再会と出会い
「神様って本当に意地悪なんだから」
当の神が聞いたらマリアの言葉と大差ないと思うであろう言葉をひとりごちて、寝台の上で目を覚ました静香は寝返りを打った。
最悪と救いのないまぜになった夢見だった。
最初に二人に感じた悪印象は当たっていたのだ。
弱肉強食がまかり通る世界――それに抗う者もいるが—―この世界も現実世界もそう変わらないのか。
神様が嫌いとまでは言うつもりは無いが、そもそも何故こんな非道を許すのか。
神の実在を疑う人の気持ちも分からないでもない、そう思う静香だった。
――嫌な気分を振り払いたい――今日の訓練の後の入浴は済ませたが、気分直しにもう一度入ろうかしらと、静香は寝間着のまま女官を呼び鈴が付いた紐に手を伸ばそうと入り口の方へと向かった。
この塔の風呂は他の騎士たちと被らない限り一日の何時でも入れる。
その時、扉の方から声がした。
聞き覚えのある声――ダミ声とまではいかなくても濁った声――エレオナアルの声だ。
静香は警戒した。
今頃何の用だろう。
「何?」
「その、何だ」エレオナアルは口ごもるような口調だった。
「今までの事を――悪かったと考えてな」
「
「それも有るが――マリアとかいう女を人質に取ったことだ」
「何を今更。ふざけているんじゃないの」静香は扉にかんぬきがかかっているのを確かめた。
右手の指にもジュラールの指輪がはめられている。
「だから何が言いたいの?謝られたってあの
冷たい声で静香は答える。
「そう邪険にするなよ」いつもと変わらない尊大なショウの声がした。
「せっかくお前の愛しい女を連れてきてやったんだからな。ほら」
「静香先輩、私です。マリアです」
確かにマリアの声だった。
「マリア!マリアなの!」
「静香先輩」マリアが繰り返す。
「かんぬきを外してくれればすぐ逢わせてやる」とショウ。
「そうだ、そうだ。そなたの大事なマリアとやらを連れてきたのだ」エレオナアルが付け足すように言う。
「これからは二人を引き離すことはしない」
「マリア!」
ゴトリと音を立てながら静香はかんぬきを外した。
それが間違いだった。
ドアが押し開けられ、黒い奔流のようにショウとエレオナアルが乱入してきた。
静香はとっさに何が起こったのか分からなかった。
気づいた時には二人に組み伏せられ、床に押し倒されていた。
ショウが静香の後ろに回り両腕を頭の上にあげるように力を込めて押さえる。
「何を――するの!」
「何のつもりもないものだ」とエレオナアルが獣みたいな様子で言葉を吐きかけた。
「最初からこうする予定だったんだよ」荒い息を吐きかけながらショウ。
エレオナアルが寝間着を破ろうと手をかけたところで、静香はジュラールの指輪を思い出した。
「指輪よ、私を――」
「そうはさせん」ショウが右手にはめられた指輪を抜き取ろうとした。
静香は右手を握って指輪を守りながらエレオナアルが両脚を拡げようと手で掴みに来るところを右脚で蹴飛ばした。
静香の蹴りはエレオナアルの腹に決まった。
混乱した頭で静香はなぜショウがジュラールの指輪を知っているのかいぶかしく思った。
「よくもやってくれたな、このメス犬め――!!」エレオナアルが立ち上がり怒気に満ち満ちた表情で静香の方に向かってくる。
静香の右手が無理やり広げられ、指輪にショウの手がかかった。
指輪を奪われまいとするのに必死で、念じることもできない。
ついに指輪を奪ったショウは指輪を投げ捨てた。
「観念しろ、この淫売めが」ショウが吐き捨てるように言った。
束の間、静寂が支配した。
静香は覚悟を固めながらもう一度エレオナアルが近づいてきた時に蹴飛ばせるよう脚を縮めていた。
静寂を破ったのは静香だった。
静香は敢えて問うた。
「これは何の真似?マリアはどうしたのよ?」怒りの気持ちと裏腹に震える声を抑えようがない。
「最初からこういうことだ。お前の愛する女は今頃アリオーシュ神召喚の生贄に捧げられてる」
「そなたも後を追ってもらうぞ、メス犬が」先程の一撃に慎重になったエレオナアルがまだ怒気と欲情の入り混じった声で言う。
