第15話
未来のことでわかることなど皆無といってもいい。
だが、天気予報というものだけはまだ見ぬ未来の空模様を的確に当ててくれる。
「やっぱり雨だと無理があるか……」
傘をさしながら一人、小さくつぶやく。今日は朝からずっと小降りの雨だった。
「神社の保存のための署名をお願いしまーす」
雨音に負けないよう声を辺りに響かせる。しかし、相変わらず俺の方に目を向ける人は少ない。たまに目を向けてくれる人でも、チラッとこちらを一瞥する程度だ。加えて、雨のせいで人の数そのものが少ない。
「これじゃあ今日は粘っても成果を上げられそうにないな」
こうして活動を始めて数日が経っているが、正直進捗は芳しくない。この調子じゃあ何年経っても満足のいく結果は得られないだろう。一度方法を考え直した方がいいかもしれない。
空は灰色に黒の絵の具を少しずつ足していくように、ゆっくりと暗くなっていく。そろそろ引き上げるか。そう思ってもう一度周りを見回すと、
「うおわっ」
「な、なんじゃ。そこまで驚くことはなかろう」
すぐそばに、ニニがいた。
「お前……濡れるから建物の下にいろって言っただろ?」
傘をさしたとしても多少は濡れてしまう。しかもニニは露出の多い薄着をしているのだ。風邪をひいてしまうかもしれない。神様が風邪を引くのかどうかは知らないが。
「そう言うおぬしこそ、濡れておるではないか」
足元を見れば、ズボンの裾が少しばかり滲んでいる。
「これくらいどうってことないさ。別に頭から雨をかぶったわけじゃないし」
「……」
ぽすっ。
無言のまま、ニニは俺に身体をあずけてくる。背丈がけっこう違うから実際には腰にしがみつくような形だけど。
「どうした?」
「……なんでもないわ」
どこかぶすっとしながら、彼女はつぶやく。まあ濡れるといけないから今あんまり離れられても困るわけだが。
「ま、いいか。とりあえず今日は帰るとするか」
言って、俺は小学生用の黄色い傘を渡してやる。俺が昔使っていて家にずっと置かれていたものだ。
「……うむ」
傘を受け取ると、ニニはうつむきながらうなずいた。
「……止まねえかな、雨」
肘をつきながら、窓の外を眺める。
「しょうがないよ、こればっかりは」
若干イライラ気味な俺をなだめるように、エプロンをまとった枝穂が隣に立ってテーブルに水を置いてくれる。
「でも最近ほんとに雨ばっかりだね」
俺と一緒になって、外に目をやる。
「それにしても、実がこんなに熱心になるなんてねー」
「お前はなんで俺と相席してるんだ、切畑屋」
対面のイスには、ゆるふわ茶髪のお嬢様。
「いーじゃん別にー。実がお客さんとしてここに来るなんて滅多にないんだろうし、記念だよ。き、ね、ん」
「なにが記念だ。ただの野次馬根性じゃねえか」
そう、俺は今日、バイトとしてではなく客として『はなむら』に来ている。この前クマちゃんにしばらく休むことを了承してもらってから来ていなかった。そして雨がひどくて今日の署名活動を断念すると枝穂に言ったら、じゃあたまには休みを入れたら、と提案されたのでお言葉に甘えることにしたのだ。
「でもよかったのか? やっぱり来たからには何か手伝った方が……」
「もーそんなこと言わないの。実は最近毎日がんばってるんだから、たまにはゆっくりしないと。だから今日はわたしに任せて」
それに、と彼女は厨房の方に視線を送って、
「クマちゃんも実が来てくれてうれしいみたいだし。ほら、普段なら三日も会わないことないでしょ? きっとクマちゃんも寂しいんだよ」
「おいっ! 俺はそんな女々しいこと考えてねぇぞ!」
と、大きな声が聞こえてくる。だが、その声はいつもの荒々しさの中に柔らかさがあった。
「あと枝穂は仕事しろよ!」
「はーい。じゃあ二人ともまたあとでね」
にこにこ笑顔で席を離れていく。この前までニニや願いのことで沈んでいたのが嘘みたいだ。
「いやー、しかし実もがんばるねー」
一方ある意味対照的なニヤニヤとした笑みで俺の方を見てくる切畑屋。同じ笑みでもどうしてこうも違うものか。そもそもコイツが枝穂みたいに笑ったことを見たことないけど。
「なんかあの神社に思い入れでもあるの?」
「そりゃまあ……な……」
さすがに居候している幼女の神様を助けるため、とは言えない。
「あそこはその……昔から枝穂とよく行った場所だし、なんか壊されるのも嫌だなと思ってよ……」
実際、それも嘘ではない。枝穂とはあの場所に小さいころから何度も訪れていて、それなりに思い出もある。
神社やここで枝穂の頭をなでてやったことが、俺の脳裏に浮かぶ。すると、なんだか少し気恥ずかしいような気持ちになった。
「ほー、ふーん、なるほどねー」
