第8話


「なあ、ニニ」

「なんじゃ、実」


『はなむら』からの帰り道、隣を歩く神様幼女に話しかけた。


「俺の言いたいこと、わかってるよな?」

「うむ。むろんじゃ」


 結局バイト中ずっと更衣室から俺たちのことを見ていたんだ。つまりは今日起こった出来事を最も客観的に捉えられているのはニニかもしれない。


「あの娘のことじゃろう?」

「ああ……」


 聞き返してくる彼女に、俺は小さく首肯する。

 住宅地の真っただ中だっていうのに、すれ違う人も、前後を歩く人もいない。夜の静けさも相まって、俺はためらうことなく思っていることを口にできた。


「アイツの……枝穂が願ったことってのは……」


 そして、間違ってニニが俺に叶えてしまった願いは。


「料理がうまくなりますように……じゃろ?」

「たぶん、な……」


 いや、たぶん、などではなく、確実だろう。今日の俺の異常なまでの厨房での働きっぷりがその証拠だ。


 今思えば、なんとなくだがその節はあった。初めてニニに出会った時に作ってやったおにぎりが、異様に出来がよかったこと。そしてその味が、コイツ曰く、クマちゃんのホットケーキや他のどの料理よりも美味しいということ。


「確証はないが、まず間違いないのではないか?」

「だよなあ……」


 火を見るより明らか、というやつだ。


「でもまさか俺がお前の力でいきなり料理がうまくなるなんてなあ」


 そりゃあ現時点で一人暮らしも同然の生活を送っている俺にとって、料理ができるようになることは単純にうれしい。合理的に考えて、これで自炊できるようになっていれば、食費がだいぶ軽くなるだろうし、栄養が偏ることも少なくなる。いわゆる棚ボタだが、万々歳だ。


 そりゃあ、願った当人である枝穂には悪い気はするけど……。


「でも、なんかこう、モヤモヤするんだよな……」

「む?」


 さっきの枝穂の言葉と、表情。


 別に、枝穂が料理できるようになることと、俺がそうなることは特に関係ないはずだ。アイツは、この神様幼女の存在を知っているわけじゃないし。


「なんていうか……俺が料理うまかったからって、あんなに落ち込んだっていうか、沈んだ感じにならなくてもいいんじゃないか? 料理がうまくなることに特別な事情があるわけでもないだろうし」

