5号車『この新幹線があったから』

 ここは東海道新幹線のぞみ号の車内、13号車指定席の車内の着席率は自分を含めて20人程度でその内の十数人はスーツを着た人だった。そんな東海道新幹線も品川を発車、次は終点の東京である。

 品川を出て数分後に車内チャイムが鳴り、乗客たちはパソコンを片付けたり、リクライニングを起こしたりして降りる準備を始めていた。

『間も無く、終点東京です。今日も新幹線をご利用くださいましてありがとうございました』

 しかし、自分はまだリクライニングを倒して並走する山手線や京浜東北線、東海道の電車を眺めていた。

 自分の名前は諏訪 望(すわ のぞみ)京都S大学の二回生、鉄道研究会というサークルでひかりという名前で副部長をしている。趣味は乗り鉄。鉄道の車両に乗ることが好きな趣味だ。用事もないのに鉄道に乗りに行くだけの旅をすることもあり、周りの人からは、無駄遣いだとか、理解に苦しむ、とか言われることもある。鉄道を好きになったきっかけは、父親が撮り鉄でよく一緒に列車の写真を撮りに行くことがあった。それに影響されて鉄道に興味を持ったが、自分は写真を撮ることよりもそこに行くために鉄道に乗ることの方が好きになり、乗り鉄になった。写真は全く撮らないことはないがせいぜい駅でスマホを使って撮る程度である。

 そして、列車は東京駅に入線して徐々に減速していく。ピタリと停車したところでドアが開き、通路に列を作っていた乗客たちは次々と降りていく。

 自分も携帯を充電していたコンセントを抜き、隣の席に置いていたリュックの中にコードを片付け、乗客の列の最後尾に並び前の人に続いて下車した。

『ご乗車ありがとうございました。終点東京です。16番線の電車は折りかえし準備のため一旦ドアを閉めます。ご乗車はしばらくお待ちください。』

 京都から2時間弱、東京には青春18きっぷを使って鈍行を乗り継いでくることの方が多く、新幹線で来たのは久しぶりだった。こうしてみると新幹線はやはり早いと思うものだ。現在時刻は08:26待ち合わせにはまだ早いが余裕を持って行こうと思い、ホームから階段を降りて有人改札の方へ行く。

 そこで自分は改札の係員にきっぷを見せて「すいません、きっぷ持って帰りたいので、無効印をお願いします」ときっぷを差し出した。係員は「かしこまりました」と無効印を押してきっぷを返してくれた。

 普通きっぷは、自動改札機に入れて出場すると回収されてしまうが、有人改札で係員に頼むときっぷを持って帰ることが出来る。その駅によっては特別なスタンプを押してもらうこともある。

 きっぷを持って帰って収集するのも乗り鉄の楽しみの1つだ。

 そして、待ち合わせ予定の丸の内北口に着いた。時刻は08:36、待ち合わせ時間は09:00に約束していたがさすがに早く来すぎてしまった。まぁ他にすることもなく、今「着いた」とLINEを送るのも相手を焦らせて悪いと思ったので、とりあえず08:55ぐらいに一言送ることにして、携帯を操作しながら待っていた。

 08:45ぐらいに「おーい」と声をかけられた方をみると、一人の女性が近づいて来た。

 細身で背丈は普通、髪は茶髪に染められており、首には細いネックレス。パステルピンクの長いスカートにデニムジャケットを羽織った派手すぎず地味すぎない格好をしていた。

「早かったね、待たせちゃった?」

 と女性に言われた自分は、

「いや、今着いたとこだったよ」ありきたりなセリフを言った。

 彼女の名前は児玉 光莉(こだま ひかり)。

 自分がまだ一回生の時、すなわち今からちょうど1年前のある出来事がきっかけで、自分は彼女に出会った。


〜一年前〜

「えっ、来れなくなった?」

 自分は電話越しに言った。

『あぁ、わりぃ、妹が熱出しちまって、両親も今、知り合いの結婚式に行ってて明日まで帰ってこねぇんだ』

「そうか、わかった」

 と言って自分は電話を切った。

 今日は長野新幹線もとい北陸新幹線のE2系あさまのラストランの日で、それにサークル仲間のシロクニと乗る予定で、自分は一足先に彼の分のきっぷも預かって昨日から東京に来ていた。そして早朝の新幹線でシロクニも来るはずだったが事情で来れなくなってしまった。

