第10話
俺は寝起きが良い方だ。
一度目が覚めてしまえばスッキリと起きることができる。今までうっかり二度寝をしてしまったこともほとんどない。
しかし。
「……」
今日ほど二度寝してやりたいと思った日はなかった。
起きて、学校に行けば必ず会わねばならない。二日連続、変な別れ方をしてしまった幼なじみと。
「はあ……」
ただでさえ『はなむら』での一件があって少し気まずくなっているっていうのに、追い打ちをかけるように昨日の出来事だ。
重い足取りで、家を出て通学路を歩く。当然のように、うしろにはとぼとぼとついてくる幼女の神様。下駄が奏でる足音も、どこか重苦しい。
「なんて説明したもんか……」
いや、説明の必要はない。昨日聞かれたあの一言で全部わかってしまっている。言い訳のしようもない。
「……」
そして、ニニは朝からずっと無言を貫いている。そりゃ気も重くなるよな。ある意味一番の当事者でもあるんだし。心なしか、しっぽのようにかんざしでまとめられた銀色のつややかな髪もしょんぼりとしている。
「あ……」
そうして歩いてき、いつも待ち合わせている角にさしかかると、見慣れた影が目に入ってきた。
「よ、よう……」
誰が見てもわかるほど、ぎこちなく手を上げて挨拶をする。枝穂相手にこんな感じで声をかけたのは初めてではないだろうか。
「あ、うん……おはよう」
そして応えるように、彼女をどこかいつもより硬い挨拶を返してくる。
「ニニちゃんも、おはよう」
俺の後ろにいるニニにも気がついたようで、そちらにも声をかけた。
「……」
しかしこれまた返事は硬い。
そして誰からでもなく、歩き始める。
「そ、そういえば……待っててくれたんだな」
もしかしたらいないのではないか。その可能性も考えていたので、少し驚きもした。すると枝穂は極めて小さな声で、
「うん。待ち合わせするって誘ったのはわたしの方だし……」
「そ、そうか……」
そうして、途切れる会話。
「……」
「……」
「……」
そこから学校に到着するまで、後ろの神様も含めて誰も言葉を発することはなかった。
◇
「はあ……」
テーブルを拭きながら、ため息ひとつ。
まさか『はなむら』でのバイトがこんなに気まずく感じる日が来るなんて。
ちらり。
こっそりと、他のテーブルを磨いている幼なじみを一瞥する。
「……」
いつも通りに振る舞ってはいるが、どこか気落ちしているようにも見える。
クマちゃんとは普通に会話していたし、俺との接触が極めて少ないことを除けば普段となんら変わりない。事実、クマちゃんは何も気づいてないみたいだし。
「ちょっとー、ぼーっとしてないで早く持ってきてよー」
と、そこで常連からのお声がかかる。
「はいはい、悪かったな。いつものやつだよ」
そう言って、切畑屋のテーブルに彼女が注文したホットケーキを置く。
「待ってましたー!」
上機嫌にフォークとナイフを構えると、手慣れた手つきで切り分けていく。
「はむっ……んー! いつ食べてもおいしいなあー。これのために生きてるって感じ」
生きる目的が手頃すぎやしないか。
ゆるくウェーブのかかった髪がふわふわと揺れる。整えられた茶髪に、紅茶と洋菓子の組み合わせ。これだけだと完全にお嬢様である。口さえ開かなければ。
「そりゃよかった。あとでクマちゃんにも伝えとくよ」
「あ、ところで実」
「どうした?」
離れようとしたところで止められる。なんだ、また宿題でも見せろと言うのだろうか。
「あんた、枝穂となにかあったでしょ」
「……」
語尾に「?」はない。疑問形ではなく、確信しているといった口調で切畑屋は俺に問うてくる。
「ねえ、どうなのよ」
「……なんで、そう思うんだ?」
一緒に仕事をしているクマちゃんでさえ気づいていないんだ。どうしてコイツはわかったのだろうか。
すると、切畑屋はハアーっと盛大にため息をついて、
「あんたねえ、私だって二人ほどではないけどそれなりに一緒にいるのよ? それくらいはわかるわよ」
「それなりって、お前との付き合いなんかまだ一年くらいじゃねえか」
