澄川静香の場合 その3

 静香に事件が起きたのは異世界に飛ばされてかっきり十五日後の午後の事だった。


 腕前を披露するため午前中は静香は騎乗せずに、剣と盾で武装したアンデッドの怪物十数体を同時に相手にし、静香が勝ちを収めた。


 少しの休憩の後に更にエレオナアルとショウと手合わせをした。


 エレオナアルの得物は巨大な両手持ちの鉾槍ハルバードでショウは片手半剣バスタードソードと大盾だった。


 五本勝負で、エレオナアルには一本の引き分けを挟んで四勝した。


 エレオナアルは恨めしそうに「余が女如きに負けるとは」と吐き捨てるように言ったが「余は軍人というより政治家なのだ」と自分自身を慰めるかのようにうそぶいた。


 悔しいことにショウには歯が立たなかった。


 五本ともショウの大盾に刀を弾かれた所を一本取られた。

 

 ショウはといえば、得意気に「女風情が俺様に勝とうなどとは十年早い」と女性への蔑視を隠さない言葉を言い放った。


 負けたことは事実で、腕に差があるのは分かっていたが、勝てないという現実とその相手に女性が劣った存在だと真っ向から言われることは静香には耐えがたかった。


 静香はエレオナアルとショウをいけ好かないと感じた理由が二人の女性や弱者を観る目に有ったのだと悟った。


 二人とも男は女より優れていて、女は男に服従すべき、力の弱い者は強いものに無条件で従うべき、そういう価値観の持ち主なのだ。


 ジュラールとはまるで違うと静香は思った。


 ――男の方が女より尊い、強者は弱者より尊い――なんて錯誤した考えだろう。


 こちらの世界でも現実世界のように思い込む人間がいるのだと静香は思い知らされた。


 騎士道のきの字も知らない、勇者の末裔だろうと戦皇だろうと人格や識見が地位や強さに伴っていない。


 そんな人間のために戦うのかと静香は気が重くなった。


 だが、午後に起こった事はそれさえ遥かにましと思える事件だった。


 *   *   *


 昼の休憩を挟んだ後、静香は敵を知る必要が有るという名目でエルフの捕虜と戦わされた。


 静香は魔法同様、エルフを見るのも初めてだった。


 静香と戦うエルフは男性で背はエレオナアル達より高く痩せていて、面差しは中性的な端正さを持っていて切れの長い目、耳はウサギというよりは毛の無い猫の耳を人間と同じくらいの肉の厚さにして15~17センチ程に細く伸ばしたという方が正確だった。


