第12話

「クマちゃん、大丈夫!?」


 彼女が勢いよく『はなむら』の扉を開けたのは、午後四時ちょうどだった。


「またぎっくり腰だなんて……倒れたりしてないよね……」


 誰もいない店内を彼女は進む。その声だけが響き渡っていく。


「大丈夫―? クマちゃーん、どこー?」

「よ、枝穂」


 店内に探すように声を出す彼女に、俺は後ろから声をかけた。入り口のドアと彼女の間に立ちふさがるようにして。


「あれ? え? ……実?」


 振り返り、狼狽する枝穂。無理もない。その場にいるのが連絡を受けたクマちゃんではなく俺とニニだったのだから。


「ど、どうしたの? ニニちゃんまで……ってクマちゃんは? 大丈夫なの?」

「悪い、枝穂。それは嘘だ。お前にここに来てもらうための、な」


 ちなみにクマちゃんはピンピンしている。


 今日の『はなむら』は定休日。クマちゃんに頼んで店を貸してもらったのだ。もちろん、枝穂と話をするために。


「どうして……そんなウソ、ついたの?」

「嘘ついたのは悪かった。でも、こうでもしないと俺――俺たちとまともに話してくれないだろ?」

「……」


 戸惑いがちに眼を逸らす枝穂。そしてこちらをうかがいながら聞いてくる。


「……それで? 話って……?」

「それはな……」


 言って、背後に隠れがちになっている幼女を少し強引に前に押し出す。


「ニニちゃん……」

「……その、わしの話を……聞いてはくれぬか?」

「う、うん……」


 ためらいがちな両者。そして、ニニが先に前へ出た。


「すまぬ!」


 叫ぶように謝罪の言葉を発すると、床にぶつかってしまいそうな勢いで頭を下げた。


「おぬしは何度も何度もわしの神社へ来てくれておった。それなのに……わしはおぬしの願いを、おぬしに叶えてやることができんかった……神として失格じゃ……」


 少しばかり鼻声になりながら、ニニは続ける。


「おぬしが神社に来るたび……その願いの強さを、わしはわかっておったのに……」


 懺悔。本来人が神の前でするはずの行為が、今は真逆になっている。ニニは震える手に力を込めながら、さっきよりもかなり小さい声で、再びこう言った。


「すまぬ……」


 悲痛な風にも聞こえるニニの謝罪の声だけが、三人だけの『はなむら』に響く。


「俺も悪かった、枝穂」


 一歩前に出て――ニニと並んで、俺も謝罪の言葉を口にした。


「本当ならこのこと……枝穂の願いが俺に叶えられてしまったこと、わかったときに言っておけばよかったのに……あんな形でお前に伝わることになって……その……黙っててごめん」

