七瀬真理愛と澄川静香の出会いと告白

 ――静香先輩


 ホークウィンドに抱きかかえられながらマリアは夢と現の間をさまよっていた。


 暗黒の中で意識が目覚めることを拒否している。


 そんな中でマリアは静香に告白された時のことをまざまざと思いだしていた――

 

「貴女が好きなの」

 

 マリアが震えながら言葉を絞り出した静香にそう告げられたのは3カ月ほど前の事だった。

 

 この時初めてマリアは静香を可愛いと思った。


 それまで憧れの対象では有っても、愛しいという思いは有っても、年下が相手のように「可愛い」という感情を持ったことは無かった。


 あの凛々しい静香先輩が私の為に震えてくれている。


 そう思うとマリアはまるで自分が静香を包み込む女神にでもなったかのように思えたのだ。

 

「貴女はどうなの?私の事が好き?それとも―」震え声で静香の言葉は続く。


「――私の事、気持ち悪いと思う……?」


 精一杯の力を尽くしてしゃべっているのが全身に伝わってくる。


 静香は意を決したかのように言葉を切って、マリアの碧緑の瞳を真っ向から見た。


 静香の視線とマリアの視線が真正面から絡み合う。


 痛いような沈黙が続く。


 先に沈黙を破ったのは静香だった。


「ごめんなさい。私変な事言っちゃって……忘れ」


 マリアは最後まで言わせなかった。この機会を逃したら、きっと後悔する。


「忘れてなんて言わないで下さい」


 マリアはうつむいた静香にそう言い切った。


 静香がハッとマリアを見る。


「忘れません」マリアは静香の黒い瞳を見つめて言った。


「私も好きです、静香先輩の事――」


「本当……?」静香が頼りなげな声を出す。


「私が静香先輩に嘘をついたことがありますか?」


 マリアは優しく微笑んだ。


 静香はまだ信じられないのだろう。


「でも、私たち女同士よ……」


「先輩は私の事が嫌いなんですか?」


「そんなことあるわけ無いじゃない……」


「じゃあ、信じて下さい。私、七瀬マリアは澄川静香を愛しています!静香先輩はどうなんですか?」


 やっと静香はささやくような小声で言った。


「私も、貴女を愛してる」


 マリアは容赦なく言った。


「もっと大きな声で言って下さい、先輩」


「私は貴女を――七瀬真理愛を愛してる!」


 静香は殆んど叫ぶように言った。


「なら、私たち、両想いですね」マリアは確認するかのように言った「それ以外に何か必要なことが有るんですか?」


「無いわ」


 静香は自分が涙をこぼしていることに気が付いてない。


 この時から静香とマリアは恋人同士になったのだった。


 ――あの時と逆――


 マリアは更にその前、マリアと静香が出会ったときのことに思いをはせた。

 

 校舎の裏で壁を背にして、マリアは四、五人の女生徒に囲まれていた。

 

「アンタ、トッケンカイキュウってやつ?」


 グループの真ん中にいる女生徒が言った。


 マリアは目を伏せ黙ってその言葉を聞いた。


 その女生徒は地元の有力議員の娘だった。


 普段からそのことを鼻にかけ、クラスの同級生や、自分の気に入らない生徒、ことにマリアを目の敵にして虐めていた。


 女生徒の言葉は続く。


「アンタの両親、ジサツしたんでしょ、ジサツは神様の法に反するんだよ。アンタの両親地獄行きだよ」


 女生徒の言葉は冷酷で執拗だった。


 マリアはこの澄川女学院に最初からいたわけではない。


 幼年部、小等部、中等部、高等部、四年制女子大と一貫制の学校に、両親が死んだのをきっかけに幼年部の年長組に転入してきたのだ。


 マリアの両親は父親が日本人、母親がロシア人だった。


 父親は敬虔なカトリック教徒、母はロシア正教の信徒だった。


 マリアの両親はマリアが五歳の時に死んだ。


 知人の借金の連帯保証人になって、莫大な借金を背負い自殺したのだ。


 一家心中だったが、両親は幼いマリアまで巻き込まなかったのか、それとも運よく生き残ったのかは分からない。


 その時の事は殆んどマリアの記憶になかった。


 ただ、母親がイコンをマリアの首にかけてくれたことだけははっきりと覚えていた。


 その時の母親の目がとても悲しそうで寂しそうだったことがやけにマリアの心に残った。

 