 以前のエレオナアル達との会食でエルフは如何に非道で卑劣で目的の為なら手段を択ばないかを聞かされていた。


 今となってはそれも疑わしいが、どんな手を使って戦うのかという興味はあった。


 相手は剣舞士ソードダンサーと呼ばれる剣士で、細身剣レイピアと左手に静香と同様の小型円形盾バックラー、植物の様な装飾の付いた金属の胸当てを付けていた。


 エレオナアルとショウの他にジュラールや他の騎士たち、女官や治癒魔法の使い手などが観戦した。


 エレオナアルは鎧も武器も持たずに、ショウはいつもの白い鎧に、何に使うつもりか矢をつがえたクロスボウを持っていた。


 戦いが始まった。


 エルフの動きは早く、舞うような動きで細身剣レイピアの連続突きを繰り出してきた。


 静香はそれを躱し相手の懐に潜り込もうとする。


 エルフは低い蹴りを放ってそれを阻止した。


 距離をつめようと静香は牽制の突きを放ち、相手の突きを身体を回転させて躱しつつ回り込むように左上から斜め下へと切りつけた。


 エルフは下半身ごと身を屈めて刃すれすれのところで静香の刀を躱した。


 躱しながら横薙ぎにエルフの細身剣レイピアが切りつけてくる。


 攻撃を躱され体勢を崩しかけた静香は相手の細身剣レイピアの斬撃を何とか左手の盾で上へと強く弾くと間髪入れずに下から左切り上げの斬撃を放った。


 信じられない事にくるりとエルフは身を反転させ弾かれた細身剣レイピアを戻しざまに上から切り下す。


 派手な火花を散らして細身剣レイピアと日本刀が正面からぶつかった。


 細身剣レイピアが真っ二つに折れる。


 折れた剣身が回転しながら宙を飛びエルフの後ろの地面に突き刺さった。


 細身剣レイピアが折れた衝撃で体勢を崩したエルフは片膝を着いた。


 静香は刀の切っ先を相手に突き付ける。


 エルフの剣舞士ソードダンサーは無念そうに静香を見上げ、「私の負けだ、殺すがいい」と言った。


 見上げた態度だと静香は思った。


 命乞いもせず、全力を尽くした結果をただ受け入れる態度に感服した。


「勝ちじゃないわ、細身剣レイピアが折れたのは私の刀の力よ、私自身の力じゃない」


 エルフが何かを言おうとしたその時、エレオナアルの言葉が割り込んできた。


「救国の乙女よ、そやつを殺せ」


 静香は躊躇った。


 今まで倒してきたのは既に死んでいるアンデッドだった。


 生きている相手を殺したことは無い。


 人間は当然としても静香は今まで動物すら殺したことは無かった。


「殺せ!そいつは敵だぞ!」ショウの酷薄な声が続く。


 手合わせ中は真剣勝負でも、勝負の決着がついた丸腰の相手を殺すのは、静香の矜持に反することだった。


「なぜ殺さぬ、乙女よ!」エレオナアルの声にヒステリックな響きが混じる。


 静香は全身が締め上げられるような感覚を覚えた。


 エルフの剣舞士ソードダンサーは慈悲を乞うでもなく平然としていた。


「戦士よ、私を殺せ、さもないとお前は――」


 エルフの言葉で静香は心を決めた。


「いいえ、私は貴方を殺さない。貴方は良く戦ったわ。敬意を払うに相応しい相手よ。殺すのは余りに――」


「殺せ!劣等種族だぞ!!」エレオナアルは静香とエルフの言葉を遮った。


 静香は首を左右に振った。


 この戦士を殺すことはできない。


 静香が言葉を聞かないと見たのだろうか。


「ショウよ、あやつを殺せ」エレオナアルの言葉が冷たく響く。


 ショウはクロスボウをエルフの戦士に向けた。


 静香はとっさにエルフとショウの間に立ちふさがった。


「止めなさい!降伏した丸腰の相手を殺すなんて戦士のすることじゃない!」


「陛下」ジュラールも割って入った。


「静香様にはあまりに酷な命令です。ショウ様もどうかお控えくださるよう――」


「黙れジュラール!この下剋上が!騎士風情が戦皇たる余に指図する気か!?余の命令は絶対だ!それともデュバル家を取り潰されたいのか!?」


 身分の低い者に反駁された事が許せないのか、エレオナアルはヒステリックな響きを隠す様子も無かった。


 騎士たちの間にも抑えてはいるが動揺が走った。


 静香が両手を広げてエルフを守ろうとしたその時、しびれるような感覚とともに身体から急に力が抜けた。


 ショウが何かを唱えている。


 静香は膝からくず折れた。


 視界の隅でショウがクロスボウを構えるのが見えた。


「止め――」言葉が終わらぬうちにクロスボウの引き金が絞り落された。


 静香の豊かな髪をかすめて矢が飛び抜ける。


 矢はエルフの喉に突き刺さった。


 矢を喉に受けたエルフは、吹きすぎる風の様な呻き声を発して地面に仰向けに倒れた。


 魔法が切れたのだろう、静香は体の自由を取り戻した。


 静香はエルフに駆け寄った、まだエルフには息が有った。


「治癒魔法を!」


 静香は今までジュラールと静香の傷を治療してきた治癒術士の女性に声をかけた。


 治癒術士は駈け出そうとしたが、エレオナアルとショウに睨まれ、動きを止めた。


「急いで!!」静香は叫ぶ。


 エルフは虫の息で、急に呼吸が荒くなった。


 口から咳とともに鮮血が飛び散る。


 血を吐きながら息も絶え絶えに激しく喘いだあと、エルフの呼吸は止まった。


 静香は息を呑んだが、エルフの腕を取り、脈拍をはかった、脈は無かった。


 エルフの剣舞士ソードダンサーは息絶えた。


 静香はエルフの瞼を閉じると、ひざまずいて胸の前で十字を切って戦士の冥福を神に祈った。


「貴方の魂に安らぎがあらんことを――」


 それから立ち上がりエレオナアルとショウを怒気のこもった目で睨みつける。


「貴方達、自分が一体何をしたか分かっているの!?」


「害虫を一匹始末しただけさ」ショウは悪びれもせずに答えた。


「何をそう怒ることが有るのだ、乙女よ?」先程までの様子が嘘のようにすっかり落ち着いた様子でエレオナアルも続けた


「今殺さずともいずれは殺さねばならない、そうであろう?」


「だからって――」


 静香は黙ってさらに強く二人を睨み付ける。


「これだから女というものは感情的でいかん」エレオナアルは明らかな侮蔑を込めて言った。


「もう貴方達の為には戦わない」静香はエレオナアルたちに意味がはっきり分かるように言葉を区切った「もし私がそう言ったら?」


「それは無理だろうて」エレオナアルの口に汚ない微笑が浮かんだ


「なにせお前の執着するマリアとやらの命は我々が預かっておるのだからな」


「――なんですって?」静香はその言葉が信じられなかった。


「否が応でも俺達の為に戦って貰う」とショウが言い放つ「マリアとかいう女の命が惜しければな」


「卑怯者――」静香は唇を噛んだ。


 静香はもしかするとエレオナアル達がはったりをかませているだけなのかもしれないと思い至った――二人ともマリアの居所すら分からないまま静香の力を利用しようとしているだけのかも知れない――そうであってくれれば――


 だが次の言葉で希望は砕かれた。


「マリアとやらは奇妙な絵の入った首飾りを大切にしていたようだな」とエレオナアル「取り上げるようとすると大騒ぎするのでやめておいたが」


「どうしてそれを――」


 静香は救いを求める様にジュラールを見た。


 ジュラールは石像のように沈黙して答えなかった。


「ジュラール、答えて!」詰問一歩手前の声で静香は尋ねる。


 数拍の間を置いた後、ジュラールは沈痛な口調で重い口を開いた。


「事実でございます、静香様」ジュラールの言葉には抑えているが悲痛な調子が有った。


「マリア様は我々が保護しています」


「そんな――」静香は動揺を隠せなかった。


「という事だ」ショウは静香を嘲笑いながら続けた。

 

「マリアとかいう女が惜しければ、せいぜい俺達の為に戦ってくれることだ、“救国の乙女”様とやら」


 静香は黙った。


 マリアを人質に取られたのでは静香に選択の余地は無い。


 ――こんな男たちの言うことを聞くしかないの?こんな人間の言うなりに人殺しをしなければならないの――?


 マリアを救うためなら何でもすると彼女と父なる神に誓ったが、こんな事になるなんて――


 ――静香は生まれて初めて心の底から神を呪った――

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