況を説明して説得するしかない。


 マリアはジュラールの顔を覚えているはずだ。


 先に会うことさえできれば――ジュラールの願いは空しかった。


 いつもマリアの部屋の前にいるはずの警護兼監視役の騎士たちがいない。


 ほとんど乱入という感じでマリアの部屋に入る。


 部屋はネズミ一匹いなかった。


 紙一重の差だろう、寝台にはまだ温もりが有った。


 念の為、魔法使いが生体検知の魔法で部屋を調べたが反応は無かった。


 ジュラールたちは地下7階の玄室へとできるだけ早く、しかし戦いに備え息を切らさないように急ぐ。


 予想に反して途中の道に敵――かつての仲間、グランサール皇国近衛騎士たち――はいなかった。


 マリアが連れて行かれたはずの玄室の石造りの扉を開ける。手に下げたランタンに大部屋が照らされる――そこにも何もなかった。


 マリアの姿も無い、それどころか召喚の儀式に必要なものも、魔法陣さえもない。


 ジュラールたちはランタンを掲げてあちこちを照らすが何も無かった。


 どういうことだ――ジュラールたちは顔を見合わせた。


 幻覚の魔法を使われているのか?


 それとも最初からアリオーシュ召喚の話が嘘だったのか?


 アリオーシュ召喚の場所が間違って伝わったのか?


 反抗の計画がどこかから漏れて罠にかけられたのか?


 一体何が――


 その時部屋の中央が赤く濁った光を放ち、中に人影が現れた。


「マリア様――?」ジュラールは裸で部屋の中央に立つ人影――マリアのそれに間違いない――を見た。


 ジュラールたちは辺りを警戒しつつマリアへと走り寄る。


 マリアは茫然自失といった体でジュラールを見た。


「ジュラール……さん?」


「騎士は辺りを警戒、魔法使いは魔法が使われてないか調べろ」ジュラールは手短に命令を下す。


 魔法使いが魔力検知の呪文を唱えだす。


 何かがおかしい――ジュラールは周りの状況に違和感を禁じ得なかった。


 マリアも何か変だ――確かに姿かたちはマリアだが、どこかしら彼女とは違う――


 そう思った瞬間だった。


 ジュラールは確かに見た。


 マリアの口が邪悪な笑みに歪むのを。


 ジュラールはマリアが笑うその一瞬のうちに盾を捨て両手で片手半剣バスタードソードを握って振り下ろしていた。


 片手半剣バスタードソードはマリアの脳天から下腹部までその肉体を真っ二つに切り裂いて骨盤の骨に当たって止まるところまで食い込んだ。


 マリア――?の血しぶきをジュラールはまともに浴びた。


 それでもマリアは笑っていた――いや――嗤っていた。


 ジュラールは剣を抜こうとして、できないのを知った。


 剣が深く食い込んだせいではない。


 片手半剣バスタードソードはマリア――の形をした何か――に絡めとられたように、微動だにさせることができなかった。


「流石だな、ジュラール=ド=デュバル卿」嘲るような声が上から響いた。


「今、呪文が唱えられれば全員即座に石と化していたところだ」


 龍の王国ヴェンタドールの勇者セトルの末裔、ショウ=セトル=ライアンの声だった。


「石化の呪文?これは――幻覚?、いや何だ、この怪物は――?」


「まんまとかかったな、ジュラール=ド=デュバル卿」まるで親友に語り掛けるような声色は確かにマリアのそれ――目の前の人ならざる怪物が言葉を発したのだ――マリアではない――がさらに歪んだ笑みを浮かべた。


「まさか、7人同時に石化など――そこまでの魔法はショウ様には――。黒の塔に来た召喚術士といえども――これは――」


「「そう、そうだな」」ジュラールの混乱ぶりが楽しくて仕方がないといった様子でショウと怪物は唱和して言葉を続けた。


「まず、お前の前にいるのは人間じゃない、アリオーシュの配下の悪魔族デーモンだ」玩具を自慢する子供のようにショウが言った。


「悪魔――?こんな強力な魔物が、召喚された?」


「エルフ共を数体も生贄に捧げれば造作も無い事だ。黒の塔全体を覆うほどの、五感全てを欺く幻覚魔法。時空のことわりを歪めこの現世とはわずかしか違わない無数の鏡像世界を見せる魔法。魔剣で切られても死なない身体。今話している俺様――勇者セトルの末裔、白の聖騎士“ホワイトパラディン”、ショウ=セトル=ライアン――の声と姿を遠くから双方向に中継する魔法。これら全てを同時に――確かに魔族にしか使えない魔法だ。部屋の本当の様子を見るんだな、ジュラール」ショウは嗤った。


 それと同時に砕け散るように目の前の光景が変わった。


 幻覚――?ジュラールには信じられなかった。


 これまで戦場やその他の戦いで幻覚魔法を使われることは多々あった。


 並の幻覚なら見破る自信がある。


 幻覚を使われた?いつから?


