第二章 心の拠り所
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あれから、俺は休まずに学校へ通った。昼はもちろん、夜の方にもだ。
端末のアプリケーションが示すスケジュールを参照しながら、定められた日の、決まって十九時に、風彩大学付属高校へと赴く。ゲームの開始はいつもぴったり十九時のようだった。一方、場所については毎回別の校舎で、推察するに、東西南北四校のうちからランダムで場所が選ばれている。初めてのときが南校だったのは、あれは偶然みたいだ。
たとえば部活動なんかに入っていれば、交流試合等々で他の付属校に出向くこともあるのかもしれない。隆弥は以前、休みの日にバスケ部の合同練習で行ったりもするようなことを話していた。けれども、俺はこの機会になって、初めて南以外の付属高校を訪れることになった。まあ、俺の要件も無理に見れば部活動と似たようなものだ。現に学校対抗の競技らしいし。いやでも、これは人数がかなり少ないから、どちらかと言えば同好会かな、うん。
最初のうちは疑念を持って参加したのだが、数回通ってみれば、なんのことはない。しっかりとスケジュールに従って、秒単位で予定通りの活動だった。
そしてゲームの間は相変わらず、例のホログラムによって、異世界のごとき様相が平然と展開されていた。南校以外の付属校には行ったことがないので、はなから見たこともないのだが、校舎その他は見る影もない変わりようである。きっと普段はまともな学校設備なのだろうが、どう見ても実物にしか見えないホログラムに、どう見ても現実とは思えない装飾を施されて、夢と現の境の空間といった感じだった。
最初に俺が見たのは海の底だったが、回を重ねる毎にたびたび変わって、学校を包む世界はジャングルにも氷河にも、洞窟にも原っぱにもなって……元がホログラムだからなのか、その極限的な環境からの苦痛はほとんどなかったが、感覚としては暑かったり寒かったり暗かったり明るかったり、忙しくも不思議なものだった。
ところで不思議と言えば、纏っている衣服――俺も含めて皆が着ていた、決して日常では着ないと思われる美麗な服飾も、例外ではなかった。聞いていただけでは毛ほども信じられなかったが、これらは身体の運動パフォーマンスを飛躍的に向上させ、また、ここで行う戦闘行為によるダメージをかなり軽減するという効果を持った代物みたいで、それは実際に体感してみると、総毛立つくらいに未知の感覚であった。新幹線並みの速度を生む滑走や、数メートルも吹っ飛ぶような衝撃に、人の身体が耐えられるわけもない。しかし、この世界ではそういった光景が頻繁に見受けられる。そもそもそういうことができてしまったり、なのに全くと言っていいほど大事にならないところを思うと、この服飾の機能は極めて偉大なのだと感じざるを得ない。
スタントアクションばりの動き、加えてその派手さに引けを取らない周囲の演出。むしろついていけないのは、肉体よりも精神の方だろう。俺がある程度の適応に至るまでには、何回かの参加を跨いだものだった。
ちなみに余談だが、二度目にここへやってきたとき、俺は自分がまたヒラヒラで真っ赤な女らしい格好をしていることに気づいた。どうにかしたいと文句を言ったら、アリアという女性がアプリケーションの操作を教えてくれたので、基本のデザインは似たままだが、多少男らしい格好に変更できた。本来はこの見た目のデザインやらをこだわるのも、ゲームの楽しみの一つなんだとか。
その際、細かい設定を行うのが初回ゆえパスワードを要求されたが、俺は迷わず三つの候補のうち、残りの一つを入力した。
『very very miracle strawberry royal parfait』
ベリベリーミラクルストロベリーロイヤルパフェと読む。ふざけたパスワードだ。これは優璃が中学生のときに知ったらしき駅前のカフェのメニューである。何気に人気商品のようで、アリアという女性もこの由来をすぐに言い当てたが、俺は長ったらしいけったいなパスワードが本当に認証されたことに心底呆れた。
それと、初回に言い渡されたゲーム中の呼び名だが、俺はレイと名乗ることにした。本名であるKeiの頭をRに変えただけのものであるが、呼びやすくてなかなかだと、まあまあの評価を受けた。
そうして今日もここ東校で、チーム北校相手にゲームの真っ最中である。
「そんでさー、物理の授業で寝てたら先生にばれちゃって、追加で課題だされちゃってさー。物理って難しいよなー。何でさー、あんな科目があるんだろうなー」
「………………」
真っ最中である、はずなのだが……。
「あれ? どうしたんだい、レイ。私の話はつまらなかったか?」
歩きながら、隣ではぺらぺらと愚痴が展開されている。アリアと名乗る女性の、ゲームとは全く関係のない昼間の学校での出来事についてだ。内容とは裏腹に本人は楽しそうで何よりなのだが。
俺はそれにも気を回しつつ、まだ完璧には慣れぬ異質の空間に、注意の大部分を向けている。
今回の演出では、周りは西洋神殿の内部のように厳かな装いで彩られていた。通路には高級そうな赤の絨毯が敷かれ、両壁には金色の燭台が一定間隔でかけられている。添えられる蝋燭全てには、煌々と輝く赤い炎が灯してある。しかもそれは、実用のためではない。あくまでも雰囲気を出すためだろう。なぜなら、この場は基本的に明るいのだ。見上げれば天井にあるはずの電灯の代わりにシャンデリアまでが提げられて、ギラギラと華やかなことこの上ない。
これは典型的な西洋城のイメージである。絢爛を極めた見栄の塊。逆立ちしても学校舎には思えない。共通しているのは、通路がやたらと複雑なことくらいだ。おそらくそこらへんは、元の造りに影響を受けているのだと思われる。
気分は王様? お妃様? そんな錯覚でも抱きかねないメルヘン具合である。夢のファンタジーストーリーが繰り広げられそうだ。
けれども、この年にもなればそれに浸るのもいささか容易ではない。高二にもなってメルヘンは、ちょっと辛い。そんな悲しい自制心と、加えて横の日常感たっぷりの発言が、純真な空想を積み木のようにガラガラと崩した。
「んでね、ここにくるまで家で一人、教科書と睨めっこなわけよ。重力でしょ、張力でしょ、摩擦力に慣性力に遠心力。もー力ばっかいっぱいあって、わっけわかんなーい」
横薙ぎに飛んでくるのは、空想とは対極の物理の話題。彼女は指を順番に立てて、力の種類を数えている。
「アリア先輩、物理苦手なんすか」
俺は彼女の、一つ相槌を打てば三言くらいコメントが返ってくるくらいのマシンガントークに付き合わされている。あまり中身のある話ではなく、だいたいは日記のような内容なので俺の反応は薄いのだけれど、それでも彼女は話を聞いてもらえれば満足みたいだった。
それと、初対面ではタメ口だったが、どうやら彼女の学年は三年生らしく、二年の俺からすると年上なので、一応の配慮として敬語を用いることにした。呼称はなんと、アーシャ・リーズ・アストライア先輩。なんて長いんだ馬鹿馬鹿しい。だから俺も、呼ぶときは略して、アリア先輩だ。
「苦手っていうか、いやーさぁ、あれって役に立たなさそうじゃない? 私はもっとこう、どちらかと言えば語彙力とか英語力とか、判断力とか精神力とかのが必要だ思うんだよね。あとついでに経済力とかとか」
ならあなたの場合は女子力も必要なんじゃないですか。なんて、もし言えば、マシンガントークがガトリングトークくらいになって返ってきそうだ。想像するにかなり面倒なので、へえへえと淡白な返事で応じるくらいがちょうど良い。
すると先輩は四百字詰め原稿用紙数十枚くらいの物理の愚痴をようやく終え、ご満悦と同時に疲労を感じたようであった。
「あーっ! 疲れたレーイー。おぶれー、はこーべー。ついでに課題も片付けれー」
「わっ! ちょっ、もたれてくんな」
アリア先輩が突然、大の字になって身投げのように倒れこんでくる。
ボーっとしていたらもろとも床にダイブだったろうが、俺は咄嗟かつ華麗に、それをサイドステップでかわしてやった。
先輩はもたれる宛をなくし、ビターンと床に倒れ込む。
「ふぇーー。レイ少年が先輩に対して冷たいのー」
大の字で地に口づけ状態の先輩は、駄々をこねてジタバタ、ジタバタ。……哀れだ。
そうやってしばらく子供のような言動に徹したのち、さらに懲りずに、また別の方向に手を伸ばした。
「ふえぇ。じゃあミュウミュウ起こしてー」
「ミュウミュウって呼ばないでください」
助けを求めた先は、俺ではないもう一人の後輩だ。
実のところ、この場には俺とアリア先輩だけでなく、少し後ろからもう一人、ついてくる人物がいる。あのミュウミ……じゃなかった。ミューと呼ばれるポニーテールの寡黙な女性だ。知ってはいたが、ここにくるまでまるで存在を気にかけずにいた。
例のニックネームは確かに呼びやすく馴染みやすいが、一方、本人については全く逆なくらい絡み辛くて、俺はまだ到底親しくない。交わした会話が数え上がるくらいの交流段階。声も、今日聞いたのは、さきほどの訂正が初めてだ。
「あと、ふえふえ泣かないでください。似合いません。気持ち悪いです。早く立ってください」
「うぅ……先輩思いの後輩が、いない……」
ミューは、アリア先輩の扱いには容赦がない。冬場に野外で食べるアイスクリームくらい冷たい。
というかそもそも、彼女はあまり感情に起伏がないのだ。俺とは同年らしいから先輩に対しては敬語だが、敬う気持ちはマイナスくらいの皮相的言動である。他の二人、一年生らしいソラとルナに対しては別にそうでもないのに、なぜだかこの先輩後輩関係にだけは遠慮がない。今のように、ソラルナのペアと別行動になるときはよく二人が一緒らしいが、果たして仲が良いのか悪いのか。
「くっ……あーもうわかった! よし、ここらで休憩。各自、戦闘態勢解除ー」
俺とミューがいつまでも放っておいたら、アリア先輩は開き直って投げやりな号令を出した。さらに大の字で床にうつ伏せのまま停止した。
そんなんでいいのか、あんた……。いやむしろ、そんなんでいいのか、チーム南校。勝利を目指して競い合うゲームだって、言っていたじゃないか。
俺は呆れる想いを抱いたが、ミューは文句の一つも言わずに近くの壁へと背を預け、腕を組んで静止してしまう。ちょうど最初に俺が目にした彼女と、同じ格好だ。その状態が彼女の休息モードのようである。態度は冷徹でも、ミューはアリア先輩の指示等々に対して、文句は一切言わないようだった。
仕方なく、俺もアリア先輩の横にあぐらをかいて座り込む。マシンガントーカーの電池が切れれば、この仮想の城内は途端にシンとしたものだ。
もう本当に、しつこいようだけどさあ、こんなんでいいのかなあ……。しばらく待っても起き上がらない先輩を見下ろし、俺は思わず口から漏れそうな感想を飲み込む。
だがしかし、繰り返し繰り返し抱くこの疑問への答えが、既に俺の中では出来上がりつつあるのもまた、奇妙なことではあるが、わかっていた。それは数日の間、ここへ通って直接に肌で感じたことだ。
答えは、そう。まあ、そんなんでいいのだ。
理由は、簡単だった。
静まり過ぎて間が持たなくなった俺は、その裏付けでもある事実を乗せ、先輩に向かって口を開く。
「アリア先輩。俺らのチームって、相当弱いっすよね」
初めはよくわからなかったが、考えてみれば当然だった。
何を隠そう、このチーム、現在総勢五人なのだ。しかもうち一人は俺だから、ゲームについてのノウハウもない。
対して今まで見た限り、南校以外の東、西、北校には少なくとも十人近くか、それ以上のメンバーが存在していた。
さらにここの戦闘には、簡単な取り決め、いわばルールがあるのだ。
まず基本的には肉弾戦。直接的に戦う過程で相手を制し、各々胸元にチェーンで下げられた校章付きのシンボルアクセサリーを奪うことが目的である。ふっ飛んだりはするものの、身体に大きなダメージはないのだから、これは一種の勝敗規定だ。胸元のネックレスを奪われた者は強制退場。すると残念ながら、その日はお家に帰還。また、次回には元通り参加するという仕組みである。つまるところ、これはチームの総力戦。したがって、人数の比は馬鹿にできない。
加えて全体としての勝敗は、二つのチームが攻守の立場に分かれ、守備側の持つ“フラッグ”を攻撃側が奪うかどうかで判定される。このフラッグというのは、守備チームの校章がついた大きな旗だ。守備チームは自陣でフラッグを守り、攻撃チームはこれを奪取するという目的でゲームを行う。たとえるのなら、鬼ごっこの派生型であるケイドロが近いと思う。
そしてその結果、守備チームがフラッグを守り切れば次のゲームでも攻守は変わらず、そうでなければ交代となる。これがスケジュールで調整されて、毎回二組の対戦カードが組まれた上で、争い合うというわけだ。全部で四校あるわけだから、ゲームの結果が出るごとに、新たな二校の守備側と二校の攻撃側が決定される。
まあ、とにもかくにも、やはり総力戦。もちろんフラッグは、可能な限りずっと守った方が良い。ずっと守備側をやっていれば、ゲームに勝っているということだから。そうやって予選を勝ち抜くと、決勝戦に参加することができるらしい。
「まあ、うん。んーだねえ。最近めっきりフラッグなんて見てない気がする。ずーっと攻撃側。負けてる方だねー」
アリア先輩はうつぶせのまま、床と顔をくっつけながらふごふご話した。まともな返答ではあったが、聞き取りにくくて仕方がない。
「てかそもそも、このチームって勝とうとすらしてないっすよね。毎回雑談してばっかで、うろうろするばかりだし」
「そりゃね。自陣から動かせないフラッグを守る守備チームと違って、攻撃チームの私らは陣地もないし、自由に動けるからさ。せっかく景色の良い仮想空間なんだから、ほら、やっぱり観光とかしないと」
「観光って……。んな呑気な……」
ルールを覚えたての俺でもわかる。このままでは勝てるわけがない。
俺としては、それでは困るのだ。ここで勝って得られるらしき権利を使って、大事な場所を守らなければならないのだから。増設工事をとりやめるか、さもなければ少なくとも、あの銀杏の広場を工事範囲から外してもらうかしないといけないのだから。でないと、俺がここにきた意味がないではないか。
けれどもそんな俺の内心など知らず、アリア先輩は緩い声で答える。
「呑気なくらいがーいいじゃないかー」
……普段の俺なら、それも良しとするんだがな。
「けど、頑張れば、一回くらいはいけるかもって思いません? フラッグ奪取」
俺は平静を装いつつ、先輩を駆り立てようとする。
すると先輩はひっくり返って仰向けになり、大の字のまま俺の方を向いて言った。
「無理に勝ちにいくと、みんなやられてあっという間に退場じゃないか。楽しい時間が早く終わってしまう。それではもったいないよ」
「でも……」
「それにな、フラッグは一回だけ取っても、意味がない。取ったら最後まで守らなきゃね。二組の攻守戦を何度かやって、最後にフラッグを守っていた二校が、決勝戦をやるルールなんだよ。って、前に言わなかったっけ? 予選の序盤でフラッグ持ってても仕方がないし、かと言って、最後の方はどこも本気さ。うち相手じゃ太刀打ちできない」
だからフラッグ奪取に躍起になるよりも、楽しく毎回の二時間を過ごした方がいいんだよ。そう、アリア先輩は言う。
所々は正論で、ここまで開き直られると、逆に俺としては反論しにくいものがあった。
おそらく今の南校は、他三校からほとんど敵としてみなされていないのだ。歴然の戦力差に加えてこの人たちの振る舞いもあり、戦意がないと認識されている。そのため敵陣から離れたところならば、笑いながら喋っていても、基本的には安全だった。
たまに起こる交戦といえば、偵察と称して放浪しているソラとルナが起こすものくらい。偶然鉢合わせた相手の偵察隊と、ちょっかいを掛け合う程度の戦闘。こちらも相手も、逃げたって別にわざわざ追ったりしないような、どう見てもお気軽なお遊びだ。
ソラとルナはたびたび、一度くらいは勝ってみたいと喚いてはいるが、それもあまり本気ではないのか、アリア先輩からの深追い禁止の指示を破る気配はない。きっと今もそこらで二人、呑気にじゃれているのだろうと思う。
「ふむ……。楽しい方が私は好きだよ。レイもそうだろう? ……と、聞きたいところだけど……何やら浮かない様子だね」
俺が座ったまま黙っていると、アリア先輩は続けて口を開いた。何かを考えているような、探りを入れるような、そんな感じだ。
