三節




 夜、広場での踊りが終わると、村人たちは次々に我が家へと帰っていった。これで祭りは終わりだ。しばらくするとぐっと気温が下がるという。ミルフォリウムの冬が来るのだ。ソレルは春に赴任したので、冬を越すのは初めてだった。

 村人曰く、駐在所までの道は腰までの、ときには頭まで隠れるほどの雪が積もるという。新雪を歩くときは踏み固めてゆっくりと、と教わった。晴れた日には雪かきをするので手伝ってほしいとも言われている。

 雪かきは皇都でもやったことはあるが、きっとそれとは比べものにならないだろう。ソレルは今からそれを考えて、果たして自分がちゃんと役に立てるだろうかと少しだけ不安だった。

 芸人をもてなす宴は、村長をはじめとして、祭りを盛り立てた係の者たちをねぎらうものでもあった。芸人たちは衣装のままで、機嫌良く杯を受け、道化はおどけて騒いでほどよく場を盛り上げ、奏者は楽器を奏でて歌姫が唄ったりした。芸人をねぎらうはずの宴なのに、芸人たちはただねぎらわれるつもりはないようだった。

 そんな中で、あの少女がまた笛を吹いた。今度は軽い調子の弾んだ曲で、みんな手を叩いてよろこんだ。

 ソレルは駐在官として座長の隣に座っていたのでよく見えなかったが、ソレルの向かいに座った堂主が、その少女が席に戻ろうとしたときに何か声をかけるのを見た。呼び止められた少女は、堂主に何か言われて、驚いたような顔をする。何を話しているのだろう。そして、堂主は何が気になったのだろう。何を告げたのだろう。

 芸人たちは夜のうちにミルフォリウムを出るとのことで、宴は早いうちにお開きとなった。芸人たちは出立の準備のために次々と広間を出ていく。これから着替えて、すぐに発つのだ。

 ソレルはすでに座長に、家族や軍部に当てた手紙を預かってもらっていた。女らしい体を派手な装いで包んだ歌姫マジョラムは、見た目よりは気さくだった。わけを話して手紙と謝礼を渡すと、ちゃんと郵便に出しておくと請け合ってくれたので、ソレルは胸を撫で下ろした。

 マジョラムとは代々受け継ぐ座長の歌姫が名乗るための名だそうだ。それ以外もいろいろと彼女は話していたが、ソレルは彼女の話を聞きつつも、正面に座った堂主が気になって、そぞろになりがちだった。

 そんな座長が、最後には呆れたように、駐在さんは朴念仁なの、と言った。

 そこでソレルは初めて、彼女が自分に秋波を送っていたことに気づいた。それ、よく言われますと答えると、彼女は肩をすくめて笑った。なかなかいい男ね、とも言われた。朴念仁と言ったくせにいい男とはどういう意味か。ソレルは訝しんだ。

 しかし座長は席を立つ前に、ソレルに手紙の件はちゃんと果たすから安心してほしいと告げてから隣から立った。いい男だと言ったが、そんな彼女もいい女だな、と思う。ソレルは彼女を袖にしたも同然なのに、約束は守ると言ってくれたのだ。

 着替えのため控え室に向かう座長に、笛の少女が近づいて、何か言葉を交わしている。どうしてか、座長が驚いたような顔をした。少女がうなずくと、座長はそっと、少女を抱きしめた。まるで永の別れのように見える。

 やがて広間から芸人たちはいなくなった。村長がソレルに近づいてきて、言った。

「もしよろしければ、見送りのあとで、ここのかたづけを手伝っていただいてもよろしいでしょうか?」

 控えめな要請だった。さらに村長はつづけた。

「時間かかかってしまったら、こちらの公会堂にお泊まりになっていただいてもかまいませんし……」

「堂主さま! おかたづけを手伝ってほしいそうですよ!」

 ソレルは立ち上がって、向かいの席から立ち上がりかけていた堂主に声をかけた。堂主はぎょっとしたように振り向いた。村長もびっくりしている。

「かたづけ! わたしがするのか!」

「みんなでするんですよ! 飲み食いだけして逃げようなんて、だめですからね!」

 ソレルの言葉に、席に残っていた村人はどっと笑った。




 これから夜通し移動だという旅芸人の一座を村のはずれまで見送ったあとで、みんなで公会堂に戻り、広間をかたづけた。一座が使っていた寝室もきれいにととのえる。すべてかたづいて、手伝ってくれた者を集めた村長が挨拶を述べると、本当に祭りは終わりだった。

