別れと決意

 6人は黒の塔の前の広場――馬術の練習などを行う練兵場として使われていた――に転移した。


 広場はあちらこちらでかがり火が焚かれ、弓と剣で武装したエルフとグランサール皇国とは違う鎧に身を包んだ人間族の兵士たちが辺りを警戒し、一部の連絡役と思しき者が声を掛け合っていた。


 奇襲を受けて抵抗する間もなく制圧された感じだった。


 静香の目の前には手当てを受けている兵士や騎士たち、エルフなどが集められた一角があった。


 「ラウルさん。こっちです!」先程ペンダントから聞こえたのと同じ澄んだ声が呼ばわった。


 白い法衣ローブに身を包んだ燃えるような赤毛のエルフの女性が手を挙げている。


 彼女がアリーナだろう。


 「先に行け」アトゥームは蘇生したばかりのエルフの女性――まだ目を覚ましてはいなかった――を看護の者に預けると状況を近くのエルフの士官に説明しはじめた。


 静香とラウル、ホークウィンドと彼女に抱えられたマリアはアリーナのほうへ急いだ。


 治癒魔法が失敗した者だろうか、怪我が癒えていないものが集められている一角だ。


 「ジュラール!」アリーナの隣に見覚えのある長い茶色の髪の男が横たわっていた。


 傍らには自害するときに使ったのだろう。子供の背丈ほどもあるジュラールの片手半剣バスタードソードが置いてあった。


 剣の根元に血がついていた。


 「ジュラール!しっかりして!」静香はひざまずいてジュラールに声をかけた。


 静香の声に反応するようにジュラールはうすく目を開いた。


 紫色アメジストの瞳に力は無く、顔は蒼白だった。


 「静香……さま……?」声はか細かった。


 「ご無事で……何よりです……」


 治癒魔法は一度失敗するともうそれ以上かけることはできない。


 静香はそれを知っていた。


 「……マリア様もご無事だったのですね……」ジュラールの目に安どの光が宿った。


 静香はかける言葉が見つからなかった。


 「もう時間がないわ、話したいことが有るなら今の内に」アリーナは静香に促した。


 「……申し訳ありません……静香様との誓いを……果たせずに……」


 静香はこみ上げてくる感情――哀しみと怒りと憎しみと焦りのないまぜになった感情に翻弄されていた。


 「ジュラール……どうして……」――自害なんて――


 「……誓いを、果たせず……、……貴女たちを守るという誓いを……、……あの女性ひと同様……貴女たちを護れなかった……。……死をもっても償えない……。……誓ったのに……」


 「……ジュラール……」


 「……私を……赦してくれとは言いません……、……間違っていたのは……私と……皇国の……」


 喋らないでとは静香は言えなかった。


 「……静香様……」ジュラールはそろそろと右手を伸ばした。


 ジュラールの力のない瞳が静香を見つめていた。


 ジュラールの手が静香の頬に近づいてくる。


 静香は微動だにできなかった。


 精一杯の力を込めているのだろう、だが、腕全体が震えて、動きはおぼつかなかった。


 夢遊病者のような動きだ。


 ジュラールの手はゆっくりと近づいて、あと少しで静香の頬に触れる所まできた。


 糸の切れた操り人形のようにジュラールの腕がぱたりと地面に落ちた。


 「ジュラール!」


 応えは無かった。


 ジュラールの眼は閉じていた。


 「……ジュラール……」


 ジュラールの顔はほとんど微笑んでるかのように穏やかだった。まるで眠っているかのように。思い残したことなどなかったのように。


 「……嘘でしょう……ジュラール……何か言って……お願いだから……」


 静香はまだ現実を受け入れられずにいた。


 静香はアリーナを見た。


 アリーナは目を閉じて、無言で首を横に振った。


 「そんな――」静香は絶句した。


 「……どうして貴方なの?……どうして死なないといけないの?……どうしてあの二人が生き残って、貴方が死なないといけないの?……何も悪くない貴方が死んで、どうして――」静香はみるみるうちに涙が溢れてくるのを自覚した。「神様なんて――」


