第6話

 土曜日。



 午前中に学校で授業を受けたあと、俺は『はなむら』でバイトに明け暮れていた。


「ほい、3番テーブルにプレーンホットケーキ、よろしくな」

「あいよ」


 カウンターでクマちゃんからできたてほかほかのホットケーキを受け取る。


『はなむら』の厨房役は基本的にクマちゃんひとりだ。他のバイトさんが入っている時も、厨房はクマちゃんが担っている。俺や枝穂は専らホール業務なので、客の注文を聞き、こうして出来上がった料理をテーブルへと持っていく作業の繰り返しだ。


「クマ……マスター、5番テーブルホットケーキとバナナパフェです!」

「っしゃあ! 任しとけ! 美味いの作ってやるぜ!」


 土曜日、さらには昼下がりということもあって、店内は盛況だ。枝穂もさっきからあっちへこっちへ縦横無尽に走り回っている。


「……」


 店の奥――クマちゃんの自宅兼更衣室の方を見れば、顔半分だけのぞかせてこちらの様子をうかがっている小さな顔が。俺から離れられないからバイト先についてくるのは仕方ないとして、ニニ自身もなるべく枝穂と顔を合わせたくないらしく(いつまでそうするつもりかはさっぱりだが)ああして更衣室からこっそりとのぞき見してくるのだった。


 しかしじっとしてもいられないらしく、時折かんざしでまとめられた銀髪がひょこひょこと揺れる。


 なんだか見られていると思うと少し緊張するな……。


「おい実。ボーっとするな。さっさと持っていけ」

「あ、ああ。すんません」


 クマちゃんに言われてそそくさと料理をもって移動する。


 えっと、確か3番テーブル……と。


「おーそーいー。はーやーくー」


 と、俺に向かって催促してくる声が。


「はいはい、持ってきましたよっと」

「お客様を待たせるとはどういうことよー」


 声の主はテーブルに頬杖をつきながら、文句を垂れてくる。


「お前はちょっとくらい待てねえのか」

「もー待てなーいー」


 唇を尖らせて変なクレームをつけてくる彼女は、ぶーぶー言って身体を左右に揺らす。その度にゆるくウェーブのかかった茶髪が波打った。


「ったく……」


 駄々をこねてくるのを適当に相手しつつ、俺は持ってきたホットケーキをテーブルに置いてやる。


「ねね、遅かったおわびとして何割かサービスしてくんない?」

「するか、アホ」

「えーいいじゃん常連なんだしー」

「なーにが常連だ。お前んとこ金持ちなんだから別に割引しなくてもいいだろ? 切畑屋きりはたや

「残念でしたー。私はお小遣い制なんですー」


 そう言ってべーっ、と小さく舌を出してくる。


 切畑屋花織かおり


 俺や枝穂の同級生で、ことあるごとに『はなむら』へとやってくる常連客だ。親がこの町の議員かなにかで結構なお金持ちらしく、いわば『お嬢様』なのだがいかんせん、立ち居振る舞いには全くその雰囲気が現れていない。黙っていればそんなことはないのだが。


「ところでさー実ー。宿題教えてよー」


 今だって、こんな風にだらだらしながら俺に変な要求をしてきやがる。お嬢様って普通教える側じゃないのか? 俺の偏見かもしれんが。


「あいにく俺は勤務中だ。宿題くらい自分でやれ」

「えーケチー」

「ケチで結構」

「いーのかなー? ここで恩を売っておけば夏休みに海辺の別荘とかに連れてってあげるかもしれないよー? 私の水着姿が見れるかもしれないよー?」

「お前そう言って去年も宿題見せるようせがんできたけど、結局夏休みなにもなかったじゃねえか」


 大体、別荘はともかくとして、俺が切畑屋の水着で釣られるとでも思ってるのか?