 いや、わずかに異なる現世を見せるとショウは言っていた。


 時間のずれか?それとも、もしもの世界、現世とわずかに違う無数の現世――その一部を世界ごとすり替えた――?


 部屋の様子は先程とはまるで違った。


 床には赤く明滅する不気味な光で彩られた魔法陣。


 魔法陣の要になる場所には全裸の女性のエルフの姿が幾つも転がっていた。


 部屋の中心にいたはずなのにいつの間にか部屋の隅――魔法陣の外にジュラールはいた。


 魔法陣の中央に痩せた男の姿――ジュラールが見たこともない法衣ローブ姿の男。


 目の前にいたはずの悪魔デーモンの姿も、仲間の姿も無かった。


 その時、重い音を立てて部屋の石造りの扉が開く。


「――マリア様!」扉から見知った少女の姿が入ってくるのを見てジュラールは叫んだ、しかしマリアには聞こえていないようだった。


 ジュラールは焦った。


「マリア様!逃げて下さい!――ここに来ては――!いけません!」そう叫んでもマリアには届いていない。


 少女――マリアの動きは駆けているはずなのに信じられないほど遅い――


「時間と空間そのものをも歪める魔法だ」ショウが自慢げに言う。


 部屋の中央に向かってショウの姿が有った。だがショウの後ろの魔法陣の赤い光が体を透けて見える、これが悪魔デーモンの魔法か。


「卑怯な――貴方も戦士なら正々堂々と私と――」


「嫌なこった。お前とやりあって万一怪我でもしたらこの後のお楽しみがパアになっちまうからな」ショウはふざけたように言った。


「裏切りの代償だ。ジュラール。お前には二人がアリオーシュに捧げられるところを見てから死んでもらう」ショウは一拍間を置いた。


「それが嫌なら自決するんだな、そのくらいの情けはかけてやろう」ショウは明らかに楽しんでいる。


 ジュラールの片手半剣バスタードソードは手に握られたままだった。


 ジュラールはショウの言葉が終わらないうちに魔法陣の中心に向かって突進した。


 召喚者を倒すか、儀式を中断できれば、まだ望みはある。


 しかし、不気味に光る魔法陣の中に入ることはできなかった。


 赤い光に身体が跳ね返されたのだ。


 ショウの嘲笑が響く。


 普通の召喚魔法は召喚の儀式の最中が最大の弱点のはずだ。


 信じられない思いでジュラールはショウに尋ねた。


「何故――陛下と貴方は本当に――」


「信じられないか」ショウはまだ高笑いしていた。


「混沌の神を呼び出す――?裏切られるのが落ちでしょうに!」


「それがどうした。アリオーシュをたばかるのは俺たちだ」


「そんなことは出来るはずもない。たばかられるのは貴方達だ」


「減らず口だけは達者だな。お前の大切な静香も俺様たちが犯してから魂はアリオーシュにくれてやる算段だ」


「オーギュストは、オーギュストが向かったはず――」


「まだ分からないようだな、お前たちの企みを俺たちに売ったのは他ならないオーギュストだ」


「馬鹿な――!」ジュラールは頭に血が逆流するのを感じた。


「お前たちはまんまと罠にはまったんだよ、ジュラール。俺たちはお前たちが陰謀を巡らせているのを知っていてわざと放っておいたんだ」ショウは嬉しそうだった。


「アリオーシュ召喚に最適な星と月の位置がそろうのを待っていたのさ。ここに連れてこられた者の大半は訳ありの――力は有っても皇国の役には立たないと判断された者たち――純粋な人間の血を引かない人間もどきや――或いはお前のような反抗的な騎士とかのような――危険思想の持ち主などだ。現世に召喚されたアリオーシュへの生贄という訳さ」ショウは余裕を持って喋る。


「今この時にこの場所でマリアと静香がアリオーシュに捧げられるというのは間違いのない事実だ。情報を故意に漏らして反乱者をあぶり出すためだ――お前なら嘘をつかれているかどうかは魔剣の力で分かるだろう」


 ジュラールは魔剣の力を使う――確かにショウは嘘はついていなかった。


「どこまで卑劣になれば気が済むのですか?我が陛下も、貴方も」ジュラールは半ば憤って叫んだ。


「戦場では卑劣な奴ほど生き残るものだ」


 その言葉でジュラールは怒る気力が失せた。


 いかにもエレオナアルやショウらしい。


 あきらめにも似た思いは今まで何度も味わされてきたものだった。


 一緒に来た騎士と魔法使いは?