しかし俺がなおも答えずにいると、再び先輩が、今度は別の方向へと声を放る。
「あ、そうだミュウミュウ。ソラとルナはどうしてるかな? 合流地点とか、決めてあったっけ?」
「……私は、知りませんけど」
ミューは口だけを動かして反応する。
するとアリア先輩は、寝ながら両手を合わせてミューへ微笑んだ。
「そっか。じゃあごめん。決めるの忘れてたわ」
「……決めてなかったんですか。ゲーム中は通信手段もないのに」
「うん。迎えにいかなきゃならないかも、なんだけど」
そのねだるような先輩の言葉を受け、ミューは溜息とセットで返す。
「……はいはい、私が行ってきます」
呆れた様子を隠す素振りもなく、ミューは壁から背を離して、やがて俺たちの前から去っていった。迎えに行くと言いつつ、きっと探しに行くのだろう。合流地点を決めていないのであれば、二人がどこにいるかなんてわからない。
でも、妙な服飾のおかげで移動も速いし、ミューはなんだか、こういったことには慣れている様子だった。もしかすると、初めてではないのかもしれない。
俺はそのやりとりを、なんとなしに眺めている。思考の半分は、未だにどうやったら勝てるのか、なんてことを考えながら。
沈黙が落ち、壁掛け燭台の灯火がほんのりと揺れる。
しばらくするとまた声がかかった。相手はもちろん、アリア先輩だ。ここにはもう、俺と先輩以外いなくなった。
「さーて、まあまあ。まあまあ少年よ。露骨にミュウミュウを退けた今、こうして二人っきりになったわけだが」
そして突然、床に伸びた体勢からブレイクダンスばりに回転して起き上がったと思ったら、素早く俺の隣に座り込む。
「わっ! ち、ちょっと、なんすか」
ちょうどピッタリ横に位置取られたために、先輩の身体がピッタリとひっつく。俺は驚いて横にずれつつ、距離をとった。
しかし、先輩はジリジリとしつこく、にやにやしながら寄ってくる。
「こらこら、うら若き乙女の身体ぞ。美人の女体ぞ。逃げるな逃げるな」
「うら若きはいいとしても、美人かどうかなんてわかんないじゃないすか。いったいどうしたんすか」
「いやいや、そこは美人を想像しておけよ。声や体型からして美人だろう? そう思っておいた方が、お互い得さ」
やかましいわ。言動からして美人じゃない。内心で毒づきながら、俺がひょこひょこ壁まで逃げても、ついには結局追い詰められた。壁と先輩に板挟みにされて、二人揃って体操座りなんて、変な構図になっている。
「その、な。一度、君と話をしてみようと思ったのさ」
妙に改まった、わざとらしい神妙なトーンの声を、先輩が隣で響かせる。二人っきりでな、と語尾に付け加えられたのは、なんだか無性に腹立たしかったので思いっきり無視した。
「二人で話なんていっても、俺の方は、特に何もないですよ。先輩みたいに面白可笑しいことも、そう言えませんし」
「心外だな、君は。するのは真面目な話だよ。普段の私とのギャップに、惚れないよう注意しなよ」
もう既に、そういう発言があるから絶対に惚れられないと思われる。
アリア先輩はケタケタ笑いながら俺の肩を叩く。反対が壁で反動が逃げないから、小突かれると結構痛い。
そうやってひとしきり俺をからかったあと、先輩は手を引っ込めて膝に下から回し、まるで少女みたいな体操座りをした。一呼吸置き、ゆっくりと話し出す。
「いい機会だからさ、今日はね。君と、そして君のお姉さんであるリフィア先輩に話を……いや、違うな。言い訳を、させてもらおうと思うんだ」
どうやら宣言通り、真面目モードに移行したらしい。アリア先輩のテンションは急激に頭打ちして、今度はわざとではなく本当に、急落下したように思えた。
「……言い訳って、また唐突すね。もしかして、それが真面目な話ですか?」
先輩は、無言で静かに頷いて見せた。
「君はさ、今と違ってかつての南校が、最強と謳われたチームだったって言ったら……信じるかい?」
「え? いや……」
何が告げられるのか全く見当もついていなかった俺は、不意にそんなことを尋ねられて、あからさまに返答に困ってしまった。先輩は何が言いたいのだろう。俺は疑問に思ったが、結局その意図もいまいちわからず、率直な本音しか出てこなかった。
「ちょっと、嘘くさいっすね」
先輩はそれを聞き、はは、と自嘲気味に笑う。
「まあ、そうだよな。でもね、嘘のようで本当の話さ。かつてと言っても、ほんの一年半前までのことだ。特にリフィア先輩が三年で、私が一年だった頃は、常勝南校と言われるほどの強さだったんだ」
最強って。常勝って。それは、聞き慣れないにもほどがある単語だ。いったいどれだけの人が、今のこのチームを見て、その話を素直に飲み込むだろうか。常勝どころか、まぐれ勝ちすら程遠い有様なのに。
しかし、頭ごなしに疑うわけにもいかず、妥当性のありそうな理由を見つけて、俺は言葉を返す。
「当時の三年生は、とても人数が多かったんですか?」
結果、思いついたのはこれくらいだ。
アリア先輩は首を振った。
「いや、そうじゃないんだ。当時の三年生は、たった四人だった。まとめ役のリフィア先輩と、他に三人。そして二年生は誰もいなくて、一年は私だけ。総勢五人の、ごくごく少数のチームだったよ」
「ご、五人て、今と同じじゃないすか。そんなんで常勝って……夢でも見てたんじゃないんですか?」
「だから、嘘のようで本当の話なのさ。私の先輩たちは、とてもとても強かったんだ。それはもうまさに、一騎当千の実力。二倍三倍の戦力差なんて目じゃなかった。四人ともここで、私を楽しませてくれながらフラッグをかっさらってくる姿は、憧れ必至の格好良さでね。さらにその中でも、リフィア先輩はかなり飛び抜けていたものだったよ」
予想とは違う事実の告白に、俺は純粋に驚いた。人員数がものを言いそうなこのルールのゲームで、五人の常勝。そんなことが本当に可能なのだろうか。いくら何でも無理じゃないのか? その年はたまたま相手校のメンバーも少なかったとか、極端に弱かったとか、そういうことじゃなくて?
けれども、アリア先輩の語る様子は真剣だった。それ見ていたら、軽々しく屁理屈を出すのも憚られる。まあ、別に嘘をつくメリットもないわけだし、そういうことも、あるのかもしれない。きっと当時の三年生は、疑いなく本当に、強かったのだろう。
「そりゃあ……すごい話すねえ。まあ姉貴のやつ、昔っから喧嘩はしこたま強かったからなあ……。まさかこんなところでそれが活きようとは」
思い返せば幼い頃は、よく優璃と喧嘩して負けた。勝ったことなんて一度もない。
アリア先輩は、そんな優璃の率いた当時の三年生をよく慕っているようだった。中でも優璃への好感は、一際高いと見える。全く、あいつときたら相変わらず、なぜか外受けだけはいいんだから。
「でも、それで三年の先輩が卒業して、南校常勝時代に終わりがきたと。そんなところですかね」
言いにくかったが、俺は先輩の話を信じた証として、その先の話を想像した。
「うん。そんなところだ、簡単に言えばね。いや……難しく言ってもそういうことだな」
アリア先輩は、やすやすと肯定する。
「当時、代が変わっても新しくやってくる人はいなくてね。最強の南校は、途端に低迷。そんな話を聞いたら、リフィア先輩は悲しむんじゃないかと思ったんだ」
始めに言い訳と言った意図を、ここまで聞いて、俺はようやく理解した。
妙な責任感というか罪悪感というか、まるで自分がこのチームをダメにしてしまったかのような意識を、先輩は抱いているのかもしれない。どうにもならないことでも、そういう気持ちを感じずにはいられない、ということだろう。
でもきっと、それは杞憂だ。確信できる。優璃の同期である他の三人に関してはわからないが、少なくとも優璃についてだけは言い切ることができた。
「うちの姉貴は、そういうことは気にしない性格ですよ。多分それは、間違いないかと」
良くも悪くもサバサバしたやつだから、仮に今あいつがここへきて、この状況を目の当たりにしたとしても、拍子抜けなくらい軽々と笑って済ますはずだ。不本意ながらもやはり俺とあいつは姉弟だから、長く近くで見ていた分だけよくわかってしまう。
「そうか、そうなのかな。ああ、リフィア先輩は、そんな小さなお方じゃないか」
「まあ、姉貴の器がどうかは……今は置いておくとしてですね。卒業でメンバーが抜けて勝てなくなるってのは、学生競技じゃよくあることじゃないですか。南校が低迷したのは、別に先輩のせいじゃないですよ」
五人のメンバーから四人の先輩が抜けてしまったら、アリア先輩は、ここでは一人だ。さすがにいくらなんでも、たった一人では勝てない。というか、そもそも活動自体が危うい気もする。南校チームが残っているだけマシだと考えても、良い気がするくらいである。
「でもさ、やっぱり責任は感じるんだよ。それに、私の話にはまだ続きがある。これはまだ、言い訳第一形態なんだ」
しかし俺の慰めは効果がないようで、先輩は気落ちした様子から回復することはなかった。もっと言えば、逆になおいっそう、真剣そうな雰囲気を纏って話を続けた。
「第一形態って……えっと、それは、第二形態があるってことですね」
「まあね。恥の上塗りだけど、ここから第二形態だ」
アリア先輩は膝の下を抱えたその手に、力を込める。
「寂しかったんだ、私は。何しろ一人ぼっちだったからね。どんな場所でも、一人は全然楽しくない。それどころか、ここへきても楽しかった前の年を思い出すばかりで、むしろもっと辛くなった。だからさ、別にそれなら、ここにくる意味もないんじゃないかと思ったよ。ここ数年で人数の安定している他校は、一学年くらい卒業しても戦力に変化はないし、先輩たちと同じ調子で相手にされたら、私はあっという間にリタイアだったし。ただでさえつまんないのに、勝てなきゃもっとつまんないし、悔しいしって感じさ。結局それで、もうどうでもいいかなって思っちゃって、リフィア先輩たちが残してくれた最後の優勝権限も、春先に適当に使っちゃったんだ」
アリア先輩は、ぽつぽつと大人しく、思い出を語った。まるで、しとしとと降る静かな雨粒のような声が、涙に代わって床に落ちるようだった。
そんなアリア先輩の回想に耳を傾けながら、俺はゆっくりとした語りの中に、一つ思い当たることを見つける。
「あ、もしかして……春先に使った権限って……」
「うん。君は知っているんだよな。学食のフランス料理フルコース。懐かしいなあ……今思えば、あれが最後の南校の優勝権だ」
なるほど、そういうことか。いや、でも待て。いくら傷心の身の上だったとはいえ、そんな暴挙というか、無駄遣いに走ろうとは……。
「……もう少しまともな使い道があったんじゃないすか……」
「君の言う通りだ。ぐうの音も出ないくらい正論だよ。でもね」
けれどもアリア先輩は、そこで久しぶりに、少し笑った。意外に思って俺が顔を向けると、先輩も俺の方を見て、さらに笑う。
「実のところ、あのフランス料理のおかげで、私は一人じゃなくなったんだよ」
いつの間にかしんみりしていた先輩はいなくなって、今度はいきなり、人差し指を立てながら、ずいっと顔を寄せてきた。
何だ。どうしたんだ。俺はそう思う。
にしても、近い。顔が近い。俺が両手で先輩の顔を遠ざけようとすると、触れた頬がむにっと鳴る。
先輩は構わず続ける。
「あれがきっかけになって、ミュウミュウがここへくるようになったんだよ」
「え、ミューって自分からここにきたんすか。すげーやる気なさそうなのに」
というか、フランス料理がきっかけって、どういうことだろう。
「あはは。あの子はな、別にやる気がないわけじゃないんだ。あの子は、私のおかしな権利の使い方を、咎めるつもりでここへきたらしいんだよ」
「咎めるって、なんすかそれ」
「さあ、その真意まではわからないが……何だろ、風紀委員か何かでもやっているのかな。とにかく学食にフランス料理は、もう本当に、ウケたようでさ。『おかしなことで学校の風紀を乱さないでください』って、ここにきて私に言ったんだ。梅雨の時期くらいだったかな。私はもう、その頃にはとっくに忘れていたんだけどさ」
思い出すと愉快なのか、先輩は朗らかに笑みを作って話した。語る調子に、楽しげに弾む声が混じり出す。
「当時まだ一年だったミュウミュウは、わざわざ調べて、ここにたどり着いたらしいんだ。普通ここへくるには、関係者の手引きがあるものなんだけど。いやあ、まさか何の情報もなしに一人でって、すごいよ。あの子の立ち回りには舌を巻くね」
「調べたらわかるものなんすか、ここって」
「うーん。まあ別に、秘密結社ってわけでもないけど、どうなんだろうな」
先輩の言う通り、俺は優璃に導かれるようにしてここへきた。それがなければ、夜の学校でこんなことが行われているなんて、知る由もなっただろう。
そりゃまた、随分と頑張ったなミューさん。いったいどんな手を使ったんだ。俺は手引きがあっても、ここへくるには多少なりとも迷ったのに。
「ちょっと驚いたけど、でもあの子がここへきてくれて、私は嬉しかったよ。一人じゃなくなったことが、とても嬉しかった」
「んで結局、ミューはそれからずっと、ここに通っているってことですか? でも、今の南校は弱小で勝てないんだから、優勝権限とは縁遠いわけですよね。ミューもそれがわかったら、もうこなくていいんじゃないかと思うんですけど」
「甘いなあ君は。せっかくきた彼女を、私がそうそう手放すわけないじゃないか。継続的にここへ通うように、叫んで喚いてしがみついたよ」
「…………」
俺はそれを想像して、少し呆れた。先輩の威厳、皆無だな。あの冷めたミューがあっさり去ろうとしているところに、その片足にでもしがみついて、駄々っ子のように縋るアリア先輩の姿が簡単に頭に浮かんでしまう。見事に上下関係反転の図だ。
「その甲斐あって、見張りという形で、あの子はここに通うことにしてくれたよ。いくら南校が弱くても、万が一の可能性も、あるかもしれないからさ」
それはつまり、万が一、南校が勝利して権限を得て、アリア先輩がまた変なことに使うという可能性だろうか。自然に考えるに、極めて低そうな可能性だが。
なんとまあ、律儀な話だ。
「それからしばらく、私とミュウミュウは二人で過ごした。あの子は素っ気ないけれども、今の君のように、こうして私の話を聞いてくれたものだよ。そのころには段々と南校の低迷が他校に悟られ始めていて、私たちが好戦的に振舞わなければ、いくらか長くゲームができるようになっていたんだ」
「あのミューが、先輩の話を、ねえ……。あんまり想像できないな」
「いやいや、本当のことだよ? あの子は冷たく見えるけど、仲良くなればなるほど面白い。もうね、すっごく可愛いんだから」
「へえ、案外いいやつなんすね。可愛いかどうかは……また別ですけど」
「いや、あの子は可愛いよー。素顔もきっと、激プリティーだな」
「………………」
あの性格でプリティーは……ないだろ。マジだったらすげーギャップだ。ギャップ萌えるどころじゃない衝撃を受ける。ていうか怖い。
「それでだ。長いこと二人でやっていたものだが、今年の春になってさらに二人、ソラとルナがやってきた。四人になったんだ。あの子たちは入学早々にここへきたから、おそらく過去にここにいた誰かの後輩なんだろうね」
そしてアリア先輩は、どんどん過去を現在に近づけていく。優璃の通っていた時代から、ゆっくりと思い出は進んでゆく。話の進度に比例して、より嬉々とした声を響かせる。
「手引きされてここへきたってことすか」
「だろうね。初めからここの話は聞いていたみたいだった。そうやってあの子たちがきてからはな、もう随分と賑やかになったんだ。人懐こい子たちでさ、初対面から会話が弾んだのを良く覚えているよ」
「あいつらがきたら、確かにうるさくなりそうですね。ミューの嫌そうな顔が目に浮かぶな」
単に人数は二倍でも、やかましさは三倍にも四倍にもなりそうだ。特にソラはよく喋るし、黙っているミューにも構わず寄っていって、一方的に話しかけたことだろう。
「あははは。確かに、嫌そーな顔をしていたかもしれない。でもきっとミュウミュウも、ソラやルナのこと、嫌いじゃないよ。あの子たちを見ていると、私は楽しい。一人だった頃となんて、比べようにも比べられない。仲間がまた、増えたんだから」
アリア先輩の語る様子は、もうとっくに満面の笑みで、とても楽しそうだった。
「かと思えばさ、次は君だよ。私がここにいられる最後の年に、リフィア先輩の弟に出会う。まさにこれは運命だ。ちょっとでも神様の存在を信じたくなったよ」
「よしてくださいよ。んなこと言ったら、俺が姉貴にパシられたのも運命ってことになるじゃないすか。冗談じゃない」