「あ、キリちゃん」


 するとひと段落ついたのか、枝穂がお盆を持ってとことこ近づいてくる。


「やほー枝穂。今日も大変そうだねえ」

「そう思うなら俺らを引きとめるなよ……」

「いーじゃんちょっとくらいおしゃべりしていこーよー」

「あはは……ちょっとなら、ね」


 俺と枝穂は二人して厨房の方を見やる。あんまりここで話し込みすぎると、クマちゃんにどやされてしまいそうだからな。気をつけとかないと。


「枝穂は宿題終わったー?」

「ううん、わたしはまだだよ」

「じゃーバイト終わったら一緒にやろ!」

「え、いいの? 夕方になっちゃうけど……」

「いーのいーの、どうせ一人だとできないし。それまでここでダラダラしてるさ」


 ぱくり、と俺が持ってきたホットケーキにぱくつきながら切畑屋は答える。


「お前なあ……」

「だーって田中っちの数学の宿題、毎回量が多くてめんどくさいんだもーん」


 俺が呆れた視線を送ってやると、唇を尖らせる。少しは自分でやるということを覚えたらどうなんだ。

 俺がそんなことを考えていると切畑屋はおもむろにニヤついて、


「ところでー枝穂ー?」

「なに? キリちゃん」


 くいくい、と手招きされ、枝穂が近づいて耳を貸す。


「二年生に……ったけど、この……との仲はちょ……は進展したん?」

「ちょっ、キリちゃんてば!」


 慌てて身体を離す枝穂。


「おい何を吹き込んだんだよ。また余計な入れ知恵するなよ。おい、枝穂?」


 なんか顔が赤くなってるし。大丈夫か?


「ひゃあっ! な、なんだ実か……ビックリさせないでよ……」

「ビックリもなにも普通に話しかけただけなんだが……」


 そんな様子を見て、切畑屋はニヤニヤとこちらを見てくる。まったく、客じゃなかったらチョップのひとつでも入れてやりとところだ。


「おーいお前ら! おしゃべりもいいが仕事しろよ!!」


 と、厨房から熊の雄叫び、もといクマちゃんからの注意が飛んでくる。


「「は、はーい!」」


 ほらやっぱり怒られたじゃねえか。


「枝穂、行くぞ」

「う、うん。じゃあキリちゃん。またあとでね」

「ほいほーい。枝穂もがんばってねー、い・ろ・い・ろ・と」

「キ、キリちゃん!」

「?」


 切畑屋の言葉になぜか慌てふためく枝穂。うーん、女性同士の会話はよくわからん。


 チラリ、と店の奥に視線を移すとニニがこちらを見ている。うん、あれはヒマで拗ねてるな。一発でわかる。

 まったく、ニニの方がよっぽどわかりやすい。やはり幼女の方が素直でいいな。


 そんなことを片隅で考えながら、俺は仕事に戻った。


 ◇


「おい! 実よ!」


 天気は快晴。俺の心も晴れ晴れとして洗濯ものを干すために庭に向かおうとしっていたところを、ニニに呼び止められた。


「どうしたんだよそんな大声出して」


 振り返ればどこか頬を膨らませているような幼女。


「なんだ、腹でも減ったのか? さっき朝飯食べたばっかりだっていうのに」

「いいから来るのじゃ!」


 俺の冗談には全く反応せず俺の手を思い切りつかむと、大きな足音を立てながら引っ張ってくる。


「ちょっ……おい!」


 一体どうしたというのか。俺何か怒らせるようなことしたっけ。朝もちゃんと要求どおりおにぎり三つ出してやったというのに。

 洗濯ものを入れたカゴをひとまず床に置き、手を引かれるがまま彼女についていく。


 連れてこられたのはリビングの隣にある和室。


「なんじゃこれは!」


 そう言って彼女が指さす方向には、


「何って……ただの神棚だけど?」


 部屋の隅、天井近くに取り付けられている、小ぢんまりとした祠としめ縄のミニチュアにお札。おそらく一般的な形の神棚だ。


「これがどうかしたのか?」


 一応神様だから気になるのだろうか。別に変なところはないとは思うんだけど……。

 するとニニは肩をぷるぷると震わせて、


「なにゆえこのように埃をかぶっておるのかと聞いておるのじゃ! ぶれいにもほどがあるぞ!」


 憤然たる態度で、俺を糾弾してくる。彼女の怒りを表すように、かんざしでまとめられた銀髪や着物の裾が揺れる。


「人間はわしら神を敬う気持ちが大きいと聞いておったのに……まさか実がこれほどバチあたりな奴じゃったとはの!」

「ああ……」


 たしかに神棚はお世辞にもきれいとは言えない状態だった。埃がたまり、少し色が白んでしまっている。


 まあニニが怒るのも無理もないのかもしれない。同類をぞんざいに扱われて、いい気分はしないだろう。しかしそれなら自分の神社の心配をした方がいいのではないか。残念ながらあそこはこの神棚以上に悲惨な状況である。


