第16話
クマちゃんのホットケーキのおかげでエネルギーを充填した俺だったが、状況は悪くなる一方だった。
「また雨かよ……」
相変わらず、空模様は良くない。雨の強さでいえば日に日に強くなっている。
それでも雨が降っていなかったり弱まったりした隙を狙って駅前に赴いたが、いかんせん時間が短くなってしまうので、これまた天気と同様で雲行きはよくない。
「はあ……」
ため息が漏れ出ると同時に俺はその身をソファに投げ出す。残念ながら今日は自宅待機だ。今日も外は雨。それも、注意報が出るほど激しいものである。
天気予報によれば、これから雨の日が続くらしい。梅雨もまだだっていうのに……。
「くそっ……」
こうしている間にも、ニニの神社の工事が始まる日が近づいているかもしれないというのに……。何もできない自分が歯がゆい。
「焦っても仕方がないよ」
この前の『はなむら』と同じ状況で、少しばかり苛立ち始める俺を諌めるように、枝穂がテーブルにマグカップを置く。そこからはほんのりと湯気が立ち上っている。
「今日はちょっと寒いし、温かいものを飲んで休んだら? 実、ここ最近ずっと張りつめてるみたいだし」
「おっと、悪いな……」
せっかくなので早速いただくことにする。中身はココアで、一口飲んだだけで身体全体が温まっていく。
というか飲み物は普通に作れるんだな……とも思ったが、よくよく考えたら『はなむら』で飲み物は俺たちが入れたりすることもあるから当然か。
「ニニちゃんの分もあるから、ここに置いておくね?」
枝穂は窓際に立つ神様にそう告げる。
「うむ……」
ニニはどこかぼーっとした様子で、灰色に染まった空を眺めている。
「……ニニちゃん、やっぱり元気ないね」
「そうだな……」
そりゃあ自分の家が危機に瀕しているのだ。そして自分ではどうすることもできない。
「俺がもっとがんばらないとな……」
小さな小さな彼女を見て、改めてそう思う。
「でも、無茶はしちゃだめだよ?」
「わかってるよ」
枝穂は自分のココアを飲みながら微笑むと、
「……なんだか、ニニちゃんたちがいるのが当たり前になってきてるね」
「ほんとだよ。最初はわけのわからないヤツが来たと思っていたのに」
「む……」
俺が言うと、窓際の幼女が半眼でこちらを見てくる。そしてこちらへと近づき、ソファへと勢いよく座る。
「ふん。今はもちろんのこと、おぬしは最初からぶれいな人間じゃったの。わしに対する敬意というものが足りんわ」
言って、小さなマグカップに口をつける。
「しょうがないだろ? 夜中にいきなり部屋にやってきたんだ。そりゃあビックリもするだろ」
あの出会いは衝撃的すぎて忘れるに忘れられない。
「わしはおぬしのために来てやったのじゃぞ?」
「その割には、来るとこ間違えてたみたいだけどな」
「うっ……」
言葉を詰まらせて、尻込みをする。
「ニニちゃん、もう気にしないで? わたしは今のこれでいいって思ってるよ。それに、ニニちゃんが実のところに行ってなかったら、ニニちゃんと知り合って、仲良くなってなかったかもしれないし」
柔らかい手つきで、枝穂はニニの頭をなでる。
「まあ……枝穂がそれでよいのなら……わしもかまわぬ……」
「よしよし」
いつもより素直なニニに、枝穂は微笑む。
「ってか人間に撫でられる神様って、威厳も何もなにな……」
「ほら、あれじゃない? 撫でたところが良くなるっていうやつ。よくあるでしょ?」
「ああ……でもそれだとお前は頭が良くなりたいってことか。自分がアホだって自覚あったんだな」
「わたしアホじゃないもーん。いつもキリちゃんに宿題見せてあげてるもーん」
「切畑屋を引き合いに出すなよ……」
と、さっきから撫でられっぱなしのニニが小さく震えだして、
「これ! わしはそこらの置き物ではないぞ!」
「あっ、ニニちゃんごめん……」
「むう……まあわしは神じゃからの。きっと枝穂の頭は良くなるな」
「ほんと? わーい」
楽しそうにする二人。
しかし撫でる対象がニニじゃあ頭が良くなるというご利益に微塵も説得力が湧かないような気がするのだが……。
「む。実よ、信じておらんな?」
「残念だが、いつも見てるお前からは頭が良くなるご利益は感じられん」
「……よいのか? 今触っておかねば後悔することになるかもしれぬぞ?」
そう訊いてくるニニの声はどこか不安げであった。
「……いいんだよ。お前は力を取り戻すまで、俺の家に居候するんだろ?」
そうだ。消えさせはしない。あの神社は、壊させない。
するとニニはやさしく笑う。
「……ふん、見ておれよ? いつかわしは頭がよくなる神になってやるわ」
「ま、期待せずに待ってるよ」
「ふふふ、二人とも仲良しだねー」
俺の家に、笑い声が響く。
こんなこと、おそらくニニが来なかったら起こりもしなかっただろうな。
「ん……?」
いつの間にか、眠ってしまったようだ。ゆっくりと瞼を開けると、点いたままの明かりの輝きが俺の目を貫く。
「もう夜、か……」
相変わらず雨は降り続いていることが音でわかったが、外は真っ暗になっていた。
「むにゃあむ……」
妙に暖かさを感じて隣に目を向けると、ニニがサナギのように俺にひっついて眠っている。
「まったく……神様とか言い張ってるけど、まんま子どもだな……」
ずれかけていたタオルをかけ直してやる。……ん? タオル?
