第三幕 暮ると明くと 目かれぬものを梅の花 いつの人まにうつろひぬらむ  ――紀貫之

 その後のことはあまり覚えていない。三時間くらいかかっただろうか、なんとかして家に辿り着きそのままベッドに倒れ込んだ。翌朝は十時過ぎに目を覚ました。やたらと内容盛りだくさんの一日だったなあ、と思いながらシャワーを浴び、向かい風を受けながら自転車を漕いで大学へ向かった。サークル活動に参加するためである。とはいっても体育会系ではなく文化系なのでいつ始めていつ終わるかには比較的自由がある。一体どんな腐れ縁なのだろうか、あの村松も同じサークルの部員である。

 村松と後輩と私とで学食で昼飯を食っているときに、「ながお」の話をした。村松は知らぬと言った。後輩は近くにあるらしいことは知っているが行ったことは無いと言った。よし、飯がうまいから今度行こう、だが村松はだめだということで決着した。

 二時過ぎくらいにサークルを終えて、自転車で「ながお」に向かった。平日の昼間だということもあるのだろうか、人通りは相変わらず少なくひっそりとしている。昨晩は燃え盛る業火のように花を咲かせていた白梅の木も、雨と風に花弁を散らしてしまっているだろう。時折吹く風に小さく白い花弁が混ざっている。

 「ながお」の近くまで来て、おやと思った。看板は変わらず顔を出しているのだが暖簾が玄関に掛かっていない。店休日なのだろうが、裏口を探せば開けてくれるだろう。――しかし「達筆」と称すに相応しい筆致で、貼り紙に筆で書かれていた言葉は、私の想像を超えたものであった。


  閉店のおしらせ


   定食屋「ながお」は、本日三月二四日を以て閉店いたします。

   六十年の長きに亘りご愛顧頂き、まことにありがとうございました。

   

                    定食屋 ながお 店主 長尾ヱツ子



                                                                        終幕

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酔心梅屏風 有明 榮 @hiroki980911

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