「仕方ない一人で乗りに行くか」

 自分はホテルをチェックアウトして東京駅に向かった。

『まぁ、シロクニも来れなくなったし、きっぷキャンセルしとこう』

 と思いみどりの窓口の方に向かう。

「お願いです。今すぐ佐久平まで行きたいんです」

 と自分の前できっぷを買っている女性が係員と何やらもめていた。

「そう言われましても、次のあさま号は特別な列車で、席も全て埋まっておりまして」

 女性は今すぐ佐久平に行きたいようだ、現在時刻は10時を過ぎたところ、次に佐久平に停まる列車は東京11:04発のあさま609号長野行き、発車まではあと1時間以上ある。

 まぁ、佐久平はそれほど大きい駅ではないので1時間に一本程度しか停まらないのも当然だろう。

 しかし、このあと東京駅を10:12発、臨時のあさま851号は佐久平にも停まる。

 おそらく女性が乗りたいのはE2系で運転されるラストランのあさま851号だろう。

「じゃぁ、デッキに立ってでも行きます」

 指定席が満席なのでデッキに立って行く。通常の列車ならそれも許される。

「すいません、それもできないんですよ」

 しかし、今回の列車はそうもいかない。

 ラストランの列車はその人気故に、鉄道オタクで溢れかえってしまう可能性がある。それを阻止する為に、全車指定席にして定員を超えないようにしている。

「はい、次の方お伺いします」

 その時、別の窓口が空いて、自分の番が回ってきた。

 しかし、自分は次に並んでいる人に譲って、その女性のもとに向かった。

「あの、すいません」

「はい?」

 その女性は、窓口の係員と論争をしていたところで第三者が乱入してきたことで、混乱しかけていた。

「自分、次のあさまを一席キャンセルする予定だったので、よかったらどうぞ」

「えっ、いいんですか、すいません、本当にありがとうございます」

 さっきの焦りとは裏腹にその女性は喜びと感謝の笑顔でお礼を言ってくれた。

 女性は窓口の係員にも一言謝罪して、みどりの窓口を後にした。

 そして、自分と女性は東北・北海道・上越・北陸新幹線の改札にきっぷを通して、あさま号が入線する22番線に向かう。

『間も無く、22番線に10:12発のE2系ラストラン臨時列車のあさま851号長野行きが到着します。この電車は全車指定席です。自由席はございません。あさま851号指定席券をお持ちでないお客様はご乗車いただけません』という駅の案内放送が始まった。

 ホーム上には人が溢れかえっており、ほとんどの人が一眼レフやビデオカメラを手にもってホーム上で待機していた。

 また、駅係員が「はい、柵の上から顔やカメラを出さないでください」などと鉄道ファンたちに注意を呼びかけていた。

 この光景が見られるのもラストランならではだろう。

『22番線ご注意ください。列車が入ってまいります。撮影ならびに見学のお客様、柵から離れてのご見学をお願いします』繰り返し案内放送があり、列車が入線してくる。

 自分もスマホで入線の動画を撮影した。

「今日はお盆や年末でもないのにすごい人ですね、それにみなさん大きなカメラを持って」

「これからやって来る列車が今日で最後の運行なので、みんな列車の写真を撮りに来ているんですよ」

 列車が入線して停まるとすぐにドアが開いた。

 すでに座席は進行方向を向いており、いつでも出発できる状態で入線して来た。

 ドアが開いて一斉に乗客たち乗り込む。

『この電車は臨時列車あさま851号長野行きです。途中、上野、大宮、高崎、軽井沢、佐久平、終点長野に止まります。この電車は全車指定席です。自由席特急券ではご利用になれません。

