4-2
「きつかったー」
そう漏らしたのは、
「ですね。歩くので精一杯でした」
僕らは今、グラバー園からの帰りである。明日の対局者は、4グループに分かれて長崎の観光地を紹介する映像を撮っていた。ただでさえそういうことが初めてなのに、今飛ぶ鳥を落とす勢いの相楽五段とペアを組むとあっては緊張はマックスだった。そして、雨もマックスだった。
「傘も役に立たないし、前も見えなかったね」
常に穏やかな顔つきのこの人、実はタイトル挑戦が決まっている。三段リーグは一期抜け(当然そのときは僕の負け)、プロデビューから一年と少しでタイトル戦というとんでもない逸材なのである。
「映像、使えるんですかね」
「無理にでも使うんじゃないかなあ。あ、そうだ。帰り、ちょっとだけ付き合ってくれないかな」
「はい、いいですけど。なんでしょう」
「市電に乗ろう」
「市電?」
そういえば、相楽さんは乗り物好きだった。僕にとってはどこにでもある市電に見えるけれど、そうではないのかもしれない。
「そう。ほら、もう見えてる。どう?」
「えーと。何か特別ですかね?」
そもそも駅と線路しか見えない。
「単線だよ?」
「単線」
「そう。絶対すれ違えないんだ。乗っとくべきだよ」
「はあ」
人それぞれ、いろいろなこだわりがあるものだ。
「そういえば福田さんは電車で来たんだよね。余裕があれば僕もそうしたかったんだけど。いいなあ」
ホテルに戻ってくると、しばらくして前夜祭だ。これもまた緊張する。なにせ、プロでないのは僕だけなのだ。
「加島君」
会場に行く途中で呼び止められた。いつもより明るい色で着飾った、福田さんがいた。
「お疲れ様です。大変だったでしょう」
「もう、本当にね。でも、列車の旅もいいもんよ」
「その話、後で相楽さんにすると喜びますよ」
何気なく言ったのだけれど、なぜか福田さんは、唇を尖らせた。
「あのね、全員ライバルなんだから。加島君も、へらへらしてる場合じゃないでしょ。追いつかなきゃいけない相手が集まってるんだから」
言葉が返せなかった。確かに、僕は同年代の皆に追い抜かれて、今回ようやく初めて、同じ舞台に上がれたのだ。どこかで、追いつけて安心した気持ちがあったのかもしれない。
「そんな神妙な顔しないでよ、いじめてるみたいじゃない。加島君には勝ち上がって、私に負けてもらわないといけないんだからしっかりしてよ」
「しっかりします、うん」
年下だけれど、福田さんの方がずっと大人なんだろう。「彼女には本当に上り詰めてほしい」という中五条さんの気持ちがわかる。そしてそのためには、僕はちゃんと彼女の壁であるべきだろう。
いったん情けない緊張を押し込めて、明日の勝負へと、緊張を高めていく。
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