静香が抵抗する気を失くしたと見たのかショウとエレオナアルの二人は余裕を持ったようだった。
「どうした、もっと騒げよ、もっと泣き叫べよ、もっと手足をばたつかせて抵抗しろよ。面白くないだろ」ショウが苛立ったように言う。
「酒や魔法で眠らせたんじゃ女を犯す楽しみが無いものなあ」エレオナアルも便乗した。
「最低ね、貴方達――」
「何とでも言えよ、どうせ淫売なんだお前も他の女も」
「私が、”神殺し”を振るわなくなっても良いの!?」静香は自分で思ったより上ずった声で叫んだ。
「それなら大丈夫だ」エレオナアルがあざけるような口調で言った。
「そなたの魂だけをアリオーシュに捧げて、体だけ有ればいい。そなたの肉体にグランサール皇国に忠実な英霊の魂でも宿せば、”神殺し”は十分使える、もうそなたの肉体以外は用無しだ」
強姦した後、恐らく二人は静香を殺すつもりだろう。
静香は覚悟を決めた。
ジュラールの指輪も無い、神殺しも帯刀していない。
それでも、身体は犯されても、魂までは犯されない。
静香は泣きも喚きもしなかった。
隙を見て逃げ出せれば、まだマリアを助けられるかもしれない。
ジュラールと合流できれば――。
静香は瞬きさえも惜しんで、両腕に力を込め、冷静に二人の隙を伺った。
ショウもエレオナアルも荒い息を吐きながら静香を凌辱しようとしていた。
その時、静香は確かに見た。
エレオナアルの後ろで、何の音も立てずに黒い影が動くのを。
影はいきなり黒光りする棒のようなものをエレオナアルめがけて振り下ろした。
風を切る音すらしない。
突然、両腕を拘束していたショウの手が離れた。
エレオナアルめがけて振り下ろされた棒状のもの――長い両手剣だった――は中空で何かに邪魔されたかのように止まり、赤い液体が噴き出した。
舌打ちする音がした。
「エル、こっちだ!」ショウが喚くと、エレオナアルも部屋の奥に向かって駈け出した。
静香は放り出されるような格好で何とか倒れこまずにバランスを保った。
噴き出した赤い液体が血だったことに気付くまで少し時間がかかった。
部屋の隅で青白い光が走り、ショウとエレオナアルの姿が消えた。
黒い影が月光の下に姿を現す。
漆黒の鎧に身を包み長大な両手剣を持った黒いくせ毛の髪の男だった。
肌は月光の下でもそれと分かるほど白く、瞳は全ての感情を意志で押し殺した冷たい黒の瞳。
いや、黒ではなかった、信じられないほど深い藍色の瞳だ。
男は静香の傍らにかがんだ。
男の視線の先に、エルフの女性が倒れていた、肩から深い傷口が走っている。
エルフは虫の息だった。息をする度に傷口から血があふれた。
男は左の上腕部に付けていた
「何を――」
静香の言葉が終わらぬうちに男は
男はまるで無表情だった。
「貴方――」息を呑んだ静香の言葉が聞こえたのか男は言葉を返した。
「俺の両手剣で死んだ人間は、蘇生させることができない」
男は静香の目をまともに見た。
男の声は深く冷たくて美しかった。
「だから普通の
「蘇生?そんなことが出来るの?心臓に刃物が突き刺さったままなのに?」
「中部の魔法なら灰になった人間すら蘇生させることが可能だ」
静香はあることに思い至って男に声をかけた
「貴方、名前は――?」
静香の心臓が不吉な音を立てる。男の答えを聞いて静香の心拍数は一気に跳ね上がった。
「傭兵。アトゥーム=オレステス」
「”死神の騎士”――!!混沌の第一神、死の王ウールムの戦士!?」
「死が混沌なら確かに俺は混沌の戦士だが—―俺は死の王といえど忠誠を誓った覚えはない」
静香は混乱した頭を整理しようと懸命になった。
「ラウル。アトゥームだ。エレオナアルとショウには逃げられた。澄川静香は無事だ。ただエレオナアルに
ペンダントから声がした。
「分かった、アトゥーム義兄さん。こちらも七瀬マリアは無事保護したよ。女神アリオーシュの召喚と混沌の門の開門はなんとか阻止できた。今から転移の魔法でホークウィンド卿と七瀬マリアと僕がそちらに行くから少し待ってて」