また本日この列車は満席となっております。お手元の号車と座席をよくお確かめの上ご乗車ください』

『また、あさま851号の指定席券をお持ちでないお客様はご乗車並びに車内の見学もご遠慮ください』

 自分も女性と一緒に乗り込み、きっぷを見て座席を確認する。乗車したのは7号車だった。

「私、新幹線のグリーン車に乗ったの初めてです」

「そうですか、すいません、この席を取ってたもので」

 E2系あさま号の7号車はグリーン車だった。

「いえいえ、とんでもないです。あっ、申し遅れました。私、児玉 光莉と言います」

「自分は諏訪 望です。短い間ですがよろしくお願いします」

 と会話をしている間に、東京駅のホームから発車のベルがなる。

『お待たせしました、あさま851号長野行き、間も無く発車します。撮影されてる方は黄色い線より内側にお下がり下さい』

 ベルが鳴り終わり、ドアが閉まると列車は滑らかに加速していく。

 ホームは人がいっぱいでまともに話しをする暇もなかったが、列車が走り出すと自分と光莉は座席に座り、ようやく落ち着いた。

「本当にありがとうございます、わざわざ席を譲っていただいて」

「いえいえ、気にしないでください」

「あっ、そうだきっぷ代」

 光莉はきっぷに記載されいる価格を確認して、財布の中身を見るがかなり焦っている様子だった。

「あのすいません、お金が足りなくて」

「いいえ、これグリーン車の席で普通より高くなってるんで、普通車の分だけでいいですよ」

「いや、そういうわけにはいきません」

 と言って光莉はメモとボールペンを取り出し、何かを書き始めていた。

「あのこれ、私の連絡先です」

「は、はぁ」

「都合のいい時に連絡してください。必ず返しますので」

「はい」

 こっちが貸した10,960円のきっぷ代とはいえ、しつこくきっぷ代を請求するのは申し訳ないと思ったが、とりあえず連絡先は受け取った。

 列車は東京を出て秋葉原の横を通り過ぎると地下に入り、最初の停車駅の上野に到着。

 上野駅の新幹線ホームは日本で唯一の新幹線地下駅だ。

 外の様子を見ると撮影している人もちらほらいるが、東京駅と比べると少ない。

 定刻通り上野を発車し、しばらくすると再び地上に出る。

「なんか新幹線にしてはあまり速くないですね」

「あぁ、この東京ー大宮間は最高速度が110km/hに抑えられてるんですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「はい、騒音の関係で速度を抑えてるんですよ」

