第6話 巴流の痕跡

「やはりすぐにね。緑の星は3秒ほどで消えた。巴流くんは元の時代に戻れたと思うよ」

父は興奮気味に話した。

「うっ……」

嗚咽を漏らすと父はようやく私の異変に気づいてこちらを見た。巴流が目の前で消えてしまった、それは私にとって、想像していたよりも衝撃だった。

「可鈴、大丈夫か?」

過呼吸のように息が乱れて、苦しかった。父は慌てて

「ゆっくり、息を吐くんだ。しゃがんで、前屈みになりなさい」

と背中を擦ったが、私はただ泣きじゃくっていた。


 どうして涙が止まらないのか、自分でも分からなかった。

 ようやく落ち着いた時、もう胸が締め付けられる感じは消えていたけれど、代わりにぽっかりと穴が空いたような虚しさがやって来て、それが消えることは無かった。


 巴流が元の世界へ帰った事を知り、母は息子の事のように喜んで、「向こうもバレンタインかしら? ポケベルの彼女と上手くいくと良いわね」と言った。

 彼女は彼の痕跡のうち、歯ブラシなどの日用品をあっさりと捨ててしまい、衣類はリサイクルショップに売ってしまった。

 手元に残ったものは、ブカブカの緑色の手袋が片方と、ノートの丸文字と、彼の財布に入っていたのをおねだりしたシベリアンハスキーのテレホンカードだけだった。


 学習机に座り、こっそりラッピングしておいた袋を右下の引出しから取り出す。巴流のお陰で数学のテストは赤点を免れたし、リバウンドからの初シュートも決められた。

「お礼も言えないじゃん」

リボンをほどくと、中には月のクレーターの写真と、1つだけうまく焼けた土星型のクッキーが入っている。あの夜帰宅したら洒落であげるつもりだった。

「巴流のばか……」

土星はココアパウダーを入れすぎたのか、苦くてしょっぱい味がした。



「巴流くんだけが戻って、僕は再び飛ばなかった。ということは、大人になると資格が無くなるのか、回数が1回と決まっているのか……」

 あれ以来父は毎晩考えている。あの時、私は緑の星を確認出来なかった。その後も毎晩同時刻に空を見上げているが、星は見えない。

「ひとつ思い付いた事があるんだ。名前だよ」

「名前?」

 花枝はポトスに水を指しながら微笑んだ。彼女は考え事している父が好きだ。彼が考えているときは、いつも期待の眼差しで見守っている。

「うん。僕は君と結婚する前は、西 元晴にしもとはるだったろう?」

「ええ。あなたはうちにお婿さんに来て、海野 元晴うみのもとはるになったわ」

 私の名字は海野という。母が跡取りだったので、父が婿養子に来たそうだ。

「巴流くんの名字は西本なんだ。僕と彼の名は音が一緒なんだよ」

「元晴さん、すごいわ! ……つまり、大発見ね!」

花枝は手を叩いて喜んだ。


「うるさい! うるさいな」

 私はイライラして、家を飛び出した。名前が一緒だと何だって言うんだ。それで巴流にまた会えるのか? 科学者が聞いて呆れるよ。

「う……」

枯れたはずの涙がまた出た。


 そのまま灯りの乏しい農道を、ずっと南へ歩いた。上着を持たずに来たから、体が凍えるように寒かった。歩き疲れて空を仰いだけれど、雲があるのか星は見えなかった。

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