第10話 人工衛星
数日が経ち、私は以前のようにサークルに出席するようになった。メンバーのうち3割は新しい顔ぶれであったが、天体ヲタク達と打ち解けるのに大した時間はかからなかった。
定例会の帰りの坂道、私は自転車を押しながら、豚の映画をレンタルして覚えた歌を口ずさんだ。物語の中でヒロインは、男を待ちながら店のステージに立つ。
「その歌……」
声がして振り向くと、常磐さんがいた。小さな街灯で周囲は暗かったが、スラックスの裾のダブつきからすぐに彼だと分かった。
「ご存じですか? 良い歌でしょう」
「ええ、学生の頃に映画館で」
彼は遠い目をした。雲の間から疎らに星が見える。
「そうだ、常磐さんは空に詳しいんですよね? 実は私、不思議な星を見たんです」
「どのような?」
「横に数珠繋ぎにならんで移動する星です。まるで、夜空を走る列車の窓明かりを見ているようでした。ものすごく珍しい流れ星かもしれないから、願い事もしたんですよ。あれは何だったのかなぁ」
常盤さんは隣に来ると私の代わりにハンドルを持ち、自転車を引き始めた。カタカタという車輪の音に少し緊張しながら田舎道を歩く。
「それはね、可鈴さん。衛星です」
「えっ?」
「ある企業が打ち上げた衛星です。一度に数十基打ち上げたから、数日間は並んで見えたんです」
「そう……でしたか」
少し恥ずかしくなる。今朝のニュースでは取り上げられていなかったが、新聞には載っていたのだろうか。
「どんな願い事をしたのですか?」
「それは……タイムスリップ出来ますようにって」
「やめたほうがいい」
常盤さんは急に真顔になったかと思うと、口角を片方だけ上げて苦笑した。
「どうして?」
「これは僕の友人の話ですが、その女性は未来へ時間旅行して、ある青年を好きになった。やがて彼女は過去へ戻ったが、青年の事が忘れられず、結婚もせず、時間移動について終わりのない研究をする事になった。つまりは人生を左右してしまうデメリットがあるんです」
自宅の前まで来ると彼は、「おやすみなさい」と言って踵を返した。
「待ってください。その人がどうやって飛んだのか、常磐さんはご存知ですか?」
私にとってデメリットなんてどうでもいい。
「ええ、緑色の星を見たそうです」
私は帰宅せず、父の実験場にあるプレハブを訪れた。手探りで壁のスイッチを押すと、室内には計測器のようなものが並んでいて、配線が絡まるように交差している。
「可鈴、深夜に何をしている?」
振り向くと温和な父が眉間に皺を寄せている。
「父さんの私的な研究ってどんなものかなぁと思って」
「私的?」
「常盤さんに聞いたの。時間移動について調べているんでしょう?」
「可鈴、タイムスリップしたいのか?」
「ううん。ただ、興味が湧いて……」
父はため息をつくと、机の上のディスクを片付けながら言った。
「まだ何もわかっちゃいないんだよ。ニシモトハルという人物が三人、緑の星を見て飛んだという事以外はね」
「三人……それって常盤さんのご友人の? やっぱり父さんと巴流以外にも飛んだ人がいるのね」
「ああ、彼女の名は
名前……それなら、
「細胞の一時的な変異ではないかと思う」
父は言った。
「突然変異ってこと?」
「狼男は満月を見て狼になるだろう? 大きく分類すれば、そういった何かだ。緑の星を見ると体内で変異が生じて時間移動が起きる。最も仮説に過ぎないし、狼男も実在しないがね」
父親の説明で分かったことは、まだ何も分からないという事だけだった。
最後に彼は、「研究を続けるのは私が科学者で、飛んだ者に課せられた使命だからだ。君はタイムスリップのことは忘れなさい」と言った。
私は自転車にまたがると、空を見た。いつの間にか月が出ていて、そのすぐ右下を飛行機のシルエットが横切っていた。
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