4号車『鉄道研究会の女子部員』

「はい、じゃぁ今日はここまで、来週に中間レポートを提出するように」

『フゥ、終わったか』

 連休も終わり、京都から帰って来た怜は、いつも通り大学で授業を受けていた。

 時期は5月の終わり頃で怜たち一回生も大学の雰囲気に慣れてきたところだった。

『もう7回、そろそろ前期も折り返しかぁ、早いなぁ』

 と思いながら怜は筆記用具と資料を片付ける。

「あっ、あのすいません」

 突然後ろから声をかけられ、振り向く。

「「えっ」」と目が合った二人は同時に声が出てしまう。

「れっ、怜くん⁈」

「美音理、なのか」

「うん、美音理だよ、いやぁ偶然だねー、同じ学校だったんだ」

「そ、そうだな」

 百人は入るであろうこの教室の広さのせいで気づかなかったが、もう7回も同じ教室で同じ授業を受けていたという現実に頭の中も言葉も追いついかない状況になっていた。

「あぁ、そうそう、ちょっとお願いがあるんだけど」

「えっ、なに?」

「今までの授業の資料、コピーさせてくれない?私授業休みすぎて内容全然頭に入ってないの。お願いこの通り」

 美音理は頭を下げると同時に両手を合わせて怜にお願いした。

「あぁ、いいよ」

「ホント、ありがとー、まじ助かったわ」

『まぁ、資料をコピーさせるぐらい減るもんじゃないだろう』ということに加え、ここまで異性から要求されたことが初めてな怜は、美音理の要求を受け入れることにした。

「あぁ、でもごめん、今日はこれから用事があるんだ」

「あぁ、そうなの、どれぐらいで終わりそう?」

「ちょっとわからないなぁ、何か報告があるかもしれないし」

「どこに行くの?」

「サークルのミーティング」

「へぇー、どんなサークル入ってるの?」

「鉄道研究会」

「鉄道、怜くん電車好きなの?」

「うーん、そこまで好きってわけじゃないんだけど」

「えぇ、じゃぁどうして入ってるの?」

「よくわからないかな、なんとなく入った感じ」

 怜が鉄道研究会に入ったのは子どもの頃は鉄道が好きだったからであった。

「へぇー、ねぇ、一緒にサークル行っていい?」

「えっ、いいと思うけど」

 美音理も鉄道研究会に興味持ったのかと思った怜だった。

「けど?」

「いや、いいと思うよ」

 怜はサークルの役人ではなく、美音理を連れて行っていいのか、ここでは判断のしようがなかった。

「うん、じゃ一緒に行こ」

 二人は授業の資料を片付けて教室を後にする。

 そしていつものミーティングが行われているフリーのラウンジへ向かった。

「ねぇ、ここでやってるの?」

「そうだけど」

「へぇー、ミーティングって部室とかでやるものかと思ってたよ」

 開始5分前ぐらいでラウンジにはすでに十数人が集まっていた。

「ねぇ、鉄道研究会って何人いるの?」

「えーと十五、六人ぐらいかな」

「へぇー」

「あっ、しおかぜ、お疲れー」

 その時、後ろからマリンライナーこと雪子がしおかぜもとい怜に話しかけてきた。

「おぉ、マリンライナー、お疲れ」

「しおかぜ? マリンライナー?」

 美音理はお互いに呼び合う二人称に疑問を持った。

「あぁ、ここのサークル、部員たちで鉄道関係のあだ名をつけて呼び合ってるんだよ」

「へぇー、あれっ、てか、こないだ岡山で怜くんといた子じゃん。えっと雪子ちゃんだっけ、やっほー、久しぶり、元気?」

「げっ、な、なんであんたがここにお、いるのよ」

 感情的になり「おるん?」と言いかけたところでなんとかブレーキをかけて標準語に戻した雪子だった。

「あぁ、雪子ちゃんも同じ大学だったんだね。てか、げってなに、歓迎されてない系?」

「ちょっと怜、どういうこと?」

 マリンライナーはしおかぜを部活名ではなく本名で呼び、服の裾を引っ張りながら問いかける。

「いや、だから美音理とはたまたま同じ大学でたまたま同じ授業を取ってて資料をコピーさせて欲しいっていうから」

 もはや状況を整理できなくなったしおかぜ混乱していた。

「しおかぜ、マリンライナー、そろそろミーティング始めるよ」

「あぁ、はーい」

 ひかり先輩に呼ばれるまで、ミーティングに参加する目的でここまで来たことを忘れていた雪子は、すぐさまスイッチを切り替え大きい机を囲って座っている部員たちの中に加わった。

