第5話

 世の紳士諸君に問いたい。


 幼女との共同生活というものは、一体どういったものだろうか。


 といっても、そもそも幼女と二人で暮らす高校生くらいの男などいないか。もしいたらロリコンのレッテルを貼られて一躍連日のテレビに映りまくる有名人になっているに違いない。いるとしても画面を指さして一緒に暮らしているだの俺の嫁だのとのたまう悲しい変態だけだ。


 ともあれ、小さな女の子に対してどう接するのがよいのだろうか。やはり、三時には甘いおやつを与えて夜には眠るまで布団の傍で本を読んであげたりするのがセオリーか。

 いや、幼女といえど今俺と暮らしているのは神様なのだから……例えばお祈りとかを捧げた方がいいのか。それとも、お供え物的な何かを用意するべきなのだろうか。……まあお供えもおやつも似たようなものか。


「……まあいいか。今日でさえあの食欲だったんだ。お供え物なんて追加したらウチの家計がとんでもないことになる」


 さっきの晩飯の食べっぷりもなかなかだった。とても幼女のそれとは思えない。実際幼女ではなく神様なのだけど。

 なんにせよこれ以上食費をかけるわけにはいかない。あまり家に帰らなくても生活費を入れてくれる父さんにも申し訳ない。


「ふう……」


 俺は虚空へ向かってゆっくりと息を吐き出す。


「隙あらば食い物……おにぎりを要求してくるからな、あの腹ペコ神様は」


 あれじゃあ神様の威厳もあったものじゃない。見た目通り、ただの幼女である。


 というかデザートにおにぎりくれってなんなんだよ。お前さっき山ほど食べたばっかりじゃねえか。

 なんだか子育てに四苦八苦する親にでもなった気分だ。幼き我が子に振り回される親とは、こんな感じなんだろうか。


 しかし、今はそんな手を煩わす存在はいない。


 なぜなら。


「やっぱり一人で入る風呂は落ち着くよなあ」


 晩飯を食べたあと、神様幼女――ニニが「これからしばらくわしの家となる場所じゃ! 色々とけんぶんさせてもらう!」とかなんとか言って俺の部屋を物色し始めたので(もちろんニニ――他人に見られてマズいようなものは置いてない)俺は先に風呂に入ることにしたのだ。


 しかし、力がないために俺から離れられないと言っていたが、こうして家の中で別々に行動するくらいなら別段問題はないようだ。どのあたりが限界なのか、どうもその辺が曖昧である。まあいい、せっかく風呂に入ってるんだ。小難しいことを考えるのはやめよう。

 ふわふわと、湯気が浴室いっぱいに漂う。湯船の溜まったお湯が疲れた身体と心をほぐしていく。


「ふはあーっ」


 肩まで浸かり、湯船の中で心ゆくまで身体を伸ばす。うーん、気持ちいい。


 ニニと出会ってもうすぐ一日が経とうとしている。近くにいるとやかましいことこの上ないが別にアイツがいるのが迷惑だ、とかそこまで思いはしない。が、やっぱり一人の時間というものは必要だ。風呂は一人でゆっくり入るに限る。是、人生の休息なり。


「それにしても、本当元気なやつだよなあ」


 好奇心旺盛なのかどうかは知らないが、本当に元気だ。枝穂が近くにいたときは借りてきた猫みたいに大人しくしてたけど。それ以外はまさに年相応のちっちゃな女の子だ。


「おぬしよ、そこにおるのか?」

「そうそうこんな感じで話しかけてきて……って、え?」


 温かいお湯でほぐれた身体が一瞬にして硬直した気がした。幻聴だと思いたかった、気のせいだと思いたかった。が、扉を挟んで向こう側、脱衣所からは快活な声。


「お前っ……どうしてここに」

「やはりそこにおったか……。気が付いたらおぬしがおらんからわしが直々にさがしにきてやったのじゃ!」

「ああ……」


 そうだ。コイツは俺がいないからって大人しくしてるようなやつじゃないよな。まだ会ったばかりだが、それくらいはわかる。なにせ子どもだし。幼女だし。まあ放っておいた俺にも非があるのかもしれない。


「そ、それに……いきなりいなくなりおったら……びっくりするではないか……」

「……悪かったよ」


 もしかして、単にひとりになってさみしかっただけか?