 挨拶が終わってから、村長さんに勧められたので泊まっていきますよ、とソレルは言った。そして、たらふく食べたようだから堂主さまもそうしたほうがよくないですか、と誘う。

 他意はない。実際に、これから戻れば廟堂に着くのは深夜だろう。宴を早めに閉じても、村はずれまで一座を送っていき、それからかたづけに入ったので、かなり時間が経っていたのだ。そうなって初めて、村長が泊まっていくよう勧めたの意味がわかった。

 ホーソンには何も言っていないが、祭りだからと戻らなくても心配はしないだろう。そのへんは、考えの回る男なのだ。優秀な従者に、改めてソレルは感謝した。もし叱られたら、何か詫びをしなければならないが……

 堂主はソレルの誘いにうなずいた。ソレルとしては、堂主の態度が気になって、このまま廟堂に帰すのがなんだか心配だったからだが、堂主には、堂主の思惑があったのだった。




 公会堂の寝室のひとつは、エキナシアから来る医師のためにか、きちんとした寝台だったが、ほかにいくつかある寝室のほとんどは、それぞれに粗末な寝台がふたつ、ぎゅうぎゅうに押し込まれているだけだった。

 堂主にきちんとした寝台を譲ろうとしたが、ニヤニヤと手を振って断られた。堂主が寝室に入ったのを見届けて、ソレルはそっと寝室に入った。寝台に横になったが、寝つけない。いろいろと気になることが多すぎる。

 堂主は何故、あの少女を気にかけていたのか。あの少女は、堂主に何を言われて驚いていたのか……

 どれほど経っただろうか。ごくかすかな音がどこかから聞こえた。

 半ばうとうとしかかっていたソレルは、ハッとして目をさます。音はもう聞こえなかったが、何かの気配がした。

 その気配が、廊下から外に向かうのを感じる。森歩きで動物に遭遇したときの、肌がひりつく感覚に似ていた。

 その感覚は急速に部屋の前を通り、廊下を去っていく。ソレルはゆっくりと起きた。服を着たままでよかったと思いながら靴を履き直し、部屋を出た。廊下には誰もいない。

 そのまま公会堂の出口に向かう。そっと扉をあけて隙間から見ると、誰もいない暗くなった広場を、堂主が横切っていくのが見えた。あれは、ソレルが初めて来たときに通ってきた道だ。

 ソレルは確信した。堂主が、ミルフォリウムの外に出ようとしているのだと。

 まさか、旅芸人の一座を追うつもりだろうか。ソレルは躊躇しなかった。そっと外に出て扉を閉めると、建物に見え隠れする堂主のあとを追う。つかず離れず、決して気づかれないように……森歩きをしていたソレルは、動物に見つからないように気配をころして移動する方法を身に着けていた。

 やがて家が少なくなる。村の外へ出ると、城門までの道は起伏はあれども見通しがいい。ソレルは起伏を利用して姿を隠しながら堂主のあとを追いつづけた。風向きも、味方していた。城門がある南から吹きつけてくる風の音が激しかった。そして月もないため、真っ暗だ。目が慣れるうち、堂主のあとを追うのは楽になった。

 やがて城門が見えてくる。堂主が近づいていくと、城門の陰から誰かが現れた。頭巾をかぶっている、小柄な姿だ。ソレルは暗がりの中、道沿いの岩陰に隠れつつ、城門に近づいた。段差があるが、そうするとかなり近づけた。できるだけ気配を殺す。

