四節




 少女の手は自らの胸に、鏃のようなものを深く押し込んでいた。

「なぜ、どうして……!」

 堂主が叫ぶ。しかしソレルは冷静だった。少女の体の脇に膝をつき、その手をどけた。手にしていた鏃は、その胸に食い込んでいる。

「堂主さま」

 呼ぶと、堂主は茫然とソレルを見た。

「き、君は……」

「血を止められますか。これを抜きます」

 鏃を抜けば胸からの出血はさらに多くなるだろう。それを止めてほしいという意味だった。すぐに堂主は察したようだ。

「わかった。抜いてくれ」

 堂主が手をかざすと、その手が光った。ソレルは、胸から頭を出している部分を掴んだ。血まみれだ。血で滑るのを懸念して、ソレルは息を止め、ゆっくりと、しかし確実に鏃を引き抜いた。

 血が、どっと溢れる。同時に堂主の手が、より強く光を放った。

「止まりそうですか」

 ソレルは、引き抜いた鏃を腰につけた小嚢に入れて蓋を閉じた。

「……骨で滑って、心臓は逸れている。だが、……太い血管を損じたようだ。それは塞げると思う……」

 堂主は目を閉じた。

「手をかざしただけでそんなことまでわかるなんて、すごいですね」

「君、は……」

 堂主はわずかに目をあけて、ソレルを見た。ソレルは肩をすくめる。

「いろいろなことはあとです。僕も訊きたいことはありますが、あとにします。この子を助けないと、気が済みません」

 少女が自刎を試みたのは、堂主を絶望させようとしたのだと、ソレルは考えた。

 誰にも惜しまれないように心がけてきた、と堂主は言った。その真意も問い質さねばならない。そのためには、この少女をどうしても救わねばならないだろう。

 彼女が死ねば、二度と堂主はこの件について語りはすまい。

 ソレルは少女の傷口にふれた。血は確かに止まっている。だが、工事の事故のときのように傷が塞がる気配はない。堂主の額に汗が滲み始めているのが、星の光でわかった。

「血管は、なんとか塞がった……」

 堂主が告げる。

「堂主さま。だったらひとまず駐在所へ行きましょう。ここで堂主さまに倒れられたら、僕ひとりでふたりともは運べない。血が止まっていれば、僕が手術でなんとかできるかもしれません」

 心臓が無事なら、死にはしない。太い血管の損傷の閉じられたなら、なんとかなるだろう。ソレルはそう考えると、倒れた少女をそっと抱き上げた。




 村を通らず、麦畑の畦を通って早足で歩く。抱きかかえた少女の体は軽かった。まるで鳥の羽のようだとソレルは思った。

 村の外周を経ると、丘が見えてくる。その向こうが駐在所だ。ソレルは少女の体に負担を掛けないように細心の注意を払いながら早足で駆けるようにしたため、城門からは半刻も経たず駐在所に着いた。

 寝ていたホーソンは叩き起こされておかんむりだった。しかし主人が腕に抱えた少女が傷を負っていると知ると、すぐにてきぱきと手当ての準備をし、薬や手術道具の入った箱を持ってきた。

 少女を自室の寝台に寝かせたソレルは、しばしためらったが、すぐに思い直して、ホーソンの持って来た道具から鋏を取り出すと、少女が身に着けた粗末な旅装を切り取った。乳房とともに抉られた傷口が露わになる。照れている場合ではないので、ホーソンの掲げる手燭の下で傷の具合を診た。

「血は止まっています。……堂主さまはお疲れでしょうから、僕が傷口を縫います」

 一通り傷口を調べてから、ソレルは覚悟を決めてそう告げた。


 鏃のようなものは、実際の鏃より大きかったが、鏃と同じく返しがついていて、引き抜くことで傷が広がるつくりになっていた。おかげで醜い傷口になってしまっている。まだうら若い乙女なのに、胸の真ん中にこんな傷跡が残ってしまうとは、と医師のソレルは気の毒に思った。

 そして駐在官のソレルは、彼女がどうして自刎をしたのか、また、堂主を殺そうとしたのかを問い質さねばならないと考える。

 手術といっても、雑なものだ。灯りはゆらゆらする手燭だけで、道具は揃っているが、このようなひどい傷を縫うのはソレルは初めてだった。切り傷ならすっぱりときれいに切れるので縫いやすいが、そうもいかない。

 可能な限り皮膚の乱れを丁寧に整えて縫い合わせ終わったのは、夜が明ける前だった。

「終わりましたよ」

 ソレルが、緊張のあまりがちがちになった手から、ホーソンの持っていた受け皿に手術針を置くと、手術をずっと見守っていた堂主はほっと息をついた。

「よかった……」

「ですが、この傷の深さでは、いつ目をさますか……それに、目をさますと、ひどく痛むでしょうね。鎮痛薬は足りると思いますが、それでも苦しいかもしれない……」

「若さま。ひとまず手をあらってください。いつお帰りになるかわからなかったので、外釜には薪を入れっぱなしです。まだお風呂はあたたかいと思いますよ」

 説明するソレルに、ホーソンがそう言った。

「助かる……ホーソンは本当に最高だ」

「堂主さまは、どうされますか」

 ホーソンが尋ねた。「若のあとで湯を使ってくださってかまいませんが」

「そうだな……そうさせてもらえるなら、それで……それまでわたしはここで、彼女を見ていよう」

 道具をかたづけ始めていたホーソンが、それを聞くと、書きもの机から椅子を持ってきて寝台の脇に置いた。

「こちらへどうぞ」

「ありがとう、ホーソン」

 堂主は小さな声で礼を述べると、じっと、寝台の中の少女を見つめる。

「では、しばらくお待ちくださいね」

 ソレルはそう告げると、自室を出た。


 浴室の脱衣所に入って手燭から燭台に火を移していると、すぐにホーソンが追ってきた。

「いろいろと言いたいことはありますが、若もお怪我をしているのでは」

 ホーソンの言葉に、ソレルは自分も左腕を切られたことを思い出した。

「ああ、そういえば……でも、かすり傷だよ。堂主さまに血を止めていただいたし」

「そうおっしゃるならいいですけど……」

 ソレルが脱いだ上着を渡すと、すぐに彼は袖を調べた。

「ああ、縫わなくちゃ……その前に血を落とさないと……」

「ごめんね」

「そんなふうに謝る必要はありません。ほかにお怪我がないならよかったです」

 そこでホーソンは、もの言いたげにソレルを見上げた。

「その、ホーソン……僕も、わからないことが多いから、説明できない」

「わからない……あの娘さんと刃傷沙汰を起こしたわけではないのなら、いいんです」

 ホーソンの心配に、ソレルは笑った。

 そうだったらよかったのに、と思ってしまう。

「刃傷沙汰ではあるけど、僕は第三者だな」

「では、……あの子が堂主さまに迫って、返り討ちに遭ったとか?」

「うーん、近いけど、違うと思うよ」

 ホーソンの物言いで、日常が戻ってくる気がした。いや、彼が口にしているのは、日常とはよほど遠いのだが。

「では、これ以上はうかがいません。ですがこれだけ」

「なに?」

「帰れないときや遅くなるときは、先におっしゃっていただけるか、なんとかして報せていただけると助かります」

「そうだね。それは本当にすまなかったよ」

 ソレルは認めて、本心から謝った。


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