そこで、自分にもタオルがかけられていることに気づいた。
「そういえば、枝穂は……?」
その姿はすでになかったが、もしかすると眠ってしまった俺たちのために帰る前にタオルをかけてくれたのだろうか。なんだか世話をかけて申し訳ない。
「ふああ~あ」
あくびをしながら、凝り固まった身体を伸ばす。
「晩飯の用意をしないとな……ん?」
テーブルの上に俺たちが飲んだマグカップの代わりに皿が置かれていた。そして皿の下には小さな紙が挟まれている。
「これは……?」
ラップに包まれた皿の中には、白い三角形の塊――おにぎりがあった。枝穂が作ってくれたのだろうか、しかし以前食べたものよりも形が整っていた。
そして紙には可愛らしい字で、
『疲れてるみたいだったから先に帰るね。炊飯器の中にご飯が残ってたから勝手に作っちゃった、ごめんね。よかったら食べてね』
「アイツ……」
俺は小さく笑うと、包んでいるラップをはがす。そして手前のおにぎりを一つ手に取り、かぶりつく。
寝起きで腹が減っていたというのもあったが、ニニが起きてからだと俺の分がなくなりそうな気がした。なんとなく、このおにぎりはちゃんと味わいたいと思った。
「あまっ」
予想していたものとは真逆の味がくちの中に広がる。どうやら砂糖と塩を間違えるという定番のボケをやらかしたようだ。
でも、これはこれでいいかもしれない。なぜだかそんなことが頭をよぎりつつ、俺は幼なじみからの差し入れを完食したのだった。
◇
「ふあ~あ」
枝穂の糖分満点の差し入れと晩飯を食べたのち、いつものようにニニと風呂に入った俺は自室で机に向かっていた。
「とりあえずこれでよし……と」
あと少しで日付が変わろうかという時間。英語の宿題をやり終え、ノートを閉じて軽く伸びをする。
いくら色々立て込んでいるとはいえ、やるべきことはおろそかにはしたくない。もし成績が著しく下がるようなことがあったら、父さんも心配するかもしれないし。
「さて、宿題も終わったしそろそろ寝るか」
今ここで変に夜更かししてもよくない。もし明日晴れて署名活動をしに行けたとしても、体調を崩してしまったりしたら元も子もない。
部屋の電気を消す。さっきまでも静けさは変わっていないはずなのに、より一層の静寂が訪れる。
「……」
おもむろに窓を開ける。すると途端に、夜特有の澄んだ風が入り込んでくる。
まだ降ってるな……。
昼間と比べると雨の強さ自体は弱まったものの、しとしとと降り続いている。俺はベッドに座り、目を閉じて自然が奏でる音をじっと聞き入る。
「実、おるか?」
明日になったら止んでいるだろうか、と願望じみたことを考えていると、扉の向こうから声が聞こえた。
「おう、いるぞ」
応えると、どこか控えめな様子で這入ってくる。
「どうした?」
ニニが俺の部屋に来るなんて珍しい。もう遅いし、てっきり寝ているかと思ったのだが……どうかしたのだろうか。
「うむ……」
歯切れが悪い。腹でも減ってなにかを要求しに来た……というわけでもなさそうだ。
「隣に座ってもよいかの」
「あ、ああ……いいけど」
とことこと近づいてきて、俺の隣を陣取る。
部屋の電気が点いていなくてもまるでそれ自体が光源であるかのようにキラキラとしている銀髪。そしてほんのりと漂ってくるシャンプーの香り。使っているものは同じはずなのに、どうして彼女からだとこんなにもいい匂いだと感じるのだろうか。
そしていつもと違ってしおらしい様子。なんだか緊張してきてしまう。
おいおい、なんで俺が幼女相手にドキドキしないといけないんだよ。
「実」
「えっ? あっ……ど、どうした?」