 多分、死というのはとても悲しく寂しいものなのだろう。


 幼いころからマリアはそう感じていた。


 自殺してもおかしくないのにそうしなかったのは母親のあの目が忘れられないからだった。


 父、七瀬龍也ななせ たつやはこの学園の理事長の娘婿――静香の父だ――と大学時代からの親友だった。


 父は何かあったらマリアの事をその娘婿、冴野竜也さえの たつやに――結婚して澄川すみかわ姓に変わったが――頼んでいたらしい。


 下の名前の読みが同じだったのが二人が親友になったきっかけだった。


 それで特例ともいえる形でマリアはこの学園に入学し、学園付きの孤児院に入ることになった。


 孤児院のシスターはマリアを良く思っていなかった。


 両親が自殺したこと、母親が正教の信仰を捨てなかった事、本来転入がほとんどない学園にコネに近い形で入ったこと等が影響したのだ。


「それに何?この髪、コーソクイハンだよねコーソクイハン」


 マリアの金髪を半ば引っ張って女生徒は言う。


「止めて、下さい……」消え入りそうなマリアの声


「止めてあげない」酷薄な声が遮る。


 どうして自分がこんな目に合わなければいけないのだろう、マリアは神を恨んだ。


「アタシ陰キャってニガテなんだよねー」女生徒は続けた。


 マリアを囲む女生徒たちがはやし立てる。


「それにウチはカトリックの学校だよ、何でイコンなんか下げてるの?イタンシンコウじゃないの?」


「イタンシンコウだよねーイタンシンコウ」周りの女生徒が同調する。


「渡しなよ、異端者」リーダー格の女生徒はマリアのイコンに手を伸ばした。


 マリアの両腕を左右から二人の女生徒が押さえる。


「止めて!」マリアは叫んだ。


 何とかしようと体に精いっぱい力を入れて拘束を解こうとした。


 イコンのネックレスの鎖が思い切り引っ張られる。


 イコンの鎖が千切れそうになった。


 まさにイコンが捕られた時。


「貴女たち、何をしているの!」凛とした声が響いた。


 女生徒たちが一斉に声の主を見る。


「静香様」


 誰からともなく声が出る。


 理事長の孫娘がそこに立っていた。


「返しなさい、そのイコン」


 リーダー格の女生徒は憎々し気な目をしたままイコンをマリアに返した。


 マリアを囲んでいた女生徒たちはばらばらと逃げ始めた。


 最後までマリアの前から離れなかったリーダー格の女生徒は、静香の横を通り過ぎた時、静香にだけ聞こえる声の大きさで「いつか目にもの見せてやるから、覚えてなさい、この咎人とがびとの同性愛者」と吐き捨てて小走りに去っていった。


「貴女、中等部の生徒ね。大丈夫?怪我とかは無かった?」


「大丈夫です」震える声でマリアは言った。


「ありがとうございます……私、私……」あとは言葉にならなかった。


 マリアの大きな碧緑色の瞳からポロポロと涙が零れ、マリアは安堵で泣き出してしまう。


 マリアの瞳から涙があふれたのを見た時、静香は思わずマリアを抱きしめていた。


「大丈夫。大丈夫よ。これからは私が貴女を守るから――」


 静香はマリアを守る騎士となる、そう心に誓ったのだ。


 澄川静香はずっと虐められていたマリアの涙を見た時から、彼女、七瀬真理愛に恋をしたのだった。

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