「来たわね」

 澄んだ声がした。堂主ではなく、少女の声だった。

「……君は」

 堂主の声がした。「吹笛にのせて、術を使ったな。古い記憶を呼び起こし、軽い酩酊状態にさせる術……」

「驚いたわ……あなたがどうしてそれを知っているか……わざわざここに来てくれたなら、教えてくれるんでしょう」

 少女は剣呑な声で答えた。

 この声は、笛を吹いた少女のものなのだ。ソレルはまだ彼女の声を聞いていなかったが、そう確信した。

 笛の曲。確かに、あれは郷愁を誘う、素晴らしい演奏だった。だが、どこか奇妙にも感じたものだ。観衆の反応が一様だったからだ。昔のことを思い出した。そればかりが聞こえていた。

「あれは、……あの術は、わたしが、師に教わったものよ」

 堂主がいつまでも口を開かなかったからか、少女がじれたように言った。「あなたはわたしの師を知っているの?」

「師……師、だって……」

 堂主の声に、動揺が混じっている。ソレルは明確に感じ取った。

 強い風が、吹きつけた。

「あれは!」

 堂主はそれに負けじと声を張り上げた。「あれは、……自分の部下を、暗殺者として仕立て上げた神祇長の術だ! ……ひとを酩酊させ、惑わし、隙を突いて殺す……」

「そうよ」

 少女が応える。「そのようにしろ、とわたしも教えられたわ。もちろん、今回の祭りでは、そこまで強い術ではない。でも、使わないと術の練度が落ちてしまう。だから、祭りで一度だけ、吹くようにしているのよ」

「では君は、……ロラ神祇長のもとにいたのか」

「あなたは違うの」

 少女の声が落胆したようだった。「わたしの術を見破った。あの術を知っているなら、ロラ神祇長を知っているなら、仲間のはずよ。……どういうこと?」

「あの術を使う者が、ほかにいるのか……まだ、生き残って?」

 堂主は呟いた。

「まさか! みんな、殺されたわ!」

 少女が叫ぶ。同時に、土を蹴る音がした。

 ソレルは溜まらず、岩をよじ登って門のそばに躍り上がった。

 予想に反して、少女は逃げたのではなかった。驚いたことに、何かを手にして、堂主に向かって体当たりをしようとしていた。その何かがきらりと光る。

 堂主はそれを、茫然と見ている。

 ソレルは、堂主に向かって腕をのばした。早く、と地面を蹴るようにして走る。腕が、届いた。少女はわずかに、ソレルより遅かった。

 少女の手にしていたものが、ソレルの左腕をかすめた。袖が避け、熱い感触が腕を走る。真皮まで達していない。ソレルはそう感じた。

 少女は跳び退いた。

「やめろ!」

 ソレルは堂主を庇って、叫んだ。

「君……どうして、ここへ」

 どうやら堂主はソレルの尾行に本当に気づいていなかったらしい。

「お退きなさい」

 少女は低く告げた。「わたしの術を知っている。あのかたを知っている、仲間が生き残っているのかと言った……そいつを、わたしは殺さなくちゃ」

「何故だ」

 睨みつけるソレルの腕からは、血が流れ始めていた。しかし痛みというより熱を感じている。

「何故、君は、この堂主さまを」

「……そうだな」

 ははっ、と堂主は笑った。「君がロラ神祇長をあのかたと呼ぶなら、わたしを殺したくもなるだろう」

「やっぱり、……やっぱり、そうなのね」

 少女は目を爛々と輝かせると、頭巾を撥ね除けた。楽奏のときに両側で結っていた髪は、今は後ろで結わえられている。その目は憎しみに滾っているようだった。

「おまえがロラさまを殺した! そうなのね!」

 ソレルは息をのんだ。堂主はそんなソレルの腕を、そっと押しのける。その際、傷口に触れた。ふわっと堂主の手が光り、すうっと痛みが引く。

「すまない、駐在さん。それで血は止まっただろう。君の傷をきちんと治してあげられればいいんだが……今はそうもいかなさそうだ」

 堂主はそう言うと、ソレルより前に進み出た。少女は、何かを持つ手を前に出したまま、ぴくりとする。彼女が持っているのは、鋭い尖った刃のようだった。短剣などではない。刃というより、先端の尖ったやじりのように見えた。今はソレルの血に染まっている。