「バカねー。一年をなめるんじゃないわよ?」
フォークをこちらに向けて、得意げに言う。
「まあ……枝穂が私に何も話してこないってことは放っておいた方がいいのかもしれないけどさ。でもやっぱ心配になるじゃん、友達だし」
「切畑屋……」
悔しいのかもしれないな、コイツは。友達の様子がおかしい。でもなにも話してくれない、相談してくれない。だから自分はあえて陰から見守ることにする。そういう道を選んだ。いや、選ばざるを得ないのだ。
「お前、いい奴だな」
てっきりもっとドライなのかと思っていた。一年も付き合いがあるっていうのに俺はまだコイツの人となりをわかっていなかったみたいだ。
「ふふん、今ごろ気づいたの? で、やっぱり実に関係あるんでしょ?」
普段は見せないような真剣な顔つきで、訊ねてくる。
その顔は頼りがいがあり、思わず助けを求めてしまいそうになったが、俺は踏みとどまる。
「ああ。……でも大丈夫だ。俺がなんとかするから」
これは俺と枝穂……そしてニニの問題なのだ。当人どうしで決着をつけねばならない。
「……ま、あんたがそう言うなら大丈夫か。じゃあ、任せたわよ?」
にっこりと笑いかけてくる切畑屋。
「そのかわり、私の助けがいる時はちゃんと言うこと! わかった?」
「おう、心得た」
そうして小さく、拳を突き合わせる俺と切畑屋。
さて、それでは期待に応えないとな。
◇
とは言ったものの。
「ふはあ……」
肩まで湯船に浸かり、俺は考える。
「どうすっかなあ……」
天井をぼんやり眺めながら、ひとりごちる。
切畑屋と話したあと、枝穂ときちんと話をしようと思って声をかけようとした矢先、当の本人は「じゃ、じゃあわたし先に帰るね? マスター、お疲れさまでした」なんて言って逃げるように帰っていった。明らかにぎこちない。
なんとか意思疎通しないと。
「明日はちゃんと話を聞いてくれるかな」
…………。
あれ?
そこで俺はふと気づく。
枝穂と話をして、事情をわかってもらったとして、そこからどうするのだ?
だからといって、現状――枝穂の願いが俺に叶えられたことが変わるのか?
だから、俺は問う。目の前で一緒に湯船に浸かっている神様に。
「なあニニ」
「なんじゃ?」
「一度叶えられた願いって、もうどうにもならないのか?」
取り消してもらって、枝穂に叶えなおす。
そんなことが果たして可能なのか。
「……できるかできないかでいえば、可能じゃよ」
数瞬、考えるような仕草を見せてから、ニニは答える。
「じゃが」
そして逆接の言葉を、語気を強めて彼女は続ける。
「それもわしの力があってのことじゃ」
「やっぱそうなるよな」
俺に間違って願いを叶えたときも、コイツは自分の力を使ったと言っていた。そして、それによってほとんどの力を失ってしまったとも。
「人間の願いを叶えることによって力を使い、人間の信仰を集めることによって力を蓄える。まあわかりやすくいえば力は人と神を循環しておるということじゃ」
厳密には人間には力は宿らんがの、とニニは付け足す。
「で、今のお前はその循環がうまくいってないからこうなっている……と」
「……むう」
俺がそう言うと、不機嫌そうに口元を湯船につける。
ブクブクブクブク。
いや、そんなに拗ねられてもまあ原因はだいたいお前にあるんだけどな。
「で、話を戻すけど願い事を取り消したり云々ってのは難しいってことか」
「そうじゃな。それに、同じに人間に何度も願いを叶えたりするのはあまりよくないからの」
「よくないっていうと?」
「神は人間みなに平等であれ、ということじゃ。特定の人間にかかわりすぎるのは本来やってはいかんのじゃ」
「……なるほどね」
じゃあこの状態はいいのかよ、と言ってやろうと思ったが、この状態を一番よく思っていないのはニニ自身なのだ。やめておこう。
「……ところでさ」
「ぬ?」
「そろそろ一人で風呂に入ったらどうなんだ?」
…………。
…………。
「……よ、よいではないか。神と風呂にはいれるのじゃぞ、喜ばんか」