 怜もついていって雪子の隣に座る。さらにその隣には美音理が座った。

「えっと、しおかぜ、その子は?」

「どうも、私、早岐 美音理って言います。怜くん、じゃなくてここではしおかぜ君か、彼の付き添いで来たのですが、見学していってもいいですか?」

「あぁ、そういうことなら全然大丈夫だよ、ですよね快速急行先輩」

 一応部長は快速急行ということで、副部長のひかりは許可を申請した。

「大丈夫だ、存分に見ていくと良い」

「ありがとうございます」

 美音理は満面の笑顔でひかりと快速急行にお礼を言った。

「えぇー、ちょっといいんですか先輩、こんな得体の知れない人をミーティングに入れて」

「うん、特に外にばれちゃまずい事なんて話さないからね」

「そうだ、それにこのサークル興味を持ってもらういい機会だろ、なぜ拒もうとする?」

 さらに追い討ちをかけるかのように快速急行がマリンライナーに問い詰める。

「いえ、その、そうですよね、すいませんなんか変な事言ってしまって」

 このとき、怜は雪子の様子がいつもと違い変だなと思っていたが、怜はこの場で口を開くことはなかった。

「では、今週のミーティングを始めよう、まず今後の予定についてだが…」

 部員たちは全員顔を降ろしたり、目をそらしたりしながら聞いていた。

 なぜなら、快速急行は複数人からの視線を浴びると緊張して言葉を発することが出来ないからである。

 今回は今週の予定と言っても特に活動はなく、近況報告だけを行い十数分でミーティングは終わった。

「ねぇ、しおかぜもう授業ないでしょ、よかったら一緒に帰らない?」

 マリンライナーはさっきのように怒っている様子はなく、いつも通りの態度でしおかぜを誘う。

「あぁ悪い、俺ちょっと用事あるから」

「行こう、怜くん、えっとしおかぜくん?」

「まぁどっちでもいいけど部活のときはしおかぜって呼んで欲しいかな」

「うん、じゃぁ普段は怜くんって呼ぶね」

 と会話しながら去っていく二人を見た雪子は、少しに気に入らない感じでふてぶてしく一人で帰って行った。

「おい、マリンライナー」

 その時急に後ろから声をかけられる。

 雪子が振り向くとそこには快速急行がいた。

「この後、予定はあるか?」

「快速急行先輩、いえ特には」

「ならば、この後付き合ってくれ」


 そう言われて向かったのは餃子の王将で二人で食事をすることになった。

「いいですね、二人で女子会」

 高校生の時から友達とマクドやカラオケなどに行くことに慣れていたマリンライナーもとい雪子は、快速急行に誘われた時点で女子会だと察して現在に至る。

「あぁ、いつか誘おうと思っていたんだ、うちの部の女子は私とお前しかいないからな

 ここは私のおごりだ、好きなものを頼むといい」

「えぇ、そんな、悪いですよ」

 マリンライナーが今までに経験した女子会は同級生のみで、会計は毎回割り勘かそれぞれが食べたものを支払っていた。年上と食事をする、ましてや奢ってもらった経験はなくマリンライナーは遠慮した。