そんな運命を設定する神様がいるなら、俺は即刻、その神様に直談判しに行くだろう。やめろと。頼むからやめろと。
「いいじゃないか。気にするなよ。あはははは」
「気にするっつーのに」
アリア先輩は大口を開けて、大声で笑う。喜びの感情も相まって、随分愉快なのだろう。そのまま上を向いて続ける。
「私はさ、今のチームが、どうにも気に入っているんだよ。てんでへっぽこで、フラッグを見ることすらないこんなチームでも、今までにないくらい居心地がいいんだ。もともと私には、優勝権限でしたいこともないし、むしろミュウミュウはそれを止めるためにここへきている。ソラとルナにも、特にそういうのはないんだと思うよ。あの子らは、勝ちたい勝ちたいとは言っているけど、単なる興味本位だと思うし」
それは、薄々俺もわかってはいた。現南校メンバーの四人は、勝って得られる権利のことなんてほとんど考えてない。きっとそんなもの、有ろうとなかろうと、どうでもいいのだ。そしてこの事実は、チームが弱いことを正当化する主張にはならないけれど、勝利が意味を持たないことの帰結としては妥当性を得る。すなわち、まさしく言い訳にはなるのだった。
「根本から、勝ちを目指してすらいない……ってことっすね」
「まあ、目指していないとまでは言わないよ。私は、楽しいのが一番なんだ。みんなで力を合わせて勝ちにいくことは、もちろんその範疇に入るさ。でもな、現状ではあまりに厳しいよ。今、勝ちを狙うとなれば、毎度毎度の退場者は確実だ。相手がそんな私たちを見て、本気になればなおさらだしね。それに一応、このゲームでの退場にも、リスクがないわけじゃあないんだよ?」
「あ……そうなんですか?」
「うん。やられたって次のゲームになればまた会えるわけだけど……でも、デメリットは残る。退場の回数に比例して、この世界でのパフォーマンス……ホログラムによる装飾や運動補佐の質が下がっていくんだ。前者は気分の問題でも、後者は程度によっては無視できなくなるし、本気で戦う上では致命的だ。これは退場によって個人のアカウントに用意されているメモリが削られていくことに起因していて、一定期間は元に戻らない」
「へえ、そんなルールもあったんですね」
確かに、あくまでこれはゲームなのだから、最低限それくらいの設定はありそうだ。
「別に数回じゃあまり大したこともないし、今の私たちはほとんど戦うこともないけどさ。でも何より私は、みんなとできるだけ長く、一秒でも長く、一緒にいたいと思っているんだ。ここにきてみんなといられるのは、限られた時間だから。仲間は誰一人として、一度だって退場なんてしてほしくない。時間ぎりぎり一杯まで、じゃれた方が楽しいんだ」
俺はその言葉を聞いて、頷くことはできないけれど、先輩の言いたいことはわかった気がした。特に先輩にとっては、退場に伴うゲームとしてのデメリットよりも、共有する楽しさと時間が減ってしまうことの方が、大きな懸念なのだろう。暖かく穏やかに話す声音に、そういう想いが強く感じられた。
「これが、私の言い訳第二形態だ」
「……さすがに、第三形態は、ないっすよね」
「うん。でも……」
そこで先輩は、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「第三形態はないけど、代わりに君に、聞きたいことがあるんだ。君がここへきたのには、何か目的があるんだろう?」
突然、俺の心臓が、どきっと跳ねた。そのアリア先輩の質問は、不意打ちだったのだ。しかも、俺に目的があることを半分くらい決めつけているような鋭い聞き方が、妙にひっかかってしまう。俺はすぐには答えられない。
「無理にとは言わないよ。でも、こんな時期に、リフィア先輩に言われてここへきたことや、これまでの君のそわそわした様子を見ると、何かあるんだろうと思えてしまう。もし君が、何か叶えたい願いがあって、そのために勝ちを目指したいというのなら、私たちも少しずつ協力したい。だから、よかったら聞かせてくれないかな」
二人で真面目なお話って、つまるところこういうことか、なんて思った。俺が参加し始めてから、行われたゲームは数回。その間の俺の挙動が、先輩には気になったと見える。
可能性としては、十分あり得ることだった。ここへきて、ゲームのルールとシステムを知ってからの俺は、内心ではあわよくば優勝権限を利用したいと、常に考えていたのだから。それが少なからず言動に表れていたかもしれないことを、否定できる自信はない。
そう、もしここの権限が利用できるなら、問答無用で銀杏の樹は助かるはずなのだ。
でも…………。
「いや、目的だなんて、そんな。先輩の考えているような大それたことは、何もないですよ」
俺の口からは、はぐらかすような答えが出ていた。
俺の目的は、至極個人的なものだ。それに、協力は有り難い申し出だが、残念ながら時間的に余裕もないので、少しずつでは遅い。なおかつ、アリア先輩の思い出話を聞いてしまったあとでは、急いで勝ちたいとも言えないものだった。
先輩は「本当かい?」と再度尋ねたが、俺は
「本当です。それよりも、そろそろみんな、戻ってくるんじゃないですかね?」
なんて言葉を濁した。
逃げるように体操座りから立ち上がり、少し前にミューが去って行った方向を見る。戻ってきた気配を察したとかではないし、もともと俺たちは待っている側だからこの場を動く必要もないのだが、それでも俺は立ち上がった。アリア先輩との会話に、一区切りつけるためだ。
すると先輩は「そうだね」とゆっくり答えた。俺がはぐらかしたことを、わざわざ追求してくる様子はない。ただ、話を引きずりこそしないものの、以前として体操座りで真剣な表情をし、落ち着いた穏やかな声で俺に言った。
「でもね、レイ。ならば一つだけ、言っておくよ。ここのメンバーであるからには、単独行動はなしだ。君が一人で勝手に動いたら、みんな心配するんだからな」
その念押しのような、あるいは忠告めいたものに、俺は曖昧に笑って対応することしかできない。言葉ではイエスともノーとも、言わなかった。
しかし俺が答えなくても、先輩は対して何か反応を見せるわけでもなく、二言目を紡ぐこともなかった。
それから結局、ミューがソラとルナを引き連れて帰ってくるまでの少しの間、無言の時間が続いた。いつものお喋りなアリア先輩は姿を引っ込め、皆との合流まで出てこなかった。もちろん全員が揃ってからは、またからりとした明るい調子の先輩に戻っていたが、始終その胸中が、俺には気になって仕方がない。
みんなで時間いっぱいぶらついて、その日のゲームが終わっても、さらに家に帰ってもまだ、俺はどうにも上手い結論が出せずにいて。南校のチームのことや、これから俺がどうするべきかを、長々とひたすら思案し続けていた。
2
どうにも八方塞がりだ。と言っても、もともと一本しかなかった道が、塞がってしまっただけなのだけれど。とにかく、一番可能性のあった経路が閉ざされた。
増築工事に歯止めをかける方法がなくなったのだ。優璃が俺に寄越した手段、すなわち夜の学校のゲームに勝って優勝権限を行使するという、ほとんど唯一の個人的要望を貫く道が遮断された。
……どうしたもんかなあ。
俺の分析では、現南校チームでの勝利は至難の技だ。何より、やり様や努力以前に、俺以外の人間に勝つ気がない。勝つ意味がない。
その上アリア先輩には、いやに真剣な様子で俺自身の単独行動の禁止を言い渡されてしまった。個人ですら、動くにも動きにくい状況だ。
ぶっちゃけたところ、そんな言いつけなど無視して一人で敵陣に突っ込んでみても良いのだが、と言うか相手の戦力を知るにはそれが一番わかりやすいのだが、それもまだ踏み切るまでには至っていない。アリア先輩は現状を悪くないものとして捉えているし、優勝権限を使おうとしている俺の目的を考えると、ミューにもあまり事情を詳しく知られたくなかったからだ。
したがって俺は、毎度毎度浮かれたアリア先輩の雑談に付き合い、毎度毎度冷めた態度のミューの様子を気遣い、毎度毎度騒ぎ立てるソラとルナの相手をしながら、さりげなく相手校のことについて探ったのだった。
それでも、俺一人で戦闘を避けながらできることなんて限られているものだ。せいぜい把握できるのは、東、西、北校それぞれの大雑把な人数や動き方。あとは、ホログラムに飾られてはいるものの構造が概ね変化しない、他校の地理状況。それくらいだ。
調査の過程でざっくり見ている感じだと、西校が一番人数が多くて精力的。人員は二十人程度だ。単純に考えれば、ここが妥当な優勝候補だろうと思う。さらに次点には、北校がくる。西校と違うのは人員が多少減って十四、五人だということくらいだ。そして三番手は残る東校。十人程度からなる構成で、チームとしては割と緩い雰囲気もあるようだった。
現状ではこの東西北校の三つ巴。戦力の偏りはあるものの、攻守の入れ替えは起こっている模様。これは俺たち南校がずっと攻撃側であるにも関わらず、三校全てと対戦カードが組まれるということから想像がついた。つまりは南校だけが、蚊帳の外状態というわけだ。
また、敵陣の位置についてはゲームごとに固定ではなく変化するので、方角さえわからないときもあれば、だいたいの位置までつかめることもあった。たまたま敵陣の見当がついて近くの様子が伺えたこともあったが、どうにも相手校の雰囲気に、戦闘や警戒の色がなかったことを記憶している。それはおそらく、対戦校が俺たちだからだ。
はあ……いや本当に、どうしたものだろうか。
ゲームの数を重ねていくごとに、チャンスの数は減っていく。なのに、時期を見てアクションを起こすか、まだしばらく様子を見るか、それすらも予定として定かではない。
優勝権限を得るには、決勝を行う二校に選ばれなければならないのだが、予選ってあと何回くらいあるんだろうか。その辺りもしっかり把握しておかなくてはならない。
こんな風に、思考は巡る。ぼんやりと、ゆっくり回る。ぐるぐると、ただただ回る。しかし考えても結局は、どうしようもなさそうだという結論に行き着く。塞がれてしまった道の前で、行ったりきたりの立ち往生をしているのだ。
机に頬杖をついて外を見れば、空ばかりが広がっている。そんな景色が見える二階の教室で、俺はのっそり頭を働かせていた。
対して身体の方は、休み時間だというのに一向に動く気力を見せず、美術館の銅像のように固まったまま。今の俺は他人からしたらきっと、空腹で放心した生徒か、繰り返される授業に辟易した生徒の図そのものだろう。いやまあ、それが当てはまらないのかどうかと問われれば、自信を持って否定することも、なかなか厳しいところだけれど。
だがそこで、俺がいかにも惚けたような状態を演じて一人自席に座っていると、すぐ隣に誰か人の立つ気配がした。
俺が気付いて、どうせ隆弥だろうと思って首だけ捻ると、しかし見事に予想は外れる。
「椎名くん。今、いいですか?」
振り向くとそこには、背筋を伸ばしてこちらの反応を待つ、朝比奈さんが立っていた。
「ん? ああ、構わないけど」
うーむ、ボーっとしていて来客を見誤ったようだ。失敬、失敬。隆弥のいないときに彼女が俺に用があるとは、珍しいとまでは言わないが、いささか稀なことである。おおかた、授業関連のことだろうと目星をつけた。
けれどもまたも予想は外れ、彼女は安穏とした柔らかい声で、こう言ったのだった。
「椎名くんを、呼んで欲しいと頼まれましたので」
告げられて俺は、彼女の後ろの方、つまり教室の出入り口を見やる。おっと、これは驚いた。来客は隆弥だと思ったら朝比奈さん……ではなくて実は大穴の、九条羽望副会長様であった。
「羽望ちゃんが、何か用みたいです。行ってあげてください」
朝比奈さんは珍客中の珍客を親しげに紹介すると、にこりと微笑みを一つ寄越す。俺の頬杖が解かれたところまで見届けると、笑顔のまま自分の席へと去っていった。
俺はゆっくりと立ち上がり、廊下へ出る。
「これはこれは副会長様。わざわざ俺に用とは、何でしょう?」
九条は廊下の壁に軽く背を預けて目を瞑り、顎を引いて片手の肘を抱えるポーズで俺を待っていた。待っていたというよりは、しばしの休息のポーズにも見えた。
俺の声を聞くと、彼女はすっと元の正しい姿勢に戻り、黒目がちの瞳をわずかに開いて応答する。
「敬意のない様付けは、小馬鹿にしているように聞こえるわね」
「まさか。ありますよ、敬意」
「どうかしら。たかが生徒会に、本当に敬意を持っている人の方が、私からしたら気味悪いけど」
別に自虐というわけでもなく、嫌味というわけでもなく、彼女はそう言った。続けてすぐに「それはさておき」と切り出してから、本題を述べる。
「今日の放課後、以前に片付けた資料室の荷物を運ぶから、あなたも手伝ってくれないかしら。量が多いから、一人くらい補佐がほしくて」
言われてみれば、少し前にそんなことをやった気がする。
「……そ、それは、脅迫ですか」
「まさか。れっきとした依頼よ。私、脅迫なんてしたことないもの」
「…………」
以前の片付けは、数学の授業をサボったときに手伝わされた。なにぶんその延長となると、どうもにも逃げにくい雰囲気を感じる。
「ちなみにあなたに白羽の矢が立ったのは、放課後に部活も委員会もやっていないから。あと、以前の続きで、説明の必要がなくて楽だから」
「なるほど。なんて合理的な理由だ……」
「でしょう。特に後者が大きいわね」
「脅迫じゃないって言うんなら、あれですか。手伝ったりすると、見返りに九条的な俺の評価が三点くらい上がったりするのですか」
「そうね、上がるんじゃないかしら。一億点貯めると握手券と交換できるわ」
「…………」
真顔で冗談に乗ってきた。しかもひどい内容だ。単位がおかしい。なんて鬼畜設定。
「……まあ、うん。わかった、手伝うよ。前回の整理も途中かけだしな」
「ありがとう、感謝するわ。じゃあ放課後は教室にいて。呼びにくるから」
九条は俺の了承を聞くと、まるで色好い答えがもらえることをわかっていたかのように、テンプレートな会釈と謝辞を置いて翻る。そうしてリズムの良い足音を残し、自分の教室へと去っていった。
なんだかなあ。そんなに俺は、放課後のボランティアを断るはずのないお人好しに見えるのかね。実際手伝うんだから世話ないけどさ。まあ、乗りかかった船とでも言うのだろうか。一度手伝った作業くらいは、最後までやるべきってことかもしれないな。
俺は彼女の背中を眺めつつ、それが見えなくなってから、軽く伸びをして自席に戻った。
片付けに備えて体力を維持するため、授業を寝てやり過ごしたら、あっという間に放課後がやってきた。眠っていれば、体感時間は一瞬だ。
帰りのホームルーム終了後、クラスメイトが部活や委員会、あるいは自宅かその他へ向かって教室を出て行く中、俺は九条に言われた通りに自席を動かず待っていた。
すると視界の端に映る教室の入り口に、九条の姿が現れる。真っ先に俺を呼ぶのかと思いきや、ちょうど教室を出て行こうとしていた朝比奈さんと顔を合わせたようで、二言三言交わしているのが伺えた。
朝比奈さんが可愛らしく手を振って去っていくと、九条も軽く微笑んでそれを見送る。もしかしたら、二人は懇意にしているのかもしれない。
そして再び一人になった九条は、視線を俺の方に向けた。放課後だからだろうか、自分の教室でなくとも、彼女は気にせず踏み込んできて告げる。
「待たせたわね」
俺たちは二人で、旧校舎の資料室へ向かった。
教室の集まる新校舎から目的地までは、はるばる歩く。やっぱり遠いな、と思い直す頃に旧校舎に踏み入って、こんなに遠かったっけ、と疑問を抱く頃になってようやく着いた。
以前とは違い室内は既に整っていて、扉の傍には、中から追い出された荷物たちがうずたかく積み上げられている。結構高めに重ねたものだが、人も通らず風もないので、地震でも起こらない限りは、立派な段ボールタワーがそびえている。
……はずだったのだが。
「あれ? なんか、減ってないか?」
どうしてか、気のせいではないくらいに、目に見えて量が減っていた。
「前よりはね。ここの荷物は、二つの部屋に運ぶことになっていたの。図書室に運ぶ分は一人でやれそうだったから、先に私が運んだわ。それで、今から向かうのは新資料室。こっちの方の荷物は、量が多いの」
「へえ、そうだったのか」
「できるだけ大きめのものを運んでくれると嬉しいわ」
九条はまた、制服のポケットから取り出した髪を縛り、ポニーテールを結い上げる。
「これ、台車とか使うわけにはいかなかったのか?」