「そんなことより、おぬし!」

「なんだよ」

「知っておるぞ。この部屋は『ふろば』とか言って禊みそぎを行う場所なのじゃろう?」

「禊って……半分は正解だな……」


 禊ってたしか水で身体を清めることじゃなかったか。


 すると扉の向こうのニニは声を一層大きくして、


「それはあまりに非道ではないか! 神であるこのわしを差し置いておぬしひとりで禊に興じるなど!」


 扉の擦りガラスには腰に手を当ててふんぞり返っているシルエットが浮かび上がっている。それだけで彼女がご立腹であることがよくわかる。


「だいたいそういうものは順番をわしにゆずらんか!」

「悪かったって。でも今日は勘弁してくれ」


 既に俺は入っちゃってるわけだし。すっかり風呂を堪能しきっている。


「まあよい、次からは気をつけよ。今回は許してやろう」


 どうやら彼女の怒りは収まったようだ。安心安心。


 と油断していたのが仇となったか、


「今からわしも入る!」

「……はあっ!?」


 思わず目を瞬いて再び扉の方へ首を回す。ちょっと待てコイツ何を言ってるんだ。


「お、おいおい! お前の主張はわかった。だから俺が出るからそれまで待てって」

「待てぬな。今のわしの気分は一刻も早く禊を行いたい気分なのじゃ」


 そんな言葉とともに、脱衣所からはバサバサと服を脱ぎ散らかすような音が聞こえてくる。


「おい――」


 ガチャリ。


「おお! これが『ふろば』か!」


 時すでに遅し。ニニは意気揚々と風呂場へと飛び込んできた。


 同時に俺の目に飛び込んできたのは、光り輝く銀色の髪。まるで、湯気に反射した光を全て吸い込んでいるかのように。そしていつも結んであるかんざしはほどかれ、サラサラと自由に漂っている。


 きれいだな……。

 小学生並の感想かもしれないが、率直にそう思った。眩い光からも彼女が人ではない「なにか」であることを改めて実感させられる。


 そして、次に目に入ったのは、まな板だった。


 ……おかしいな。ここは風呂場なのに、どうしてまな板があるんだ? それも肌色で、なんの凹凸もないつるつるのまな板が。


「むむ、この部屋はなにやらあったかいのう。それにもやもやしておる。どうしてじゃ?」

「それはここが風呂場だからだよ」


 大はしゃぎで聞いてくるニニをなるべく見ないよう、壁の方を向いて俺は答えてやる。

 なんで俺がコイツに気を遣って目線を逸らせてやっているんだろう。勝手に入ってきたのはニニの方なのに……。でもまあ、あんまりまじまじと見ちゃまずいよなあ、なんとなく。


 嗚呼、さらば俺の一人の楽園……。


「禊を行う場所なのじゃろう? どうしてじゃ?」

「禊っていうか、風呂だからな。……まあ入ってみればわかるよ」


 まるで風呂っていうものを知らないみたいな言い方だな。


「どれ……」


 ちゃぷ、ちゃぷ。恐る恐る湯船に指をつけたりしているのだろう。初めて見たものを調べる子猫みたいに。見てないからあくまで俺の想像だけど。


「おお、温かい……」


 そんな小さな感嘆の声が聞こえたかと思うと、


 ぶあっしゃああああああああああああああああああん!!