 ジュラールが疑問に思ったとたんにショウが答えた。


「もう生きてはいない。いや、生きてはいるがもはや人間ではないというべきだな。騎士には混沌の悪魔デーモンと化す呪いを――悪魔化デモナイズとでもいうべき呪い、魔法使いにも悪魔化デモナイズ強制ギアスの呪いをかけた」


「呪いに読心――これも悪魔デーモンの魔法ですか。貴方には逆立ちしても到底無理な話でしょうから」冷静さを取り戻したジュラールは皮肉を込めて言った。


「黙れ!下郎が!」プライドを傷つけられたのだろう。


 怒気を精一杯にはらんだショウの声がわんわんと頭蓋の中に響いた。


 ジュラールの前にいるショウはこれ以上は無いという感じの憎々し気な表情を見せる。


 同時にジュラールは激痛が両脚の腱に走るのを感じた。


 脚の腱を切断された――ジュラールは倒れこむ体を腕でとっさに支えながら悟った。


 致命傷ではないが、歩くことも、まして走ることも出来なくなった。


 部屋の外に逃げて、静香に事を知らせることも出来ない。


 ショウは頭を振って自分を落ち着かせる。


「お前にはとっておきの苦痛を用意してやる。護ると誓った淫売二人が汚されてアリオーシュに捧げられる様をその目で見るという罰を」


「どこまでも――」ジュラールは静かな怒りが再び湧いてくるのを感じた。


 ジュラールは怒りながらも投げナイフを取り出した、無駄だろうが、試さないわけにはいかない。


「見まいとしても無駄だぞ。お前の網膜に二人が死ぬ様を直接映し出し、音も匂いも触感も、絶望する二人の心さえも送り込んでやる」


「――この!」ジュラールはナイフを投げる。予想通り赤い光に遮られてナイフは床に落ちた。


「最初からそのつもりでいたのだな。陛下も貴方も、最初から私たちも静香様もマリア様もたばかってアリオーシュ召喚の生贄に使うつもりだったのだな」とジュラールは腹の底からたぎってくる感情を押し殺して言った。


「その通りだ」ショウは満足したように返事をした。


 ジュラールは這って魔法陣に近づくと、剣で魔法陣を破れないか試そうとした。


 何とか魔法陣の中に入れないかと必死に身体に力を込める。


「アリオーシュはお前にも興味を示している。お前の戦士としての能力を高く買っているようだからな。お前が全てを見届けるころには、お前も悪魔化デモナイズされ、アリオーシュのしもべとして仕える身になる。お前が悪魔デーモンを斬った時、既に呪いはかかっていたんだよ。お前にはもう解呪ディスペルすることはできない」


「混沌の配下になるくらいなら、自ら命を絶つまで」ジュラールは魔剣を力を込めて振るう――赤い光を破るべく。


「自殺すれば悪魔化デモナイズは防げるが、騎士として護ると誓った二人の最期を見届ける忠誠は守れなくなる。お前の信じる”騎士道”を裏切ることになるだろうな。情けというのはお前が騎士の誇りを捨てれば得られる。だが、それでなくとも出来るかな。生を捨てて死を選ぶなど」


 ジュラールはほとんど耳を貸さずに魔法陣を破る努力を続けていた。


「自殺すれば騎士道を捨てることになる、だと?人間以外の何かに成り果てアリオーシュの配下になるのも十分騎士道に反することだ」ジュラールはきっぱりと言った。


 ショウはいかにも魅力的な提案をするかのようにジュラールに語った「アリオーシュのものになれば、お前と静香とマリア、永遠に三人で仲良く暮らせるんだぞ。そうなれば本望だろう」


「違う――」ジュラールは手を休めることなく、しかし怒りに燃えて言った。


「静香様ならそんな幸せを望んだりはしない。貴方達とは違う。二人でいられれば後はどうなろうとも構わないなどとは言わない。そんな甘言に乗るような人ではない、マリア様も静香様も」


「そうかな」 ショウはつまらなそうに言うと、真面目な口調になって話を続けた。


「かつてのお前の恋人とまるで違いが分からないほど瓜二つの女をアリオーシュがくれると言っても、アリオーシュの配下に加わる気はないか」


「彼女は彼女だ。彼女以外の他の誰かなど、私はいらない」


 無理をしたせいだろうか、切断された腱の痛みがひどくなってきた。


「お前は融通の利かない、本当の間抜けだな。下らん騎士道に縛られてるばかりの本当の間抜けだ。しかも死ねばその騎士道にも反するというのに。不死の体を得たいとは思わないのか?」