「……」


 俺とニニの言葉に対して、枝穂は何も言うことなくただただ聞いている。一体、彼女は何を思って聞いているのだろうか――。


「ねえ……」


 そして彼女は、口を開いた。


「ひとつ、聞いてもいいかな?」

「ああ……」

「今の実にとって……わたしってなんなのかな」

「え?」


 質問の意味がよくわからない。が、俺は思っていることをそのまま口にする。


「そりゃもちろん、幼なじみだろ?」


 でなければなんなのだ。だが、枝穂の聞いてきたことはどこか中身が違っているようにも聞こえる。


「わたしは今でも……今の実の近くにいても、いいのかな……?」

「え……?」


 すると枝穂は自分の手のひらを広げ、見つめる。その手には、以前よりも少なくなったものの、数枚の絆創膏が貼られている。


「気づいてたよ……。わたしが、料理が下手だってことくらい……」


 俺は、枝穂の言葉を、黙って聞く。「でも、だから……」と彼女は逡巡しながら、


「わたしね、ずっと料理の練習してきたの。一年くらい前から、かな」

「一年前……」


 それは……俺の家が俺と父さんのふたりだけになった頃だ。


「実のおじさんも忙しいし、実は家で独りぼっちでしょ? だから、わたしにできることないかなあ、って思って」

「それが、料理を作ること……?」

「うん。実、全然料理ダメだって言ってたし……」


 そうか。枝穂は、何よりも俺のために、料理を上達しようとしてくれていたのか。


「だから、練習することにしたの。家のキッチンでこっそりと。……けっこうケガしちゃったからキリちゃんにはバレてたかもしれないけどね」


 俺は気づく。彼女がその手に巻く絆創膏は、努力の証なのだ。


「神社にお願いにいったのは、ちょっとでもご利益ないかなあって思ったから、かな。まさか本当に神様が聞いてただなんて夢にも思わなかったけど……」

「す、すまぬ……」


 再び謝罪の言葉を口にするニニ。


「あ、謝らなくたっていいよ。わたしだって神様の力を当てにしてたわけじゃないし」


 しかし、神様の力は働いた。誰も予期していなかった方向に。


「でもね、もういいの」

「もういいって、どういうことだ?」


 目の前の彼女は、どこか吹っ切れた、諦めたような表情で、


「実がニニちゃんの力で料理ができるようになったってことを知って――わたし気づいたの」

「気づいた? 何に?」

「うん……。わたしががんばってたのは実のためじゃなくてね……わたし自身のためなの」


 自嘲するように小さく笑いながら、顔を伏せる。


「結局はわたしが実の近くにいたいからなの。実の生活の助けになれば、とかそんなのはわたしにとって二の次だったんだよ」

「……」

「だから、もう実の近くにはいない方がいいのかなって。こんな腹黒いわたしなんかいない方が、実も楽しく毎日が送れると思って」


 顔を上げた彼女の瞳は、揺れていた。溜まったものを決壊させまいと必死にこらえるように。


「今思えば、バチが当たったのかもね。実のためとかウソついて神様にお願いしたから……。だから、悪いのはわたしなの。自分のために実の……他人のことを利用した、わたしが」

「そ……」


 そんなことない。そう言ってやろうと思ったが、


「そんなことはあるまい!」

「えっ?」

「ニニ?」


 今まで聞いたことのないような力強い声で、彼女は言う。俺と枝穂は彼女の突然の否定に、目を見開く。


「そんなことはなかったぞ。少なくとも、わしの神社にやってきて願うおぬしの心は、そんなことは考えておらんかった。もっと……純粋じゃった」


 そして一歩前に出る。あれだけ避けていた枝穂に、近づく。


「じゃから、胸を張るのじゃ。どんな気持ちが混ざり合っておっても、実のためにやったおぬしの努力はウソではないし、誰にも否定できん」

「ニニ……ちゃん……」


 芯のあるその言葉に枝穂は心を揺さぶられているようだったが、それ以上に驚いた様子だった。そりゃそうだ、俺だって驚いているんだから。まさかあの舌っ足らずなコイツが、そんなことを言うなんて思ってもいなかった。


「でも……そうとしても、ニニちゃんの言ってくれたことが本当だとしても、ニニちゃんの力で料理ができるようになった実には、わたしはもういらないじゃない。これからわたしがどれだけ料理がうまくなったとしても……自分一人でできるんだし」