「なんだよそのわざとらしい物言いは」
「べっつにー? 相変わらず想いあっていらっしゃることだと思ってねー」
「あのなあ……」
何を勘違いしているかよくわからんが、俺と枝穂は幼なじみだ。そりゃあ大事な人ではあるけど……。向こうも俺と同じように思っているはずだ。
「お待たせー」
そんな無駄話をしていると、お盆に食べ物を乗せて枝穂が戻ってきた。そして切畑屋の前に彼女がいつも注文している種類のホットケーキを置く。
「はい、キリちゃんにはいつものやつだよ」
「うわーい。ありがとー枝穂」
「しっかしお前もよく飽きないな」
「なにいってんのー。美味しいものは何度でも食べたくなるものなんだよー?」
「そういうもんか……」
なんて呆れ半分で目の前で目を輝かせている少女を見ていると、
「はい、こっちは実の分」
「ん?」
いつの間にか、自分の所にも切畑屋が注文したのと同じものが置かれていた。しかも俺のはなぜか一枚多い。
「俺、頼んでないぞ?」
「これはクマ……マスターからのサービスだって」
「サービスねえ……」
厨房の方を一瞥すると、背中を向けて作業中のクマちゃんが振り向かずに力強く親指を立ててくる。「遠慮なく食え!」ということだろう。
今は働いてもいないのにサービスされるなんて申し訳ないな、とも思ったがせっかくのクマちゃんからの好意だ。ありがたくいただこう。
「あー実ズルいー」
「わかったわかった。お前には俺がバイトに戻った時になんかしてやるから」
「言ったねー? 約束だよー?」
「はいはい」
流しながら答える。と、そこで俺は自身の近くを離れられない幼女のことを思いだす。
……ニニのために少し、残しといた方がいいか。
「大丈夫だよ?」
すると、枝穂が耳元に顔を寄せ、ささやく。
「本当はもう一枚重なってたんだけど、それはニニちゃんのために分けておいたから。さっきお店の奥で渡してあげたの」
「悪いな。手間かけさせて」
「えへへ、気にしないで? わたしもニニちゃんとは友達だし。……それに実? こういうときはごめんじゃなくてありがとうだよ?」
そう言って、笑顔を向けてくる。まったく、なんという心遣いか。
「……そうだな。サンキュ」
「ふふふ、よろしい」
「ほー仲が良くてよろしいことですなー」
と、ホットケーキを頬張りながらニヤニヤ顔でこちらを見てくる切畑屋。
「えっ!? そ、そんなことないよ!」
「なにをおっしゃいますかーそんなに顔を近づけちゃってまあ」
そう言われ、俺と枝穂は思わず互いの方を向く。するともちろん、至近距離で見つめ合う形になる。
「わ、わわわっ! 実ってば顔近づけすぎだよっ!」
「お前が最初に近づけてきたんだ……むぐおっ」
恥ずかしさからか、枝穂が持っていたお盆をこちらに向け、運悪く俺の顔にクリーンヒットする。
「じゃ、じゃあわたし仕事に戻るからっ! 二人ともごゆっくり!」
顔をリンゴのように紅潮させながら、疾風はやてのごとく店の奥へと去っていく。おそらくニニのところに行ったのだろう。
「もー枝穂ってば耳まで真っ赤にしてかわいいなー」
「切畑屋……お前あんまりやりすぎるなよ? ああいう風に言うと枝穂が恥ずかしがるのは知ってるだろ?」
というかわかっててやっているだろうな。そういうのを楽しみそうなヤツだし。
「知ってますともー。でもそれで慌てる枝穂がかわいいんだもん」
「やっぱりか……」
「でも、知らないのは実の方かもよ?」
「ん? どういうことだよ」
「なんでもありませんよーだ。ニブちんの実くんには教えませーん」
いつものようにべーっ、と舌を出してくる。なんだ、俺が悪いのか?
時々よくわからないことを言うんだよなあ、コイツは。よくよく考えれば時々でもないような気もするが。そんなことを考えながら、俺も眼前のホットケーキを切り分け、口に運ぶ。
「……」
ほんのりと広がる甘さ。しかしそれだけでなくシロップがもつほんの少しだけある苦みが舌を刺激し、もう一口、と思ってしまう。
「うまいな……」
思わずつぶやく。不思議と、元気になるような味がした。
これをクマちゃんは、自分でつかんだんだよな……自分の努力で。
それを俺は、神様の力で……いわゆる棚ボタでつかんでしまったのだ。料理という事柄だけだが、やはりそれはクマちゃんにも、枝穂にも申し訳ない気がする。
だから今度は、自分の力でやらないといけない。きとんと、誰かに他力本願することなく。
「俺もがんばらないとな……」
サービスでもらったホットケーキは、俺を奮い立たせるには十二分だった。
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