「気にするな、サークルの飲み会ではよくあることだ…と思う」

「思う?」

「いや、なんでもない」

 快速急行は雪子に見えないように膝の上でメモを広げた。

「あっ」

 しかしうっかり手が滑って落としてしまい、床にゆっくり落ちる。

 それを雪子が広い中身を読まれてしまう。

 メモには、高すぎない馴染み深いところ、後輩に奢ってあげること、という短文が書かれていた。

「これって、」

「いや、そのだな、私は後輩と一緒に食事をするのは初めてで」

「なんだそうだったんですか」

 さっきまで気まずい空気になっていた雪子は、緊張がほぐれる。

「えっ?」

「実は私も先輩の人と食事するのは初めてで」

「そうだったのか」

「はい、だから普通の女子会をしましょうよ」

「あぁ、そうだな、さっきまでマニュアルに頼ってた自分がバカみたいだ」

 快速急行は今までの緊張から解き放たれ、笑顔で答える。

 マリンライナーと快速急行の二人は料理を注文して大学のことやお互いの好きな鉄道関係のことについて話し合っていた。

「快速急行先輩は音鉄なんですか?」

「あぁ、電車や気動車の加速音、駅の接近メロディーや発車メロディー、車内チャイムを聞くのも好きだな」

「私の出身高松では瀬戸の花嫁が流れますね」

「あぁ、あれはいい曲だな、四国といえばJR四国チャイムだな」

「あれ、いいチャイムですよね、快速急行先輩の一番好きなチャイムはなんですか?」

「私は車内チャイムでは国鉄型電車特急の鉄道唱歌が一番好きだな。

 駅の発車メロディーでは仙台駅の新幹線旧発車メロディーだな、あれは何度聞いても飽きない」

 などと鉄道の会話が続く、高校にはそんな好きなものについて語れる友達がいなかったので、マリンライナーは自分の趣味を赤裸々に語った。

「して、マリンライナーよ」

「はい?」

 鉄道の会話がひと段落したのか、快速急行は路線変更をした。

「お前、最近何か悩み事をしていないか?」

「えっ、いやそんなことないですよ、多分」

 マリンライナーは慌てて言い訳をするもこの反応は誰がどう見ても黒だった。

「あるんだな」

「は、はい」

 さっきまで慌ただしかったマリンライナーは顔を赤くして大人しく返事をした。

「今日のお前はいつもより少しおかしかったからな、しおかぜがあの女(美音理)に絡まれているときは特に」

「そ、それは」

「それは、なんだ?」

「その…」

「今まで頼っていたしおかぜが急にあの女に取られたようで悔しい」

 快速急行がそう言うと、マリンライナーは目を潤ませて無言で頷いた。

「あぁ、すまない、そんなつもりじゃなかったんだ」

 少し問い詰め過ぎたかと思い、快速急行はここで踏みとどまった。

「複雑なものだな、恋敵というのは」

「先輩にもいるんですか?、恋敵」

 まるで自分にも恋敵がいるような口ぶりで話す快速急行にマリンライナーは問いかける。

「まぁな、私が好意を寄せている者には既に交際相手がいてな」

「そうなんですか」

「あぁ、だが私はその者との関係がなくなる前にこの思いを伝えたいと思っているんだ」

「それは伝えるべきですよ先輩、頑張ってください、私も頑張ります」

「そうだな、前向きに考えていくのが大事だな」

「じゃぁ、競争ですね」

「えっ、?」

「どちらが先に好きな人思いを伝えるかですよ」

「そうだな」

「さて、そろそろ出るか」

「そうですね」

 二人は席を立ってレジの方に進む

 雪子はカバンの中から財布を出した

「あぁ、ここは私が出そう」

「いえ、これはしおかぜへお土産に餃子を買っていこうと」

「そうか」

 そこまで自分が受け持つのはやぼだと思った快速急行は、マリンライナーが店内で食べた分の料金のみを支払った。

 それから店を出て途中まで一緒に歩いて、帰り道が分かれると

「今日はありがとうございました」とマリンライナーが言って

「いや、こっちも楽しかったよ、気をつけてな」と快速急行が互いに挨拶をして二人は別々の道に別れた。

