第2話 ポケットベル

 ロビーを出ると、駐車場に父親のミニが停まっている。

「ここで待っていて」

私はその男子を建物の玄関に残して、車へ走った。

「どうしたんだ、可鈴。狐につままれたみたいな顔をしているぞ」

父親は窓から顔を出して口髭をなぞる。

「あの人が、父さんと同じ話を……」

「どんな話かね?」

「ほら、小さい頃よく話してくれた、緑の星の……」

「何だって?」

「いいから、彼と話してきてよ!」

私は運転席のドアを開けると、強引に父の手を引っ張って背中を押し、車に乗り込んでリヤガラスから建物の玄関の様子を伺った。


 父は風変わりな人間で、いつも何かを研究している。広い実験場を作る為に、母方の田舎に引っ越して来たのだという。一応は大学の教授なので車で通勤しているが、アイスブルーのミニで堤防をぶっとばす為、鼠取り対策の変テコな装置をダッシュボードに取付ている。

 その父親から幾度となく聞かされた自慢話がある。

『父さんは子供の頃に未来に行ったことがあるんだ。緑に輝く星を見ていたら、目の前が真っ暗になってタイムスリップしたんだよ』

もちろん信じなかったし、母さんはその話の回数を数えていて「もう31回聞きましたよ」とげんなりしていた。

 ところが彼の話は、まるで父の話そのものだった。1993年の冬、図書館の屋上で夜空を眺めていたら緑の星が現れ、真っ暗闇になったのだという。視界が戻ると目の前に半球体のドームが現れ、2015年に来ていたのだと彼は興奮気味に話した。


 二人は10分程立ち話したあと、連れ立って戻ってきた。私は右半身を強張らせて、狭い座席の端に寄った。

「彼は西本巴流にしもとはる君だ。もう遅いし、とりあえずうちに来てもらうことにしたよ」

父は鼻歌を歌いながら、ルームミラー越しに幾つかの質問をし、西本巴流は落ち着いた様子で答えた。それで分かった事は彼が同じ高校2年生で、バスケ部に所属している事、足のサイズは27センチで、納豆好きという事だった。父さん、もっと他に聞くべき事があるんじゃないかな。

 帰宅後も二人は書斎で何か話していた。母はお茶と和菓子を運んだあと和室に布団を敷き、結局その夜、彼は我が家に泊まった。



 翌朝、父親の提案で西本巴流の自宅を訪ねた。アパートメントはさほど遠くなかったが、部屋にはフィリピン人が住んでいて、「ゴメンネ、ワカラナイ」とカタコトの日本語で話した。

 落胆する彼が気の毒に思えて、クッキーを焼いた。ちょうどバレンタインの練習の為に、材料を購入していた。

「それ、彼氏にあげるのか?」

生地を伸ばしていると、興味津々にのぞき込んで来る。接してみると西本巴流は気さくで、ごく普通の高校生だった。

「天文台の館長にあげるの。素敵なおじ様だよ」

「げっ。オヤジが好きなのか……」

「うん、若者は範疇外だからね」

「良かった。俺、意外とモテるんだよね。惚れられたら帰る時マズイからな」

確かに西本巴流は女子が騒ぎそうな外見だった。背が高く、スポーツ刈りの揉み上げを伸ばしていて、目は切れ長で鼻筋が通っている。

「君なんか館長の渋みに比べたらヒヨッコだよ」

無事帰れるのかしらという言葉は飲み込んだ。彼は俯いて少しだけ笑った。


「君、彼女は?」

捏ねた生地はちょうど良い弾力で、私は抜き型でハートを増やしながら尋ねた。

「OKならポケベルに返事が来る予定だったけれど、振られたのかもな」

彼は振り回していたあの万歩計みたいな物をポケットから取り出した。

「知ってる! 数字の暗号を送るんでしょう?」 

クイズ番組で見たことがある。確か『0-15』が『ボーリング行こう』って問題だった。

「うちの電話機はダイヤル回線だから、昼休みに公衆電話に並ぶんだ。夜、電話する時刻を送る為にね」

「何で?」

「親より先に受話器を取らないとマズイだろ? 廊下は尻が冷えるから、示し合わせておくのさ」

想像してブルっと震えると、彼は今度はちゃんと笑ったように見えた。

 



















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