「エルフの、女性が、グランサール戦皇の、護衛?どうなってるの?」
「エレオナアルは
「
「呑み込みが早いな」
「私には何が何だかさっぱりよ」静香は早口でアトゥームにまくし立てた。
「後で得心がいくまで説明する。それより服を着た方がいい」
静香は自分の姿にようやく気が付いた――ボロボロに引き裂かれた寝間着姿――自分の恥ずかしい姿に。
耳まで真っ赤にしながら与えられた普段着に着替え、そこでジュラールの指輪がショウに投げ捨てられたことを思い出した。
「指輪が――」
「魔法の品物か。ラウルが来たら探知の魔法で探してもらえばいい」
「マリア、そう、マリアは!?」
「無事だ。怪我もしていないはずだ。じきに逢える」
「あの二人は生贄とか言ってた—―アリオーシュ—―とかいう名も」
「発案したのはエレオナアルだろう。混沌の門を開くことで辺り一面を穢して、エルフたちとガルム帝国の侵攻を阻もうとした」
「七瀬マリアの純粋な魂がアリオーシュ、混沌の女神―最強の一柱の女神召喚の鍵だった。”神殺し”が選んだ戦士と共に、対ガルム戦の切り札になる—―それがエレオナアル達の狙いだ」
「お待たせ、アトゥーム義兄さん」まるで初めから居たかのように柔らかい声が響いた。
「ボクの活躍を褒めてよ、アトゥーム君」鈴の音の様な声が続く。
いつの間にか部屋の中央に見知らぬ二人の人影が有った。
ボクという一人称を使った背の高い影が毛布様の布にくるまれた人らしきものを抱えている。
毛布から覗く金髪に静香は見覚えが有った。
「マリア!?」
「君が澄川静香?よろしく。ボクはホークウィンド」ホークウィンドは静香にウィンクした。
静香は構わずマリアに駆け寄った。
あと一歩でマリアに触れられるという所で、マリアがかき消えた――静香にはそう思えた。
その刹那、静香の唇に柔らかい感触があった。
ホークウィンドと名乗った人影がマリアを上に掲げ、静香にキスしていたのだった。
「――っな!?、何をするのよ!」静香はホークウィンドに平手打ちをしたが、ホークウィンドはマリアを抱えたまま軽く後ろに下がって簡単に静香の一撃を躱した。
「つれないなぁ。マリアちゃんを救ったのはボクなんだからキスくらい良いじゃない」
「良くないわよ!それに私は男は嫌いなの!」
「それなら大丈夫だよ。ボク、女だし」
思いもかけない返事に静香は面食らったがそれでもからかわれたかのような怒りは消えなかった。
「ふざけてないで、早くマリアを返して!」
ホークウィンドの斜めに切り揃えたプラチナブロンドの髪と緑の瞳の中性的な美貌がさらに笑いを含む。
「もう一回キスさせてくれたら考えてもいいよ。キミとじゃなくてマリアちゃんとのキスでもいいけど」
「貴女――」
「そのくらいにしときなよ。ホークウィンド卿」もう一つの影――青い
「分かった分かったよ。もう、ラウル君は真面目だなぁ」
「はい、静香君」
ホークウィンドは静香の前に外衣に包まれたマリアをそっと置いた。
静香は外衣の下に服を着ているのを確かめてからマリアの胸に耳を押し当てた。
マリアの心臓の鼓動がはっきり聞こえた。
「――良かった」静香は思わず涙が零れたのを自覚した。
同時にエレオナアル達に襲われたことを思い出して、今更のように震えが出てくるのを抑えられなかった。
涙が止まらない。
身体は傷つけられなかったはずなのに。
マリアが助かったことに対する涙なのか、自分が襲われたことに対する涙なのか、あるいは両方がないまぜになったものか。それすら分からない。
「静香さん—―?」
「ラウル君は黙って」ホークウィンドは静香を抱きしめた。
静香はますます涙が止まらなくなってしまう。
「もう大丈夫。大丈夫だから」ホークウィンドに優しく言われ、静香はホークウィンドに身をゆだねた。
「――怖かった。怖かったの、怖かったの—―」ホークウィンドの腕の中で静香は子供のように泣きじゃくった。
アトゥームは静香はホークウィンドに任せて大丈夫だと判断した。
「ラウル。魔法を頼む」
「エルフの蘇生と
ラウルは死したエルフの傍らで呪文を唱え始めた。