 ただ、マリンライナーは帰る前に少し寄り道をして…

 マリンライナーもとい雪子はしおかぜこと怜の下宿に向かった。

 しおかぜの下宿には前に一度行ったことがあり、部屋番号までしっかり覚えていた。

 ロビーに鍵はなく各部屋に鍵が備わっているだけで防犯設備は少々ゆるい下宿だった。

 下宿についたマリンライナーは階段を上がってしおかぜの住んでいる303号室のドアの前についてインターホンのボタンを押す。

 しかし返事はなく、マリンライナーもとい雪子はドアをノックして呼びかける。

「怜、いないのかな?」

 雪子はダメもとでドアノブをひねると鍵はかかっておらずドアが空いた。

「怜くん、ご飯できたよー」

 ドアを開けたすぐ先にあるキッチンは美音理が料理をしていた。

「あれ、雪子ちゃん」

「なっ、なんであんたがここにおるんよ」

「いやぁープリントコピーしてもらったお礼にご飯作ってて、うち料理だけは得意だから」

「なんだ、誰か来たのか」

 奥の部屋の扉から怜が出てきた。

「あっ、雪子どうしたんだ?」

「別に、快速急行先輩とご飯行ってきたから、はい、これお土産」

 雪子は不機嫌そうな顔で怜に押し付けるように餃子の入った袋を渡す。

「かっ、勘違いしないでよね、快速急行先輩とご飯行って来たからついでに買っただけなんだからね」

「おっ、おう、サンキューな」

 雪子の喋り方が少しおかしいような気がしたが、空腹で疲れもあり面倒だと思った怜は余計なツッコミをせず軽くお礼を言って受け取った。

「あら、王将の餃子じゃない、ありがとう雪子ちゃん、今からご飯だったからちょうどよかったわ」

「これは怜に買ってきたの」

 雪子は怒りが爆発したようにいきなり大きな声を出して言う。

「おいおいどうしたんだよ、なんか今日のお前変だぞ」

「まぁまぁ、怜くん早く食べよう、ご飯冷めちゃうから」

 美音理は二人の中を仲裁しようと割って入った。

「あぁ、安心して雪子ちゃん、この餃子、私は食べないから」

「私も食べる」

「えぇ?」

 怜は雪子の言葉を聞き取れなかったのではなく雪子の言っている言葉の意味を理解できなかった。

「私もご飯食べてくって言ったの」

 雪子は駄々をこねた子どもように言う。

「何言ってるんだよ、お前さっき快速急行先輩と食ってきたんだろ」

「まぁ、いいわ、雪子ちゃんも入りなよ」

「ここは、あんたの家じゃないでしょ」

 雪子はまた大声で叫んだ。

 そして雪子も少し機嫌を直したのか、黙りこんで怜の部屋の正方形の卓に向かって座っていた。

「はい、怜くん」

「おぉ、ありがとう」

 雪子は机の真ん中に敷いた鍋敷きの代わりにした台拭きの上に置いたフライパンの中に盛られたチャーハンを茶碗によそって怜に渡す。

「ごめんね、私の方が食べやすいお皿使ちゃって」

 と美音理は自分の分のチャーハンを平皿によそう。

「いいよ、美音理はお客だし」

 怜は2つのコップにお茶を注いで1つを美音理に渡す。

「一人暮らしあるあるだよねぇー」

 その光景を見ながら雪子は怜のベッドから取った枕を強く握りしめながら怜を睨みつける。

『私にもちょうだい』という無言のメッセージを受信した怜は、

「ほら」

 と言って、雪子にもう1つのお茶が入ったコップを差し出す。

「ありがと」

 怜は500mlのペットボトルのお茶を開ける。

「怜君はコップ使わなくていいの?」

「うち、2つしかないんだ」

「そうなんだ、ごめんね、私たちだけ使っちゃって」

「そうだ、雪子ちゃんも少し食べる?」

 雪子は無言でコクリと頷く。

「わかったよ、ちょっと待ってろ、皿を取ってくる」

『今日の雪子はやけに機嫌が悪いが、その理由がわからないなぁ』と考えながら、怜はキッチンへ行って少ししたところで戻って行きた。

「ほらよ」

 怜は小皿を持ってきて美音理に渡す。

 美音理はその皿に怜と比べて四分の一ほどの量をよそって雪子のもとに差し出した。

 雪子はまたコクリと一回頷いた。

「さぁ、冷めないうちに食べよう」