「私はそんな力など、欲しいとは思わない」


「裏切り者の分際でまだ騎士気取りか」


「先に裏切ったのは貴方達の方だろう、龍の王国ヴェンタドールの勇者セトルの末裔、自称白の聖騎士“ホワイトパラディン”、ショウ=セトル=ライアン。それにグランサール皇国現戦皇エレオナアル=ド=エリトヘイム=イワース=アークヒル=エイリトラー=ユーディシウス=グランサール252世」


「聞いているのだろう。我が主君。貴方は我々のみならず、罪の無い無垢な少女二人までも己らの醜い欲望のためにたばかって裏切った」


「裏切りは世の常だ」ジュラールの執念にいささか恐怖の色をにじませた声色が――汚いとまでは言わなくても濁ったような声が――ショウの隣にくすんだ金髪とくすんだ蒼い瞳の、ジュラールの主君の映し出された姿と共に答えた。


「いつかは貴方も裏切られることだろう、哀れな我が主君、エレオナアル」


「お前がどう言おうが、哀れなのはお前――惨めで哀れなクズ野郎の負け犬――ジュラール=ド=デュバル卿だ」ショウが割り込む。


「勝つことにしか価値を見出せない。惨めで哀れなのはショウ、貴方の方だ」ジュラールは冷たく反駁した。


 ジュラールは一拍おいてさらに言った。


「力しか目に入らない。滑稽極まる人間のクズだ、貴方達は」


「ならばその“クズ共”に大切な女が汚される様を見るんだな。無力なお前にはふさわしい。力も無いくせに口だけは達者な無力なお前に」


「言いたいことはそれだけか。“勇者”ショウ。下らない力を欲する子供じみた“勇者”に“戦皇”。私が忠誠を誓った女性たちは貴方達のように弱くはない。意趣返しを喰らわないよう注意することだ。これ以上は話しても無駄なこと。元、我が“主君”エレオナアルに“勇者”ショウ」


「捨て台詞か。負け犬か、愚民共と変わらんようだな。ジュラール」精一杯の虚勢を張ったエレオナアルの尊大な声。


 ジュラールは何も答えなかった。


 目の前には全裸のマリアが横たえられ、ナイフ片手に無様に舞い踊るような動きの法衣ローブの男。


 ガラスを重ねたかのようにその上にショウとエレオナアルが地上5階にある静香の部屋に向かう様子が見えた。


 静香を強姦して彼女の魂をアリオーシュに売るつもりの二人だ。


 ジュラールは疲れ切った身体を休めるため――そして自分の行く末を自分で決めるため、力を抜いた。 


 ショウたちが部屋の扉の前にたどり着き、呪文を唱え始めるのを目で見て、耳で聞いた。


 悪魔はもうアリオーシュの世界に戻ったのだろう。


 呪文は風の精霊、シルフィードに覚えさせた特定の人間の言葉をオウムのように再生させる単純なものだった。


 多少の魔法しか使えないくせに勇者の末裔を声高に叫ぶ“白の聖騎士”(ホワイトパラディン)を自称する、いかにも小者らしいやり口だ―苦々しくジュラールは思った。


「静香先輩」マリアのものと寸分たがわぬ声が聞こえた。


 ――静香様、その声は――


 無理な願いとは分かっていた。


「マリアなの!」静香の声が厚い扉の向こうから聞こえる。


 ――自分はどうなっても静香とマリアだけは――いや、違う――自分自身のためにこその願いだ――ジュラールは衷心から神に祈りをささげた。


「――神よ、どうか――」自分が人間でいられる時間は残り少ない――切断された腱の痛みを嘘のように感じなくなった時、ジュラールは覚悟を決めた。


 上半身を起こし剣を握りなおす。


「この期に及んで神頼みか」-――嘲りをジュラールは無視した。


「――もし貴方かみが本当におられるのなら――」


 愛剣の刃を自分の頸動脈に当て――。


「――どうか、どうか、貴方かみを心から愛している、あのお二方を――」


 一拍間をおいて、刃を見つめ、心を静めて、


「――どうかお守りください――!!」裂ぱくの気合を込めてジュラールは剣を一気に引っ張った。


 ジュラールの首から噴水のように血が噴き出す。


「――どうか――」もどかしいほどゆっくりと薄れゆく意識の中で最期までジュラールは神に懇願し続けた。


 ――この願いだけは叶えて欲しい――と。


 深い闇の中にジュラールは沈んだ。


 闇に落ちる最中に誰かが彼を呼んだ――そんな気がした。


 それは幻ではなかったことをジュラールは知ることになった。

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