澄川静香の場合 その4

神様なんて大嫌いと異世界に飛ばされた少女たちは叫んだ 澄川静香の場合 その4


「――神様って本当に意地悪――」 

 

 静香は神が自分には重すぎる試練を背負わせているように感じていた。


 静香はエルフの剣舞士ソードダンサーがショウに殺された後、ジュラールとの訓練に一層集中するようになった。


 マリアが近くにいるのなら、助け出さなければならない。


 その時一番の障害になるのはショウだろう。


 ショウを倒すとまでは言わないにしても、マリアを庇いながら防戦出来るくらいの実力は身に付けておかないといけない、静香はそう考えた。


 ジュラールなら、手伝ってくれるとまでは思わなかったが、マリアを連れて逃げ出すくらいは見逃してくれるだろう。


 甘いと言われても仕方ないが、静香はその思いにすがることにした。


 訓練で戦うアンデッドモンスターも急速に強いものにしていった。


 魔力を持たない剣では傷つけることも出来ないゴーストやダムド、グレイブミスト、ライフスティーラーと呼ばれるモンスターたちなどだ。


 これらのモンスターの中にはマヒや毒、エナジードレインと呼ばれる精気を吸い取る攻撃をするものもいた。


 アンデッド以外にも魔法で造られたガーゴイルなどとも戦うようになった。


 命あるものとは戦ってなかった。


 静香は生あるものの命を奪うことに抵抗を感じていたからだ。


 できる限り命を奪うことは避けたかった。


 鎧を付けずに戦う訓練も増やしていった。


 逃げ出す時に鎧を身に付けられない可能性もある。


 全てはマリアを救うためだった。


 騎乗して武器を振るうこともかなり上達した。


 あぶみだけで馬を操ることも出来るようになった。


 厩の位置を覚え、馬の世話も心掛けるようにした。


 馬に乗って逃げてしまえば―上手くいくとは限らないが、それしかマリアを助ける方法を静香は考えつかなかった。


 エレオナアルたちの言うままに人殺しをする、それは考えたくない。


 ジュラールの話ではエルフとガルム帝国の軍勢は近くまで来ているらしい。


 彼らに保護を求めれば、グランサール皇国の手勢から逃れられるかもしれない。


 ガルム帝国がエレオナアル達よりましとは限らないが、死んだエルフの態度を考えれば少なくともエルフたちは信用できそうに思える。


 だが、肝心のマリアの居所は、近くにいるという事以外分かっていなかった。


 ジュラールに何度も聞いても「申し訳ございません。静香様。その問いには答えられません」と沈痛な瞳で答えるだけだった。


 ジュラール以外の騎士や女官、治癒術士の女性も固く口留めされていると同情の色を浮かべてはいたがやはり答えてはもらえなかった。


 しかし――静香は思い至った。


 静香が助けに行けないほど遠くにいるならそう言うはずだ、口を濁すということは、場所が分かれば静香が助けに行ける距離にいる――だからこそ答えられないのだと。


 灯台下暗しという言葉もある、この塔―静香の部屋があるこの建物、”黒の塔”と皆に呼ばれていたが――の中のどこかにいる可能性もある。


 チャンスはある―静香は自分にそう言い聞かせた。


 誰かがうっかり口を滑らせないとも限らない。


 或いは根負けしてマリアの居場所を教えてくれるかもしれない。


 訓練に励み、マリアの居場所を何度でも聞くことだ。


 噂話にも耳を澄ませ、準備を怠らない、それが静香の結論だった。


 黒の塔も静香の許されている範囲でくまなく探索した。


 エレオナアルの話では太古の昔にグランサール皇国が建築したと言っていた黒の塔だが、ジュラールは「ここだけの話ですが」と前置きした上で「この塔はグランサール皇国以前の魔法文明が築いた塔です。静香様。皇国が最初の文明国というのは、グランサール皇国以外では通じない歴史認識です」と神妙な面持ちで語ってくれた。


 マリアについては語れないが、ジュラールはできる範囲で静香を助けてくれる。


 静香はそう感じた。


 あえて静香はジュラールにかまをかけることにした。


「私、マリアを見かけたわ。この間湯浴みに行った時、ちらりとだけど。毛布で顔を隠していたけど、毛布の下からマリアの碧緑あおみどりの目は見たの。あの瞳は間違いなくマリアだわ」