「ロラ神祇長の教育を受けていた者は、あの夜、すべて殺したはずだったがな」

 堂主の低い声。ソレルは耳を疑った。

「わたし、……あの日は、たまたま使いに出されていたのよ。その先で迷子になった……戻ってきたら、神祇館でみんな死んでいたわ。ロラさまは、自分がいつ殺されるかわからないと言っていたから……わたしはそのまま逃げ出した」

「そうか……子どもの数まで、確認してなかったな。足りないような気はしたんだが」

 少女の言葉を肯定するかのように、堂主は呟いた。

「それからずっと、ロラさまを殺したやつを、殺してやる。そう思って生きてきた」

「君がそう思うのも仕方がないな……」

 ソレルはその言葉にぎょっとした。まるで、堂主が殺されたがっているように思えたのだ。

「堂主さま……」

「ちょっと、待ってね」

 堂主はちらりと振り返ってソレルを見ると、すぐに少女に向き直った。

「だったらわたしに殺されなさいよ!」

「うん」

 堂主はうなずいた。

「堂主さま!」

 思わずソレルは叫ぶ。血は確かに止まっていた。だが、痛みはあるし傷口は閉じていない。

「僕の傷、治してくださいよ!」

 堂主の背中が拒絶している気がして、どうしても手をのばせない。それでもたまらず叫ぶと、堂主は肩を揺らせた。

「悪い。わたしはこの子に殺されるから。もう、無理だな。ごめんよ。君は自分で薬を調合できるし、手当てもできるだろう?」

「何を言ってるんですか!」

 ソレルは叫んだ。

「さあ、どうぞ」

 しかし堂主は、それを無視して腕を広げる。

 少女が怯むのが、堂主越しに見えた。

「六年かかったね。……長かったなあ。ずっと、いつかそうなるんじゃないかと思っていた。だから、ここでせいいっぱい、愉快に暮らしてきたよ。もう何も思い残すことはない。そのために、誰にも心を渡すこともしなかった……いつか、自分のしたことの報いがくるって、わかってたんだ」

 堂主の声は空虚な明るさに満ちていた。それは絶望の明るさだった。

「ためらわず、殺しなさい。胸の中心だ。君のその暗器を胸の奥まで押し込めばいい。君にはそうする権利がある。……今のわたしは誰とも縁がない。この六年、わたしが突然いなくなっても、誰にも惜しまれないように心がけてきた。だから君がわたしを手に掛けても、わたしのように誰かに恨まれることはない。……さあ」

 その言葉は、まるで、殺されることを日々待ち焦がれていたかのように、聞こえた。

 険しかった少女は、何故かぼうっとした顔になった。

「おまえが、……ロラさまを、殺した……」

「ああ。そうだよ。だから、君はわたしを殺していいんだ」

 堂主はまるで、少女をかき口説くようにつづけた。「君のおかげで楽になれる。礼を言いたいくらいだ」

 堂主がそう言うと、少女は大きく目を瞠った。

 次いで、仰け反るようにして高笑いする。

「楽になる! 楽になるですって!」

 少女は叫んだ。「こんなに、……こんなにもわたしが、苦しんできたのに! この六年……どんな思いで……! どんな思いで過ごしてきたと!」

 少女は身を起こすと、キッと堂主を睨みつけた。その顔にすぐ、にい、と笑みが浮かぶ。

 少女は数歩進んで、素早く腕を振り上げた。

「堂主さま!」

 思わずソレルは叫びながら堂主の体を引っ張ろうとした。だが、堂主は脚に力を入れているのか、動かない。

「おまえを殺したかった! でも……」

 振り上げた少女の手が、少女自身の胸に吸い込まれていく。

 その体が、後ろに倒れた。

 堂主は、叫ぶと、その体に取りすがった。

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