 三人は合掌して「いただきます」とあいさつをして食事を始めたのだった。

「怜くん、どぉ」

 美音理はにこやかに怜に感想を聞く。

「あぁ、うまいよ、ほんとありがとうな」

「ありがとう、そう言ってもらえると作ったかいがあったわ」

「ふん、さっき食べた王将のチャーハンより全然普通の味ね」

 と雪子は水をさす。

「あら、飲食店の料理と比べてもらえるなんて嬉しいわ、だったらもっと練習しなくちゃね」

 さっきよりは少し大人しくなった雪子だったが、再び機嫌を悪くして、怒りに身を任せてチャーハンを頬張った。

「うっ、」

 急に雪子の手が止まり、首もとを押さえながら苦しそうな表情になる。

「おい、おい、そんな一気に食うから」

 怜は雪子にお茶を差し出す。

 それを慌てて受けっとった雪子は、もらったお茶を一気飲みして、喉に詰まっていたものを流し込んだ。

「まったく、ホントお前、今日はどうしたんだ?」

「なんでもない」

 雪子は少し元気をなくしたような小声で返事をした。

「ところで、怜くんの入ってる鉄道研究会って普段どんなことしてるの?」

 と美音理は怜に話題を持ちかける。

「そうだなぁ、まぁ、鉄道についていろいろやってるかな。こないだはみんなで京都鉄道博物館に行って来たし」

「へぇー、鉄道博物館かぁ、なんか面白そう」

 美音理は鉄道研究会に興味津々だった。

「あとは鉄道について部員同士で話したりしてるかな、俺は何言ってるかわかんないことあるけど」

 怜と美音理が楽しそうに会話している一方、蚊帳の外になっていた雪子は食べる手を止めて、スプーンを強く握り締めていた。

「そうなんだぁ、そういえば怜くんはしおかぜって呼ばれたけど、あれはなんなの?」

「あぁ、うちのサークルでは、鉄道関係のあだ名をつけて呼び合ってるんだよ」

 二人はすぐ隣に不機嫌な雪子がいることも忘れていた。

「そっかぁ、だからかぁ」

 美音理は納得という表情で答える。

「で、俺のあだ名はしおかぜ、岡山と松山を結ぶJR四国の特急」

「うん、知ってるよ、この前二人で乗ったもんね」

 ガチャンと隣で大きな音がして怜がその音がした方を見ると、雪子がスプーンで皿を力を入れて叩きつけた音だった。幸い割れてもないしヒビも入っていない。

「おいおい、壊さないでくれよ、貴重な皿なんだから」

「何よ、今の?」

「はぁ?」

 怜は雪子が何のことを聞いてるのかわからず曖昧な返事をした。

「美音理としおかぜに乗ったって」

「うん、たまたま隣同士の席だったんだよ」

 美音理は雪子の逆鱗に触れてしまったことも知らず、火に油を注いでしまう。

 雪子は力いっぱい怜の服を引っ張って問い詰める。

「ちょっとどういうことよ」

「だから、ほんとに偶然だったんだって、お前さっきから何キレてんだよ」

「ふん、どうせこいつと一緒に座ってるとき、いやらしいことでも考えてたんでしょ」

 雪子は怒り狂い、美音理に対する二人称がこいつになった。

「えっ、そ、それはぁ。その」

 怜は目をそらしてだんだん声が小さくなっていく。

「ほーら、やっぱりそうじゃない」

「どうせ今日のも、こいつのこと目当てで…」

 雪子が言いかけた瞬間、急に腹の虫が鳴ったような音が怜の部屋中に鳴り響き、その瞬間に雪子は耳の後ろまで顔が赤面してしまう。

 怜を掴んでいた力も急に弱くなって、さっきまで赤面していた顔の色は次第に血の気を失っていった。

「どうしたお前、顔色がわるいぞ」

 今度は弱った雪子を心配して怜は声をかける。

「な、なんでもない」

 雪子はそう言ってるが、顔は青ざめていて表情も崩れかけて、腹部を押さえてる。

 明らかにこれは何かあると怜は感じた。

「私、帰る」

「えっ、だったら送って…」

 送っていこうと思ったが美音理を残して家を出るわけにもいかず、かと言って美音理に帰ってくれということもできず迷っている間に、

「じゃぁね」

 と雪子は荷物の手提げカバンを肩にかけて玄関の方に向かう。

「なんだよ、どうしたんだよ急に」

