第13話
仕方がない、と割り切るようになったのはいつからだろう。
それはテストでいい点数を取れなくなったこと。欲しいおもちゃを買ってもらえなかったこと。なにかでミスをしてしまったこと。スポーツの試合で負けてしまったこと――
願いが、叶わなかったこと。
そうやって自分の力ではどうにもならなかったことを割り切っていくことが人生で、大人になるということだと、知らず知らずのうちに認識するようになっていた。仕方ない、まあいいか、と。
じゃあ。
今度も俺は「仕方ない」で諦めるのだろうか――。
◇
家に帰ってからも、俺の頭の中はたったひとつのことですし詰め状態になっていた。
キッチンで皿を洗うという行為をしながらも、まるで頭と身体が別々になっているかのようにひたすらに考える。
あの神社……ニニの本来の居場所が……壊される?
「取り壊しって……どういうことだよ、切畑屋」
思わず詰め寄って問いただすようになってしまう。切畑屋はビックリしてちょっとばかり身を引くと、
「どういうことって、私もお父さんが話してるのをチラッと聞いただけだからよくわかんないけど……。なんでも今のままじゃ人も来ないし場所を取りすぎてるから規模を小さくして他の場所に移す? みたいなことだったかな……」
「ってことはあの社とかも壊すってことかよ。いいのか、そんなバチあたりなことして」
「まー私もいいのかなーとは思うけど……でも都会じゃビルの屋上の隅に小さな祠があるとかよくある話らしいし、そんなに珍しいことでもないんじゃない? ほら私たちの町も最近さらに都会化しようとしてるみたいだし」
たしかに駅前なんかはビルが建ってきているけど、俺たちが住むような住宅地にまでその波が来ているなんて……。
「それって、もう決まったことなのか?」
まだ決定事項でないならば、覆せるのではないか。そう思って聞いてみたが、
「うん、もう工事の業者とか日取りも決まってるみたい」
「そんな……」
「というか実、どうしたの? 実があの神社のことを気にするなんて、そんなに思い入れがあったっけ……? あれ、実? 実ってば――」
「おい、実。返事くらいせぬか!」
「うわっ!」
名前を呼ばれた気がして一気に現実へと引き戻された。
「なんだ、ニニか……」
いつの間にか隣には、ふんぞり返るようにニニがこちらを見上げていた。
「なんだとはなんじゃ」
「いや、いきなり声かけてくるからビックリしただけだよ……」
「なにをいうか。わしはちゃんと声をかけたぞ。……それに、さっきから何度同じ皿を洗うつもりなのじゃ?」
「うわっ!」
気づいて思わず皿を落としそうになる。
知らず知らずのうちに、ボーっとしていたようだ。
「水も出しっぱなしじゃぞ。こういうのは最近の人間の間ではよくない行いじゃと、テレビでも言っておったのじゃ。なんでも『えこ』とかいうのじゃろ?」
「お前いつの間にそんなこと覚えたんだよ……」
ついこの間まで風呂の存在さえを知らなかったクセに。どんどん俗世にまみれてきてないか……?
「ほれ、食べ終わった皿を持ってきてやったのじゃ。感謝せい」
「ああ、サンキュ」
ずいっ、と差し出してくる皿を受け取って、流しに置く。
「それにしても今日のちゃあはん?とやらもなかなか美味じゃったのう。まさか米をあんな風にして食べる方法があるとはの」
「ははは、お気に召してもらえたようでなによりだよ」
枝穂とのわだかまりも無事解けたので、せっかくニニからもらった力を使わないというのももったいないということで少しずつ自炊をすることにしたのだ。とは言うもののニニは美味しいものを食べたいだけみたいだったが。
そして今日の晩飯はチャーハン。いくら勝手に料理がうまくなっているとはいえ、難しいものにいきなり挑戦は怖い。なので、簡単なメニューからのスタートだ。
「相変わらず初めて作ったにしてはかなり上出来だったな……」
「当たり前じゃ! なにせわしの力じゃからな!」
「だったら最初から枝穂に叶えてやればよかったのに……」
「うっ……それは、むぅ……」
「冗談だよ。枝穂ももう気にしてないし、お前も気にすんな」
笑いかけて、ニニの頭をわしゃわしゃと撫でる。ほんと、喜怒哀楽がわかりやすいやつだ。
「ま、そこがかわいいとこなんだけどな……」
「ふぁっ! か、かわいいじゃと!?」
ぼんっ! とニニは顔を一気に赤くする。
「神であるわしに気安くきゃ、かわいいとかいうではない!」
慌てふためくところも正直かわいいんだよなあ。あと噛んでるところも。ペットみたいに愛着が湧いてきたってことだろうか。
「ははは、悪かったって」
もう一度頭を撫でて、俺はむすっとしたニニをなだめた。
「ところで実よ」
俺が洗い物を終えると同時に、ニニが再び声をかけてきた。
「なんだ? デザートは今日はないからな」
「わしになにか隠しておらんか?」
俺のからかいには一切反応を示さず、ニニが問うてくる。
「隠し事って……なんもねえよ」
「ウソじゃな。もう何日おぬしとともに生活しておると思っておるのじゃ。それくらいわかるわ」
そう言う彼女は訝しんだ視線を送ってくる。
「それに、隠してもよくないことは枝穂のときのことでよくわかったのじゃ。わしも子どもではないからの」
「ニニ……」
「だから、話してはくれぬか? それがどんなことであっても」
……そうだな。ここでうやむやにしてしまったら、枝穂の時の二の舞だ。
「わかった。その代わり心して聞けよ」
「うむ」
大きく頷いてくるニニ。そして俺は、今日切畑屋から聞いたことを包み隠さず話した。
「……」
俺が話し終えてもなお、黙り込むニニ。そりゃそうだ、いきなり自分の家がぶっ壊されるなんて話を聞いたんだから。
「大丈夫か?」
「うむ。いつかそんな日が来るのではないかと、うすうす感じてはおったのじゃ。仕方のないことかもしれんからの……」
ニニの顔は、どこか割り切ったように見えた。
「人間の意識の中におらぬ神など、淘汰されていくのが自然じゃ。わしのような信仰のないものはそれを受け入れていくしかないのじゃよ」
「……でも、そうなったらお前……」
消えちゃうんじゃないのか?