名前を呼ばれて素っ頓狂な声を出してしまう。どれだけ緊張してるんだよ俺……。
絶対からかわれる、そう思っていたのだが、
「おぬしはわしが消えてしまったら……悲しむのか?」
こちらを見ずに、問うてくる。質問が予想外すぎたので俺は冷静さを取り戻した。
「当たり前だろ。だからこうして署名活動してるんだから」
答えるまでもない。最初は何だコイツは、と思っていたが、ニニは心優しい神様なのだ。消えてしまう結末なんて、俺はなんとしても回避したい。
「ま、神社の存続が決まったら今度はお前をあの場所に戻してやることを考えないとなんだけどな」
だが、もし署名活動がうまくいけばそれだけニニの神社の知名度が上がるということだ。うまくいけば、同時にニニの力も戻って神社に帰れるかもしれない。
「……すまんの」
「だから謝るなって。お前はいつも通り元気におにぎり食べてればいいんだよ。どーんと構えてろよ」
正直ニニがしゅんとしていると調子が狂うような気がする。
とんっ。
「ん?」
すると、肩のあたりに小さな重みと熱を感じた。目をやれば、ニニが頭をもたげ、俺に身体を預けていた。
「ニニ……?」
少し驚いて声をかける。本当にどうしたのだろうか。
「……願いを叶えにきた人間がおぬしで……実でよかったのじゃ……」
内心穏やかではない俺に対して、ニニは落ち着き払った、安心したような口調で言う。
「……」
そこで俺は気づく。彼女も怖いのだ。自分の消滅が。
神様といえど自分が消えてしまうことには恐れがあるのだろう。そして、誰かを頼りたくなってしまうのかもしれない。
「安心しろ。俺がなんとかしてやる」
窓の外を見ながら、もたれてくるニニの頭をゆっくりとなでる。
根拠など全くない。しかし、そう言ってやるべきだと、俺は思った。
「実……今日は……ここで寝てもよいか……?」
「もちろん、いいぞ」
断る理由などない。いつもだったら寂しがりだなとからかってやってもよかったが、今夜は安心させて眠らせてやろう、そんな気持ちを抱いたので、俺は快諾するに留めておくことにした。
「じゃあ寝るか。明日も学校だしな」
「うむ」
窓を閉め、二人でベッドに転がる。
「ほら、枕使えよ……ってもう寝てるし」
どれだけ寝つきがいいのか、隣からはすぅすぅと穏やかで規則的な寝息だけが聞こえてきた。そしてご丁寧に俺のパジャマをぎゅっ、と握りしめている。
「……おやすみ」
小さく言って、俺も目を閉じる。
久しぶりに聞く誰かの寝息。そのおかげだろうか、俺はすんなりと眠りにつくことができたのだった。
◇
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……。
「んあ……」
聞き慣れたアラーム音が耳元で鳴り響き、俺を眠りから覚ましてくる。
「朝……か……」
外からは雨粒が窓を打つ音が絶え間なく聞こえてくる。目を開くが、空を覆い尽くしている雲のせいで薄暗い。
そういえば昨日はニニと一緒に寝たんだっけ……。
いつもより身体がベッドの端が近いことに気づいて、昨晩のことを思い出す。
放課後までに雨が上がってくれるといいんだけどなあ。
「よし、ニニ。起きるぞー」
いつまでもベッドの上でうだうだしていてもしょうがない。そして俺は上半身を起こして隣に寝ている幼女を起こしにかかる。
が。
「え……?」
そこは白いシーツがあるだけで。
まるでそんな存在などいなかったかのように。
出会ってから片時も離れたことのなかった彼女の姿は。
なかった。
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