「あなたに断られたら、そうしようかとも思っていたわ。別に使ってもいいのだけれど、新資料室は新校舎の三階だから、階段を上るのよね。一応割れ物もあるし、できれば人の手で運んだ方がよくて」
断られたら、ねえ……。当たり前のように、俺の了承を受け取っていたくせに。
まあしかし、随分と手慣れた判断だと思う。
そこまで聞いて納得した俺は、積み上げられた荷物の中から、一番大きいものを選んで持ち上げた。目線いっぱいまで、両手で抱える形になる。前が見えにくい。
中身は確かファイルの束だ。持てないほど重くはないが、軽いぜへっちゃらなんて宣えば、きっとそれは虚勢になるくらいの重さだった。華奢な九条が運ぶには、少々辛いかもしれない。
「じゃあ、行きましょう」
九条は小さめの段ボール箱を持って俺を先導した。
さて、校内の旅、再開。俺の記憶には新資料室なんて部屋は存在しないので、その辺りも考えるとやはり、新校舎の中でも辺境の地へ行くのだろう。道のりは長いとみた。今度も相変わらず、人通りの少ないルートを通るようだ。まあ資料室という使用頻度の少ない部屋の行き来なのだから、当然と言えば当然か。
廊下を二人で歩くと、静けさが目立った。俺と九条の足音がよく響く。歩幅が異なるためだろうか、彼女の足音の方が、俺のそれよりも多めだった。二人で、隣同士ではなく、ほとんど縦になって進む。会話はない。それがまたなお、この静けさを一際増して感じさせる。
俺の中の通常思考として、静寂はいいものだと思う。たとえば、放課後の音のない夕暮れ時の平穏は貴重だ。他にも、早朝の誰もいない図書室や、昼休みの喧騒から逃れた虚空に浮く屋上も、かけがえのない時間を演出する。だから普段ならば、静かであることは俺にとって心地の良いことである。
けれども、この状況では、それもまた変わってくる。傍に九条が歩いている今、閑寂が俺にもたらす感情は“心地良い”よりも、どちらかと言えば“物足りない”だった。
退屈……なのだろうか。まあ、穏やかさとは表裏一体の概念だ。ふと思考が暇を訴えてきたので、俺は周囲を眺めて歩くことにする。
最初は一階を進んでいたが、すぐに階段に差し掛かった。そして景色が三階からのものに変わると、視界も一気に広がった。
随分と遠くに見えるグラウンドでは、野球部が白球を追いかけている。内野で転がったように見えたが、三塁ランナーが素早くホームインするのがわかった。近くではサッカー部も練習をしている。球技同士のグラウンドの共有は、隣の競技の球が当たって危なそうだな、といつも思わせる。
さらに校舎に視点を向ければ、ちらちらと何やら華やかになりかけている区画が目に入った。窓や壁に、赤や青の花模様。紙製のレース編み。整然と並ぶ、作りかけの未だ形知らぬ装飾品。きっと文化祭の準備だろう。確か、もうすぐ正式な準備期間に入るはずだ。施された飾りは、それを待ちきれない生徒のフライングに違いなかった。
しかし、ざっと見渡して目に付くものもそれくらいだ。退屈を紛らわす材料には、少々及ばないと感じた。
前方を定速で歩む九条は首一つ動かさないが、何を目にしているのだろうか。まさか進行方向の安全確認に全視界を注いでいます、なんてことはないだろう。ロボットでもあるまいし。
ものの数分で周囲観測も飽きてしまった俺は、結局取り留めもないことを思って口を開いた。
「なあ、九条」
「何」
彼女は前を向いて、やはりペースを変えないまま答える。
「九条って、朝比奈さんと仲良かったりするのか?」
「どうして?」
「いや、他意はないけど、仲良さそうに見えたからさ」
「そう見えたのなら、そうなんじゃないかしら。まあ、悪くはないとは思うわよ。琴葉とは同じ中学出身だし、一年のときも同じクラスだったし。あの子は今もクラス委員だから、私との接点も多い方ね」
へえ。琴葉、か。
確か朝比奈さんも、九条のことを下の名前で呼んでいたっけ。前からそうだったのかもしれないな。つまりは、互いに名前を呼び合う程度には親しいということか。
「隆弥の方とはどうなんだ? 去年とかは、よく朝比奈さんと三人で話したりしてたよな?」
「辻君? よくってほど話していたかしら? それってあなたが去年、辻君と同じクラスで仲が良かったから、そういう場面を覚えているだけじゃないの?」
「あれ、そなの? てっきり仲良し三人組なのかと。んで俺と九条が顔見知りになってから、四人で話すようになったんじゃなかったっけ」
「確かに、あなたが加わってからは、その四人で話すことも増えたかもしれないわね。まあ、もうよく覚えてないわ」
九条は淡々とした口調で返答を寄越した。コミュニケーションかどうかは別として、単なる情報交換として見れば、会話のキャッチボールは良好だ。欲を言えば表情が気になるところだが、たびたびやってくる曲がり角で横顔を拝もうとしても、これが思うようにいかないものだった。
「でも、私とあなたって、あの二人とは全く関係のないところで知り合ったのよね。もちろん二人は、私とあなたの共通の知り合いだったから、あとから四人で話すようにはなったけれど……もし仮に二人がいなくても、遅かれ早かれ私とあなたは今、こうしていたと思うわよ」
「なんとまた。その心は?」
「だってあなた、数学サボるんだもの。私、誰もいない授業中の廊下であなたと出会ったことは、今でもよく覚えているのよね。前にも言ったけれど、あなたのクラスが数学のときって、こっちはいつも国語なの。出張の多い学年主任の先生が担当の国語。私はいつもその時間に許可をもらって生徒会の仕事をする。だから、きっとそのうち出会っていたわ」
それは、きっとそのうち雑務を手伝わせていたってことだろうか。
「あなたは割と覚えがいいから、使いやすいしね」
きっとそのうち雑務を手伝わせていたってことだな! 要はパシリに使ってやっていたと! そういうことだな! ちょっとばかり運命を感じさせるセリフに聞き入って損した!
「……そりゃ、どうも……」
俺は苦い思いで、小さく声を絞り出すしかなかった。
「あら、褒めてるのよ」
嬉しくねえよ。
いかん、この話は分が悪いらしい。口ではまず彼女に勝てず、したがって俺の発言が弱く乏しく、劣勢になっていく未来しか見えない。話題を変えよう。
「そ……そういえばさ」
俺はとりあえず、苦し紛れでこれまでの話を切り落とした。そして闇雲に記憶の引き出しを開け放って、脊髄反射的で舌を動かす。
「知り合った当時は知らなかったけど、九条って結構有名人なんだよな」
「何よそれ」
話のすり替えにも影響なく、リズムの良い反応が返った。単調さが、彼女の足音とリンクしている。
「いや、だって、色々なところで見るらしいからさ。テストの順位表だったり、部活動の表彰だったり、あと副会長も一年の頃からやってるんだって聞いたし」
「全部、伝聞調じゃないの」
「そりゃまあ、聞いた話だし。俺は知らなかったから」
「ふうん」
でも、確かに知ってからよく意識していると、九条の存在は十分に名を馳せていた。これは疑いようがなかった。本当によく見るし、よく聞いた。
成績優秀。一芸と言わず二芸も三芸も有り。容姿も、悪くない。あと一応、品行方正。
評判良好も当然だ。
「でもね、そんなこと言ったら、あなただって有名よ。先生たちの間では、結構ね」
「え……なんで。もしかして、数学サボるからか……?」
「違うわ。椎名だから。あの椎名優璃の弟だからよ。自覚ないの?」
……自覚?
そりゃまあ、姉貴絡みでのとばっちりは様々あるが……けどそれも、中学までが顕著だったくらいだ。高校では優璃も大人しくしていたようだし、現状では俺への実害もあまりないように思う。いや、大人しくっていうのが本人談であるところが、唯一疑わしいところだけれど。
「ないのね。それとも私がよく職員室に出入りするから、だから耳にするだけなのかしら。もう今でこそあまり頻繁でもないけど、それでもまだ話題に上がってるのよ。あなたのお姉さんは」
「………………」
九条の言葉を聞き、俺は沈黙。
もちろん、高校に入ってからでも、その手の話をされたことは多少ある。隆弥みたいに親しいやつならば、身内の話としてままあることだ。
けれども、先生や知らない生徒とまで優璃の話をしたことは、もうほとんどない。三年離れて直接の登校時期が被っていないので、先生はともかく俺と同年の生徒なら、優璃を知らないやつの方が多いはずなのだ。
「まあ、その認識の甘さだとね。なんて言うか……いい性格してるわ、あなた。身近な人が有名すぎると、有名とかそうでないとか、感覚鈍くなるのかも」
九条は俺の無言を受け取ったのか流したのか、続けて呆れ交じりの感想を漏らした。
ぐ……。姉貴の話は、分が悪い。って、また分の悪い話題かよ。何でこうなる。
「み、身内ってなら、九条だって有名なんだろ。いや、九条の方が、か。九条一族って、ここら一帯の地主で、今でも衰退の色なしって聞いたぞ。それっていわゆる、正統派お嬢様ってやつだよな」
俺はまた、わずかに話の向かう先を変える。進むヨットに横薙ぎの風を吹くように、無理やりに進路をずらそうとする。
だが実のところ、これは全く誇張ではない。九条が有名な理由、その二。いや、ひょっとするとこっちの方が、その一かもしれないくらい、大きな要素だ。
俺の返答を境に、すると彼女は若干、声の周波数を下げる。
「……それも、聞いた話なんでしょう。やっぱりほら、疎いんじゃないの」
「う、疎いのは事実だけどさ。仕方ないだろ。知らないものは知らないんだよ。家とかも広くてすごいらしいって聞くけど、地区違うから、お目にかかったこともないし」
「……そういう問題? 違うと思うけど」
加えて彼女は、声の大きさまでも落としたようだった。
「印象に先立つものがないんだよ。当たり前だけど、俺は学校以外で九条に関するものを知らない」
「へえ、そうなの。この街にいれば、九条関係のものは何かしら目に入ると思うんだけどね、本当なら。……まあでも、案外それが真実なのかもね」
歩くスピードまで、ゆっくりになった気がした。会話のテンポの低下が、歩行速度に波及しているのかもしれない。
「真実、って……?」
「あなたみたいな人にはね、九条の隆盛なんて見えないのかもっていうことよ。確かにうちは、よく立派って言われるし、家も大きいわよ。でもそんなの、私自身とは関係ないことだもの。家が大きいからって、住む人の器まで大きいかは疑問。裕福だからって、人が真の意味で豊かに生きているかは謎なのよ」
口調に目立った感情は表れていないが、言葉だけなら皮肉交じりにも聞こえる。あるいは、卑下とも捉えられそうだ。いったい、どうしたのだろうか。
「九条。すまないが……何を言っているのか、よくわからない」
「………………」
解説はなかった。
俺は言葉の意味を考え、前方確認もそっちのけで彼女についていく。
しかしすぐに、足音が自分のものだけになっていることに気づいて……荷物を少し下げて前を見やると、彼女は半身で振り返りながらこちらを向き、少しきつめの両眼で俺を貫いていた。
「………………」
開かない唇は、美しく横一文字に結ばれている。目つきがいやに鋭い。凛とした空気を放っている。
「あの……なんで睨んでるの?」
「あら、失礼ね。こういう顔よ、元々から」
彼女はさらっと答えた。
えーっと……これは、冗談かなあ。わかりづらいなあ。俺は惑わされる。
しばらくして、彼女は声の高さを元に戻し、おもむろに提案をしてきた。
「ね、疲れたんじゃない? ちょっと休憩にしましょうよ。ここは人があまり通らないところだから、荷物を置いても平気だし」
告げながら、俺の了承よりも早く、彼女は抱える荷物を下ろした。そうして身軽になってから、隣の壁に重心を預ける。
「あ、ああ」
遅れた承諾。俺も同様の動作をとった。
よく見ると、そこは渡り廊下だった。旧校舎と新校舎を繋ぐ、三階に架けられた廊下である。壁面には窓が群れを成して並んでいて、景色は際立って良好だった。
……ん? そういえば意味深な発言の真相を受け取っていないな。もしかして休憩にかこつけて、話を逸らされた? 俺がさっきからやっていたみたいに?
九条のし辛い話を振ってしまったのか。いや……考え過ぎか。
「そうだ。クッキーあるんだけど、食べる?」
横についた俺が何も発言しないでいると、彼女はどうしたことか、突然片手を差し出した。
「クッキー?」
尋ねつつ目線をやると、手にはこじんまりとした柄物の包みが一つ、リボンで口を閉じられている。
「お昼に焼いたんですって、後輩が。文化祭の練習かしらね」
「なんと、それを貰ったと」
「甘いものは苦手だって断ったんだけど、貰ってくださいって押し切られたの。ちょうどいいから、あなたにあげるわ。無償の手伝いも気の毒だし、美味しいと思うから」
彼女は俺の腕をとって手のひらを上向きにし、そこに包みをポンっと置いた。未開封だった。
「って、丸ごとかよ。ここで食べるんじゃなくてか」
「私は苦手だって」
「でもせっかく貰ったなら、一つくらい食っとけよ」
感想とか聞かれたら困るだろうに。まさか、慕ってくる後輩に対し、他人に横流したなんて言うわけでもあるまい。
俺は渡された包みを開封し、中から一欠片をつまみ出して渡し返した。
「ほら」
彼女は少しの間渋い顔をしていたが、やがて受け取って口に運んだ。ちょっと眉を寄せながら、でもそれを隠そうとするような、ほんのり苦い顔でクッキーを咀嚼する。
「美味しいけど、砂糖入れ過ぎ」
それは直接、後輩に言ってやれよ。
毒味、もといレディファーストを尊重してから、俺もおこぼれに預かった。と言っても、残りはほとんど俺が食うことになるのかな。
数秒、二人でクッキーを口に含んで言葉を失う。
また少しして、ふと一言、九条が零した。
「工事の日程が決まったみたいね」
ちなみに正面で手を組んでいた。もうクッキーは寄越すなということだろうか。
「ん?」
「例の増設工事の日程。掲示板に貼り出されていたけれど、あなた気にしてなかったっけ?」
ああ、そういえば、以前彼女とはその話をしたんだった。
古い校舎の一画を新しい設備にする工事だ。そしてこの工事は、俺の好きな銀杏の樹の広場の消滅を伴っている。
「告知されたのか。うん、気にしてる。いつからだって?」
「文化祭の準備期間に重なって下見、行事後からすぐに着手。準備が出来次第施工、だって」
「……そっか」
なるほど。本格的に始まるのは、文化祭のあとか。でもやはり……近い。今日明日や一週間先ってわけではないけれど、十分にもうすぐととらえて差し支えない時期だ。何もしなければ、あっという間にあの広場は更地になる。
強がるなら、予想通りとでも言えば良いのだろうか。それ自体は嘘ではない。でも、俺自身がどう動くかも、まだ決まってはいない。焦る想いを無視などできない。
俺は手元の包みを探り、クッキーをまた口に含んだ。
「……なあ、それって生徒会に頼んだら、止めたりとかできないのか?」
「どういうこと? 意味がわからないんだけど」
「いや、そのままだよ。工事、取り止めにしたりできないかなってこと」
「取り止めって……随分と難しいことを言うのね」
九条は、さして興味もなさそうに言う。クッキーの包みを目の前に差し出したら、丁寧に押し返された。
「生徒会が言ったら、学校も聞き入れてくれそうじゃないか」
「まさか。そんなに簡単じゃないのよ」
「副会長なのに」
「たかが副会長に何を望むのよ」
たかがって、会長の次に偉いはずなのに。
口内のクッキーが溶けて消えると、俺は寂しくなって、また一つ放り込む。ついでに懲りもせず、彼女の前にも差し出したら、こちらを嫌そうに一瞥して、今度は一つだけつまみとった。
「あるいは、全校生徒の署名でも集めれば、可能かもしれないけど」
「あー……署名、ね」
ほうほう。うん、そりゃ……無理だ。
人に使われていない区画を新しくする工事なのに。あの銀杏の樹の広場は、その存在すらほとんどの生徒に知られていないのに。とても署名なんて集まらない。集まるわけがない。
逆に署名が集まるような人気スポットなら、俺は寄り付かなかっただろうとも思う。
駄目元の生徒会頼みは、やはり駄目ってわけですか。
「聞いても、いいかしら?」
俺が安い諦めに浸っていると、隣の九条から質問が飛んだ。今更改まって、どうしたのか。
「どうぞ」
答えて、ついでにしつこくクッキーもどうぞと差し出したら、今度は無視された。もう満腹ですか、そうですか。
「あなたが工事を止めたいのは、もしかしなくても、あれが理由よね」
聞くと言いつつ、半分くらい断定的にそう述べると、九条はすっと片腕を上げ、窓から見える景色の一つを指差した。その指が示す先は……えー……壁?