以前、こんな話を風呂でしたことがあった。人から信仰のない神は、力を失って消え去ってしまうと、目の前の神様幼女は言っていた。
「まあ、それがわしの運命なのじゃろうな」
そう言うニニを見て、俺はどこか苛立ちのような感情を抱いた。
「……ニニは、それでいいのかよ」
そんな風に自分の結末を迎えてしまうことを、よしとするのか?
「……俺は、嫌だ」
「実……?」
「お前は子どもで人の言うことを聞かないどうしようもないやつだけど、それでも人の願いを叶えて……人のためにあろうとしている立派な神様だ。それなのに、ただ人が来ないからって神社を壊して、消し去ってしまっていいとは思えない」
消えていい理由なんかには、ならない。
枝穂のためにコイツなりに一生懸命だったその姿を、俺はこの目で見て、覚えている。
「お、おぬしのその気持ちはうれしいが、どうするのじゃ? わしにできることなど皆無といってもよいのじゃぞ?」
「そうだな……」
面と向かってはっきりと言ったものの、俺の頭には具体策は浮かんではいなかった。
正直、難しいだろう。落ちぶれていた神社が再興したなどという話は、ほとんど聞いたことがない。神を信じ、崇拝していた一昔前ならともかく、科学の発展した現代じゃ神社のような存在は希薄になり、時に煩わしく思われることもある。切畑屋の言っていた都会ではビルの屋上の片隅に社が追いやられた――なんてことも他で聞いたことがある。
「社が取り壊される、などの話はわしも何度か風の噂に聞いたことがある。じゃが、そのどれもが、その事実が覆ることがなかったようじゃ」
悲しんでいるようにも寂しがっているようにも見える目で、ニニは言う。
「……やっぱり、人間に信仰してもらうのが最善……か」
しかしこう言ってはなんだが、ニニの神社のことを認識すらしていない人もいるのではないか。例えば学校のクラスやつらだって、一体何人が神社の存在を知っているのか……。
「うーん……」
なにかいい方法はないか。決して優秀とはいえない脳みそをひねって考える。
「……すまぬ」
と、唐突に小さく謝罪の言葉が聞こえてきた。
「ニニ?」
「わしはおぬしに余計なことばかり振りかけてしまっておる。最初におぬしに間違えて願いを叶えてしまった時から……」
こんなことなら、誰にも悟られることなく神社でひとり消えていった方がよかったのかもしれぬ……。徐々に消えていくような声音で、ニニは俯く。
それは、この先彼女が迎える結末を模しているようで、俺は怖くなった。
「そんなことはない」
「実……?」
「さっきも言っただろ? お前を立派な神様だ。……それに、お前と出会わなければよかったなんて、俺は思っていない」
思うわけない。この先も。
「だから自分を責めるなよ。これはお前だけじゃなくて、俺の問題でもあるんだ。一人で抱え込むなんてさせないからな」
「……」
打開策があるわけでもない、それなのに俺は力強く、言った。ニニのために、そう言ってやりたい、そう思ったのだ。
「実……すまぬな」
小さく、しかし先ほどと違って少し温かい声で、ニニは頷いた。
◇
「えっ!? ニニちゃんの神社……壊されるの?」
翌日。昼飯に誘った枝穂に相談してみた。
三人寄れば文殊の知恵というし、意外とすんなりいい方法がでてくるかもしれない。まあ相手が枝穂なので文殊の知恵には程遠いかもしれないが。
ちなみに今日は学食ではなく、中庭で自分で作った弁当を食べている。手前みそだが中々の出来だった。
「それって……ニニちゃんは大丈夫なの?」
心配そうに、俺の隣に座るニニに訊ねる。
「むう……わしとしてはよくないが、わしではどうすることもできぬからな……」
「ニニちゃん……」
どうにかしようにも、今のニニにはまったくといっていいほど力がない。そもそも自身の社の存続が危うくなるような神様は力がないからこそこういう状況に陥るのだろうが……。人間である俺がなんとかしないと、と考えたわけだが。
「げ、元気出してニニちゃん。あっ、そうだ」
何かを思い出したようで、持ってきた淡い緑色の包みを開ける。
「じゃーん」
そう言って、見せびらかすようにこちらに見せてくる。
「……これは?」
「おにぎりだよ。ニニちゃん好きだし作ってきたの。……その、料理の練習も兼ねて」
そう言った彼女の手の中には、アルミホイルに包まれた丸い塊が二つ。
「枝穂が作ってきてくれたのか? ……わしのために?」
「もちろん。実みたいにうまくはできなかったけど……食べてくれるかな?」
「食べるとも! 枝穂はなんと真心のある人間か! 実などいつもめんどくさそうにしておるからの!」
「そりゃあお前が四六時中ねだるからだろ」
作る側の身にもなってくれ。
「そ、それで……実の分も作ったんだけど……いる?」
そう言って、片方を差し出してきた。
「サンキュ。もらうよ」
正直不安要素がないわけではなかったが、枝穂も枝穂なりにがんばっているのだろう。俺も料理教えてやるって言ったわけだし。それに、昼飯がちょっと足りないかなと思っていたのでありがたい差し入れだ。
「では遠慮なく……」
包みを丁寧にはがす。海苔の巻かれた、紛うことなきおにぎりであった。
ちゃんとおにぎりに見える!