「それは有り得ません」ジュラールは答えた「マリア様の湯浴みの時間は誰とも重ならないようにされているはず――」


 ここまで答えてジュラールは静香の罠を悟った。


 静香はしてやったりという表情をした。


「やっぱり」


「――静香様――貴女もお人が悪い」


「お互い様、でしょ」


「そう。そうですね、私も貴女たちに相当な悪事を働いている―」


 ジュラールは言葉を切って「確かに、マリア様はこの黒の塔にいます。しかしこれ以上は語れません」


「ですが、お二方が本当に逢いたいと行動するならそれを止めるほどの野暮ではありませんよ、私といえど」ジュラールは苦笑交じりに語った。


「じゃあ、どうしてマリアの居場所を教えてくれないの?」


 ジュラールは改まった口調になった。


「静香様、騎士にとって主君の命令は絶対です。デュバル家は代々戦皇家に仕えてきました。その重みは簡単には覆せない。例えどのような主君であろうともです」


「マリアはこの塔にいるのね?」


「それは誓えます」


「マリアに危害が及びそうなときは私にすぐに伝えてくれる?」


 ジュラールは数瞬ためらったようだったが、静香の瞳を真正面から見つめて「お誓いいたします。騎士とデュバル家の名誉にかけても」断固とした口調だった。


 静香はほうっと息を吐いた。


 マリアに告白した時以来の緊張だったと後で振り返った静香は思った。


「それを聞いて安心したわ。こう言うと何だけど、貴方の主君やその友人は信用をおけないから」


「無理もないことです」


「そんなことを言っていいの?」


「陛下に伝えて下さっても構いませんよ」ジュラールはあっさりと言った。


「その方がむしろ堂々とマリア様と静香様を守る口実ができるかもしれません。意に添わぬ命に従うより、自分の意志で行動できるならそちらの方がはるかにましでしょう」


「随分と正直なのね」静香は感嘆半分呆れ半分という声で返事をした。


 このジュラールという騎士には保身という気持ちや出世欲というものが無いのだろうか。


 静香の口調に気付いたのか、ジュラールは言った。


「騎士といえど、その前に人間です。年端もいかない少女の心からの頼みと、いい年をした主君の納得できない命令では、どちらに従いたいかは考えるまでもないこと」


 年端もいかない少女という言い方に静香は反応した。


「私はそんなにか弱くないわ、貴方ほどの強さは無いにしても」


「確かに。ですがマリア様を守るにはまだ学ばなければならないことがあります」


「マリアに逢えるかしら」


「我が主君は陰謀こそ最高の手段と考えています。マリア様を人質にとれば、静香様は逆らえない、そう思っているのです」ジュラールの表情は渋かった。


「ですが、私はそのようなやり方には反対です。マリア様と静香様を引き離さないよう説得は試みているのですが、我が主君はなかなか首を縦に振ってくれません」


「そう」静香はため息をついた「らしい話ね」


「力が足りず――申し訳ありません」


「いいの。貴方のせいではないわ」静香はいたわるように言った。


 静香は話題を変えた。


「鎧無しでショウと戦うことになったら、守れるかしら、マリアを」


 ジュラールは少し考えこんで、それから左手の薬指にはめていた指輪を抜いた。


「これを――」


 静香は焦った「ジュラール、それってあなたの大切な人の――」


 ジュラールは寂しげに笑った「今はもう生きてはいません――戦争で、亡くなりました」


「――でも――」


 ジュラールは構わずに続けた。


「この指輪には、身に付けた者を護る魔力が込められています」


「彼女も、貴女の為に使って欲しいと言うことでしょう、生きていたなら」


「念じれば、魔法の力場を発生できます」


「マリア様を守りながらでも幾らかはショウ様と戦いやすくなるでしょう」


「だけど」


「使って下さい」ジュラールはきっぱり言い切った「私からの頼みです」


「……分かったわ。ありがとう、ジュラール」


 静香はジュラールの厚意を受け取ることにした。


 右手の薬指に指輪をはめる。