「向こうの校舎が……どうかしたのか?」
何の変哲もないコンクリートだが、汚れがウサギの餅つきにでも見えるのだろうか。ちょうどさきほどまでいた、資料室のあるあたりだった。
「そこからじゃ見えないかも。もう少し、こっち」
違うようだ。
九条は告げながら、わずかに横へとずれる。自分の元居た空間を、俺へと譲るように。
俺がそこに移ると、視界に映るものが、一つ増えた。
「あなたがよく訪れる、小さな広場」
校舎の壁に隠れて見えなかったそれが、この位置からだけ、隙間を縫うようにしてわずかに目に入る。
俺は思わず、目を見張った。
確かに俺が足繁く通う、銀杏の樹の広場だ。一本の、薄く黄色に色づき出した葉揺れている。こんなところから見えるなんて、知らなかった。
「……俺があそこによく行くこと、知ってるのか」
「まあね」
ということは、九条もあの場所を認知しているということだ。
意外……いや、でも考えてみれば、当然か。彼女は生徒会役員であって、校内のあちらこちらに仕事がある。校舎の地理について俺よりも詳しいのは、十分道理にかなうというわけだ。
「この渡り廊下の、この位置からだけ見えるの。あなたはあの場所に、よく通っているわね。だから、なくなってほしくないんでしょう。でも、どうして? あんな風に、ただ静かなだけで何もないところ、居て面白いの?」
ここにきて、よりいっそう抑揚の欠けた声で彼女は尋ねる。
「面白いってのとは、ちょっと違うかな」
それに合わせて俺も、至極平坦な声を選んで放った。
「じゃあ、なくなっても困らないじゃない。ちょっと喧騒から逃れたいだけの、それだけの場所だったら、他にいくらでも代わりはあるわ」
返る声もまた、淡白だった。
そして、だからだろうか。彼女の感想を聞いて、俺は妙に納得した。彼女はあの場所の存在を知ってはいても、その価値までは知らないのだと。そんな風に。
だったら、次の言葉は自ずと決まる。
「……なあ、九条。九条はあの場所に、行ったことがあるか?」
「ええ、近くまでなら」
「じゃあ、あの銀杏の樹の下に行ったことは、ないんだな」
「そうね、ないわね」
「なら、一度行ってみることをお勧めするよ。行って、あの樹の根元に腰を下ろしてみるといい。そうしたら、たぶんわかる」
そうしたら、理解できる。感じ取れる。きっと実感できるはずだ。
「……何が?」
「あの場所の価値が。代わりなんて、ないんだってことが」
そこにしか、ないんだってことが。
「あの樹の真下から見える景色は、想像以上に心に残るよ。見た目は小さい広場だけれど、中心からだと不思議と、とても広く感じられるんだ。風の通りも良い。まばらに降る光の中で、木陰から仰ぐ空は最高だ。まるで別世界にいる気分になる。きっと九条の……いや、本当は誰の琴線にだって、触れるはずの場所だよ」
「でも、実際にそうじゃないから、なくなろうとしているんでしょう?」
「それは、みんながあの場所を知らないだけなんだよ。存在そのものを知らないんだ。旧校舎の方になんて、普通は誰も要なんてないから。だからだよ」
「……ふうん」
九条は、半信半疑といった様子で返事をする。
「けれど、俺はあの場所を、とても大切に思っているんだ。大切なものに、代替はない。欠けがえないはずだ。絶対なくなってほしくないって、そう思ってる」
語りつつ、想起する。思えば俺が初めて広場を訪れたのは、不可抗力からだった。
その日。俺は突然、授業開始の予鈴と同時に腹痛に襲われたのだ。ゆえに甘んじて欠席を受け入れ、止むを得ず保健室に遁走。市販薬を飲んで、一時間ほど横になれば治るかな、という算段だった。
けれども思いの外、腹痛はすぐに収束して。そして遅刻という形で授業に戻ることになって……。よもやそんな、心の準備もできていないのに、だ。
しかしてまあ当然、再び廊下を歩くも授業を受ける気分になどなれず、空白の一時間を持て余し……つま先は向かう先を様々に変え、結果フラフラと校内を彷徨って……。結局、無意識に校舎を徘徊した末、行きついたのがあの銀杏の樹というわけだった。
確か去年の六月初旬。一年生でもある程度学校に馴染み始めた怠惰な時期。俺は、広場のたった一人の常連となった。
ついでに授業をサボったのは、このときが初めて。科目は数学だった。
「……そう、なんだ。大切、なんだ」
九条は、広場の存続を願う俺の言い分を聞き、少しの間、何かを考えていたようだが、やがてまた口を開いた。呟くような細い声だった。
「そうだよ。まあ、今ここであの場所の良さを言って聞かせても、すぐにはわかってもらえないかもしれないけれど……でも、きっと九条にも大事なものがあるだろうから、今はそれと同じように考えてくれれば嬉しい」
「………………」
九条は俺の言葉を、しっかりと聞いている。でも、すぐには応じなかった。黙ったままだ。そのまま数秒して、少しだけ視線を上げつつ空を見て、再び訪ねた。
「ねえ……じゃあ大切って、どういうことなのかしら」
白いはずの雲は、横薙ぎに差し込む太陽の朱色に照らされて、塗り潰されそうになっていた。
「ん?」
俺は彼女の傾いた横顔に、視線を流す。しなやかなポニーテールの先が、さらさらと真下に零れている。
「今あなたが、私の大切なものと同じようにって言ったから、そういう風に考えてみようと思ったのだけれど……でもよくわからなくて。それで、よくわからないまま考えたら、大切ってことがどういうことなのかも、わからなくなったわ。大切っていうのは、なくしたくないっていうことなのかしら。それとも、なくしたくないっていうことが、大切ってことなのかしら」
おっと、これはまたよくわからない質問が。禅問答? いや、それもちょっと違うか。
「鶏が先か卵が先か、っていう類の話か。おいおい、やめてくれよ。頭のいいやつはとんでもないことを言い出すな」
とりあえず鶏に一票入れておく。
「そういうことじゃないのよ。本当に、わからないだけなの」
そういうことじゃないですか。
「うーん……どっちも間違ってはいないと思うけどな。大切っていうのは結局、九条の言う通り、なくしたくないもので……だからつまり、守りたいもので。傍においておきたいもので。近くにいたり、あったりすると、とても元気に、幸せになれる。そんなもの、じゃないかな」
その辺の解釈については、俺は感覚に頼っているところがある。大切であることに理由が必要なのかどうかは、考えたことがなかった。だって自分が大事だと思ったものは、もはや自明の事柄として、大事なものだったから。
「……元気に、幸せに……」
隣では俺の言葉が、ゆっくりと反芻されている。空か、あるいは流れる雲を眺めながら呟かれる。彼女の視点は定まっていない。深思に集中している様子だった。
しばらくすると、彼女はまた前方を向き「そうね」と沈吟する。
このとき俺は、それをただ肯定として受け取った。
だがしかしながら、そうではなく、彼女の次なる発言にこの口は言葉を失うことになる。
「じゃあやっぱり、私には、わからないわ」
澄んだ声を媒介に、俺の耳へと届いてくる。乾いた音の波が幾重にも重なって、俺の脳を、心を揺らす。
「あなたの言う大切なもの……私、わからない。何かからそんな風に感じたこと、今までに一度もないの。あなたにとってのあの場所のように、純粋で無垢な幸せを与えてくれるものに、私は出会ったことがないわ」
こんな答えが返ってくるなんて、予想だにしていなかった。大切なものがあるだろうという問いに、首肯以外の選択があるなんて、俺は思ってもみなかったのだ。ちょっと……いや、かなり驚く。虚を突かれる。
「そんなことないって。絶対、何かあるよ。誰にだってあるはずなんだから。大仰に考えることはない。些細なことでいいんだ」
大それたものである必要はない。たとえば、昔大事にしていたおもちゃや本。そんな小さなものだって、拠り所になるのだから。大切なもの。お気に入りのもの。好きなもの。誰しもそういうもの持っているのだと、俺は今まで思っていた。それが当然のように生きていた。知る限り、例外はなかったはずだ。
けれども彼女は、あくまで冷静に、俺の主張と相容れない意見を述べる。
「誰にだってあるはず、なのかしら。でも、私はわからないの。本当に思い当たらないの。それどころか、むしろ私には、全く反対の考えすらある。傍にあって、守るべきもので、なくしてはならないもので……そんなものが自分の周りにいっぱいあったら、逆に身動き取りにくいんじゃないのかなって。もっと言えば、鬱陶しいんじゃないかって。視点を変えたら、荷物にもなりそうじゃないの、そんなものたち」
「………………」
正直、驚愕だ。
俺はただ、ごくありふれた一般論を盾に主張をしていたに過ぎない。誰にでも大切なものがあるという一般論が、非常に共感できるもので、自分の矜恃と噛み合っていたというだけだ。普遍的な感覚であるがゆえに、否定はないと信じ込んでいた。
でも、今このとき、目の前の女の子はそれに対して、完璧なる否定を放る。
「だいいち、守らなきゃいけないものでも、時にはどうにもならないことだってあるでしょう。今回のあなたの件が、まさにそうじゃない。気の毒だけど、あの銀杏の樹の広場は、もう更地になるのを待っているだけよ。守りたいものがあっても、結果として失ってしまえば、その喪失の悲しみはあなたにとって枷も同然でしょう」
こんな議論、したこたがない。こんな否定、受けたことがない。こんな感覚、感じたことがない。
「だったら初めから、大切なものなんてない方がいいって……九条はそう、思うのか?」
素直に怖いと思った。平然として、何も大切なものなどいらないと言う彼女を。そしてその意見が真だとした場合の、拠り所のない生き方を。
「まあ、そういうことに、なるのかしらね。学校の決めた工事なんて、あなた一人ではどうしようもないわけだし、どうにもならなければ、遅かれ早かれ諦めるしかない。悲しみは確実にあなたを縛る。でも、いくら悲しんでも、結局はやっぱり諦めるしかなくて、受け入れるしかなくて……それで、ひとたび失ってしまえば、案外といつか平気になっていくものよ。平気になってしまうということは、それはきっと、その程度のもの。初めから大した価値など、持たないものだったということなの。だからどうも私には、大切なものを持つこと自体、あまり重要ではないように思えてしまうのよね」
彼女の主張は、矜持は、あまりにも冷めて乾いている。寒々とした、無味乾燥とした恐怖を、俺の中に植え付けていく。
彼女は、本当にそんな風に思って生きてきたのだろうか。生きているのだろうか。拠り所もなく、たった一人、個を孤として。まるで暗闇の中を、ずっと独りぼっちで歩くみたいに。
違う。それは違う。絶対に、違う。違うはずだ。
「でも……俺は、今の意見には賛同したくないな。何だかその論理はさ、とても悲しいよ。愛が足りない」
俺は、何も映らないガラス玉の目で語る彼女に向かって明言する。
「愛、ねえ……陳腐な言葉だわ。何かを守るのって、とても大変なことなのよ。人間一人に守れるものは、それ相応の数と範囲に限られる。易安と、何でもかんでも守れるわけじゃないわ」
外見的には、九条の語りは落ち着いている。彼女らしい平坦で穏やかな口調だ。
俺の心の中には、彼女に対しての異が芽生え、大きくなり始めてきている。口をつく言葉がほんのちょっとだけ、わずかに沈む。
「じゃあ……じゃあ、さ」
次の声は反動で、やや強く、勢いを伴うものとなった。
「どうにもならなくても、どうにかすれば……諦めるしかなくても、諦めなければ……そして平気になんて、ならなければ……そうすれば、それはやっぱり、大切なものってことになるんだよな」
彼女がふと、こちらを向く。いつも真っ新に澄んでいる彼女の瞳が、なぜか今は濁って見える。
「おかしなことを言ってるわよ、あなた。屁理屈にもなっていないわ」
「でも、そういうことだよな」
「だよなって……ええ、まあ。仮にそんなことが、可能だとしたならね。そうかもしれない」
九条の正視には、力がある。一種の説得力にも似た、反論を許さない雰囲気がある。呆れた様子で視線を外されても、残り香のようにその雰囲気は漂った。
普段ならば俺は、そんな空気の中でわざわざ反論などしない。いちいち面倒だと思う側面もある。彼女相手に口が立つわけもないし。
だが今回、この場合だけは明確に、確実に、引き下がることはできないと俺には思えた。認めることはできないと感じた。
俺の矜恃に対し、言葉を返した彼女には、別に他意などなかったのかもしれない。ただの雑談への返答だったのかもしれない。あるいは、俺への慰めですらあったのかもしれない。
けれども、その彼女の言葉は、俺に刺さった。恐怖を与えた。認めれば、自分の信じていたものが嘘になってしまうという恐怖。迷っていた自分が、半ばどこかで諦めていたのではないかという恐怖。大切な場所が本当に失われてしまうという、近く訪れる現実への恐怖。
ああ、やはり、道は一つしかない。時間だって、もう少ない。俺は今更、手段を選べる立場ではないのだ。
我儘だろうか。勝手だろうか。エゴだろか。きっと、そうだろう。否定などできない。俺は自分の矜恃を貫くために、胸の願いを突き通すと、今ここで決めてしまったのだから。自分の行為に付随する多くのリスクを、顧みないと決めてしまったのだから。
俺と九条の相対を、先に崩したのは彼女だった。回れ右をして反対を向き、床の荷物を持ち上げて、穏やかに言う。
「さて、もう休憩はいいわよね。少し話し込んでしまったわ。遅くならないうちに、仕事を終わらせてしまいましょう」
コツコツ、と定速のリズムを奏でて廊下を進み出す。彼女の行動は、いつもいつも俺の了承を得るよりも早い。
俺はその背中を見つめつつ、不本意ながら彼女のおかげで固まった決意を深く飲み込み、少し遅れてあとに続いた。
そこからはもう、お互い口は開かなかった。
地平線の向こうで、赤い太陽が地の底へ吸い込まれていこうとするのが、俺の視界の端に映っていた。
3
それからすぐのことだ。スケジュール上で、予選の日程が最後まで明らかになった。決勝行きの学校が選ばれるまで、既に残されたゲームは数回だった。
俺は、現状とこのゲームのルールを考慮して、事を起こすのは予選の最終日しかないと判断した。
夕暮れの中で九条羽望と些細な矜恃の交換をしたあのとき、俺は決めたのだった。あの瞬間、大切な銀杏の樹の広場を守るための手段として、ゲームで勝つことを。あるいは、受け入れたといってもよかった。もはや有効な方法が、それしか残っていないということを。
一度思い切って決めてしまうと、まるで初めからわかっていたことのようにも思えてしまう。初めから、優璃の指示したゲームでの勝利が、唯一最後の手立て。きっと俺には分かっていた。ただ迷っていただけだったのだ。
だからもう、腹を括り、賭けるしかない。望み薄は先刻承知。茨の道も覚悟の上。可能性がゼロでないことだけを、奮起の材料にしている。精神一到何事か成らざらん、という意気込みだ。
そのために俺は、一見すると非現実的だが、できる限り現実味のある勝利への筋道を考えた。つまりは作戦である。我ら弱小南校が、運とまぐれと、勝利の女神の微笑みの力を借り、優勝へと上り詰めるためのシナリオだ。
ゲームでの優勝には、二つの勝利が必要になる。一つは、今続いている予選での勝利。そしてもう一つは、決勝での勝利。しかしこれは、裏を返せば、勝つのは二回だけで良いということにもなる。たった二回。予選の最後にフラッグを持つ側となり、あとは決勝で相手を下せば良い。
つまり端的な話、予選の最後と決勝以外の成績は関係ないのだ。長々と予選の序盤でフラッグを取れずにいたとしても、最後の最後でフラグを奪い、そのまま決勝でも勝利を奪えばオールオッケー。
普通はこのルールならば、序盤は遊びでも終盤はシビアな雰囲気になると予想するところだが、弱小かつ戦意なしの南校相手だからだろうか、敵にその様子はあまりなかった。
だから俺は、予選の残りが数回になってからでも、ギリギリまで敵側の調査に徹することにした。予選の最終日まで、そこに合わせて情報を集め、勝ちの芽を育てる。人数の多い西校とは当たりたくないが、東校か、あるいは北校相手ならば、 勝利の確率に縋れるかもしれない。
ただしこの立ち回り、アリア先輩の言いつけは、多少破ることになると思われる。いや、実はもう既に、わずかだが単独で動いたことはあるので、ちょっとばかり破っている。まあ、勝ちを目指す人と諦めた人の間には、自然と意見の相違が発生するものだ。理想的に事が運んだとして、それでも予選の終了と同時にはバレることになるわけだが……決勝進出を決めてしまえば関係ないだろう。仲間うちでの微妙な行き違いについては、そのときに考えればいいかな、なんて思っていた。
そして今日も俺は、南校のお遊びに紛れて、敵校の視察に精を出す。
「先輩、大丈夫ですかー」
数メートル先から、ソラが声を張った。
ソラとルナが遊戯感覚で敵の偵察隊とやり合うのに、最近は俺も混ざっているのだ。
交戦中の敵は二人だった。ちょうど今、俺が直接やり合っている。一人は右側上方から、重力に任せて降下気味に蹴りを構えている。もう一人は背後で、俺の回避する先に狙いを定めて追撃準備をしている。
前者は当然かわす。問題はその次だ。空中に逃げれば、あとは慣性に委ねるしかないので却下。したがって俺は地に沿って平行に逃れた。
ズシン、と破壊音が響く。一人目のダイブキックは、俺が離れたあとの場所に直径一メートルほどのクレーターを作った。
二人目が迫ってくる前に、俺は二回ほど地を蹴って鋭角の軌跡を描く。けれども、敵ものろまではない。弧状の軌道で接近してくる攻撃を、俺はかわしきれないと判断した。
防御に移る。目の前で腕をクロスさせ、盾を作って敵の拳を受け止める。同時に、衝撃で押し切られないよう、両の足先に力を込める。
接近に際して、敵はもう一方の手を、俺の胸元に伸ばしてきていた。もちろん、シンボルペンダントをとるためだ。それが撃墜の証。とられた者はリタイアとなる。
まずい。両腕をガードに回しているせいで、上手く防げそうにない。俺は焦った。
しかし瞬間、聞き慣れた快活な声が高く響く。
「大丈夫じゃなさそうなんで、いきますよっ!」
「上手くよけてください!」
俺は反射的に真横へ回転、そして受身。
敵は仰角約六十度で空中へジャンプする。
直後、俺と敵が二人でせめぎ合っていた場所を中心に、Xを描くかのような白と黒のビーム軌道が発生する。出力が相当高いのか、周りの空気がバチバチ鳴っている。
「おい危ねぇだろ! もろとも殺る気かお前ら!」
俺は叫んだ。その先は、もちろんソラとルナだ。
二人は俺の付近まで駆けてきて、標的に対しこちらとの距離が確実に開くように、息の合った追撃を行う。
「よけてって言ったじゃないですかー。ルナが」
俺の抗議にはソラが、撃ちながらにして、しれっと返す。
「言えばいいってもんじゃないだろ。お前らの援護はいつもいつも、実は俺を狙ってるのかって疑うくらいだ」
「そんなことありませんよー。よく言うじゃないですか、敵を倒すにはまず味方からって」
「違えよそれ騙すときな! 間違えんなよ! あんな綱渡りみたいな援護、そのうちいつかマジで当たっちまう」
「えー、ちゃんとよけてくださいよー。アリア先輩やミュー先輩は、今まで一度も当ったことありません。いつも良い援護だって褒めてくれます。ね、ルナ!」
ソラは同意を求めてルナに呼びかける。
ルナは少し惑いながら「う、うん」とだけ頷いた。
ほんとかよ。あんな乱暴な援護がいい援護なのか? アリア先輩やミューだって、ソラが忘れてるだけで何回か当たってそうなもんじゃないか。特にアリア先輩はお調子者だから、尚更そんな気がするのだが。
「ま、まあ……いいや。とりあえず戦況は立て直せたし。ここから一気に攻めに転じよう」
俺は腑に落ちない想いを抱えながらも、無理矢理前向きに考えた。
一通りの追撃のおかげで仕切り直しにはなったし、敵二人はこのまま徐々に後退に移るかもしれない。意外と押せている。少し奥まで踏み込めるチャンスだ。そうしたら、相手校の情報がもっと得られる。
しかし意気込む俺の横で、ルナが射撃の頻度を緩めつつ言った。
「でも、そろそろ時間ですよ」
……時間?