「むう……」


 ニニも頭をひねる。

 今の段階で、枝穂は自分に叶えられるはずだったものが誤って俺に叶えられてしまったという事実を知らない。であれば、落ち込む要素などどこにもないはずなのだが……。


「次に会ったら、それとなく聞いてみるか」


 どうして料理がうまくなりたかったのか。


「そうじゃの」


 隣の幼女も相槌を打ってくる。

 どうして料理がうまくなりたかったのか。答えてくれるかどうかはわからないが、聞くだけ聞いてみよう。


「でもニニ」

「うむ?」

「お前はその前に枝穂をちゃんと見れるようにしないとな。向こうが見えてないといっても」

「んなっ、そ、それくらいわかっておるわ!」


 着物の裾をブンブン振り回しながら反論してくる。


 そんな幼女の様子を笑って見る。さて、今日のニニの晩飯のおにぎりの中には何を入れてやろうか。



 明くる朝。窓から差し込んでくる日差しで俺は目を覚ました。


「ふあーあ……」


 リビングへ赴き、手早く淹れたインスタントコーヒーを飲んで脳みそに起きろと命令を出す。


『現在、大型の低気圧が北上しており気象庁は――』


 テレビをつけ、ぼーっと画面を眺める。

 日曜日は、なんだか時間がゆっくり流れるような気がする。呼吸も脈拍も、平日のそれとは穏やかだ。

 ついこの前まで、このゆるやかな時間を一人で過ごしていたんだけどなあ……。


「んあ……にぎりめし……」


 視線をテレビから離せば、ソファで丸くなっている幼女。おにぎりの夢でも見ているのだろうか、幸せそうな寝顔を浮かべている。


「というかそろそろコイツにもちゃんとした寝床を用意してやらないとな」


 いくらニニ自身がソファを気に入っているとはいえ、この共同生活もいつまで続くかわからないのだ。布団なりなんなりをあつらえるべきだろう。一応神様だし。


「ってか髪くくったまま寝るとクセになるぞ」


 起こさないように、彼女のトレードマークのひとつともいえる黄金色のかんざしをゆっくりと抜いて髪をほどいてやる。拘束を解かれた銀髪が流れるようにその場にしなだれる。


「しっかしこのかんざしも変わってるよな」


 まず黄金色のかんざしなど見たことない。そして端には宝石……だろうか、きれいな赤い石が埋め込まれている。ニニがつけているということは、それなりに由緒正しいというか神具の類とかそういうものなのだろう。


「おっと、今日は午前中にバイトだった。あんまりのんびりしてられないな」


 この幼女はもう少し寝かせておいてやるか。俺はかんざしをテーブルに置いて、俺は出発の準備を始める。

 まずは着替えないと。そう思って自室へと戻ろうとしたその時、


 ピンポーン。


「ん?」


 誰だ日曜の朝から。宅配便だろうか……いや、なにか注文した覚えはないが……。


「はーい、どちら様ですか?」


 そうしてほんの少し思考しながらドアを開けると、


「おはよー実。迎えに来ちゃった」


 見慣れた笑顔とともに、聞き慣れた幼なじみの声。


「し、枝穂?」


 俺は面食らう。正直、驚いた。昨日あんな別れ方をしたのだから、今日は幼なじみとして少し気を遣ってやらないとな、なんて考えていたのに彼女はいつもと変わらぬ陽気を漂わせている。


「って実まだ着替えてないじゃん。まさか寝坊?」

「いや、そんなわけじゃないけど……」


 別れ際に見た枝穂の悲しそうな顔が脳内で見え隠れして戸惑ってしまう。


「じゃあ実の準備ができるまで待ってるね」

「ああ……とりあえず上がれよ」


 そう言って、枝穂を家に迎え入れる。


 一瞬、しまった今俺の家にはニニがいるじゃないか、と思って焦ったが彼女には姿が見えないことを思い出してひとりでほっとする。


「さすが実、きれいにしてるねー」


 案の定、リビングに入っても枝穂はソファで寝ている幼女には目もくれず、部屋全体をぐるりと見回す。


「じゃあ俺は上で着替えてくるから、ちょっと待っててくれ」

「うん、わかった」


 そう言い残して、自室へと向かう。


 いつもと変わらない、よな……?

 普段着に袖を通しながら、訪れた幼なじみの様子について考える。


 昨日は随分落ち込んでいるように見えたのだが、俺の思い過ごしだったのだろうか。まあ元々喜怒哀楽の表現が大きい方だから、俺が過剰に受け止めてしまっている可能性もある。

 それならそれで問題はない。今まで親しくしていた人とギクシャクしてしまうのは嫌だ。俺もいつも通りで接しよう。


 一通り着替えを済ませて『はなむら』へ行く準備を整えて、リビングへと戻る。


「み、実!」

「おわっ」


 ドアを開けた途端、枝穂とぶつかりそうになる。


「どうした? そんなに慌てて」


 眼前の少女は混乱したような顔をこちらに向けてくる。


「あ、あのね……? 笑わずに聞いてね……?」


 おっかなびっくり話を始める彼女の様子を見て、俺も驚いてしまう。


 枝穂の手に、ニニの黄金色のかんざしが握られている。


 まさか、とは思いつつ俺は固まる。枝穂の動揺が伝染してしまったかのように、鼓動が早くなる。


「さっきまで誰もいなかったソファに……小さな女の子が寝ているの……。も、もしかして……お、お化け……?」


 恐る恐る彼女はソファを指さし、俺の視線もそちらへと向く。毛布がもぞもぞと動き、幼女がひょっこりと顔を出す。


「んあ……朝、かの……? 実ー腹が減ったぞー」

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