 ……そんなことを言ったら余計に怒らせてしまうので言わないでおくが。

 それにしてもあの神社もそろそろどこかが整備とかしないのだろうか。自治体とかがやったりしないのかな……。


「なんじゃ実! 聞いておるのか!?」

「悪かったって。普段の掃除はここまで行き届いてなかったんだよ」


 なにせここは普通の一軒家。掃除などの家事を含めて、俺一人が生活するには広すぎるのだ。それに正直神棚の存在を失念していた。というか今どき神棚のある家というのも珍しいのではないか。


「ふん! 言い訳しおって……」

「わかったわかった、洗濯ものを干し終わったら掃除するから……」

「まあここには神は宿ってはおらぬようじゃから、許してやるとしよう……じゃが! わしら神をぼうとくした罪は重いぞ! 実には償ってもらわんとな!」

「一体俺にどうしろっていうんだよ……」


 ふんぞり返る神様幼女に訊ねると、


「今この家におる神……つまりわしにおそなえものをするのじゃ! 例えばおにぎりとかじゃな!」

「お前もしかして本当に朝飯食べたりなかっただけか……?」


 コイツの満腹のためのダシに神棚を使うなんて……どっちがバチあたりなんだか……。


 おにぎりに入れるおかず、何か残ってたかなあ。

 冷蔵庫の中を思い浮かべながら、俺は肩をすくめる。


 が、嫌々ながらもちゃんとおにぎりを作ってやろうとしていることに、俺は気づかなかった。


 ◇


 ずるるるるるるるるー。


 週明けの昼休み。俺は塩ラーメンをすすっていた。


「珍しいな。枝穂が昼飯誘ってくるなんて。それも学食でなんて」

「えへへ……今日はお弁当持ってくるの忘れちゃって」


 恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、枝穂は定食の焼き魚をつつく。

 ウチの学食は高校にしてはクオリティが高く、生徒だけでなく教師からの人気も熱い。毎日昼休みには行列ができ、空席がなくなるほど埋め尽くされる。


「今日もあったかいねー」

「そうだなー」


 窓際の席に座る俺たちに、春のやわらかな日差しが降り注ぐ。この陽気じゃ午後の授業は夢の中へと誘われていきそうだな。


「……」


 しかし、コイツがいるとなるとおちおち寝てもいられないだろう。

 そう思って俺は窓の外、壁を挟んだ外側に視線を送る。そこには、無言で俺が購買で買ってやったおにぎりをほおばるニニの姿。

 普段なら大体ひとりで昼食をとっているため、コイツと一緒でもさして問題はなかったのだが、今日はたまたま枝穂が同席している。この神様幼女としては未だに顔をあまり合わせたくないようで、こうしてお互いを視界に入れずに済むようにしているらしい。


 といっても、枝穂からはニニの姿は見えないんだしそこまで気にしなくてもいいのではないのだろうか。


「ねえ、実はいつも学食だよね?」

「そうだな。ちょっとお金はかかるかもしれないけど、その方が楽だし」


 それに、俺が自分で弁当を作るよりもよっぽど身体にいい食事ができるだろう。学食のメニューだってそれなりに健康を考えられたものになっているし。


「じゃあ、夜はどうしてるの? ずっと前に聞いた時はスーパーのお惣菜って言ってたけど……」

「うーん、結局変わってないな。俺がやるといったらせいぜいご飯を炊くことぐらいだよ」


 加えて今は家で幼女の世話をしないといけない。といってもおにぎりを与えるくらいしかしてないけど。


「ふ、ふーん……そうなんだ……」

「枝穂、なんでお前ちょっとうれしそうなんだよ」


 なんか口角上がってなかったか?