「あ、ほんとだー。もう合流時間だね」
ソラが時刻を確認して答える。
「待った。でも今は割といい感じだったし、このまま流れに乗っていけるところまで押し切った方が……その、面白いんじゃないか」
面白い、もとい情報視察として有益。
この二人は楽しいことに目がない。だから俺は、その性格に合わせて進軍を促した。けれども、二人は似つかわしくない冷静さで判断を下す。
「でも、やっぱり時間は守らないと」
「アリア先輩の決めたことですしねー。大丈夫ですよ、先輩! またそのうち、チャンスもありますから! リベンジはそのときにでも!」
ソラの言うチャンスがある、というのは敵チームとの交戦のことだろう。その奥まで探るという行為は、この二人の頭の中にはない。
俺たちのチームでは、たまに出会った相手チームの偵察隊なんかと、こうしてアトラクションのように戦闘を行う。そもそも戦意のない南校チームでは、通常なら喋っているだけで戦闘行為はないに等しいが、ソラやルナみたいなやつらの場合、たまには身体を動かしたくなるらしい。だからそれを考慮した末、たびたびお遊びのような戦いを行うのだった。アリア先輩の定めた、深追い禁止というルールの下で。
「せっかくいいところだったのに……」
実にもどかしい。
ソラとルナは、それなりには積極的に敵チームと交戦をする。はぐれ隊のようなやつらを見つけて、自慢のコンビプレイでドンパチやるのが大好きだ。二手に別れる場合、アリア先輩やミューといるよりは、格段にそういった行為に及ぶ確率が高い。
けれども如何せん、二人は変にお利口さんだった。危なっかしいこともあるし、多少の融通は易々と受け入れるが、それでも決して無闇な深追いをしない。アリア先輩の決めた集合時間を、頑なに守るのだ。
俺は引き返すソラとルナから拍子一つ分遅れて、仕方なくあとに続いた。敵はそれを見ても、追ってくる様子はなかった。まあ、わざわざ追ってまで俺たちを仕留める意味もないというのが本音だろう。
その日は渋々、唇を噛む思いで集合場所まで戻ることになった。
また何回かのゲームを経た。仕掛けるのは予選最後と決めていた俺にとって、その期間はいかに大人しく準備をするかを問われる期間だった。地理と敵戦力の把握は、できる限り正確になるように続けた。
結果は、まあぼちぼちだ。敵にも味方にも悟られぬように気を配る必要があるため、どうしたって行動範囲に限度がある。歯がゆい思いは拭いきれない。
そうこうしている間に今日は、予選最後の、一つ前のゲームである。
「あーあ、何だかあっという間に、もうこんな時期かー。今日と次で、今期のゲームも終わり。そのあとは、またみんなと遊べるまで少し時間が空くなー」
アリア先輩がいつものように、独り言とは思えぬ声量で愚痴を吐いていた。
「決勝戦があって、文化祭があるんですよねー。戦績がリセットされて、また次が始まるまでには、確かに少し日がありますよねー」
ソラがアリア先輩の横に並び、その愚痴に応答する。
「毎度毎度、行事ごとに区切りがついて仕切り直すときには、ちょっとだけここにこられなくなる。いっつも退屈なんだよなー」
「でもでも、文化祭です! すごく大規模だって聞いていますし、私は初めてだから、とっても期待してるんですよ!」
「そうだなー。まあ、例年通り文化祭もそれなりに楽しめそうだし、しばらくの間は我慢だなー」
普段通りの光景だ。主に口を開くのは、アリア先輩とソラ。どうやらこれから先の話をしているようだった。
しかしそこで、二人の会話に横槍を入れるかのごとく、ミューが告げる。
「行事ごとに区切られているんじゃなくて、定期考査ごとに区切られているんですよ、ここのゲームは。文化祭後の定期考査のことも、ちゃんと考えておいてくださいね」
ピシャリと一言。俺としてもあまり聞きたくない単語を含んだ発言だった。
実際は、行事とテストはだいたい同時期に行われるので、区切りとしてはどちら基準でも間違っていない。それでも厳密には、ミューの方が正しいというのはわかる。
まあ……当然のように非難の声が上がるわけだが。
「あーーーー! なんでミュウミュウはいつもそうやって、思い出したくないことを思い出させるかなー! せっかく忘れてたのに!」
「そうですよ! そうですよミュウミュウ先輩! ひどいです! ちゃんと空気読んでください!」
「テストなんてなくなればいいんだ! 頭の良し悪しで個々人に順位を割り当てるなんて極悪非道!」
「そう、極悪非道! 極悪非道! テストなんてなくなればいいんです! なくなればいいんです!」
アリア先輩とソラは、いきなり揃って喚き出す。土石流のようにドカドカとミューに反論を浴びせる。なくなれ、なくなれ、と騒ぐ姿はまるでどこぞのデモやストライキのようだった。
「ミュウミュウって呼ばないでください」
対して、ミューはまったく動じない。またもピシャリと定例句を放つのみである。
「もうっ! ミュウミュウ先輩なんて知りません!」
やがてソラがアリア先輩に抱き付いて言った。先輩もそれをひしっと受け止める。
「まったくだ! そんなことばかり言うミュウミュウは知らない! じゃあ、今日の偵察は私とソラとルナ! んで、残り二人はそっち! ミュウミュウはいじめるならレイにして!」
二人は涙声で飛び退いてミューから距離を取り、セットになって何処かへと行ってしまった。去り際、ついでのようにルナは手を引っ張ってゆかれ、身体は川に流されるように無抵抗のまま共に消える。自由な方の手は表を見せて小さく振られ、こちらに向かってバイバイをしていた。
そうやって騒がしい人々がいなくなり、反動のように周りは静かになる。
「ですって。じゃあ指示通り、私はあなたをいじめようかしら」
「おい」
ドSかよ……。
「てか、どうすんだよ。集合の時間とか場所、決めてないぞ」
「別に、私たちはこのままここにいればいいじゃない。そのうち戻ってくるわよ」
ミューは口だけを動かして答えた。なるほど。偵察どころか、ここから一歩も動く気すらないと。そりゃそうか。
何やら気づけばいつの間にか、ミューと二人になってしまっている。最近の俺は、ソラやルナと組むように心がけていたのだが、今日は問答無用で別れ方を決められた。作戦決行の直前だし、俺としては最後まで相手方を探りたかったのだが……。
「じゃあ俺はちょっと、その辺を歩いてこようかな」
だから、さり気なく一人になろうとする。
「あら、駄目よ」
が、ノータイムで止められた。
「単独行動はいけないルールでしょう」
「あってないようなものだろう、そんなルール」
「アリア先輩が決めたルールよ。ここではアリア先輩がリーダーだもの。従うべきではなくて」
「リーダーも、あってないようなもんだろう」
俺は呆れたように零した。ルールもリーダーも、ここでは何の意味もないと思った。たった五人の人間しかおらず、まともに活動すらしていないチームで、そんなものはないのと同じだ。
ミューは黙った。黙ったまま、ただ俺の方を見ていた。知らぬ間に視線を、まっすぐ俺に固定している。そして一区切り置き、また口を開いた。溜息をつきながら「はっきり言った方が早いわね」と言った。
「あなた最近、一人で何かしているでしょう。おかしなことは止めておきなさい」
「…………何のことでしょう」
瞬間、俺は彼女の言葉に、喉元を握られたような身震いを感じた。
「そのとぼけ方だと、スパイには向いてないみたいね。近頃あなたが一人で何かしてるの、ばれていないとでも思ったの」
「…………」
ばれてないつもりだったんだけどな……。
「えっと……結構、前から?」
「そうね」
「それ、アリア先輩も、知ってるのか?」
「さあ、どうかしらね。あの人が知っていたら、すぐにでもあなたに言いそうだけど」
まあ、確かに。ってことは、アリア先輩にはばれてないのかな。あるいは、敢えて見逃してくれてるってことも……。いや、ないか。どうだろ。
「ルールを破ってまでスパイの真似事なんかして、あなたはいったい何をしているの?遊んでいるわけではなさそうだけど」
「別に、大したことじゃ……」
「何をしてるか聞いているのよ。行為の規模が大きいかどうかを聞いているんじゃないの」
質問は明確で、単刀直入だ。ぼやけた言葉で誤魔化そうとしても、ミュー相手には無意味だろうと思った。俺は少しだけ悩んだが、嘘はつかないことにした。
「……偵察だよ。相手の戦力とか、動き方とか」
「何のために」
「そりゃ、勝つためだろ。それ以外に何があるんだ」
「勝つ? 何を言っているの、あなた。今の私たちのチームを見て、そんなことを考えているんだとしたら、それは大した冗談だわ。幼稚園児でも失笑しそうよ」
言葉を包むオブラートも何もあったものではない。ズケズケと遠慮のない感想を、ミューは立て続けに投げつけてきた。ただそれが彼女の悪意によるものではなく、明確な事実に基づく意見だというのが、こちらとしてはなお痛いところだった。
「う、うるさいな。一人でやってんだから、別にいいじゃないか。俺以外の四人に勝つ気がないことくらい、ちゃんとわかってる」
「まさか一人で勝とうとしてるの? 何それ。相手の戦力調査してるのに、そんなこと考えてるわけ?」
「おかしいか」
「おかしいわよ。あなたの思考回路か調査結果、もしくはその両方がおかしいわね」
にしても、そこまで言うか。もう少し言葉を選んでもいいだろうに。
俺の思考と調査は、ちゃんとまともなはずだ。
「……でも、ソラやルナがたまに相手とやりあっているとき、そんなに劣勢には見えなかった。あの二人はまだここへきて日が浅いって言っていたけど、それであんなに拮抗した戦いになるなら、上手くやれば相手も下せそうじゃないか」
俺は、ソラとルナにひっついて考えてきたことを、ミューに伝えた。これに限っては贔屓目ではない。客観的に分析した結果のつもりだ。ソラとルナは、毎回のように割と良い戦いを見せている。
けれども、それを聞いたミューは妙に納得したような雰囲気を漂わせ、相変わらず淡々と否定を述べた。
「ああ、なるほど。あなたの戦力調査は、そういう風に行われたのね。でも、だとしたら、それは間違いよ」
「どうして。実際に見て思った結果なんだけど」
「あの子たちは、ほら、毎回のように武器を使っているでしょう」
「武器って、あの銃のことか?」
「そう。あれはそれぞれのアカウントに一つだけ設定できる、自分だけの専用の武器みたいなものよ」
「それが、何か関係あるのか?」
「あるわよ。戦うのなら当然、丸腰よりは得物があった方が強いじゃない。ここでは、それを使うかどうかで個々人の戦力が激変するわ。たとえばあの子たちみたいに射程のある武器を使えば、それだけ楽にシンボルペンダントを狙える。ところで、あなたは相手の人たちが武器を持って戦っているところを、今までに見たことがある?」
尋ねられて思い返すと、確かに俺は、一度も敵がソラとルナのような武器を用いているところを見たことはなかった。
「……ないけど」
「そうよね。私たち相手に、そんなの使わないわ。この世界でアカウント専用の武器を使うということは、自分の本気を見せるのと同じなの。三年間、何度も同じ相手と戦うここのシステムにおいて、自分の手の内を晒すことは、長い目で見て自殺行為と同義。たとえ使うとしても、それは本当に稀な窮地だけとか、わきまえてる人が多いと思うわ」
「そ、それって……。じゃあ、ソラとルナが結構まともに戦ってたのは……」
専用の武器というものを、二人が常に使用していること。対して、相手は誰一人として一度もそれを用いていないこと。そういう理由があってのことだったのか。つまり俺の偵察は、前提として相手が大きなハンディを背負った状況下でのものだった、ということだ。
「理解できたかしら。あなたがコソコソ一人で動いたって、相手の本当の戦力なんて測れるわけないの。わかったら、変なことはよしておきなさい」
どうやらそれは、俺を諦めさせるための嘘偽りではないみたいだった。明確な、れっきとした事実みたいだった。ミューはただ、本当のことを述べただけだ。
けれども、なぜだろうか。俺は今の話を聞いても、全く頭を悩ませる気持ちにはならなかった。自然と口をついて出たのは、ませた子供のような、聞き分けのない感想だった。
「んなこと、言われてもなぁ」
そんなこと言われても、おいそれと納得して、引き下がれなどしないのだ。別段これは、強がりなどではない。単純に俺が抱いた感想だ。
だって、もう決めてしまっていたから。自分の矜恃のために、俺がここでどうするのか。とっくに決めてしまっていたから。
駄目で元々、先刻承知。成功を確信しているわけでもなく、でも諦めているわけでもない。妙に泰然自若としている自分はおかしくも思えたが、一方ですっきりした心境でもある。むしろ、ちょっとくらいは悩んで見せた方がいいかな、なんて感じるくらいだった。
ミューはそんな俺に、少し呆れた様子で問う。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という言葉があるのだけれど。私は今、ちゃんとあなたに助言をしたわ。あなたはどちらかしら」