「念じてみて下さい”指輪よ、私を護れ”と」


「自分の望んだ方向に貴女にしか見えない魔力でできた盾ができるはずです」


 静香は自分の前方に意識を置いて念じた”指輪よ、私を護って”と。


 途端に指輪が光り、静香の前に半透明の白光を放つ円形の壁が発生した。


「この盾に当たった攻撃は衝撃を吸収されます」


「魔法の攻撃もよほど強力なものでなければ相殺できます」


 ジュラールは腰のナイフを抜いた。


「盾を私との間に動かしてください、念じれば動きます。そのうえで盾をそのまま維持してください」


「今、胸の高さに貴方との間に壁を作ったわ」


「よく見ていてください」


 ジュラールがナイフを投げる姿勢になって、さすがに静香は緊張した。


 静香は鎧を着けない普段着姿だった。


「目を閉じないで」


 ジュラールはそのまま勢いよくナイフを静香の胸元に投げた。


 目を閉じそうになりながらも、静香はナイフが自分に飛んでくるのを見つめ続けた。


 ナイフは静香とジュラールの間にできた盾に当たり、見る間に速度を落とし、光の盾の下に落ちた。


 静香は溜めていた息を吐いた。


「どうでしたか?」


「本当に止まるのね。驚いたわ」


「余程のものでもない限り、大抵の攻撃は防げます」


「斬撃も威力を減殺されます。鎧が無くてもかなり攻撃を防げるはず」


「ありがとう、ジュラール」静香は深く感謝の念を抱いて言った。


「感謝するわ」


「これだけでは静香様やマリア様への無礼には相当しません」


「貴女方の側に立って戦えれば良いのですが、今の私にはままならないことです」


「もし私が騎士でなく、一介の傭兵などであれば――いや、仮定の話は止めておきましょう」


「その気持ちだけで充分よ」


「時が来たなら、必ず貴女とマリア様を助けましょう。この剣と騎士の名誉にかけて、誓います」ジュラールは左ひざを地面につけ、頭を垂れると右手を胸の前に、左手を腰に下げた剣の柄に置いて宣誓した。


 静香は慌てて言った。


「そこまでしなくても――」


「そうさせて下さい」


「これまでの無礼に足りなくとも、これからそれをあがなわせて頂きたいのです」


「静香様やマリア様の為だけでなく、私自身の為にです」


「分かった。でも、無理はしないでね。貴方は自分を追い詰めすぎよ」


 ジュラールは再び寂しく笑った。


「私は恋人を守れませんでした。だから、せめて、貴女達だけは命を懸けても守りたいのです」


「それが出来ねば、歴代のデュバル家の先祖に面目が立ちません」


「エレオナアルを敵に回すことになっても?」


「厳しい話ですが、陛下がどうしてもお二方を傷つけると言うなら、その時は主君に弓を引きましょう」


「そうならない事を祈るだけです」


「貴方は唯一神ヴアルスを信じているの?」


「半分は。ですが全ては到底信じることはできません」


「静香様の信じる神は神の為に人を殺せと仰るのですか?」ジュラールは逆に尋ねてきた。


「過去にはそういう宣言をした教皇も居たし、今でも原理主義者や一部にそう考えている人がいるのは事実よ」


「でも、私は殺したくない。真の神なら信仰の為に他人を殺せとは言わない、私はそう思ってるの」


「静香様は正しい。私もそう思います」


「私は何人もの命を神の名の下に奪ってきました。こんな私でも人助けができるなら、それこそがたった一つの救いになってくれる。だからこそ誓ったのです『命を懸けても貴女達を護る』と」ジュラールは力を込めて言った。


「自分勝手な誓いだとは分かっています。お許しいただけますか、静香様」


「神が許さなくても私は許すわ。当たり前でしょう、ジュラール。自覚していないかもしれないけど貴方は人が良すぎるわ」


「私が人が良すぎるということは無いと思いますよ。騎士にふさわしい誓いを守る、それだけのことです」


 だが、静香はこの時のジュラールの誓いを後で悔いることになるとは想像もしていなかったのだった。

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