「え!? そ、そんなことないよ? ただ、がんばらないとなあって思って」

「なんでそこでお前ががんばる話が出てくるんだよ……」


 一体なにをがんばるんだよ。


「と、ところでおじさんはいつ帰ってくるの?」

「父さんなあ……どうだろう」


 最近忙しいのかあんまり連絡も寄越してこない。行き先もヨーロッパとしか聞いてなかったから今頃どこにいるのやら。


「ま、父さんが帰ってきたところで俺の晩飯が豪華になるわけでもないけどな。父さんも家事はからきしダメだし」

「そ、そっか……」


 それに、いきなり帰ってこられても今我が家にはニニがいるのだ。いくら父さんには見えないだろうといっても何かしら問題が発生するのは目に見えている。

 さしあたって俺がなんとかしないといけないのはそこでおにぎりをムシャムシャしている幼女の今後なのだが……。力を取り戻さないといけないとか言ってたけど、何をどうすればいいのか未ださっぱりわからん。


 でもまあ持つ情報は多い方がいいか。


「そういえば枝穂」

「なに?」


 そう思って俺は眼前でご飯をもぐもぐしている幼なじみに、


「お前、初詣のとき神社でなんてお願いしたんだ?」

「ふ、ふぇっ? っっつ! ごほごほっ!」

「おい、大丈夫か?」

「~~~~~~っ!」


 のどに詰まらせたようで、大きくむせる枝穂。


「とりあえず水飲んで、落ち着け」


 彼女のうしろに回って、ゆっくりと背中をさすってやる。


 そんなに驚くようなことを聞いたつもりはないんだけど……。


「こほこほっ……ありがとう、実。もう大丈夫だから」

「まったく、気をつけろよ?」

「ごめん、ちょっとびっくりしちゃってさ」


 はにかむ枝穂。のどが詰まって息苦しかったせいか、その顔は紅潮して耳まで赤くなっている。


「で、あの時どんなお願いしたんだ?」

「もー言ったでしょ? 実が言わないならヒミツだって」

「んなこと言われてもな……」


 俺、お参りの時にどんなこと考えてたか覚えてないし。


「でも実、どうして今になってそんなこと聞いてきたの?」

「いや、まあその……なんとなくだ、なんとなく」


 さすがに家にやってきた神様の幼女をどうにかするため、とは言えまい。


「ふう……」


 どんぶりに残ったスープを飲み、一呼吸置く。有力な情報はなし……か。よく考えれば今さら枝穂が何を願ったのかを知ってもニニが神社に戻ることにつながらなさそうだ。


「あれ? そういえば実、さっき購買で買ったおにぎりはどうしたの? お昼ご飯にしないの?」

「えっ? あっ、ああ。あれはだな」


 しまった、枝穂に買うところを見られてしまっていたのか。


「あれは?」

「最近成長期だからかな、腹が減るようになってきて……つまりあれだ、おやつってやつだ」


 おやつにおにぎりってなんだよ、と心の中でセルフツッコミを入れるも枝穂は納得がいったようで、


「ふふっ、おやつって、実よく食べるね」

「お前こそ『はなむら』でけっこう食べてるじゃねえか。切畑屋に「あ~ん」とかしてもらって。太っても知らないぞ?」

「そっ、そんなに食べてないもん! たまにだから!」

「はいはい、おやつのもらいすぎには注意な」

「うー……」


 まあ仕事中である枝穂にあげる切畑屋が悪いんだが。今度見かけたらチョップのひとつでもかましてやろう。


「……ふふっ」

「? どうした? 急に笑って」


 見れば、枝穂は口元に手を当てて小さく笑う。


「いや、幸せだなあと思って」

「幸せ? 俺と飯食うのがか?」

「うん。平凡かもしれないけど、実と一緒だし」

「お前なあ……」


 なんと安上がりな幸せだ、と呆れつつ、俺もこんな平凡で充分なのかもしれないと感じていた。繰り返す日常、近くには親しき人間。それでいい。


 そう思っていたところで、壁の向こうから非日常な存在が壁をたたく音が聞こえてきた気がしたが、ひとまず放っておくことにした。

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