 その時、静香は後ろから優しく抱きしめられた。


 「静香先輩」


 聞き覚えのある声――マリアの声だった。


 「マリア――」


 「静香先輩のせいじゃありません」声には心からの同情が有った。


 「でも――」静香はまだ納得していない。


 「ジュラールさんですよね。ジュラールさんはこれを私に渡してくれたんです」


 マリアの小さな掌が開かれ、そこに見覚えのある紙片があった。


 静香がジュラールに頼んでマリアに届けてくれるよう頼んだものだった。


 マリアを助けに行くから待っていて欲しい、日本語でそう書いた紙だ。


 渡してくれる人はジュラールという名の、二人の味方になってくれる騎士だとも。


 「――マリア!」


 静香はマリアの中にくずおれた。


 「私、助けられてばかり――誰も助けられない。誰も守れない。どうして助けられないの――私、私――エルフも、ジュラールも――」静香は嗚咽を必死にこらえた。


 「どんなに願っても足掻いても助けられない命もある」冷たい声。


 「時が来れば人は死ぬ。それは避けられない」いつの間にかアトゥームが隣にいた。


 アトゥームは両手剣ツヴァイハンダーを持つと騎士に向かって短く刀礼した。


 「泣いても笑っても死んだ人間が蘇るわけじゃない」


 蘇り――静香はその言葉で閃いた。


 「蘇生魔法を使えば――」静香は顔を上げて思いついたことを言った。


 アトゥームは感情を抑えた冷徹な瞳で静香を見て沈黙したままだった。


 ホークウィンドとラウルが気の毒そうに首を振る。


 「自殺した人間は蘇生できない。静香さん」穏やかだが沈痛にラウルが言った。


 「――そうなの……」静香はうなだれた。


 「私ってなにも出来ない」自嘲するように静香。


 「泣いてばかりで――肝心な時にマリアも助けに行けないで――大切な人を誰一人――」その時静香はマリアに強く抱きしめられた。


 「静香先輩」マリアはじっと静香の瞳を見つめて言った。


 「そんなことありません」静かだが力強い言葉。


 「先輩が命懸けで戦ってくれたから、私、助かったんです」断固とした口調。


 「ジュラールは」アトゥームが言葉を継いだ「命を懸けて護るべきものを探していた」


 「最後にそれを見つけた。騎士として護るにふさわしいものを。少なくとも不幸ではなかったはずだ。お前たちを護るだけでなく、自分自身の誇りを護ろうとした」


 静香はアトゥームの目を見た。


 深藍色の瞳はほとんど沈鬱と言っていい決意がたたえられていた。


 「俺はグランサール皇国を倒す。お前たちはどうする?」


 「私は――」静香は言いよどんだ。


 その時地下からだろうか、それとも夜空の上からだったろうか、あるいは周囲一帯からか、冷たく邪悪な美しい女性の声が響いた。


 エルフたちでさえ驚きの表情で辺りを見回した。

 

 「――澄川静香、七瀬真理愛――お前たちは私のものだ。常にそうであったのだ――お前たちは二人共々我がものになり、永遠に私に服従する喜びを味わうのだ――今回は機会を逃したが、次こそは我が手中にお前たちの全てを収める――楽しみにしておれ――」


 「アリオーシュ!」マリアが信じられないといった表情でつぶやく。


 静香とマリアはお互いに見つめあった。


 「多分、二人を召喚するよう仕組んだのはアリオーシュだよ。彼女を倒さない限り、元の世界には戻れない」ラウルが言った。


 「グランサール皇国は混沌の女神アリオーシュと手を結んでいるんですね?」とマリア。


 「――そうなら、道は一つしかないわ」静香はマリアを見つめて言葉を続けた。


 静香はアトゥームたちに向かって宣言した。


 「私たちは皇国と戦う。戦ってアリオーシュを倒して、元の世界に帰るわ」


 「それでいい?マリア」


 「先輩が望むなら。私、どこまでもお供します」マリアは言い切った。


 こうして二人は死神の騎士たちと共闘することになったのだ。

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