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2021年7月7日 18:35 編集済
初めてコメントさせていただきます。 こちらにすでに敵意を向けていない丸腰の相手を、ただ殺すのに抵抗がある、静香に同意します。 何といっても殺すか殺されるかという状況でも、相手を殺すのは普通抵抗があると思います。 その時は夢中でも、その後、おそらく相手の死に顔に悩まされるでしょう。 そんな十字架を背負うのは真っ平ゴメンです。『静香は生まれて初めて心の底から神を呪った』 偏見かも知れませんが、キリスト教の神様もとい天使たちって結構、直接は助けてはくれない事多い感じがします。 タイトル忘れちゃいましたが、エクソシストが流行った頃、実話に基づいてと称したあるエクソシスト系の映画。 ある女性が悪魔に憑りつかれて、まわりに訴えても精神的な病としか思われなくて。 ある時、夢の中で(霧の中)彼女は天使に会い、助けをこう。 が、天使の答えは助けても良いが、それはあなたが悪魔に負けを認めたという事、それでも良いですか? それならば助けましょうと。 はい、つまり魂は助けるけど、体は助けてくれないんです。 それって救いといえるの~~~っ?! と考えさせられました。 まあ、考えてみたらキリスト教って、魂の救済だけって多い。『ジャンヌ・ダルク』だって、ダスティン・ホフマンがジャンヌに『汝の罪を許す』って言ってた場面から、いきなり火刑(CGでなく本物)シーン! 宗教の考え方って繊細なモノだから、ただ嫌いとか好きとか言えないけど日本人の私としてはエエェ~~~ッ!? になってしまうのです。 とはいえ、全く何もしてないわけでもなさそうですが……( ̄▽ ̄;)『神様の試練』というのとも違うと思います。 たぶん人が勝手に運命を選択・行動した結果なのでしょう。 でないとプラスマイナスのバランスが悪すぎる。 と、勝手に個人的に思ってます。 とはいえ、神様によっても違うでしょう。 ましてや異世界の神様は、この状況をどう見ておられるのやら。 なんだか余計な事を長々とすいません。
作者からの返信
空ノ子さんコメントありがとうございます。 励みになりますよ―嬉しいです。 近況ノートへのコメントへの返事もこちらでさせてもらって申し訳ないのですが、ウィザードリィ知ってたんですね、同志と呼ばせて下さい。 俺もトレボー王に忠誠心を感じずに迷宮に潜ってました。 ちなみにこの小説、ウィザードリィだけでなく他のゲームからも結構ネタをパクってます。 ドラクエとかソードオブソダンというセガのメガドライブで出た超カルトゲームとかTRPGのウォーハンマーとかGURPSとかドラゴンウォリアーズとか。いや脱線してすみません。 この小説に出てくる唯一神はニール・ドナルド・ウォルシュという人の書いた神との対話という本を参考にしてます。 結構な巻数の出てる本ですが、最初の本で基本的な神の考え方は説明されてます。 一見すると宗教本かと思われるかも知れませんが、宗教というより哲学書ですね。 何で世界はこんなに不正に満ちているのかとか生きる意味って何という質問にはスパッと答えてくれます。 ただこの世は全て幻想だとも言ってもいるので、空ノ子さんのいう魂は助けるけど肉体は助けないという分類に当てはまってしまうかもです。 他にもカモメのジョナサンを書いたリチャード・バックのイリュージョンや精神科医のブライアン・L・ワイス博士の書いた前世療法などが俺の小説に影響を与えてますね。 神林長平の戦闘妖精・雪風や安部公房の小説などにも影響受けてます。 話はちょっとずれますが俺は以前は唯物論に近いものの見方をしてました。 ただ臨死体験の本や宗教関係の本を読む内に唯物論では必ず救われない人が出てしまうとの結論に至り、今ではすべては神だという唯神論に近い立場になってます。 この世で報われなかった人も最終的には救われるという考え方ですね。 悪魔もいなければ地獄も存在しない(この世が地獄だと思う考え方には同意する部分も有ります)という甘いと言われればそれまでの見方ではありますが。 俺は神を信じてはいますがそれは信仰するという意味ではなく信頼するという意味でです。 根拠が有る訳では無いですがそう考えた方が楽に生きれるからというそれだけの理由ですね。 いや、自分語りが長くなりました。 俺もほぼ書き専に近いのですが、時間見て空ノ子さんの小説も読ませて頂きます。 それにしてもコメント頂けるのがこんなにうれしい事だとは。 ありがとうございます! ではまた!