「そ、それはのう……」

「そんなことはないぞ、枝穂」


 力の限り言葉を発してくれたニニとバトンタッチする。今度は、俺の番だ。


「実……」

「俺だってまだ自分が料理ができるなんて信じ切れてないんだ。もしかしたら、できないものもあるかもしれない。……それに、俺はお前が作ってくれた料理を、食べてみたい」


 お世辞ではなく、そう思う。

 真っ直ぐ枝穂を見つめ、言う。


 枝穂は誰でもなく、俺のためにと、言ってくれているのだから。


「で、でも……」


 そんな俺から目を逸らしながら、


「でもわたし、いくらがんばってもうまくならないし、わたしじゃ無理だよ……」

「無理じゃない」

「え……?」

「誰だって最初からうまくいくはずなんかないだろ? みんな初めは大変な思いをするもんだろ? ……まあ俺の口から言っても説得力のカケラもないけど」


 神様からもらった力でこうなった俺にはこんなことを言う資格はないのかもしれない……けど。


「枝穂なら大丈夫だよ。もう一年も練習してるんだろ? あのクマちゃんだって最初は全然料理できなかったんだぜ? きっと……きっとうまくなるよ」

「クマちゃんが……?」


 涙を溜めこんだ目を丸くする枝穂。


「それに、困った時は俺が教えてやるよ。……俺じゃあどれだけちゃんと教えられるかわからないし、自分のじゃない力でうまくなったヤツだけどさ」


 まだ自分でも料理ができるようになっているっていう実感が湧いてないから、どこまでちゃんとできるかわからないけど。


「実が……教えてくれるの?」

「ああ。だから、俺のそばにいれないとか、そんなこと考えるなよ。俺たち昔から一緒にいるだろ? 困った時は言えよ」


 そうだ。枝穂は自分のためだなんて言ったけれど、こんなにも俺のことを考えてくれる幼なじみが離れていくなんて、俺は嫌だ。


「じゃ、じゃあ……」


 唇を震わせて、彼女は言う。さっきと同じ質問を。


「わたし、こんなだけど……実のそばにいても……いいの?」

「……当たり前だろ? 俺たち幼なじみだぞ」

「……っうう。あ、ありがと……」


 そう言うと、両手で目をごしごしこすりだす。


「ごめんね……? 実……それにニニちゃんも……避けちゃったりして……」

「気にすんなよ。それに俺も願い事のことを黙って枝穂を騙すようなことしてたんだ。ごめんな」

「わしも……すまなかった」


 謝る枝穂に、俺とニニは再度頭を下げる。


「じゃ、じゃあ……」

「ん?」

「これからは……実の家に行ってもいい? 料理教えてほしいし……」


 上目遣いで見つめてくる。ははは、全く現金なやつだよお前は。


「もちろん、いいぜ?」


 笑って、俺は枝穂の頭に手を添える。

 そして、ゆっくりと撫でてやる。


「あ……」

「そういえば、この間神社に行った時に思い出したんだけど、子どものころはケンカとかした時にこうしてたよな」


 神社でニニの頭を撫でたときに思い出せたこと。昔から俺と枝穂の間で行ってきた仲直りの儀式のようなもの。


 すると枝穂はイタズラっぽく笑って、


「わたしはずっと覚えてたけどね」

「悪かったよ。でもお前、そんな昔のことよく覚えてるもんだな」

「……覚えてるよ。だって、実との思い出だもん」

「……っ」


 そう言ってこちらを見つめてくる枝穂の顔を見て、俺は自分の顔が急に熱くなるのを感じる。あれ、なんで俺コイツ相手にこんなに照れくさくなって――


 くきゅううぅ……。


「ん?」


 その時、隣からなんともかわいらしい音が聞こえてきた。出所はもちろん、ニニからだ。


「あ、安心したら腹が減ってな……」


 恥ずかしがるニニを見て、俺と枝穂は笑いあう。


「わかったよ。じゃあ家に帰ったらおにぎり作ってやるよ」

「本当か?」


 一気に顔を明るくさせる。いつもならため息をつくところだが、コイツのこんなにもキラキラした顔を見るのがなんだか久しぶりな気がしたのでどこか安心した。


「ね、ねえ実……?」

「なんだ?」

「じゃあわたしも行っていいかな? まずはニニちゃんの大好物のおにぎりの作り方、教えてくれる……?」

「ああ。俺でいいならもちろん」


 頷き返し、俺たちは家へと帰る。