ラウルの言葉が終わるとガラスが砕けるような音を立て額飾りに見えた宝石が砕け散った。
「まずは一つっと」ラウルは続けて呪文を唱えだす。
ラウルはエルフに向かって屈みこんだ、見る間に掌に白い光が大きくなる、左手で心臓に刺さったナイフに手をかけ力を込めて抜きながら呪文を継続する。
ラウルは光に包まれた右手をエルフの胸に当てる。
白い光が死体に吸い込まれた。
死体の全身から白い光が広がり、軽々とナイフが抜け、肩から走る深い傷が見る見るうちに消える。
エルフは息を吹き返した。唇から呼吸する音が微かに聞こえた。
「さすがだな、ラウル」
「とりあえずは成功だね」緊張していたのか、ラウルは溜めていた息を吐きだした。
「あとは指輪だね、魔力検知の魔法で大丈夫だと思うよ」
ラウルは魔力検知の魔法を唱えだした。
ラウルの目に様々な色に光る物体が映る。魔法の力を宿した品々だ。
部屋の隅に小さいが強い光を放つ物体をラウルは認めた。
ラウルは光の元に近づくと床から指輪を拾い上げた。
「これだね」ラウルは静香が泣き止んで、自分を見つめていることに気付いた。
ラウルはゆっくり静香に近づくと指輪を差し出した。
「はい」ラウルは優しく微笑みながら静香に指輪を手渡す「大切なものなんでしょ」
静香は呆けたような表情でラウルからジュラールの指輪を受け取った。
「死者を生き返らせるなんて、貴方、本当に奇跡の使い手なの?」静香は号泣した余韻で息をしゃくり上げながら尋ねる。
「奇跡じゃないよ、理論で構成された魔法。この世界には魔法を使わずに人を生き返らせる奇跡を起こす人もいるけれど、僕は違う」ラウルは静香の様子を診て言葉を続けた。
「マリアさんのイコンも制服も持ってきてる。だから、心配いらないよ」
「マリアが生贄に捧げられたって、エレオナアル達が画策したって、どういうことなの?あの二人は何が目的で――それに、死の王とか、混沌の女神とか、なぜ私とマリアを助けたの?」
「俺たちはグランサール皇国の打倒を目的にしている。皇国はエルフや他の亜人族、皇国が劣等と決めた全ての人間を抹殺しようとしている。それを止める為だ」
アトゥームの冷徹な声。
「皇国は現在ガルム帝国に対して防戦を強いられている。グランサール本土への侵入を止める為に混沌界と現世を繋ぎ、混沌に汚染された地域を作り出すことで、何者もこの一帯に入り込めないようになるよう画策した。門が開けばグランサールとても無事では済まないのに」
「アリオーシュって女神、混沌の女神って?」
「混沌界最強の女神の一柱だよ。エレオナアル達はアリオーシュに生贄を捧げ、世界を捧げる代わりに、自分たちがこの世界を支配する神の眷属に加えてもらうよう企んでたんだ」ラウルは穏やかに言った。
「じゃあ、唯一神ヴアルスの末裔っていうのは?」
「”皇国の正史”ではそうなってるけど、グランサールの権威付けに利用されてるだけだよ。ヴアルスはグランサール皇国の守護神というだけで、他の国では信じられてないし、皇国が人間の国で一番歴史があるというのも嘘。グランサール愛国主義を煽るために都合のいい神話を偽物紛いの歴史書から引っ張り出してきただけ。本当の全知全能の神とは無関係」
その時、ラウルが下げているペンダント―アトゥームが下げているのと同じものだった―から緊張した声がした。
「ラウルさん。アリーナよ。捕虜にかけた治癒魔法が失敗した。ジュラールという名の騎士なんだけど、自殺を図って頸動脈を切ったの。傷口はふさいだけど、大量の血を失ってる。もう長くは――」
静香は最後まで聞かずに部屋を飛び出そうとして、アトゥームに止められた。
「離して!」
アトゥームはあくまで冷徹だった「ここから走るより、転移魔法で飛んだ方が早い。こき使うようですまないが、頼めるか、ラウル?」
「大丈夫、それより急がないと」
ラウルが呪文を唱える、小さな風が舞い踊るとかき消すように6人の姿は寝室から消えた。
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