編集済
初めてコメントさせていただきます。
こちらにすでに敵意を向けていない丸腰の相手を、ただ殺すのに抵抗がある、
静香に同意します。
何といっても殺すか殺されるかという状況でも、相手を殺すのは
普通抵抗があると思います。
その時は夢中でも、その後、おそらく相手の死に顔に悩まされるでしょう。
そんな十字架を背負うのは真っ平ゴメンです。
『静香は生まれて初めて心の底から神を呪った』
偏見かも知れませんが、キリスト教の神様もとい天使たちって
結構、直接は助けてはくれない事多い感じがします。
タイトル忘れちゃいましたが、エクソシストが流行った頃、実話に基づいてと
称したあるエクソシスト系の映画。
ある女性が悪魔に憑りつかれて、まわりに訴えても精神的な病としか思われなくて。
ある時、夢の中で(霧の中)彼女は天使に会い、助けをこう。
が、天使の答えは助けても良いが、それはあなたが悪魔に負けを認めたという事、それでも良いですか? それならば助けましょうと。
はい、つまり魂は助けるけど、体は助けてくれないんです。
それって救いといえるの~~~っ?! と考えさせられました。
まあ、考えてみたらキリスト教って、魂の救済だけって多い。
『ジャンヌ・ダルク』だって、ダスティン・ホフマンがジャンヌに
『汝の罪を許す』って言ってた場面から、いきなり火刑(CGでなく本物)シーン!
宗教の考え方って繊細なモノだから、ただ嫌いとか好きとか言えないけど
日本人の私としてはエエェ~~~ッ!? になってしまうのです。
とはいえ、全く何もしてないわけでもなさそうですが……( ̄▽ ̄;)
『神様の試練』というのとも違うと思います。
たぶん人が勝手に運命を選択・行動した結果なのでしょう。
でないとプラスマイナスのバランスが悪すぎる。
と、勝手に個人的に思ってます。
とはいえ、神様によっても違うでしょう。
ましてや異世界の神様は、この状況をどう見ておられるのやら。
なんだか余計な事を長々とすいません。
作者からの返信
空ノ子さんコメントありがとうございます。
励みになりますよ―嬉しいです。
近況ノートへのコメントへの返事もこちらでさせてもらって申し訳ないのですが、ウィザードリィ知ってたんですね、同志と呼ばせて下さい。
俺もトレボー王に忠誠心を感じずに迷宮に潜ってました。
ちなみにこの小説、ウィザードリィだけでなく他のゲームからも結構ネタをパクってます。
ドラクエとかソードオブソダンというセガのメガドライブで出た超カルトゲームとかTRPGのウォーハンマーとかGURPSとかドラゴンウォリアーズとか。
いや脱線してすみません。
この小説に出てくる唯一神はニール・ドナルド・ウォルシュという人の書いた神との対話という本を参考にしてます。
結構な巻数の出てる本ですが、最初の本で基本的な神の考え方は説明されてます。
一見すると宗教本かと思われるかも知れませんが、宗教というより哲学書ですね。
何で世界はこんなに不正に満ちているのかとか生きる意味って何という質問にはスパッと答えてくれます。
ただこの世は全て幻想だとも言ってもいるので、空ノ子さんのいう魂は助けるけど肉体は助けないという分類に当てはまってしまうかもです。
他にもカモメのジョナサンを書いたリチャード・バックのイリュージョンや精神科医のブライアン・L・ワイス博士の書いた前世療法などが俺の小説に影響を与えてますね。
神林長平の戦闘妖精・雪風や安部公房の小説などにも影響受けてます。
話はちょっとずれますが俺は以前は唯物論に近いものの見方をしてました。
ただ臨死体験の本や宗教関係の本を読む内に唯物論では必ず救われない人が出てしまうとの結論に至り、今ではすべては神だという唯神論に近い立場になってます。
この世で報われなかった人も最終的には救われるという考え方ですね。
悪魔もいなければ地獄も存在しない(この世が地獄だと思う考え方には同意する部分も有ります)という甘いと言われればそれまでの見方ではありますが。
俺は神を信じてはいますがそれは信仰するという意味ではなく信頼するという意味でです。
根拠が有る訳では無いですがそう考えた方が楽に生きれるからというそれだけの理由ですね。
いや、自分語りが長くなりました。
俺もほぼ書き専に近いのですが、時間見て空ノ子さんの小説も読ませて頂きます。
それにしてもコメント頂けるのがこんなにうれしい事だとは。
ありがとうございます!
ではまた!