「喜べと言われてもな……」
そりゃあ幼女と風呂に入れることに大喜びする変態はいるかもしれないが、俺はそんな人種じゃない。
「なんじゃ。実はわしと風呂に入るのが嫌じゃというのか?」
「いや、そこまでは言ってないけどさ」
ニニと暮らすようになって以来、毎日のように一緒に風呂に入っているのだ。もうすっかり慣れてしまった。
「……して、実よ。きょ、今日も頼んでいいかの……?」
急にもじもじし出すニニ。
「……ああ、いいよ」
そう言って、二人して湯船から出る。ニニはイスに座り、その後ろに俺が膝立ちになる。
習慣づいたといえば、一緒に風呂に入るほかに、もうひとつ習慣になったことがあった。
「じゃあ目をつぶっておけよー」
シャンプーを手に取り、あざやかな銀髪の頭に触れる。
そう、ニニの頭を俺が洗ってやることだ。
初めてニニが自分で頭を洗おうとした時、誤ってシャンプーが目に入ったのか、その場で大暴れした(どこまで見た目どおりの行動をとれば気が済むのだ)。それからニニはシャンプーを使うことに警戒心を抱いてしまったので、こうして俺が洗ってやることになっている。
「ふぁ~~~~」
痛くしないようなるべくやさしい指使いで洗い始める。途端にニニが気持ちよさそうな声を出す。
「しっかしそろそろ頭くらい自分で洗えるようになれよな。神様なんだし」
「や、やかましいわ」
恥ずかしそうに紅潮するニニの顔が、鏡越しに視界に写る。こうしてるだけだと娘みたいでかわいいんだけどなあ。
それにしても。
さすがは神様といったところか。髪のツヤがすごい。こうして近くで見ても、その銀の輝きは変わらないどころか惹きつけられるほどだ。絶世、という言葉はコイツのこの髪のためにあるんじゃないかと思えてくる。たぶん世の女性全員がきれいだと羨む髪なんじゃないだろうか。いや、男の俺でさえ、
「……きれいな髪だなあ」
なんて思うくらいだし。
「ふにゃっ!? い、いきなり何を言うのじゃおぬしは! ……びっくりするではないか」
「あ、悪い」
ぽろっと口に出てしまっていたのか。でも悪いことじゃないし。幼女の髪というのはみんなこんな感じなのだろうか。
「でもきれいだと思うぞ? きらきらしてるし。俺、お前の髪好きだな」
なんかいい匂いもするし。いつまでも触っていたくなる。別に髪フェチというわけではないが。
「ふ、ふん……。当たり前ではないか、わしは神なのじゃからな……」
そう言っていつものように不遜な言葉を発するニニだったが、顔をほころばせているのが鏡に写っていたのでうれしそうにしているのが丸わかりだった。
「流すぞー」
しっかりと洗ってやったあと、シャワーでニニの頭の上から泡を流す。そのあと俺はトリートメントのボトルを手に取って、髪になじませていく。
コイツがきてからトリートメントにも気を遣うようになったけど……果たして神様相手に効果はあるのか。キューティクルがどうのこうのとか、俺にはわからない。
しかし、この神様のきれいな髪の毛を洗うのだから、あまり粗末なことはできない。そう俺は考えていた。
「……のう、実」
「なんだ?」
「やはりあの娘……わしに対して怒っておるのかの……?」
指をもじもじさせながら、訊ねてくる。気づけば鏡に写るニニの顔は不安に満ちたような表情だった。
「怒ってる、か……どうなんだろうな」
実際のところ、俺も枝穂がどう思っているのかよくわからない。今朝の様子とかだと一〇〇%が怒りで占められているということはなさそうだけど……。むしろなにか戸惑いのようなものを感じた。
「まあ仮に怒ってないにしても、謝らないといけないよなあ……」
「うむ……」
きちんと彼女と向き合って、話をしないといけない。
話し合い。和解。
ん?
先刻と同じように俺はあることに気づく。
話をして……謝って……そこからどうするんだ?
「俺って……」
今まで枝穂と喧嘩したりしたとき……どうしてたんだっけ。
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