「なんでもないって言ってるでしょ、ご飯も食べたから帰るの」

「あぁ、そっか、じゃぁ、また大学でな」

 怜は本当にご飯を食べたからもう帰るのかと思いこみ雪子を見送った。

「お大事にね、雪子ちゃん」

 雪子は美音理を睨みつけて無言の圧力をかけながら帰って行った。

 そして怜は玄関を出て階段を降りていくのを見送った。

「なぁ、お大事にってどういうこと?」

「さぁ、自分で考えてみなさいよ、鈍感さん」

 美音理は楽しいことでもあったかのようなにこやかな表情で部屋に戻っていく。

「じゃぁ、片付けしないとね」

「あぁ、そうだな」と怜は美音理に続いて部屋に入る。

「どうせなら怜くんの家で借りていけばよかったのにね」

 美音理は例の部屋に続く横にトイレがある通路を歩きながら言う。

「はぁ、借りるって、どう言うことだ?」

 美音理の言っていることを怜は理解できなかった。

「さぁ、なんのことでしょうね」

 美音理は意地悪な返事を怜に返して、食器や鍋を洗って後片付けをしたあと、怜の家を後にして自分の家に帰ったのだった。


 それから一週間後、授業を終えた怜はいつも通りミーティングが行われる大学のフリーラウンジに向かった。

「お疲れ、マリンライナー」

 と怜はすでに来ていた雪子もといマリンライナーに声をかける

「お疲れ」

 とマリンライナーも返すが目も合わせず投げやりな返事が返ってきた。

『まだ機嫌直ってないのか』

 と思い怜もといしおかぜはそれ以上話しかけることはなかった。

「それでは、全員揃ったのでミーティングを始めようと思う」

 と快速急行がいつも通り号令をかけるが、今日はいつもと違う点が一つあった。

 ひかり先輩が来ていない。

 毎週ミーティングには基本的に参加していた副部長のひかり先輩だが、なぜか今日は姿が見えなかった。

「と、始める前にみんなに新入部員を紹介しよう」

「えっ?」「新入部員?」と部員たちは話し出した。

 それはまるで学校に転校生が来るような感覚だった。

「よし、出て来てくれ」

 と快速急行が呼ぶと、備え付けのホワイトボードの後ろから一人の女性が顔を出した。

「初めまして皆さん、早岐 美音理と言います。この度、鉄道研究会に入部させていただきます」

 美音理は転校生の気分で後ろのホワイトボードに自分の名前を大きく書いた。

「鉄道のことはあまり詳しくありませんが…そのぉ、よろしくお願いします」

 と一礼をして部員たちからは約一名を除いて暖かい拍手が送られた。

『あれ、美音理、入ったのか。どおりで先週は鉄道研究会のことに興味を持って問いかけて来たわけだ』と思ったしおかぜもまた暖かい拍手を送った。

 その隣にいたマリンライナーは「げっ、なんであんたが」と声が出てしまうが、部員たちの拍手喝采の音にかき消され、空気を読んで仕方なく周りの人たちに習って自分も拍手をした。

 しおかぜとマリンライナーを見た美音理はニコッと無言のサインを送る。

 そして、快速急行は座ったまま黙り込んでしまい、ミーティングが先に進まない。

「あ、あの〜」

『どうしたんですか』と思った美音理が声をかけるが反応がなかった。

 部員たちは美音理と一緒に快速急行を見ていたのに気づいて、その瞬間部員全員が快速急行と美音理から視線を外した。

「では、まず彼女にはあだ名をつけなくではな」

 と全員の視線が外れてから快速急行は何事もなかったかのように再起動した。

「美音理と言ったな、お前はどこの出身だ」

「えっ、はい、愛媛県です」

 美音理は快速急行の尖った口調に驚いて、ギクシャクした返事になってしまった。

「うむ、愛媛か、しおかぜはすでに使ってしまっているから…」

 快速急行はしばらく考えて、答える。

「よし、お前の名前はいしづちだ」

「いしづち、ですか、は、はい」

 美音理もといいしづちは今まで怜や雪子たちがしおかぜ、マリンライナーと呼ばれていたことには他人事で面白いと思っていたが、いざ自分もそんなあだ名を付けられて呼ばれると少し恥ずかしい気持ちになってしまった。