枝穂には悪いが真っ先に脳裏をよぎった感想はそれだった。少し前に俺に作ってくれたホットケーキ(?)と比較しても数段にグレードアップしている。これも神様の力で得た俺の料理スキルによる指導の賜物だろうか……。
「それじゃあ、いただきます」
臆することなくニニとふたり、同時にかぶりつく。
「ど、どうかな……?」
もぐもぐもぐもぐ。
ゆっくりと咀嚼し、味わう。
「むう……」
「……しょっぱい」
塩を入れすぎたのか、ものすごく塩辛かった。しっかりと握れていなかったのか、米粒がぽろぽろと零れ落ちてくずれそうでもある。
「そっかあ……」
糸が切れたようにがっくりと、枝穂はうなだれる。
「ごめんね? おいしくないのに渡して」
「そんなことはないぞ。なんというか……枝穂らしさが出ていて、わしはこれも好きじゃ」
「ニニの言うとおりだ。別に食べられないとかじゃないし……」
これまでの枝穂の料理と違って、とは言わないが。
それに。
「俺が教えてやるって言ったしな。また今度、俺の家かどこかで一緒に料理しようぜ」
そう言ったあとに、他力で料理がうまくなった俺から言われても不愉快かな、と思ってフォローしようとしたが、
「うん……ありがと、実」
うつむきがちに小さく微笑む彼女を見て、俺はなんだかほっとした気持ちになった。
「もう入れなくなってる……か」
枝穂が「とりあえず一度神社に行ってみようよ」と提案したので俺たちは放課後、例の神社へと赴いた。
が、神社の入り口周辺はすでに数多くの工事用のフェンスに囲まれて、部外者は入れないようになっていた。
「くそ……お役所のくせに仕事が早いな」
目の前で『ご迷惑おかけします』とうやうやしく頭を下げている工事スタッフの絵に文句を言う。もちろん返事など返ってくるはずもない。
「ほんとに……やるんだね」
たしかに、俺も切畑屋から聞いただけなので心のどこかで「もしかしたらデタラメなんじゃないか」と思っていた。しかしこうして工事が行われようとしている現物を見ると、嫌でも本当のことだと認識させられる。
「まさかこんな日が来るとはの……」
ニニもやはりショックだったようで、俺の制服の裾をさっきからずっと力強く握っている。
「これからどうすっかなあ」
神社に入れば何かいい手がかりがあるかもしれない、というある種楽観的な考えを持ってここにやって来たわけだが、そもそも入ることすら叶わなかった。
「それにしても相変わらずここは人通りっていうか、人の気配がないよな」
一応住宅地の一角を担っているのだが、端の中の端であるため、今日も静かなものである。閑静な住宅街と表現するのもどこか違うようにも思える。これじゃあ神社の工事自体に気づいていない人も多いんじゃないだろうか。
だからこそ神社を取り壊す、という決定が下されたといえるのかもしれないが。
「お母さんも、用がない時はできるだけ通らないようにって言ってるし、ご近所の人たちもここを通ることはあんまりないんじゃないかなあ」
「だよなあ」
残念ながら、神社の前の道はお世辞にも整備されているとは言えず、古びた街灯が立っているだけだ。神社の工事よりもどちらかというと道の整備を先にするべきなんじゃあ、なんて皮肉を心の中でつぶやくが、そんなことをしてもどうしようもない。
「実……」
「心配すんなって。まだ何も始めてないんだ。これからさ」
服の裾を握りしめながら上目遣いで見上げてくるニニに、俺は力強く答える。
しかし、俺の頭の中には霧がかかったまま、まだ視界は晴れていなかった。
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