「ぶあっ!」


 大量のお湯が突如として俺の頭、鼻、耳を襲った。


「お前……飛び込むんじゃねえ!」

「ぷはっ……仕方ないじゃろう。こんな素晴らしいものを見せられて、飛び込まずにはいられるものか」


 お湯から顔を上げたニニは心底うれしそうにそう告げてきた。


「ったく……」


 やっぱりコイツは子どもだ。神様なんかじゃない、絶対。

 さっさと上がろう。そう思って湯船から出ようとすると、


「なにをしておるのじゃ。せっかくじゃ、ともに入ろうではないか」


 なんて言ってきやがった。


「ニニ、お前な……」

「わしは別におぬしを追い出しとうて入ったわけではない。こんなに心地よいものをおぬしから取り上げるなど、わしは神であって鬼ではないのじゃ」


 神様ならちょっと待てという俺の言葉をまず聞いてくれよ、とも思ったが、コイツのせいで俺の大事な風呂の時間が削られるのが癪なのはたしかだ。ここで譲れば、俺の家主としての今後の威厳にも関わる。


 あくまで力関係は俺の方が上である、俺が大人であるということをコイツに示しておかないと。


「ふっ、お前がそう言うなら、そうしてやろう」


 あくまで冷静に、余裕をもって、それでいて寛大な様子を全面に押し出して、俺は湯船へと戻る。なに、たかが風呂場に幼女が乱入してきただけだ。うろたえてどうする。銭湯に行けばこういうことだってあるだろうし。


「それにしても、こんなに素晴らしいものがあったとはのう……。人間が作り出すものでもたまにはいい

ものがあるのじゃな……」

「お前、今まで風呂を知らなかったのか?」

「うむ。わしの家……あの神社には風呂などなかったからの」

「てことは、今日が初めての風呂……?」

「もちろんじゃとも」

「……」


 それってまさか垢まみれ……とかじゃないよな?


「安心せい。わしら神は人間のように汚よごれたりせんからの。本来風呂も禊も必要ないのじゃ」

「そ、そうなのか」


 よかった。一瞬垢だらけになる湯船を想像してしまった。恐ろしい……。


「まあしかし、それも力がなければどうなるか……」


 語尾をもごもごさせながら、ニニは顔半分を湯につけてブクブクさせる。


「力、ね……」


 神である証、だとか言ってたけど、身体の清潔を保つためにも必要なのか。便利なんだかそうでないんだか。


「早く、取り戻さねばな……」

「だよな……」


 いつまでも俺の家に居候、というわけにもいかないだろう。コイツ自身もそれを望んではいないはずだ。俺もニニが元の神社へと帰れる方法を探してやるべきなんだろう。


 といっても、何をすればいいのかさっぱりなわけだが。


「ま、せっかくの風呂なんだ。今はそういうことは忘れてゆっくりしろよ」

「そうじゃの。おぬしにしては中々いいことを言うではないか」

「だろ?」


 どちらかともなく笑いあう。まあ褒められて悪い気はしないな。それも相手が神様なんだ。こんな経験なかなかないぞ。


 それから更に数分湯船にゆっくり浸かってから、


「じゃあ俺は先に上がるわ」


 言って、立ち上がる。これ以上入っていてものぼせそうだし。


「む? ……ところでおぬしよ」

「なんだ?」


 俺が聞き返すと、ニニは立ち上がった俺の身体をじっと見つめて、


「おぬしの足の付け根についておるのはなんじゃ? わしにはついておらんのじゃが……」

「ぬおわっ!」


 コイツなに見てんだ!

 思わず俺は前を隠す。


「お前は大人しく風呂入ってろ!」

「言われなくとも入っておるわ! で、あれはなんなのじゃ?」

「いいから。子どもにはまだ早い」

「わしは神じゃぞ!? 子どもではないといっておろう!」

「な、なんでもいいだろ! じゃあな!」


 しつこく訊ねてくるニニを振り切り、俺は足早に浴室から出る。

 こんなことを無邪気に聞いてくるなんて……。


 やっぱ神様じゃねえ、ただのガキだ。

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