 一方の快速急行は別の不安を抱えていた。

『やはり、ひかりがいないといけないのだろうか、私は本当に部長にふさわしいのだろうか』

 ひかりが今日のミーティングを欠席することがわかったのは、昨日のある出来事がきっかけだった。

 それは先日のこと…


 大学生は日曜日、何をしているだろうか?

 私は自分の趣味に没頭する。


 とある住宅地の合間を縫うように敷かれた二本の線路。ここは京都市の北部を走る叡山電鉄鞍馬線の沿線である。その線路の柵の外側から一人の女性がテレビ取材の人が持っているような黒いフサフサの毛のようなものをつけたマイクを向けて待機していた。女性が持つには少し体力を使いそうである。

 すると遠くからガタンゴトンという音が聞こえてくると、女性は再びマイクにつけている取っ手を強く掴み静止する。

 その時、姿を現した2両編成の電車が柵越しに女性の目の前を横切り過ぎ去っていった。

 女性はマイクを下ろし、備え付けていたカメラの録画ボタンを押す。


 私の名前は 南風崎(はえのさき) さくら、京都S大学の三回生。快速急行という名前で鉄道研究会の部長をしている。趣味は音鉄。音鉄とは鉄道車両のモーター音やブレーキ音、駅の接近チャイムなど鉄道関係の音を聴くことを楽しむ、鉄道オタクの中でもコアな存在だ。

 私が鉄道を好きになったきっかけは、両親が旅行好きで、仕事が自営業だったことから、休みを作って度々旅行に行っていた。

 母親が体質的に飛行機が苦手だったこともあり、長距離の移動手段は鉄道をよく利用し、私は次第に鉄道の音を聞くことが好きになった。

 もちろん列車に乗ったり、車両を見たりすることも好きだが、その中でも鉄道の音にこだわる理由は、駅の接近メロディーや発車ベル、鉄道車両の加速音や車内チャイムを聞くと、これからの旅の始まりを音で感じられる。それが好きで私は音鉄になった。

 そんな私も大学生になり、鉄道研究会というサークルがそこにあることを知った私は、部員が私以外の女子がいないことなど気にすることなく入部した。

 私には欠点があった。それは大勢の人の前で話すのが大の苦手で複数の人の視線を浴びただけで硬直状態になってしまうことだった。

 なぜそんな私が部長になったのかというと、上回生でまともにサークルに顔を出していたのが私しかいなかったからだ。

 まぁ、部長と言ってもミーティングの進行と部活紹介をする程度でたいした仕事があるわけではない。

 そして役員を決める時、当時一回生の彼、ひかりは新幹線のような速さで率先して手を上げてくれた。

「はい、自分副部長をやりたいです」

 それまでうちのサークルに副部長という役職は存在しなかった。

 それでも彼は部長の仕事をサポートするという形で副部長になったのだった。

 ミーティングには基本毎日参加し、私の代わりにその場を仕切ることもあった。

 そんな私を助けてくれた彼を、私は次第に意識するようになっていった。

 私に気を使ってくれたのか、それとも彼も私を意識しているのか、いやそれは考えすぎだろうか、とにかく彼があの場で副部長に立候補した理由は私にはわからない。

 

