第17話 テレホンカード

 教授を見送ると、巴流はふぅっと溜息をついた。

「可鈴にあげた、子犬のテレカを覚えてる?」

彼は昔のように私の名前を呼んだ。

「シベリアンハスキーの? まだ持っているわ」

緑の手袋と一緒に貴婦人のクッキー缶に入れてある。子犬は白とグレーの二色の毛並みで、丸っこくてぬいぐるみのようだった。

「あれは捨て犬のチビの写真を、テレカにしてもらった1枚なんだ。アパートはペット禁止だったから、神社の裏でこっそり飼っていた」

「チビくんかぁ」


「あの日……緑の星を見た夜、俺は過去に戻れたけれど、あっちでも半月が経過していたんだ。母さんは俺を見るなり、『家出なんかして、この不良息子が』って塩を撒いたよ」

「ふふ」

私は巴流の母親を想像した。きっと彼のように背が高く、優しい目をしていたに違いない。

「その間にチビはいなくなっていた。餌が無かったせいで段ボールから出たんだろう。方々捜したけれど行方はわからなかった」

巴流は少し目を赤くして話した。


「半月離れただけでも、今生こんじょうの別れになることだってある。二十年後、可鈴とご両親が災害や事故で他界している可能性だってゼロじゃない。俺はやっと君に会えたのに、未来へは行けないよ。ここに帰ってこられる確証もない」

巴流は立ち上がると真っ直ぐ手を伸ばし、私の頬に触れた。指先から彼の孤独が伝わってくる。

「あのね、気づいた事があるの」

巴流の指に手を重ねる。

「私17歳の巴流が好きだったけれど、今はおじさんの巴流の方がずっと好きになってしまったの。だから私達、このまま付き合わない?」


 夕日が山に沈み始めて、室内が薄暗くなってゆく。どくん、どくんと心臓が鳴る。あと半歩距離を縮めたら、彼にも聞こえてしいまいそうだ。 

「いつか、君を守れなくなるかも」

「平気。可鈴って名の由来は神楽鈴だから、邪気が逃げていくの。だから、ずっと生きて巴流につきまとうわ」


 突出し窓から涼風が吹き込んでくる。巴流の頬を光るものが流れ落ち、私はそれを親指で拭う。

「笑い皺が増えても?」

「もちろん。出てこない芸能人の名前は教えてあげるし、痛い腰は揉んであげるし、り、料理は薄味にして、ボーナスで、ろ、老眼鏡と……ポリデントも買ってあげるっ」

目の前が涙でぼやけてよく見えない。

「全く君は……あとで後悔しても知らないよ」

巴流は耳元で囁くと、思いっきり私を抱き締めた。



 プレハブ小屋にゆっくりとした時間が流れる。胸に顔をうずめると、体温と鼓動が伝わってくる。汗の匂いがして、ずっと前にあの高架下でバスケした冬の日が蘇る。

「そうだ、ドラッグストアで『宇宙コスモの香り』っていう柔軟剤を見つけたの、巴流にぴったりだと思うわ」

胸の風穴が徐々に塞がってゆく。

「秋桜じゃなくて?」

「宇宙なの。どんな香りか気になるでしょう? 使ってみて。きっとくたびれた服もふんわりするわ」

巴流は「Will do.」と言って、私の唇に唇を重ねた。


「もう飛ぼうなんて思うなよ?」

「でも、もしも可能なら一緒に時間旅行がしてみたいわ。それは科学者の娘の特権でしょう?」







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