第7話 馴染みとの再会
幾度かの冬が過ぎ私は大学の4年生になった。
あれからあまり星を見上げなくなった。もう長いこと天文サークルにも顔を出していない。ごくありふれた女子大生のように、アルバイトして好きな洋服を買い、流行りのカフェで読書し、たまにボランティアに参加したりして、それなりに充実した日々を過ごしている。
父は色々と調べてくれた。17歳の西本巴流は確かに1993年に存在したが、海外へ引っ越す際に、一家で船の事故に会い、亡くなった記録があったそうだ。
それを聞かされた時、また父を恨んだ。父にしてみれば、いつまでも巴流の幻影を追っている娘への優しさだったのだろうが、それは誤解だ。そもそも私の理想は館長みたいな渋いおじ様で、夜空を見なくなったのも彼氏が出来ないのも、巴流のせいではない。彼は親友だった。少なくとも私はずっとそう思っている。ただ、元の世界に戻って幸せに生きていると思いたかった。
「よう可鈴!」
振り向くと懐かしい晃の顔があった。天文サークルに行かなくても狭い田舎、馴染みには出会うものだ。
晃はバイト先の賄い飯のせいで、ぽてっと腹が出ていた。冬が来るというのに、素足でサンダルをはいていて、間違って髷でも結ったら力士の親方ような貫禄である。
「晃は今でもサークルに?」
「まあな。来月ジュニア天文サークルが出来るもんだから、事前準備で忙しいんだ。一応アシスタントでさ」
彼は得意気に言った。そう言えば広報でジュニアサークルの会員募集の記事を読んだ。
「へぇ、館長の補佐役かぁ」
「館長はスケジュール的に無理だから、
「ううん、知らない。サークルの人?」
5年近くになる。新しいメンバーも増えているのだろう。
「うん。最近越してきたんだ。海外の天文台で働いていたから、南半球の空に詳しいんだぜ」
「ふうん。そんな人がどうしてこの田舎に?」
「お前の父さんと共同研究するって言ってたぞ。本当に知らないのか?」
「うん」
実験場まで来るような研究者や学生は、たいてい花枝の手料理を食べていくが、そんな人は知らない。
「そっか。良かったら、またサークルに来いよ。新しい仲間も紹介したいし」
「うん……今度ね」
私は晃のお腹をボヨンと叩いて、ふざけて手を振って別れた。
自宅の門の前で、久しぶりに空を見上げた。茜色に染まった西の空に、もうすぐ一番星が姿を現す。何万キロも先の光が届くこの瞬間が、今でも私は好きなようである。
「あら可鈴。お母さんちょっと婦人会だから」
玄関から風呂敷包みを下げた花枝が歩いてくる。彼女の言う婦人会とは、井戸端会議であり、ちょっとと言えば2時間程度が常である。
「はいはい、その包みは?」
「お饅頭よ。可鈴の分はテーブルの上にあるわ」
花枝はウィンクするとつっかけの音を立てながら、小走りで角を曲がった。
玄関への曲線のアプローチを進むと、今度は背後から声がして、振り向くと知らない男が立っている。
「あの、海野教授はご在宅ですか?」
「いえ、まだですが……」
その人は40代くらいに見える。目にかかるくらい長い前髪に、眼鏡をかけていて、もじゃもじゃの口髭と顎髭を生やしている。くたびれた背広を着ていて、何となく近寄りがたい雰囲気である。
「常磐と申しますが、何時頃お帰りでしょう?」
先程晃から聞いた、父の研究仲間のようである。
「さあ。携帯に連絡してみましょうか?」
「いえ。では、これを渡してもらえますか?」
そう言って彼は百貨店の紙袋を差し出した。ちらりと見える中身は菓子折りではなく、書類のようだ。
「これは?」
「例の資料と言ってもらえば、分かると思います」
紙袋を受け取ると、男は深々と頭を下げて帰って行った。
「何が入っているのかしら?」
資料とやらが妙に気になった。父の専門は天文ではないけれど、晃の話から、じきに帰還するはやぶさ2の写真でも見られたらと軽い気持ちで中身をのぞいた。
「え……」
そこには分厚い冊子にまぎれて、記憶の片隅に仕舞った緑色の手袋が入っていた。
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