 一通りの収録を終えたさくらもとい快速急行は、機材を片付け、自分の体より一回りほど大きく膨れ上がったリュックを「よいしょ」と重々しく背負い自宅に帰ることにした。

 イヤホンを耳につけて鉄道の音を聞きながら帰る途中で、急に誰かが自分の後ろの方から手を伸ばして目の前で手の平を振って来た。

 振り向くと

「お疲れ様です、快速急行先輩」

 と自転車を引きながら近づいて来たひかりが声をかける。

「ひかり、どうしたんだ、今日は?」

 快速急行は普段からつけていたイヤホンを外して言う。

「買い物です」

「そうか、お前は一人暮らしだったな」

「先輩は何をしに?」

「叡山電車の音を収録しにな」

「そうですか、いいですね。あっよかったらその荷物ここにどうぞ」

 ひかりは快速急行の背負っている重そうなリュックを見て、買ったものが入っていると袋を退けて自転車のかごを空ける。

「えっ、悪いだろ、それにお前の荷物は」

「大丈夫です、ここからは押して歩きますんで」

 と言ってひかりは袋を自転車のハンドルに引っ掛ける。

「そうか、すまないな」

 快速急行はひかりの言葉にあまえて、かごの中に自分の背負っていたリュックを入れる。

 入ったリュックはかごの中いっぱいにスペースを取り、他には何も入らないぐらいだった。

 それから、ひかりは自転車を車道側に持って押して歩き、快速急行は歩道側を歩いた。

 二人は鉄道のことやサークルのこと、お互いの生活ことなどを話しながら歩いていていた。

「大変そうだな一人暮らしも、私はたまたま親戚が近く住んでいたからよかったが」

「まぁ、やることは多いですね、でもいろいろと自分で自由にやれますし楽しいこともありますね」

「それにしても助かったよ、ありがとうな、荷物を持ってくれて」

「気にしないで下さい、お互い家が近所ですし、ついでですよ」

「あっ、そうだ、快速急行先輩」

 ひかりがとっさに思い出したように話しを変える。

「なんだ?」

「ちょっと、明後日用事があるので、ミーティングにはいけないんですよ、すいません」

「そっ、そうか、まぁ、強制するものでもないしな」

 快速急行は察していた、これは彼女と会うに違いないと

 

 私は確かに男勝りな性格だが、カンは鋭かった。

 一回生のひかりは、ミーティングにもジャージで来るほど服には気を使っていなかった。

 だが途中から服装や身だしなみに気を使い出した。

 最初はただのイメチェンかと思ったが、彼のスマホにはいつもつけている新幹線のストラップにピンクのハート型のストラップをしたものをつけて来るようになった。

 そして今回のように「用事がある」と言ってミーティングを欠席する日が過去にもあった。

 普段の彼なら「授業がある」「課題がある」などと欠席する理由は具体的な理由を言って来るが、今回は「用事かある」というなんとも曖昧な理由だった。

 快速急行はそんな考え事をしてボーと立ち止まってしまう。

 そこで踏切に差し掛かり、それを知らずにひかりは進んで上り線側の道路に渡り終えた。その後、快速急行が踏切を渡ろうとせず、線路の下り線側に立ち止まっているのに気づいたひかりは、

「先輩…どうしたんですか?」

 警報機が鳴り出して、遮断機が降り始めた。

 その時、快速急行は我に返って、線路の向こう側にいたひかりを見て、自分が置き去りされてしまったと感じてしまい、ひかりのいる線路の向こう側に行こうとした瞬間、

「先輩!」

 というひかりの叫び声で踏切が作動していることに気づいて快速急行は踏みとどまる。

 あと二、三歩ほど進むと、遮断機に腰回りを引っ掛けて高飛びの失敗のように線路上に転ぶところだった。

 快速急行が立ち止まるとすぐ横を列車が通過した。

 普段なら列車を見ることができて嬉しいはずの快速急行は、この時だけは早く通り過ぎて欲しいと思っていた。

 列車が通過して警報音が鳴り終わり、遮断機が上がるとひかりは引き返して快速急行のもとに向かった。

「どうしたんですか、急に立ち止まって」

「いや、すまない、ちょっと考え事をしていてな」

「とにかく無事でよかったです。気をつけて下さいよ」

「あぁ、すまない」

 それから二人は途中まで同じ道を歩き、進行方向から手前に家がある快速急行はひかりと別れてから、家に帰った。

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