「なんだよ、それ。頭いいやつは人に言われて諦めて、馬鹿は痛い目見て諦めるって?俺はたとえ痛い目見ても諦めないぞ。悪いがこっちにも、事情があるんでな」
譲れないものがある。たとえそれが、子供の我儘みたいなものでも、譲れないことに変わりはない。
「あら、偉人も驚きの屁理屈ね」
「馬鹿は自分が馬鹿かどうかなんて、わかんないよ」
確かに、俺は馬鹿なのかも、愚かなのかもしれない。でも、今はそれでもいい。諦める賢さよりも、貫き通す愚かさの方が、今の俺には崇高に思えた。
「……そう。察するに次回、事を起こす予定なのでしょうけど。でも、あなただって聞いているわよね。仮に予選で勝ったとしても、ここのルールでは決勝もあるのよ。二度もまぐれは起こらないわ。何でもかんでも、諦めなければ良いというものではない」
無理なものは無理。彼女はそう、最後にはっきりと言った。
「でも、だとしても、やるだけやりたいんだ」
俺が依然として変わらぬ答えを返すと、ミューは呆れた様子をさらに増しながら「好きにして」というように溜息をついた。
「あなたの事情とやらは知らないけれど……ただ、アリア先輩には、泣かれないようにしてよね。すっごく面倒だから」
そしてその背を壁から離し、姿勢をまっすぐにして、小さな足音を鳴らしながら俺の方へと歩いてくる。何事かと俺は思ったが、無言で彼女は俺とすれ違い、やがてまた隅の方に新たな定位置を見つけて壁にもたれる。
「戻ってきたわよ」
俺はその発言の意味がわからなかったが、直後背中と後頭部に強い衝撃を食らって得心した。
「やっほー少年! たっだいまー!」
「やっほー先輩! たっだいまー!」
アリア先輩とソラだ。さきほどぷりぷり怒って飛び出していった二人が、戻ってきたのだった。
彼女らの挨拶は、おなじみの豪快なダイビングハグだ。それを二人同時に、かつ背後から完全に不意打ちで貰った俺は、当然のように顔から床に激突した。
こちらを見ていたミューは、今までしていた話の終了を悟ったのか、口を閉じる。
「ただいま戻りました、ミュー先輩。それとレイ先輩も……大丈夫ですか?」
横では、ワンテンポ遅れて現れたルナが、律儀に帰還の挨拶をしていた。
ミューは黙って頷く。
「いってーなおいっ! 何てことしやがる!」
俺は上に重なったアリア先輩とソラを押し退けて起き上がった。
「危ねーから俺にその挨拶はするなって言っただろ!」
冗談でなく、これは何度も言っていることだ。だって、いったい時速何キロで突っ込んでると思っているんだ。いくら装飾服の庇護があっても、痛いものは痛い。体の芯に思いっきり響く。
「いやー、楽しいじゃんこれ。ミュウミュウに飛びつこうと思ったんだけど、手前に君がいたからさー」
「私も、手頃な位置にいた方に飛びつきました!」
そんなテキトーなチョイスで飛びついてんじゃねーよ。てか、ようやくわかった。ミューはこれを逃れるためにわざわざ立ち位置を変えて、俺を盾にしやがったのか。なるほど。なるほどなるほど……ふざけんな。
「それに、最近のミュウミュウは上手く避けちゃうからなー。飛びつこうとしても、すんでのところでかわされるし。だから、レイの方が飛びつきやすいもんな。なー、ソラ」
「ですよねー、アリア先輩」
「その拍子にシンボルペンダントがとれたらどうするんだ!」
俺は立ち上がり、ケラケラ話す二人に向かって叫んだ。
「あー、大丈夫大丈夫。それ意外と頑丈だから」
「大丈夫です大丈夫です。たぶん頑丈ですから」
二人は全く気に留めない。駄目だ。俺の言葉は既に彼女たちに対して抑止の力がない。おそらくルナが言っても同様だろう。
「おい、ミューからも何とか言ってくれ! お前も被害を受けたことあるんだろ」
「……あなたがきてから、私に飛びついてくることが減って、楽になったわ」
こ、こいつ……。
「こーらレイ。ミュウミュウを味方に引き入れようとするなー。いつまでもぐちぐち言うなー。ほらほら、遊ぼー遊ぼー」
ミューの突き放した返答にうなだれていると、アリア先輩は俺の腕をつかんで引っ張る。
「何する? 何する? みんなで追いかけっこでもするか?」
「あ、それならアリア先輩が鬼やってくださーい。前に負けた分のリターンマッチです!」
アリア先輩の提案に、すかさずソラが乗っかって声を上げる。なぜかソラまで俺の腕に飛びついて、アリア先輩と二人で引っ張り出した。
「お、おい……。俺はいい。やるなら二人でやってくれ」
腕を引っ込めようとしたが、二人はまったく離してくれない。
「駄目ですよー。レイ先輩も参加ですー」
「そーそー。みんなでやろう。五人でやるよー」
みんなでって……。
アリア先輩はそう言いながら、ミューにも視線を向けた。
ミューは絶対やりたがるわけないと思ったのに、あっさりと無言で壁から背を離す。
何だかなあ。何なんだろうなあ。結局、俺以外は反対しないんだよなあ。何でこうなるんだよ。俺はそう、独りごちた。
今日は、作戦決行の前の回なのに。何もしてやしない。
そしてそれから、ゲームが終了する最後まで、本当に鬼ごっこに付き合わされた。俺は、内心複雑な思いだったが、当たり前のようにどうすることもできなかった。
まあ、色々あったが、本当に色々あったが、何はともあれ、茶番は終了である。
本日は、予選最終日。俺にとっての一回目の本番だ。
時刻は、十九時を過ぎて十分。
会場となっている西校までやってきた俺は、ゲーム開始時刻から少しだけ遅れてサインインをした。
時間をずらしたのはわざとだ。今回だけは、皆とは合流しない。顔を合わせれば何かと厄介だし、遊んでいる暇はないから。だから初めから、一人で動く。
スケジュールによれば、予選最後の対戦相手は東校だった。おそらく単なる偶然だろうが、これは非常にありがたいことである。単純に人数差を戦力差と考えるならば、五人の南校と十人程度の東校は、比較的覆しやすい対戦カードだからだ。二十人ほどの総員を有するであろう現状トップの西校や、十五人程度の北校相手よりは、勝つ可能性があると言える。ま、それでも実際、こっちは五人どころか、俺一人なわけだけど。
少しだけ歩いた。物音はない。
しばらく見てみると、今日の舞台は廃墟だとわかった。西校の校舎が、その造りを基調として、ホログラムにより廃墟化されているのだ。あくまで演出、作り物だとわかってはいるが、どこまでもリアルな別世界は、しつこく細部を観察しても粗を見つけられないほどのものだ。
西校の構造はそこそこ頭に入ってはいるが、今回に限っては多少、変則的な対応が要求されると思われた。まさに廃墟よろしく、幾つかの廊下が瓦礫で塞がっているのだ。壊そうとしてできないことはないだろうが、破壊には物音も伴うし、不用意に目立つのはよくない。まずは隠密行動で敵陣の位置を探る必要があるし、そういう行為は控えるべきだろう。
俺は逐一、背後に人の気配がないか気を配り、曲がり角では壁に張り付いて先を確かめた。そうしてこれまでの経験から、フラッグの置かれそうな場所に目星をつけて探っていった。
グラウンド、屋上、講堂、体育館……こうしたある程度空間の広いスポットが、よく陣地として設定される傾向にある。敵の人数が多ければ多いほど、この傾向は顕著だ。
運がないと長々と敵陣が見つからないこともあるが、幸い今回は良好だった。始まってすぐということもあり、当てをつけたうち一か所の周囲に、偵察のため何人かの敵がうろついていたのだ。
しばらく探れば、ほとんど確定的な推定ができた。おそらく敵陣はホール。特別教室棟四階、その最上階を全て占める、一番大きな空間だ。直接確かめるまでには近づけないが、位置や妥当性も考えると、間違いなさそうである。
率直に言えば、敵の警備はザルだった。素人の俺が察知されないくらいだ。これには主に、二つの理由があるのだろうと思われる。
一つはもちろん、敵が油断しているということだ。南校は完全に舐められている。
そしてもう一つは、ここではそもそも単独行動自体が、ほとんどあり得ない行為であるということだ。考えてみれば当然だが、このゲームのルールでは、基本的に仲間と遠隔的な意思疎通をする手段がない。自陣付近ならまだしも、敵陣の周りで一人うろうろし、あわや何かの拍子にリタイアにでもなれば、得た情報どころか自分の安否すら誰にも伝えられないのだ。これまで見てきた限り、敵と出会うような場所では、最低でも二人一組で行動している人たちばかりだった。
アリア先輩が言っていた単独行動禁止の指示は、そういう側面では割に、理にかなっているということだ。少しばかり耳が痛い。
しかしそのためであろうか、今回の俺は敵に悟られずに、かなり動き回ることができた。
得た敵の配置情報から、警備の体制を想像する。
まず一目で、特別教室棟そのものが敵陣化していることがわかった。棟を拠点に、二組の偵察隊が周囲を守っている。この偵察隊は基本的に二人ずつで構成され、一方が遠方を、もう一方が近方を見張る。さらに一人が情報管理のため、定期的に行き来をするようだ。つまり、この偵察隊には五人の人員が割かれているわけである。そしておそらく、残りは直接ホールのフラッグを守っているのだろう。こちらも五人程度と思われた。
できることなら、最後までばれずにフラッグまでたどり着きたい。なんてことも考えるが、もちろん甘いというのはわかっていた。特別教室棟の付近までは見つからずに忍び寄れても、それ以上はどう考えても無理だ。
俺は端末で時間を確認した。相変わらずサインインをしている間は、何か処理でもしているのか、動きが遅い。画面は、鈍い動きで十九時三十分を示した。
タイムリミットはこちらの負けだが、一時間半もあれば十分だろう。
正直なところ、具体的に巧妙な作戦は思いついていなかった。敵の注意を逸らして棟内に侵入し、あとは全員無視して真っ先にフラッグへ飛びつくくらいが関の山である。
そして、ここにきて俺が一人で乏しい頭脳を捻っても、勝利の確率を大きく引き上げる見込みはない。時間を潰すだけで、足掻きにもならない。なんて悲しい現実だ。仮想世界でも、現実は厳しいものらしい。
となれば俺は、もうさっさと行くしかなかった。万が一でも、アリア先輩たちと遭遇する可能性がないとも言えない。早いに越したことはない。
俺は、ふぅと息をついて、それから、パシンと両の手のひらで頬を叩いた。
さあ、いよいよ捨て身の特攻である。躊躇を捨て、携えるは覚悟。勇気で恐怖を塗り潰せ。ここから駆け出せば、止まることは許されない。行くところまで行くだけだ。
「っし! まあ、それなりに人事は尽くすんで、あとは潔く天命頼み! 是非とも勝利の女神様よろしく!」
強く地面を蹴って、俺は特別教室棟へ向かって駆けた。
視界に映るのは、南北に一つずつ設けられた入口と、中間にある二つの人影。どうやら敵は、座り込んで見張りをしているみたいだった。
そこで俺は、付近にあった三人がけベンチくらいの大きさの瓦礫を蹴り上げて、北口の方へすっ飛ばす。綺麗な放物線を描き、それが再び地面に接触すると同時、轟音が空気を、衝撃が地を伝った。
狙い通り、見張り二人の視線は落下地点に集まる。驚いた彼らはすぐに何かしらの異変を悟り、辺りをキョロキョロと見回すが、もう遅い。
こちらとしては、隙なんて一瞬あれば十分だった。コンマ五秒も敵の反応が遅れれば、気づかれたとしても、もはや追いつかれることはない。
俺は轟音と衝撃に紛れて、南口に真っ直ぐ突き進んだ。入口をくぐって棟内に入るとき、外からは何かを叫ぶ声が聞こえたが、その内容まではわからない。敵の声までも置き去りにして、駆け続けた。
侵入成功。目指すは最上階だ。俺は脇目も振らずに階段を見つける。吹き抜けの階段ではいちいち段を上るのがもどかしくて、壁や手すりを足場にしながら、ほとんど垂直に上階を目指した。
いいぞ。早くもフラッグは目と鼻の先。直線距離では俺から数メートルも離れていない位置にある。それさえとってしまえば、戦いは終わりだ。
今から俺は、五人ほどの敵が集団でいるホールの中に突っ込み、即座にフラッグだけを見定めて飛びつく。極限まで短い時間感覚での判断が要求されるだろう。もちろん失敗は許されない。一発で敵を出し抜いて勝利を奪還できなければ、それでアウトだ。残念ながら俺には、集団の敵を相手にできるような技術も経験もないのだから。
緊張や不安が、まったくもってないと言えば、嘘にはなる。塗りつぶしたはずの恐怖も、もしかしたらまだ残っているのかもしれない。心配で少しだけ後ろを振り返ってしまいそうになったけれど、唇を噛んで我慢した。
最上階まで駆け上がると、俺の視界はホールの入り口をとらえた。幾つかある扉の内から、最も近いものをキッと睨む。
敵は待ち構えているだろうか。俺が東校に探りを入れていたという情報が、ここまで伝わっていることはないはずだが、さきほど外で大きな音を立てたこともあり、警戒態勢をとられている可能性は十分ある。
それとも、所詮は南校だと見くびられているだろうか。個人的にはその方が都合がいいのだけれど。
いやまあ、考えている暇すらないのも事実だ。突入を躊躇っていたら、後ろから偵察隊に詰められるわけだし。
そういうわけで、俺は見据えた扉を左の拳で殴り飛ばし、ホールの中に突入した。大声で威嚇して、気合を入れるのも忘れずに。
さあ、勝負だ!