 その日作ったおにぎりは、今まで作った中で一番うまかったような気がした。


 ◇


「はいよ、おまちどおさま」

「わーい、きたきたー」


 あれから一夜が明け、俺はいつものように『はなむら』で切畑屋から注文を受けたホットケーキをテーブルまで運んでやった。


「んー! いつもどおりおいしー」


 ナイフとフォークで切った欠片を早速に口に入れると、頬に手を当てて幸せそうな表情を作る切畑屋。


「そういや今日は習い事ないんだな」


 一週間でこの曜日はたしか……お茶の稽古があったような気がする。


「今日は先生に用事があるから稽古はお休みなのだよ。ま、たまにはこうして休暇を取らないといけませんしねー」

「お前なんて年中休んでるようなもんじゃねえのか」

「そんなことありませんー私は勉強も稽古もがんばってますー」


 べーっと小さく舌を出してくる。


「あっ、そうだ実。あとで数学の宿題見せてよ」

「お前今勉強がんばってるって言ったよな?」

「いーじゃんいーじゃん。ほら、ホットケーキ一口あげるからさ」

「いらねえ。てか報酬それだけかよ」


 もっといいものくれよ、お嬢様なんだから。


「いらっしゃいませー」


 そんな馬鹿な会話をしていると、枝穂の声が店内に響き渡る。


「枝穂、元気になったみたいでよかったね」

「ああ……」


 相手が切畑屋とはいえ、枝穂を元気にするという約束を果たせてよかった。


「もう大丈夫だろ」


 自分の願いのことを一区切りつけることができたようだ。……もちろん俺も。それにニニともすっかり打ち解けられたみたいだし。学校からここに来るまでも楽しそうに会話をしていた。


 ちなみにニニはもう店の裏でコソコソ隠れるようなことはしておらず、店内をウロウロしている。はしゃぎすぎないよう言ってはあるけど、今日くらいはいいかもしれない。


「ふーん……。ま、実がそう言うならダイジョブってことだね」

「そうか?」

「そうですとも。で、あれでしょ? 二人はついに結ばれたんでしょ?」

「ぶっ! お前、なんでそういうことになるんだよ」

「あれ? 違うの? 私てっきりそうだとばっかり」


 どこをどう解釈したらそこまで結論が飛躍するんだ。少女漫画かなにかの読みすぎじゃないのか?


「アイツは幼なじみだし、向こうも特にそんな気持ちないだろ」


 願いうんぬんのことも結局は今まで近くにいた俺が遠ざかるのが嫌だったっていうことみたいだし。まったく、手のかかる幼なじみだよ。


「……はあ」

「なんだよそのため息は」

「なんでもないですよー。枝穂も大変だなあと思っただけですー」

「……?」


 よくわからないやつだ。いや、前からわかってたことだけど。


 それにしても。


 俺はニニの方を見やる。彼女は本棚に置いてある暇つぶし用の雑誌やマンガを珍しそうに眺めている。

 彼女を本来の居場所であるあの神社に戻してやる。それが今の俺の、やるべきこと。


「そのためにはあの神社の知名度をもう少し上げてやらないとなあ……」


 今のままじゃどうあってもニニが力を取り戻すとは思えない。


「ん? 神社って実の家の近くにあるあれのこと?」

「ああ。そうだけど」


 うっかり口に出てしまっていたみたいだ。


「それにしてもお前、あの神社知ってたんだな」


 切畑屋の家は俺や枝穂の家とはまた違った場所にあるので、あんな古ぼけた神社なんて知らないと思っていた。


「いやー、私もついこの前まで知らなかったんだけどね……」


 そこで、切畑屋は言葉を濁した。はっきりものを言うコイツにしては珍しい。


「知らなかったってことはなにか知るようなきっかけがあったってことか?」


 もしかしたら俺のあずかり知らぬところであの神社の知名度が上がるようなことが行われるのかもしれない。うまくいけばニニを返してやることにもつながるかもしれない。


「うーん、この前お父さんが話してるのを聞いただけなんだけどね」


 しかし、彼女の口から出てきたのは俺の期待をまるで裏返しにしたようなものだった。


「あの神社、取り壊されるみたいなんだよね」

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