 窓の外を見ると隣にはJR埼京線が走っていた。通勤電車と速度もさほど変わらない。

 在来線と並走しているせいで、この区間はカーブも多い。

「新幹線で行くと速く行けると思ったんですけど、大宮までなら在来線と変わらないのですね」

「在来線だと31分、新幹線だと25分ですね」

 光莉さんは新幹線に乗車してもかなり焦っている様子だった。

 そんなに早く目的地に行きたい理由があるのだろうかと自分は思った。

 列車は大宮に到着。

 大宮も東京駅ほどではないがホーム上でカメラを向けている鉄道ファンが多くいた。

 定刻通りに列車は大宮を発車して上越・北陸新幹線の方面に分岐して行く。

 ここからは、さっきとは違い速度が上がって新幹線らしい走りになった。

 列車は途中駅の熊谷、本庄早稲田駅を通過する。

 そして次の停車駅、高崎に到着する。窓から外の様子を見るとこの駅で結構な人の下車があった。ラストランと言われても全員が全区間乗るとは限らない。

 ラストラン列車に乗るのと同時に、列車の発車を撮影したい人もいるということだろう。

 そして、その入れ替わりを狙ってラストラン列車に乗車してくる人もいた。

「あっ、あの」

 自分は、光莉さんがどうして急いで佐久平まで行きたいのか気になったので、聞いてみることにした。

「どうして光莉さんはそんなに急いで佐久平まで?」

「あぁ、それは、私の個人的な都合なのですが」

「はい」

「その、私の実家は長野県の佐久平でして、地元の病院に母が入院してるのです。それでさっき父から容体が急変したとの連絡が入って」

「それで急いで佐久平に向かいたかったのですか」

「はい、でもそんなことのために窓口の人まで困らせて、本当に私、バカですよね」

「そんなことないですよ」

「えぇ」

「家族のことを大切に思うことがバカなことなんてないですよ。自分はそう思いますよ」

 自分は両親祖父母共に怪我や病気を患うことなく元気で、このようなことを経験したことはなかったが、自分も同じ立場なら光莉さんのように真っ先に行動するだろうと思った。

「そう、でしょうか、でもそれもこの新幹線があったから、この新幹線のきっぷを望さんが譲ってくれたらです。本当に感謝しています」

「いえ、すごいのはこの新幹線ですよ、自分はこの新幹線に乗ってるだけのただの客ですよ」

 その頃、列車は安中榛名駅を通過して、トンネルに入る。

「ここが北陸もとい長野新幹線の最大の見所、碓氷峠ですよ」

 と自分は光莉さんが母親のことを心配していることも忘れて、北陸新幹線の見所を語り始める。

「そうなんですか」

 光莉さんも一方的にマニアックな発言を繰り返す自分に合わせて話を聞いてくれた。

「この碓氷峠は在来線時代は鉄道では屈指の勾配で、補助機関車を2両先頭に繋がないと登れない急勾配だったんですよ」

「新幹線では迂回して勾配は多少軽減されましたが、それでもこの区間は、全国の新幹線の中でも2番目に勾配がきつい区間なんです」

「そうなんですか、それでも2番目なんですね」

「はい、最もきつい勾配は、九州新幹線にあってですね…」

そんなことを喋っていた自分は、ふと光莉さんの置かれていた状況を思い出した。

「ごめんなさい、お母さんのことが心配なのに、自分はつい」

「いえ気にしないでください、私こそさっきまで焦っていたので、いい具合に緊張がほぐれました」

 光莉さんは笑顔で自分の言葉に答えてくれた。

 だが、彼女の手足は震えていて内心は不安であるということに自分は気づいていた。

 列車は軽井沢に到着する。次の停車駅は佐久平だった。

「えっと、光莉さんは佐久平で降りた後は在来線に乗り換えますか?」

 とにかく自分は少しでも光莉さんの力になりたいと思った。

「はい、目的地は小諸(こもろ)というところで」

「となると、小海線ですね、10:58発の小諸行きですね、佐久平駅は直接在来線に乗り換えできる自動改札がないので、一旦新幹線の改札から外に出てから、乗り換えてください」

「あっ、はい」

「って、地元なのでそんなこと知ってますよね」

「あの、佐久平に行かれたことあるんですか?」

 まるで佐久平の沿線に住んでいるかのように詳しく語る自分に、光莉さんは聞いて来た。

「いや、降りたことはまだないですね」

「それなのに詳しいですね」

「いえいえ、たまたま知っていただけですよ」

 そうたまたま、ユーチューブの鉄道雑学系の動画で最近知ったことだった。

「あっ、でもこのきっぷ、長野までって書いてありますけど」

「駅員の人に使用放棄と言えば、佐久平で降ろしてもらいますよ」

「そうですか、本当に詳しいんですね」

『間も無く佐久平です。小海線はお乗り換えです』

 と車内のアナウンスが流れる。

「では、私はここで、すいませんせっかくの旅行だったに私のせいで不快な気分にさせてしまったみたいです」

 光莉は病気の母に会いに行くというしんみりした話をしたことで、自分の旅行の楽しみが半減したのではないかと感じているようだった。

「いえ、そんなことないですよ、お母さんにお大事にとお伝えくださに」

 そう言い返して、自分は光莉さんを見送りに乗降口までつきそう。

 ここから降りる人は光莉さんだけだった。

 列車は佐久平に停車しドアが開く。

「本当にありがとうございました。この新幹線があったから、私は少しでも早く母に会いにいくことができました」

「いいですよ、自分は何もしてませんし」

 光莉さんが降りるとすぐにホーム上で発車ベルが鳴り響き、ドアが閉まり列車は発車する。

 彼女は自分に手を振って見送ってくれた、本当は一刻も早く母親の元に行きたいと思ってるだろうに。

 そして列車は終点の長野に到着した。

 ホームでは回送列車を見送る鉄道ファンたちがカメラを頭上より高く上げて、記録に収めるべく最後の勇姿を見届けていた。

 このE2系0番代の引退後、あさま号は全て新型車両のE7系で運用されることになる。

 長野新幹線もとい北陸新幹線、高崎ー長野間の開業から走り続けたE2系あさまももう終わりが近づいて来ていた。

『11番線ご注意ください。回送列車が発車します。お見送りの方、列車から離れてください』

 列車は大きく警笛を鳴らして長野車両センターへ回送されていく。

 自分を含む多くの鉄道ファンたちがこの場で別れを惜しんだのだった。

 ラストランのE2系あさま号を見送った後、光莉さんのことも気になったが自分は明日も大学の授業があるので、この後の予定通り、長野駅で列車を見たり、近くの鉄道模型専門店に立ち寄った後、長野と名古屋を結ぶ特急しなの号で名古屋に向かい、そこから東海道新幹線を乗り継いで京都に帰ったのだった。