「ぅおおぉぉぉーー!」
一見したホール内は、少数の椅子や机が隅に寄せられており、教室の数倍広い室内がさらに広く見えた。ほとんどがらんとして、障害物らしいものは何もない。
そのためか、敵の視線は全て俺へと注がれる。
想定通り五人の敵影が、そこにはあった。窓際で雑談をしているのが二人。壁にもたれて腕組みをしているのが一人。ホールの奥の方をウロウロしているのが一人。そして中央にあるフラッグ付近で、怠そうに立っているのが一人だ。
俺が見渡して探すまでもなく、堂々とした優勝旗のような形のフラッグは大きな存在感を放っていて、簡単に目についた。
怠そうに立っている敵は、傍で見張り役をしているらしかった。一応の配慮として、近場に一人を配置していたということだろうか。全体的な雰囲気からすると、全く安心しているわけではないが、それほど警戒もしていないような、曖昧な態勢である。
しかしそれも、俺の突入を境に、一瞬で変化する。驚きと動揺に突き動かされた彼らの間に、臨戦態勢の空気が伝う。
俺は地を蹴る足の裏にありったけの力を込め、一直線にフラッグへと飛んだ。
フラッグ近傍にいない四人はもはや度外視。あの反応速度では、邪魔されることはないだろう。問題は一人の見張り役だ。
あっさりとフラッグに突撃して、同体で倒れながら手中に収められれば言うことはないのだが、さすがにそれも無理な話。見張り役が俺とフラッグとの間に立ちはだかる。敵は正面に腕を構えて防御の姿勢をとった。
対してこちらは、右手に拳を握って引き、全力の拳打を試みた。押し切って抜けるならば、それで良し。俺とフラッグの間に今度こそ隔てるものはなくなる。
ガッと鈍い音がする。俺の打撃は敵を幾らか後方へ押した。
けれども、抜けない。まだ敵は後ずさりを続けているが、この勢いではフラッグまで届かない。潰される。根拠のない勝負勘が、俺の脳内でそう叫んだ。
即座に俺はその敵の腕に足を突き立て、左上方へと跳躍して距離を取る。移った先には天井があり、逆さまになってコウモリみたいに着地した。そして天井から落ちる前に、すぐに体勢を鋭角に切り返して修正しつつ、狙うフラッグをまた見定める。
もはやその進路に、障壁となる要素は見当たらなかった。傍にいなかった四人はもちろん、さきほど足場にしてやった敵も、対応してくる様子はない。このまま降下と同時に、頭からフラッグに突っ込んでやる。
曲げた膝を、今度は思いっきり伸ばす。
貰った、と思った。
そして俺の眼前に、視界を埋め尽くすほどのフラッグが迫る。間違いなくそれほどに、俺は目的物まで接近した。
しかし、勝利の予感は一瞬だった。直後にはその視界は閉ざされ、途切れてしまっていた。勢いよくフラッグに激突したから、というわけでもなさそうだ。
ついでと言ってはなんだが、異変に気づいてから少しして、身体に激しい痛みが走る。主に腹部の辺り。感覚が事態に追いつくにつれて、痛覚が喚き出すのがわかった。
「……ッ」
腹に熱がたまり、じわりと痛みが広がってゆく。なかなかに経験したことのない激痛だ。視界が暗いのは、いつの間にか俺が目を閉じてしまっていたからのようで、目を開けると、そこにはホールの天井が見える。俺は、仰向けになって倒れていた。
「あーあ、まさか南校が攻めてくるなんて、驚いた。でもそれ以上に、たった一人できたことにもっと驚いたな。それとも、もしかしてお前は囮なのか?」
横たわる俺とフラッグの間に、誰かが一人、立っている。その誰かとはもちろん敵であり、俺がさきほどフラッグの前であしらったつもりの敵である。首だけを動かしてそいつを見ると、右手にフレイルのような武器を持っていた。どうやら一瞬のうちに武器を出して、フラッグへ至ろうとする俺を打ち落としたらしい。
「まあ、見る限りでは一人のようだな。見ないやつだが、舐めてもらっちゃ……ん?」
声の調子からするに、おそらく男だろう。フレイル野郎は俺を見下ろして話したが、やがて語尾を引き上げた。
すると、今度は別の方向から高めの声がする。
「ねえねえ、なーんか私さ。そいつの格好って、見覚えあるな。そのバカみたいに目立つ真赤な装飾服、初めて見る感じじゃないや」
部屋の隅にいたうちの誰かだろう。ゆっくりと近寄ってくる足音がした。
その発言を聞いて、フレイル野郎は納得した様子を見せる。
「ああ、なるほど。確かに、前にいたな。南校の真赤なやつ。化物みたいに強かったやつ」
「そうそう。もしかして、あの人の後釜なのかな? その割には、大して強くないみたいだけど」
「じゃあ、こいつが最近、南校に入った新人ってやつか。何を考えているのか知らんが、一人で勝てると思って突っ込んできた、と」
「そうなのかねえ。まあ、ならここらで、このゲームはそんなに甘くないって教えとくべきだよね」
俺の上で様々な言葉を飛び交わせ、やがて結論が出たのか、フレイル野郎の方が一歩前へ出る。
「今回は組み合わせが良くてな。この通り、予選の最後が南校なんだ。おかげで決勝まで行けそうなんだよ。面倒だから邪魔とかすんな」
頭上にフレイルを振り上げる。狙う先は、俺の胸のシンボルペンダントだろう。これを壊されると、その回のゲームはリタイアとなる。敗北だ。
ああ……腹がいてえ……。結構、思いっきりやられたようだ。ちょっと動くのもしんどいレベル。
俺は無防備な仰向け。周囲には敵が五人。手負いの中、フラッグに手を伸ばそうにも、今更届くわけはない。こうなってしまっては、もはや抵抗も無意味だ。一か八かの賭けである捨て身の特攻を潰されて、ここから俺に勝ち目があるとは思えなかった。
つまりは、諦めなくてならない、ということだ。
あれだけ諦めたくないと思っていたのに……今でも絶対、諦めたくなんかないのに。それでも実際、目の前に立ちはだかられてしまうと、どうにもならない。
俺は、ここで負ける。
そうなれば、守りたかったあの場所は……銀杏の樹の広場は消えてしまう。あっさり更地になってしまう。無慈悲にも新しい建造物に、とって代わられてしまう。
「………………」
無意識に奥歯を噛み締めていた。覚悟を強制されることへの苦しさに、耐えかねていた。力んでしまって言葉は出ない。はねのけられない諦念が、胸中で燃える闘争の炎に降りかかっている。
ゆっくりと、目を閉じる。
「もう少しまともに練習でもしてからこいよ」
終わりの宣告が振り下ろされる。ゲームの終わり。そして俺の願いの終わりだ。
ガインッ、と聞き慣れない高い音がしたのはそのときだった。胸のシンボルペンダントが破壊された音かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
そして音とは対照的に聞き慣れた、しかし今日に限っては初めて耳にする、声が響く。
「なーんだ。言う割にはあんたらも、練習不足じゃないかよ」
恐る恐る目を開くと、俺を見下ろしていたフレイル野郎の代わりに、アリア先輩の背中が目に映った。大きな槍を携えていて、ブンッと大仰にそれを一回転させると、軽々と片手で肩に担ぐ。
俺を仕留めようとしていたフレイルの敵は、槍で吹っ飛ばされたようで尻餅をつき、右手で頭を抑えていた。
「う、ぐ……な、何が……」
やがて状況に思考が追いついたのか、首をもたげて見上げながら、苦々しい声で言う。
「お前は……アーシャ……」
アリア先輩はそれを見下ろし、明るく答える。
「どーも。その名前で呼ばれるのは、久しぶりだ。アーシャ・リーズ・アストライア、ここに見参!」
なんてね。最後にそう付け足して、笑いながら。
「アーシャ……。随分と、ご無沙汰だったじゃないか。しかし……相変わらずの、狂った強さしてやがる」
「先輩たちの方が、もっと強かったよ。私なんかよりね」
「……けっ。それより、何でお前がここにいる。その強かった先輩が抜けて、落ちに落ちた南校が、五人になったところでまた勝ちを取りにきたってか。それで予選の最終日に奇襲かよ」
「別に、ルール違反じゃないはずだ。予選の最後が狙い目なのは、言わずと知れた周知の事実。卑怯でも何でもないよね」
「…………」
敵は黙った。アリア先輩の言葉が正論だからこその沈黙だろうか。
アリア先輩は続けて口を開く。
「とはいえ、一応謝っておくよ。悪いね。今回はゲームに勝ちにきたんじゃなくて、ちょっと出しゃばったうちの後輩を助けにきたんだ。まあ、結果的に同じになっちゃったわけだけどさ」
未だ仰向けで横たわる俺に、先輩から一瞥の視線が注がれた。
敵は、チッと舌打ちをして、顔を逸らす。
「ってわけで、私らはちょっと話したいことがあるんだよね。ここらへんで空気読んで、あんたたちは退場してくれないかな」
「もういい。好きにしろ。次は、こうはいかねえぞ」
それを聞くと、アリア先輩は構えていた槍を振り上げて回転させ、その矛先を変えた。そうして、傍にあるフラッグを掴み取る代わりに、槍で横薙ぎに叩き落とす。支柱に立てかけられていたフラッグは、衝撃によって容易く倒れた。
同時に東校の人間は全て、ドーム状の光に包まれて消える。アリア先輩がフラッグを倒したことでゲームに決着がつき、強制サインアウトによって校外へ送られたようだ。
いっぺんにホール内の人数が減って、静寂が訪れる。
倒れている俺は、直接見ることはできないが、入口付近に人の気配が少しだけあって、アリア先輩以外の南校のメンバーもこの場にいるのだとわかった。
先輩が、手元に携えた槍を手品のように光で包み込んだかと思うと、その槍はたちまち霧散するこのごとく消え去る。手ぶらになると、先輩は回れ右をして、俺とのわずかな距離を詰めた。
「随分と無茶したねえ。このまま今期のゲームが終わってしばらく話せないのも嫌だから、思わず助けにきちゃったよ。さて、レイ。そういうわけだから、まずは弁明を聞こうじゃないか」
俺を見下ろしながらそう言う。妙に平坦な口調が、その心情を読みにくくしている。何だか怖い。もしや、怒っているのだろうか。
「えと、あの……。アリア、先輩……?」
けれども先輩の様子への不安もありながら、実のところまだ、俺の中で状況の整理をつけかねていたというのも事実であった。
俺は助けられた。敵に囲まれて抵抗もできずに、リタイア必至だったあの状況から、アリア先輩に助けられたのだ。
そんなことが、本当に可能か? あり得るのか?
でも、現に俺は未だ、ここにいる。
戸惑う俺に対し、先輩はなおも冷静に続きを述べた。
「単独行動は禁止だって、君にも言ってあったはずだよね。それを盛大に破った理由を、今なら聞いてやろうと言っているんだよ」
弁明。理由。つまりそれは、俺が一人で勝手なことをした、言い訳だろうか。
「別に、そんなもの……。勝てば願いが叶えられるって聞いて、ちょっと興味が湧いたっていうか……」
「ふうん。でも君は、前に願いは何もないって言っていたよね。それなのに、わざわざ仲間に内緒でここまでするなんて、やっぱりちょっと引っかかるな」
「………………」
動揺もあってか、上手い返しなど浮かばなかった。
「ねえ、だからさ。君にはやっぱり、何か叶えたい願いがあるってことなんじゃないかな。私はそう思うよ。もしそうなら、以前にはぐらかしたその願いを、今ここで、みんなに教えてよ」
確かに以前、アリア先輩とはそんな話をした。俺がここへきたのは、何か目的があってのことなのではないか、ということを聞かれた。
しかし、そのとき俺は答えなかった。先輩の言うように、はぐらかしたのだ。
「……それは、でも……あくまで俺の問題で、みんなには関係のないことで……」
目的はある。叶えたい願いが、はっきりとある。俺の願い。そして優璃の願いでもある。
けれども、やはりそれは、至極個人的な願いである。素姓も知らぬ人々に縋る道理はないと、思わなくもないのである。それにだいいち、俺以外の人間には勝ちを狙うメリットなどないわけだし、わいわい楽しくやっているアリア先輩たちに協力を強いるのは気不味い。新参の俺が頼めることではない。さらに付け加えれば、協力を仰いだところで、その戦力など知れているとも思っていた。まともに戦ってなんていないのだから、頼りになるほど強くなんてないと。
だから、一人でやるつもりだった。
だが、俺の弱々しい逃げの声は、その末尾を現す前に中断を受けた。
「関係なくなんてないよ」
アリア先輩が穏やかに、しかしはっきりと言い放つ。
「チームなんだからさ。仲良くするのも当たり前だし、協力するのも当たり前だよ。もともとあんな時期に現れた君に、理由がないのもおかしな話だと思っていたんだ。そりゃまあ君からしたら、まともに戦おうともしない私らなんて役立たずに見えたかもしれないし、あるいは馴染みにくくて一人で動きたかったのかもしれないけどさ」
うっ……。ばれてる。
「でも、私はここが、このチームが好きだからね。みんなで楽しいチームにしたいんだ。それに君は、リフィア先輩の後継なんだよ。つれないことしないでほしい。だからさ……何なら、頼まれてもいない助け舟を出しちゃったお返しにと思って、君の願いとやらを聞かせてくれたら、私は嬉しいんだけどな」
話すうちに、アリア先輩の言葉はだんだんと優しくなっていった。どうやら初めから、俺に目的があることは察していたみたいだ。まあ、当然と言えば当然なのだろうか。
けれども先輩は、今まではそれを、敢えて聞かないでいてくれた。俺が答えなかったあのときから……。普段はなんにも考えていなさそうにしているのに、そういった方向には気が回るらしい。もしかしたら、俺が単独で偵察を行っていたことにも、本当は気づいていたのかもしれない。
意外と言えば意外に思えなくもないけれど、でもそれも、アリア先輩としての先輩らしさなのだろうか。全て知った上で俺を助けにきてくれたことに、いくらかそんな感情が見えた気がした。
だから、ここでもう一度はぐらかすことは、俺にはできなかった。仰向けで無防備な俺は、今や去ってしまった敵だけでなく、アリア先輩や他の三人に対しても同様に、抵抗などできなかった。
「……守りたいものが、あるんですよ」
結局、全部喋ってしまうことにした。白状を決めた俺の語りは、声量少なくたどたどしい意志の主張から始まって、ゆっくりと丁寧にこれまでを伝える。
南校に、今や俺だけが足繁く通う、銀杏の樹の立つ広場があること。そこがもうじき、工事でなくなってしまうこと。阻止するには、ここでの優勝権限を用いるしかないということ。そしてそれは、俺の姉の願いでもあること。
別に長々と語ったわけではない。俺がどのくらいその広場を好んでいるとか、そういうことは今は述べない。事実だけを伝えようと思えば、至ってシンプルな経緯だった。
俺が語り終えて再び口を閉じると、アリア先輩はかがんで手を伸ばした。
「なるほど。リフィア先輩のやりそうなことだね。いい願いだと、私は思うよ」
掴まれ、ということだろうか。「そうですかね」と呟きながら、俺は自分の手をそこに重ねる。
「うん。素敵な願いだよ、すっごく」
すると先輩は、頼り甲斐のありそうな強い力で、俺を引っ張り上げる。
「そうか。君の願いは、リフィア先輩の願いでもあるんだね。なら、なおのこと私も叶えてあげたいよ」
同じ目線になった俺へ、先輩は正面から同意の想いを示してくれた。先輩はきっと今、俺の後ろに優璃を見ている。リフィアとしての優璃を、見ているのだ。そう思った。
俺たちの周りでは、光が生まれ始めていた。景色から光が湧き上がり、世界が終わろうとしている。サインアウトの兆候だ。勝利チームである俺たちにも、今夜の世界からの立ち退きが命ぜられている。
頃合いだとばかりに、アリア先輩は改まって告げた。
「とりあえずさ、何にしても我々南校は、こうして決勝に出ることになったわけだよ。あそこにいるソラやルナは未だによくわかってなさそうだし、ミュウミュウは黙って壁にもたれているけどね。さて、そこでだ、レイ。もうすぐサインアウトの時間になる前に、君に一つ宿題を出しておこうかな」
「宿題……?」
「大事な銀杏の樹の広場を守るという願い。私は賛成だよ。ソラやルナも、多分反対はしないだろうね。でも、ミュウミュウはどうかな。ほら、あそこで不穏なオーラ出しながら、こっちをまじまじと見てるでしょ」
先輩の指が差した方向、ミューの立っている方へ、俺は振り向く。すると確かに、黙ってはいるが何かを言いたそうにしている彼女の姿が目に入った。あるいは、わざわざ言うのも億劫だから察してくれ、という心持ちかもしれない。少なくとも、全面同意の意思表示ではなさそうだった。
「ミュウミュウは、個人の勝手な願いのために優勝権限を使うのは良くないと、いつも言っている。だからちゃんと説得しないと、あの子は協力してくれないかもよ」
アリア先輩が、俺の耳元で助言を囁く。
「でも、決勝の相手は今の東校よりも、もっと強い。はなからこっちの勝機は薄いのに、南校が五人でぶつからなかったら到底勝てない戦いだ」
そしてそこまで言い終えると、今度は全員に聞こえる声でさらに続ける。
「次回、決勝のために集まったときには、まず最初に、レイのスピーチでも聞くとしようかな。聞いて、南校チーム全員の胸に戦いの炎が灯ったら、本気で勝ちを狙いに行く。レイの宿題は、それを考えてくることだ」
なるほど。要するに、ミューを説得し、皆を鼓舞するため、俺が演説でも何でもしろと。アリア先輩はこう言いたいらしい。
そこまで告げると、先輩は「いいね」と残してすぐに消えた。俺が抗議をする暇もなく、スッと光に包まれて、サインアウトしてしまった。
同時に俺を含めた他の四人にも、帰還の光は訪れる。今日のゲームはもう終わる。
ただ、徐々に光に覆われて、世界が白んで消えていくその瞬間まで、ミューは俺の方をじっと見ていた。妙にへばりつくような彼女の視線が、光を越えて最後の最後まで、俺へと注がれ続けていた。
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