 これは後で光莉さん本人から聞いた話しなのだが、あの後、小諸の病院に光莉さんが駆けつけてすぐ、最後に光莉さんの顔を見て彼女のお母さんは息を引き取ったらしい。

 その後も、自分は定期的に光莉さんと会い、自分が東京に行ったり、光莉さんが京都にきてくれたり。

 そして、五月の終わり頃、思いを打ち明けた自分は光莉さんと付き合うことになったのだった。

 この新幹線があったから自分は彼女に出会うことができた。


 そしてE2系あさまのラストランの日の夜、京都では、

 ひかりもとい諏訪 望とその列車に乗る予定だった京都S大学、鉄道研究会の一回生、シロクニこと彼杵 海士(そのぎ かいじ)が、風邪をひいた妹の看病をしていた。

「よし」

 妹の熱がだいぶ下がったことを確認し、俺は部屋を出て行こうとした。そのとき、

「ごめんね、兄さん」

 妹が発した声に反応して振り返ってみると、彼女は寝ていた。どうやら寝言だったようだ。  

 おそらく俺が今日のE2系ラストランに行けなくなったことに罪悪感を感じているのだろう。

「そんなことねぇよ」

 と俺は小声で返して、妹の部屋を後にした。


 それから一晩が経ち…

 月曜日は、また今日から学校や会社が始まり憂鬱だと感じる人が大半かもしれないが、今朝は俺にとって喜ばしいものでもあり、それが数時間後に絶望的なものに変わるとはその時の俺には想像もつかなかった。

 台所で朝食を作っていた俺は、ガチャッと廊下につながるドアが開いた音に反応して振り返る。

「おはよう、兄さん」

「おぉ、梓、もう起きて大丈夫なのか」

 彼女は妹の梓(あずさ)、高校2年生。昨日まで風邪で寝込んでいたが、熱も下がり元気そうに二階の部屋から降りて来た。

「うん、学校も行けそう」

 梓はそういいながら食卓に座る。

「大事をとって今日は休んだほうがいいんじゃないか?」

 俺は梓の分の食事を用意して、ご飯と味噌汁、目玉焼きとキャベツの千切りがのった皿を出す。

「うんん、ここまで皆勤だし、行きたい」

「そうか」

 熱も下がってるし、朝食も問題なく食べている梓を見て、俺も大丈夫だろうと判断して学校に行かせることにした。

「どうだ、俺の作った飯は」

 父母は仕事で早朝から出かけてしまい、そういう日は大体妹が朝食を作るのだが、今日は俺が作った。

「うん、美味しいよ、お味噌汁がインスタントじゃなかったらもっと良かったかな」

「おっ、おぉ、次は一から作るよ」

 朝食を作ったとは言っても、ご飯は炊飯器の中に残っていた分を盛り、キャベツは冷蔵庫に千切りにしてあらかじめ置いといたものを皿に盛り、味噌汁はお湯を入れるだけ、まともに作ったのは目玉焼きぐらいだった。

「うん、期待して待ってるね」

 梓は朝食を食べ終えると食器を重ねて流しに置いた後、部屋に戻り身支度を済ませて玄関の方に向かう。

「行って来ます」

 と言って玄関の扉を開けようとする梓に

「おい、梓」

 と呼び止める。

「定期、忘れてるぞ」

 と階段のところに落ちていた定期を渡す。

「あっ、いけない、ありがとう兄さん」

 どうやらカバンにつけていたヒモが外れていたらしい。

「これがないと電車に乗れなくなるぞ」

 このセリフが現実になることは今の俺には知る由もなかった。

「いや、きっぷ買えば、乗れるよ」

 梓は定期券をポケットの中にしまい、玄関のドアを開ける。

「じゃ、行って来るね」

 梓は俺に手を振って家を出て行き、俺も手を振り返して見送った。

 この後、これを最後に梓は二度と列車に乗れなくなってしまう。

 そして、その一年後に、二人の後輩に梓は助けられるのだった。

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